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Re:アジア3次予選を見て
 glider  - 08/7/6(日) 0:38 -

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   ▼MODELさん:

>人選もやってることもおかしくはないはずなのにパッとしない。

そうなんですよね。まあ相手や暑さ等コンディションのせいもあるのかな、とは思いますが・・・

>打開策を思いつかない。

練度が足りない、工夫が足りない、アイデアが足りない、「この程度の相手なら圧倒してやる」という自信、気迫、志が足りない・・・
打開策としては、練度をあげるのはトレーニング時間の長さでしょうが、他のはやっぱりメンツってことになるのかなあ。
福田と澤はぜひとも呼んで欲しいものです。
自信と志、という面では79年組の連中でしょうか。
高原(復調はいつ?)と遠藤以外は、小笠原はそろそろかって感じだけど、本山だって呼んで良いし永井だって悪くないし、帰国する中田浩二、来てそうで来てない稲本、足を含む状態次第だけど小野、あの連中をもう一度一緒にやらせれば・・・っていうのは思います。

今は、遠藤と中村がゲームを作ってますが、ぼくはどうもあの2人の作るサッカーは推進力が足らず、工夫がありそうであまりなく、ダイナミックさ(流動性を含む)とキレ(テンポアップ等の時間差を含む)に欠け、どこか半端でイマイチだと思う。

>まあ油断はもちろんできないんですが・・・B組と比べると明らかに見劣りする。
オーストラリアなんかに負けてほしくない一方で、またこのまま何となくW杯に行っちゃったりするのかなあという・・・勝利とぬるま湯のジレンマがあります。

ぼくは意外と危機感があります。
韓国、イラン、サウジ、北朝鮮、UAEというB組よりは楽かもしれませんが、現状だとオーストラリアはかなり厳しい相手、アウェイを考えるとバーレーンとは拮抗していると言わざるを得ないし、今回のウズベキスタンはきてそう。
今のままだと予選突破の確率はまだ50パーセント、っていうところではないかと。

>ふてぶてしい代表が見たいですね。

やっぱラモス監督?
いやマジで。
だって面白いほうがねえ・・・
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Re:アジア3次予選を見て
 MODEL  - 08/7/3(木) 13:32 -

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   ▼gliderさん:
>しかし、それにしても、なんなんだ、と思いました、この閉塞感、行き詰まり感は。

確かにその言葉がぴったり当てはまる感じですね。
人選もやってることもおかしくはないはずなのにパッとしない。打開策を思いつかない。

まあ流れが悪いとは思います。
ホームのオマーン戦はかなりよかったのに、酷暑のアウェイ2連戦で萎んでしまったような。
酷暑、荒れたグラウンド、しょぼい審判だと、どうしても違うサッカーになりがちというか・・・そのたび世界を目指す姿勢に水を差される感じがしてしまいます。
それでもホームでのバーレーン戦では1ヶ月の成果を見たいなと思ってたら相手はメンバー落ち、そして大雨。巻のエアヘッド決勝点。

ユーロ見てると雨なんかほとんど関係ないんで、理由にはなりませんけど。


火事場のクソ力ってやつも、厳しい局面になったら期待できるかなと思っていた最終予選の組み合わせ。

見事に「死のグループ」をすり抜けてしまいました(笑)

まあ油断はもちろんできないんですが・・・B組と比べると明らかに見劣りする。
オーストラリアなんかに負けてほしくない一方で、またこのまま何となくW杯に行っちゃったりするのかなあという・・・勝利とぬるま湯のジレンマがあります。


>その昔、名波や山口が言いました。
>「相手をナメたプレイをしたい」
>その昔、小野や小笠原が言いました。
>「俺らが一番面白いサッカーしてる」
>そういうココロザシ、そういう心意気、そういう代表が見たい。

ふてぶてしい代表が見たいですね。ベテランも若手も、大人〜なサッカーをする代表が。
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アジア3次予選を見て
 glider  - 08/7/3(木) 3:42 -

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   ユーロを見ちゃうと、なんだか別の競技のようにすら思えてしまうアジア予選ではありましたが。

しかし、それにしても、なんなんだ、と思いました、この閉塞感、行き詰まり感は。
守備はまあしっかりやってる。
パスも回ってる。
ところどころでそれなりに良いつなぎもある。
そんなに悪いサッカーってわけでもなく、まずまずやってる。
頑張ってもいる。
だけど。

決定力不足?
そんなの別に今にはじまったことじゃない。
選手構成?
2センターバックは誰が見たって納得の人選だし、中盤には中村や松井等のタレントもいて、遠藤を下がり目で使ったり長谷部を起用したり、その辺も考えられてる。
内田や長友らのフレッシュな選手もいる。
Jリーグを見る限りじゃ玉田を使うのも納得。
なのに。

バーレーンのコーチに「日本はジーコの時代よりも弱くなってる」と言われたそうで。
そう言われりゃそうかもね、というのが正直なトコだったりして。
本当はそんなはずないんですけどねえ。
だって守備はジーコの時より組織的にできてるし、メンツだってバックスはジーコの時よりずっと良いし、中盤だって中田ー福西なんてワケのわからんことになった時より構成的にマトモで後ろともスムースに行ってるし、そしてFWは変わらんし、岡田監督の考えてることやろうとしてることも、まあ理解はできる。
なのになんで?

パっとしないんですね、どうも。
どうにも平凡、の一言。
技術、動きの質、確実に底上げはなされているけれども、目を見張るようなアイデアだのコンビネーションだのポジションチェンジだのゲームコントロールだの、必要以上に気合いの入ったプレイだの見てるこっちの意表をも突くようなプレイだの、そういうものがひとつもない。
その上、こっちの尻を蹴っ飛ばすような相手でもないわレベルも低いわ、そんな相手に確実に行こうとするわで、必然的にこちらのチーム力もレベルも上がって行かず火事場のクソ力も出ず、退屈なチーム、退屈なサッカー、退屈な試合になってる、と。
一度、強いチームにガツンとやられた方が良いのではないかと思ったりします。

その昔、名波や山口が言いました。
「相手をナメたプレイをしたい」
その昔、小野や小笠原が言いました。
「俺らが一番面白いサッカーしてる」
そういうココロザシ、そういう心意気、そういう代表が見たい。
ラモス瑠偉を監督にして欲しいなあ、とそう思いませんか?
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 glider  - 08/4/20(日) 5:39 -

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   ▼ロバさん:

>中盤の底で変化をつける事やボールの流れを良くすることに喜びを感じるプレイヤーに育ってしまいました。

良いですね〜
レッズのユースに入れませんか?(笑)

>それって本当に進歩だったんですかね?

速いプレイができるようになった。
それは進歩だと思います。
でも、右から来たボールをその場で左へ流すと見せて右奥スペースに出す、というようなプレイを忘れさせてはいけないと思います。
相手の意表を突く、裏をかく、というのは「サッカーの基本」だとぼくは思っています。
サッカーとはそういう競技だと信じています。
あの時、一緒に見たパラグアイのミニサッカーには、そんな要素がぎっしり詰まってたじゃないですか。
その読みあい、その駆け引き、ぼくは「これこそがサッカーだ」とあの時感じたのです。
日本はまだまだ全然だ、と感じたのです。
でもぼくはいつの日か、日本のサッカーも「適正化」すると思っています。
その日のために、そういうプレイを忘れさせてはいけない。絶対に、です。
走って走って、早く速く、そんなのただの流行です。
流行だから、「そればっかり」になるんです。
それは日本のサッカーがまだ幼いから。
そういうプレイ「も」やると効果がある、ということにすぎない、とぼくは思います。

>それで思い至ったのがオシムはただ一人の監督に過ぎないという当たり前の事実だったのです。

そうです。
旧ユーゴから来た、一人の良いコーチってだけです。
ぼくは彼が千葉でやっていたサッカーに最初から懐疑的だったので、ハナから「ただの監督」としか見ていませんでした。
だから必要以上に客観的だったかもしれないけれど。

>飲むと良く言うのが「Jリーガーよりサッカーがうまいヤツなんて日本にもいくらでもいるんですよ。お父さん」というセリフです。彼の考える「サッカーのうまい」は「自分がやりたいことをどれだけやれているか、やろうと出来ているか」です。

良い指導者ですね。
そんな人と酒を酌み交わし、サッカーを語れる幸せ。
しかも自分の子供という直接のかかわり合い。
うらやましいですね。

>ただしワールドカップで4年単位で結果を残すための監督としては悪くなかったどころかとてもよかったかもしれないとは評価しています。

ぼくもそう思います。
あの監督は、こと「結果」に関してだけは心配がなかった。
でもプロスポーツというものは、「結果」だけではどうにもならんものですから。
ぼくは今でも、監督なんていうものは、「選手をうまくモチベートし、チームをひとつにまとめる」ことさえできればそれで良いと思っています。
どういうサッカーになるか、なんて選手次第で良いと思っています。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ロバ  - 08/4/19(土) 9:24 -

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   ▼gliderさん:
>「共産主義的」とぼくが言ったのは、まずもってその「サッカースタイル」の話です。

また微妙に読み違えてましたかね(笑)
ただオシムに抱いた感想は非常に近いと言うことを以下の文章で確認できました。

>マンマークから取って返し、ワイドオープンに素早く攻める。
>攻撃の選手にも等しく守備を要求するわけですから、攻撃するためにはおのずから走らなければならない。
>その上、ロバさんが書いているように、サードマンランニングを重視し、スペースへの多くの選手の侵入を要求し、しかもそれは基本的に「速い攻撃」が前提としてあるわけですから(素早く攻めなければマンマークから取ってかえす意味はない)、とにもかくにも「よく走らねばサッカーにならない」やり方、と言えるでしょう。
>走れ走れ。等しく働け。
>ということで、選ばれる選手は基本的に「よく走る」選手となり、「走らねばサッカーにならない」「ライオンに追われたウサギが足をつることがあるだろうか」等の語録とともに、Jリーグじゅうで「よく走らねばならない」ということにもなった。
>ぼくはそれを「画一化」と思う。
>それは受け取る側の問題もあると思いますが。
>ぼくは「よく走る」ことが「良い選手」たる必要不可欠な最低条件であるとはまったく思わないのです。
>
>真実は、あのサッカーだから、そういう選手がより必要だった、ということ。
>しかし、名将オシムの口から「もっと走らねばならない」と告げられた日本のサッカーは、それをあたかも普遍的真実と捉え、皆が揃って走り出した。
>それはぼくには、なかなかにゾっとする現象でもあったのです。

長く引用しましたが同意します。
ただ僕がこのように感じ始めたのは中2の長男のクラブのサッカーがオシム以降変わって来たからと白状しておきましょう。

ここでは何度も話した中田と小野を対比してのボランチとしての資質の話し。あの時(ジーコジャパン)のチームなら中田のボランチを総合的に小野より良いと思っていましたし、あの時感じた感想は今も変わりはありません(笑)
ただ自分の長男がどちらかと言えば中田より小野のようなタイプに育ち、中盤の底で変化をつける事やボールの流れを良くすることに喜びを感じるプレイヤーに育ってしまいました。
この辺は実はグライダーさんの(グライダーさんの語る小野の・・・)影響かもしれません。彼の特性がスピードサッカーには向いていなかったので変化をつける事を子供の頃の遊びの時からいい続けてきたので・・・

オシム代表就任以降そういうタイプのプレイヤーにも走ることを要求し、今より「速く早く」走れればもっとプレイが良くなるだろうというのが事実のように言われ始めた。事実それで結果も出るようになった(愛知県2位)

でも本当なのか?
少なくとも僕の長男は「走る」ことに意識が行くことで「プレイの精度」が落ち、アイデアを出す回数も減ってしまった。
それが彼のストロングポイントだったのに・・・。
走るサッカーに適応しきれない姿を見ながら、オシムスタイルが「至上のもの」のように言われ始めたことには大いに疑問を感じはじめたのです。

「速く早く」走れればもっとプレイが良くなる

これはあながち誤りでもない部分もあります。僕の長男も試合に使って欲しくて随分努力し走るスタイルを自分の物にしつつあります。出来なかったパスのリターンをもらう動きや意思を出せるようになってきました。例えるなら真似する相手が小野から長谷部へかわったってところでしょうか。

でもグラさん

サイドバック後方に戻させて目の覚めるようなサイドチェンジとか、右から来たボールをその場で左に流すと見せて右奥スペースに出すとかってプレイは無くなっちゃったんですよね。
昔は彼のプレイ(フェイク)でピッチ上の選手がゆれたんですけど、最近は敵も見方も流れるようです。
それって本当に進歩だったんですかね?

僕はオシムがそういうプレイをダメだと言わないだろうと思っています。例えばスピードのある小野紳二なら歓迎するだろうということです。
でもオシムの言うサッカー、オシムのメッセージを素直に聞いた選手がピッチに多くいた場合そういうプレイは間違いなく減少します。無くならなくても減少するんです。それが本当に日本サッカーの末端に良い影響「のみ」を与えるのでしょうか?

そんな事を考えながら子供たちのサッカーを見続けました。なんせ3人いますから仕事さえなければ練習で週に5日、試合で平均3試合は見に行ける環境です(笑)代表のサッカーを見なくてもお腹一杯になっていた。ジーコで負けてからそんな2年間でした。

それで思い至ったのがオシムはただ一人の監督に過ぎないという当たり前の事実だったのです。


>ぼくは、「良いサッカー」よりも「良いチーム」が好きです。
>個性豊かな選手が揃い、それぞれに特徴豊かで、それぞれにキャラが立っていて、それがうまいこと組み合わさって良いチームになっている、というようなチームが特に好きです。
>すさまじくよく走る選手がいる。歩いてサッカーする飛び抜けて頭脳的な上手い選手がいる。
>うまくはないけど激しい当たりで根性みせる選手がいる。ボール持つとすぐドリブル突破する奴がいる。ものすごい質と精度のロングキックする奴がいる。
>そんな奴らがそれぞれに特徴を出しながらサッカーしてる。
>そんなチームが好きだし、そんな連中が繰り広げるサッカーは必ず面白いものです。


子供たちを小学時代に教えてくれているコーチがグラさんとサッカー感が近いのでは無いかと思います。飲むと良く言うのが「Jリーガーよりサッカーがうまいヤツなんて日本にもいくらでもいるんですよ。お父さん」というセリフです。彼の考える「サッカーのうまい」は「自分がやりたいことをどれだけやれているか、やろうと出来ているか」です。上の子2人は中学生になり日本サッカーの流れに飲み込まれてしまいそうです。
でも三男(小4)のチームはみんな本当にサッカーがうまい!
「自分がやりたいことをどれだけやれているか、やろうと出来ているか」という視点で小2から2年間育ててもらうとこんなにサッカーがうまくなるんだと驚いています(長男、次男はチームが出来たのが5年生からだったので・・・)
そして自分のやりたいことをやろうとする子供たちで出来上がろうとしているチームを見ていることは本当に楽しいのです。

オシムのサッカーも普遍的だととらえるてしまえば「毒」になってしまうと僕は今では思うようになりました。ただしワールドカップで4年単位で結果を残すための監督としては悪くなかったどころかとてもよかったかもしれないとは評価しています。
代表監督との出会いを単に一期一会と捉えられるような選手は「自分がやりたいことをどれだけやれているか、やろうと出来ているか」という視点で育てられてはじめて生まれるのだろうなと今は思っています。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 glider  - 08/4/18(金) 14:01 -

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   ▼ロバさん:
▼MODELさん:

>>僕は長所も短所も平均化してしまう、選手の顔の見えないサッカー、という意味かなあと思ってました。

>MODELさんの受け取り方と僕とではほとんど差は無いのではないでしょうか。自由主義的の反語=「長所も短所も平均化してしまう、選手の顔の見えないサッカー」で僕には違和感ありません。


「共産主義的」とぼくが言ったのは、まずもってその「サッカースタイル」の話です。
マンマークから取って返し、ワイドオープンに素早く攻める。
攻撃の選手にも等しく守備を要求するわけですから、攻撃するためにはおのずから走らなければならない。
その上、ロバさんが書いているように、サードマンランニングを重視し、スペースへの多くの選手の侵入を要求し、しかもそれは基本的に「速い攻撃」が前提としてあるわけですから(素早く攻めなければマンマークから取ってかえす意味はない)、とにもかくにも「よく走らねばサッカーにならない」やり方、と言えるでしょう。
走れ走れ。等しく働け。
ということで、選ばれる選手は基本的に「よく走る」選手となり、「走らねばサッカーにならない」「ライオンに追われたウサギが足をつることがあるだろうか」等の語録とともに、Jリーグじゅうで「よく走らねばならない」ということにもなった。
ぼくはそれを「画一化」と思う。
それは受け取る側の問題もあると思いますが。
ぼくは「よく走る」ことが「良い選手」たる必要不可欠な最低条件であるとはまったく思わないのです。

真実は、あのサッカーだから、そういう選手がより必要だった、ということ。
しかし、名将オシムの口から「もっと走らねばならない」と告げられた日本のサッカーは、それをあたかも普遍的真実と捉え、皆が揃って走り出した。
それはぼくには、なかなかにゾっとする現象でもあったのです。

みんな、オシムが指揮していた時、そのメンツの「小粒感」には多少なりとも不満はあったと思います。
「もっとうまい選手はいるし、そういう選手を走らせてチームを作ってくれたら、もっと良いんじゃなかろうか」と思った人も多かったでしょう。
でも、あのサッカーですからね。
ビルドアップ時の緩急の変化なんかそう必要ないし、そういうところで上手いけどあまり走らない選手を呼んで走らせる、なんていうのはあまり意味がない。
そうして多少小粒なれどよく走る選手が揃い、みんなよく走り、一所懸命オシムのサッカーを理解しようとし、オシム式を実現しようと、よく走ってスピードサッカーをしていた。
トゥーリオは強い個性のある選手ですが、攻撃が好きで攻撃するためなら「よく走る」し、そういう意味で「全員守備全員攻撃」のコンセプトにマッチした選手ですから、呼ぶのは当然でしょう。
そうしてそのサッカーは、ぼくには非常に「共産主義的」に思えたのです。

ぼくは、「良いサッカー」よりも「良いチーム」が好きです。
個性豊かな選手が揃い、それぞれに特徴豊かで、それぞれにキャラが立っていて、それがうまいこと組み合わさって良いチームになっている、というようなチームが特に好きです。
すさまじくよく走る選手がいる。歩いてサッカーする飛び抜けて頭脳的な上手い選手がいる。
うまくはないけど激しい当たりで根性みせる選手がいる。ボール持つとすぐドリブル突破する奴がいる。ものすごい質と精度のロングキックする奴がいる。
そんな奴らがそれぞれに特徴を出しながらサッカーしてる。
そんなチームが好きだし、そんな連中が繰り広げるサッカーは必ず面白いものです。
オシムのチームは、そうしたサッカーとまるで対称的に思えました。
コンセプトを明確にし、それに沿って選手を選び、ディテイルを与え、鍛えて行く。
それは、現実的に、勝てるチームを早く作る有効な手段でしょう。
「予選突破のリアリズム」も現実的に必要だろうし。
けれども、日本代表は、いまだにこの国のサッカーのトレンドを大きく左右するチームです。
ぼくはこんなリズム変化のない汗かきサッカーがトレンドになるのは嫌だ、と強く思いました。

どんなタイプであろうと、走ろうと走らなかろうと、良い選手から集めれば良い。
そうしてケンケンガクガク、ああでもないこうでもないと意見を闘わせながら、そのメンツにフィットするやり方を築いて行く。
そういうやり方のほうが、「何か新しいもの」が生まれるし、「普遍性」を持つこともできる。
ひとりひとりが、「己のすべて」をぶつけることもできる。
そうして本当の意味での、「日本サッカーのスタイル」の土台となるものも生まれる。
ひとりの外国人監督が考える表層的な「日本らしいサッカー」などではなく。
「こういうものを作ろう、そのためにはこういうメンバーにしよう」と集められたチームは、「こういうもの」を越えることは難しい。
それがぼくにはとてもつまらなく思えたのです。

ぼくはジーコのチームを、「失敗」とは考えていません。
ドイツでのワールドカップチームはチームとしてひとつになれず失敗に終わったけれども、4年間の過程において良いサッカーも見せてくれたこともあったし、その中には「近年の代表マッチベストバウト」と思える試合もあった。
何よりも選手主体で4年間、日本代表のサッカーを考える、という貴重な経験も積めた。
それは必ず今後の日本サッカーに生きてくると思うのです。
ワールドカップでの結果のみを考えれば、あのチームは「失敗」だったでしょうが、代表はワールドカップでだけ活動しているのではないし、その活動すべて、その有り様すべてが日本のサッカーに影響し、何かを与える、という意味においては、あのチームのあり方をワールドカップで失敗したからといってすべて否定することもないとぼくは思っています。
それはもちろん、オシムのチームも同じで、あのやり方の是非はともかく、あのチームが残したものの中で今後に生かすべきものはたくさんあったとぼくは思うし、優秀なスペシャルなコーチであることは確かなのですから、栄養になったことは忘れずにおくべきでしょうね。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ロバ  - 08/4/16(水) 14:10 -

引用なし
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   ▼MODELさん:
>▼ロバさん:
>
>
>>グライダーさんが「共産主義的」と書いたのは「自由主義的」の反語としてだろうなと思いましたのでその部分には同意できました。
>
>僕は長所も短所も平均化してしまう、選手の顔の見えないサッカー、という意味かなあと思ってました。
>確かにそういう面もあったように思います。山瀬を呼ばなかったり、せっかくの海外組合流の機会に稲本を不慣れなポジションで使ったり(長所を発揮できなかった)と、納得いかないというか、その表現に同意する部分もあります。

グライダーさんの表現を手前勝手に解釈するのは僕の悪い癖なので本当はどうだったのかはわかりません。なんせオシム以上に難解なところがありますからね(笑)
MODELさんの受け取り方と僕とではほとんど差は無いのではないでしょうか。自由主義的の反語=「長所も短所も平均化してしまう、選手の顔の見えないサッカー」で僕には違和感ありません。

>>オシムジャパンには「自由な表現活動」が溢れていただろうか?そして今後溢れる可能性があったのだろうか?
>
>一方で、「平均化」とは対極にいるようなトゥーリオを重用していたり、阿部や今野らMFをDFで使ったりと、DFラインのビルドアップから着手していたことを考えれば、やはりその先はもっと違ったサッカーになっていたような気がします。

それは間違いないと思います。オシムが行なっていた練習のメソッドの中で例えばパスを出した選手にパスを戻すことを禁止する方法などは練習そのものがメッセージになっていて僕の子供に試してみても大変に、それこそ劇的に効果がありました(これはパスを出した選手が攻撃に関りたければサードマンランニングするしかありませんね。パスを出した選手が誰にパスを出すかを予測して・・・)
しかしそのサッカーが代表で強調されて表現されるべきものだったのかは完成形を見られなかったので僕はなんとも言えません。なんせ日本のサッカー選手の代表ですからね。代表以外のチーム、例えばジェフでのことなら、あるいは若年層の代表なら僕はオシムの腕に疑問を持つことなどなかったと思います。

>まあそんなバカな禁止令もないと思うので「反抗」は当然と言えば当然と思いきや、意外に選手は素直に従っていたような。その辺が今の代表のメンタリティである気がします。

僕もそのように見えました。事実なら歯がゆいですね。
反骨心とかエゴイストであることとかはサッカープレイヤーにとっては武器な部分もあると思います。
「和」を大切にする国民性を生かすことがオシムの言う「日本化」では無かったはず。実際日本人はそんな人たちだけではないですしね。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 MODEL  - 08/4/16(水) 12:05 -

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   ▼ロバさん:


>グライダーさんが「共産主義的」と書いたのは「自由主義的」の反語としてだろうなと思いましたのでその部分には同意できました。

僕は長所も短所も平均化してしまう、選手の顔の見えないサッカー、という意味かなあと思ってました。
確かにそういう面もあったように思います。山瀬を呼ばなかったり、せっかくの海外組合流の機会に稲本を不慣れなポジションで使ったり(長所を発揮できなかった)と、納得いかないというか、その表現に同意する部分もあります。

>オシムジャパンには「自由な表現活動」が溢れていただろうか?そして今後溢れる可能性があったのだろうか?

一方で、「平均化」とは対極にいるようなトゥーリオを重用していたり、阿部や今野らMFをDFで使ったりと、DFラインのビルドアップから着手していたことを考えれば、やはりその先はもっと違ったサッカーになっていたような気がします。まずもってコンディション不良という不確定要素からなるべく離れたメンツを使ってベースを作り、それ自体をレベルアップしていくことが「予選突破のリアリズム」と考えていたような気がします。
しかし海外組を除けば数少ない「異端児」であるトゥーリオはケガが多かった。彼がずっと健在だったらチームももっと変わっていたかもしれませんが、現実のチームは「自由な表現」に溢れていたとは言えなかったと思います。
憲剛がミドルを放ってオシムから批判されたことがありましたが、彼はオシムに反抗するくらいにもっと我を出してもよかったように思います。批判は「それが最善かを常に考えるべきだ」ということであって、「ミドル禁止令」などという単純なものではないと思うからです。
まあそんなバカな禁止令もないと思うので「反抗」は当然と言えば当然と思いきや、意外に選手は素直に従っていたような。その辺が今の代表のメンタリティである気がします。

ベテランの経験、福田や廣山の経験をもっと活かす。確かにその通りでしょうね。
彼らは個性を主張しなければ生き残れなかったわけですから、状況を切り開くための個人的なスキルを持っているんじゃないでしょうか。それは国際舞台、とりわけ代表にとって財産になると思います。

>子供たちは幼い内は憧れで・・・ある程度現実を見てくると自分に似たタイプのJの選手に注目しています。羽生が日本代表に選ばれたときには、きっと何人かの子供たちがうれしく感じたことでしょう。

そのようにして、その国のサッカーが継続されていくのかもしれませんね。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ロバ  - 08/4/16(水) 9:12 -

引用なし
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   ▼MODELさん:
>僕はオシムのトゥーリオの扱いを見るに、そんなに画一的な印象を持ってないんです。

トゥーリオをオシムは認めていたのではないかなと思ってみていました。最初から「考えて走る」が出来ていたから。山本五輪代表の何かのゲームだったけれどトゥーリオがすさまじいドリブル独走を見せたことがありますがあれこそがオシムの望む最高のプレイだと思いますもの。
「考えて走る」ことが発展途上とオシムが思えた選手には直接・間接(メディア利用)でメッセージを送っていたように思います(例えば中村俊輔)

グライダーさんが「共産主義的」と書き、私がそれに同意するような会話が続いたのでオシムを否定しているような印象をもたれたかもしれませんが(私自身後で読み返してそう読めるなと思いました・・・笑)グライダーさんが「共産主義的」と書いたのは「自由主義的」の反語としてだろうなと思いましたのでその部分には同意できました。
「共産主義的」とはある明確な方向を提示して全員をその方向に向かせる手法かなと僕は思いました。
「自由主義的」とはコミュニティーの中で意見を戦わせてその中で残ったものを採用する手法ではないかと思います。
日本代表においては「自由主義的」なやり方はもはや認めにくいと思います。ジーコのお陰ですが・・・(笑)
しかし日本が目指しているヨーロッパ列強のその「共産主義的」サッカーを生み出したのは間違いなく「自由主義的」な戦いの中からであっただろうと思います。追いかける我々(日本)はそのノウハウをタダで手っ取り早く手にしていますが、常にオリジナルではないことを忘れてはいけないのではないか。オリジナルには敬意を持っていないといけないのではないか。そう思っています。

こんなふうにばかり書くとロバはサッカーを自由と規制の二極で見るおばかさんだと思われてしまいそうですが・・・(笑)

サッカーである以上オシムのように、あるいはトルシエのように「ディレクターの敷いたものをベースにして、自由な表現活動」をするのが世界のスタンダードです。これはもう少しサッカー的に表現すれば「監督のコンセプトに向かって臨機応変なプレイをする」ということであり至極当然です。
オシム監督のコーチングがそこから外れていたかといえばそれは「否」です。
それどころか練習内容にメッセージをこめて「コンセプトに向かわせる=皆に同じビジョンを見せる」ことに関しては我々日本人にとっては過去に類を見ないほど優れたコーチだっただろうと思います。オシムのサッカーが岡田監督になったら消えてしまったのは「コンセプトに向かわせる=皆に同じビジョンを見せる」ための練習が出来ないからなのだろうなと想像しています。同じ練習でもそこで投げかける言葉で内容は全く変わってしまいます。常に同一方向への整備していないとビジョンがぼけるのでしょう。

それだけ優秀なコーチであるのに何が不満なのだろうと考えた時に「自由な表現活動」って辺りが引っかかるのかもしれません。オシムジャパンには「自由な表現活動」が溢れていただろうか?そして今後溢れる可能性があったのだろうか?

良く「追い越す動き」といわれますがそこばかりがフォーカスされるとなんだか「自由な表現活動」がなされている気がしなくなるから不思議です。他にもサッカーのナイスプレイはあるだろう。コンセプトを強調しすぎるのはなんだかつまんないなぁ〜と。
なのでオシムのサッカーがあのまま継続されて、オシムの目指す「自由な表現活動」がオシムのコンセプトの中で溢れるような日が来ていても、もしかしたら僕の興味においては「限界」があるんじゃないだろうかと僕には思えたのです。
オシムが若年層のコーチだったら最高だったろうと思います。子供たちはオシムの教えを噛み砕き普通に血肉にして将来「自由な表現活動」をしたでしょう。
しかし日本代表は完成された大人の選手です。完成された大人はコンセプトに共感するとコンセプトありきになりがちな気がします。バーレーン戦後に聞かれた選手の不満も良く聞けばオシムのコンセプトが実現できないことへの不満になっていたように思います。

もっとも・・・

>まあつまりバーレーン戦は、代表において「自己表現」できる選手がいかに少ないかを物語っていた。岡田はこのテンマツによって「自己表現」に頼ることなく代表をボトムアップしようと決意表明した。

これはオシムとの比較以前でもっとずっと夢の無い状態ですが・・・(笑)
言いたいことを言い放って話がまとまり無く終わることをお許し下さい。


>ロバさん:代表に「誰が選ばれたか、がメッセージ」はなるほどと思いました。受け手もリテラシーを必要としそうですが・・・

これは子供が教えてくれたのです。子供たちは幼い内は憧れで・・・ある程度現実を見てくると自分に似たタイプのJの選手に注目しています。羽生が日本代表に選ばれたときには、きっと何人かの子供たちがうれしく感じたことでしょう。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 MODEL  - 08/4/15(火) 20:45 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
皆さんレスありがとうございます。

僕はオシムのトゥーリオの扱いを見るに、そんなに画一的な印象を持ってないんです。
トルシエの時と同様、ディレクターの敷いたものをベースにして、自由な表現活動が許されていたと思うんです。
ジェフの選手が多かったのは触媒としての在り方で、Jから代表監督へ上がった経緯を考えれば極当然な話ですし(これまでの例はオフトによるマツダの選手の多用と、加茂さんによる横浜Fの選手の多用しかありませんけど)、地味なメンツを見渡せば「ケガによる離脱」の頻度が少ない選手が目立ちます。
ジーコの時、あれほどのメンツでありながら、海外からの招聘によるコンディション不良から苦戦した教訓を考えれば、国内の、それもパフォーマンスの安定した選手を核に据えることは至極真っ当なことです。

無論「代表はリアルタイムの最高の選手によって構成されるべき」と考えれば話は違ってきますが、結局は「W杯予選を突破する」というリアリズムとのバランスによるものだと思います。

まあつまりバーレーン戦は、代表において「自己表現」できる選手がいかに少ないかを物語っていた。岡田はこのテンマツによって「自己表現」に頼ることなく代表をボトムアップしようと決意表明した。

そんな感じではないかと考えています。


ロバさん:代表に「誰が選ばれたか、がメッセージ」はなるほどと思いました。受け手もリテラシーを必要としそうですが・・・
中田英寿には、もっと現役を続けて欲しかったです。今やってる活動なんか、力が衰えて現役で活躍することができなくなってからでもできることですから。その意味で中澤を応援しています。もっと「ベテラン」を使ってもいいと思っています。ジーコが若手の育成を怠ったからといって、その反動で「30前後の優秀な資源」を使わないのは愚かなことですから。

ehutaibyさん:初めまして、ですね(笑)。お名前は見かけたことがあると思います。
動きって、自己満足でなく「いかに相手にとって嫌な動きができたか」だと思うんです。その意味での想像を巡らせること。日本人は相手の意思を慮るのが文化だとされていますが、サッカーにおいては意外にその長所が活かされてないというか、味方にばかり気を遣って、「相手の嫌なこと」をイメージし実行することがあまりに少ない。中田英寿は、それがよくできていた印象があります。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ロバ  - 08/4/8(火) 9:56 -

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   ▼gliderさん:
>集団というのは、ぶつかり合いや混乱を経てまとまったものは自ずから強度が出ます。
>なんだか安手のハリウッド製スポコン映画みたいな話だけど、でもそれは真実。
>勢いも出るし限界も上がるし耐性も粘性も付く。
>なんでなんだかはよくわかりませんが、ぼくの経験上でも、集団競技でも仕事でもなんでもそういうことになってたのは事実なんですよね。

オシム監督の指導を受けてその教えを「素直に理解した人」は生業やビジネスに例えるなら、大変に優秀な経営者を作り出すだろうと思います。出世して社長になって会社を発展させる。
でもその人が他の会社も経営できるか?あるいは自分で起業して自分のコンセプトを持つことができるのか?
僕にはオシムの指導方法がサラリーマン時代に受けさせられたエリート養成講座みたいに感じてしまうのです(会社に忠誠心の無かった僕は寝てましたけど・・・)

>今思い出すと、トルシエってそういうことやってましたよね、あの時。
>自分が選手達の敵になったりして、ひっかき回したり追い込んだり追いつめたりして、「鍛造品」なチーム作ろうとしてた。
>規律やオートマティスムを旨としながらも、「追い込まれた時の人間の出すパワーというものに私の主眼はある」とか言ってましたね。
>いろんな方法があるものです。

「6月の勝利の歌を忘れない」を見るとトルシエが選手にとっていかにストレスだったかが今ならさらに良く判ります。あれは彼の「方法」だったのか「天然」だったのか・・。いずれにしてもチームを高めていくヒントが宝石のように散りばめられた監督でしたね。でもああいうストレスになるような役割はできれば僕はいやだなぁ(笑)

ここでグラさんと話すとなんだかオシムを全否定しているように書いてしまいますが、オシムのお陰でイロイロ判ってきたこともあります。チームに一本芯を通すのに戦術や動きを徹底しなくても「リスクへのチームとしての方針」を提示して(オシムはリスクを恐れるなという位置に線を引きましたね)その線引きに皆の意識をあわせることでそれがチームの共通認識になるという手法。
おそらく岡田監督がするだろう手法である約束事を設けてその線をチームの共通認識とする方法よりは僕は好みです。
僕がチームの一員ならどちらかと言えばそうして欲しいので・・・。
でも好みで言えばジーコの方がいいかな。
皆が困るだろうけどだからこそ面白みがある。
これらは好みの問題だろうし過去体験の有無もあるでしょう。

でも所詮日本代表は外部からしかみられないチームなので、ピッチでどんなプレイが展開されるかでしか最後は評価できない。
育成過程を含めて思い入れを注入するチームとしては日本代表は実は日本で一番不向きなチームなのかもしれません(笑)
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 glider  - 08/4/8(火) 1:56 -

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   ▼ロバさん:

>ちゃんとしたコーチのもとでは子供のうちはたまにそういうチームができることがあるんですけどね。

南米のクラブチームなんかでは、けっこうありますよね。
よくもまあこんなに個性派揃いでうまくチームになってるもんだ、みたいなチームが。
攻守の重要な場面に必ず顔を出す、「歩いてサッカーする奴」の戦術眼や予測力に感心したり、ものすっごい運動量でスピーディなプレイを繰り返す奴の体力にあきれたり。

>そこにはぶつかり合いがない。

集団というのは、ぶつかり合いや混乱を経てまとまったものは自ずから強度が出ます。
なんだか安手のハリウッド製スポコン映画みたいな話だけど、でもそれは真実。
勢いも出るし限界も上がるし耐性も粘性も付く。
なんでなんだかはよくわかりませんが、ぼくの経験上でも、集団競技でも仕事でもなんでもそういうことになってたのは事実なんですよね。
鉄が熱して叩くと別物のようにしなやかで強くなるのと同じでしょうかね。
すぎればボロボロになっちゃうでしょうが。
今思い出すと、トルシエってそういうことやってましたよね、あの時。
自分が選手達の敵になったりして、ひっかき回したり追い込んだり追いつめたりして、「鍛造品」なチーム作ろうとしてた。
規律やオートマティスムを旨としながらも、「追い込まれた時の人間の出すパワーというものに私の主眼はある」とか言ってましたね。
いろんな方法があるものです。

>ジーコ時代のコンフェデ(だったとおもうけど)で加地がオフサイドをとられたゴール。

日本代表のサッカーを見ていて、ジョホールバルとかそういう試合自体が特別なのは別として、「ああ、日本代表がこんな試合してる」ってうれしくなったの、いくつかあります。
加茂時代のユーゴ戦なんかも良かったですし、それからたびたび出て来ますがナイジェリアユースの時のウルグアイ戦、ハッサン二世杯のフランス戦、ジーコ時代の英国遠征イングランド戦、それからそのコンフェデのブラジル戦。
ユーゴ戦は相手が不調だったのはあるんだけど、山口、名波、森島となかなかテクニカルに機能して、当時としては「おお!」って感じだったんですよね。
ユース・ウルグアイ戦でのあの3人の目まぐるしく大きなポジションチェンジ、ハッサンの時の津波のように繰り返されたボール奪取や、西沢と森島のコンビネーションプレイ、緊張感漂うイングランド戦でのガチンコ勝負とその中での小野、稲本の巧みなコンダクトぶりや、中村や三都主を交えたグループでの崩し、ブラジル戦での想像力を刺激するネオクラシックな「引いて構える攻撃サッカー」・・・

ジーコの時代は、ドイツ本番でのチーム作りの失敗とそこでのああいう結果があって、ネガティヴに評価されるしそれもわかりますが、ぼくはなかなかに実りのある4年だったと思っています。
4年間選手主体でやって、その間には上記2戦のような試合もして、それぞれ親善試合だったり親善大会だったりでイマイチ隠れがちだけど、ビッグネーム相手になかなか興味深いサッカーを見せてもくれた。
選手達がケンケンガクガク考えてああいうサッカーをやったっていうのは、やっぱりたいしたもんだと思うし、そういう意味ではなんだかんだ言って個々の進歩を実感もできました。
だから、オシムのチームではもう物足りなかった。
ぼくだって、10年前だったらオシムのサッカーを諸手を挙げて歓迎していたかもしれない(ヒネクレてるからわかりませんが:笑)けど、時計の針は進んだ、ってことですよね。

これからどんなチームになって行くのか、今はちょっと見えづらくなったけれど、ぼくは「良いサッカー」よりも「面白いチーム」が見たいです。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ロバ  - 08/4/7(月) 7:56 -

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   ▼ehuaibyさん:

お久しぶりです。

>相手が必死に対応した結果無力化されたものであれば話は別ですが、いわゆる無駄走りや
>汗かきプレー、コース・タイミングが得点につながらない、デコイを目的としたものでしかない
>動き、デコイとしての価値しかない動きを彼は嫌っていると思います。
>なぜなら効率的なサッカーを目指しているから。

そのとおりだと思います。デコイランという言葉が誤解を生みますが、そもそもどうせ走るならデコイでなく選択肢になるように走れと思うのはオシムでなくても当然です。
例えばボール保持者の背後から追い越す動きは単にデコイであってもDFを惑わせることには繋がりますが、賢いDFなら選択肢になっていない限り見破りますよね。オシムは賢いDF相手にも通用するように賢く走れと言っていたと思います。

>ですので、オシムの伝えたかったこととはサッカーをする眼を持て、ということなのでは
>ないか、と思っています。

そう思います。
裏返せば日本ではサッカーをする眼が日本代表クラスでもオシムの満足するレベルで養われていないということです。まだまだ進歩する過程を見ることが出来そう。ってことは自分も進歩できるわけですから楽しみです(笑)
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ロバ  - 08/4/7(月) 7:15 -

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   ▼gliderさん:
いろいろ書きたいのですがどうも僕の思っていることもグラさんのこの文章に集約されるようです(笑)

>よく走る選手もいて、歩いてサッカーする選手もいて、うまい奴も強い奴もいて、それぞれのキャラがよく立っていて、「チーム」になっている。
>そんな豊かなサッカーになることを願っています。

ちゃんとしたコーチのもとでは子供のうちはたまにそういうチームができることがあるんですけどね。ヘタな大人のサッカーより見ていてずっと楽しいです。大人と何が違うのだろうと思うと正しく育てれば子供たちは自分の主張をピッチでぶつけて曲げてチームを作り上げてるんですね。自分の個性を限界まで直線的に主張して、どうにも進めない所だけを曲げている。だからキャラが立つのですよね。
それが年を重ねるごとにだんだん出来なくなる。自分の意志でぶつけて曲げなくても監督コーチが納まり良く曲げてくれるから。
オシムの作業には・・・自分が考えて曲げてあげた先に理想の自由が待っているから今は我慢しろと言っている様に見えた。
そこにはぶつかり合いがない。本当にそこで曲がって良かったの?曲がる必要があったの?

実際のピッチで見せてくれるものがどんなに良くても僕はなんだか物足りなかった。ジーコ時代のコンフェデ(だったとおもうけど)で加地がオフサイドをとられたゴール。野洲高校が選手権で優勝したときの決勝ゴール。オシムが喜びそうなゴールは別の指導の中からも生まれます。特に野洲のゴールには「超ロングサイドチェンジ」「ヒールパス」など別のフォーカスすべきキーワードがあった。
あのプレイがどんなふうに生まれたのかを想像思考することに今はとても楽しみを感じます。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 glider  - 08/4/6(日) 10:32 -

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   ▼MODELさん:

>「リスクチャレンジ」「状況の観察・把握」「速い判断」そして状況を打開するために「走れ」ということは、彼が代表を通して伝えたかったエッセンスだと思います。

そうですね。
オシムのそうしたエッセンスはでも、ぼくは残って行くだろうと思っています。
それだけのインパクトはあった、と。
それは代表が一試合、情けない試合をしたからって、そうそうなくなりはしないでしょう。
ジーコのチームもそうですが、オシムのチームもまた、その影響はそれ以降の「代表チーム」のみでは語れないと思うし、それはまたいつの日か代表に還元もされて行くのだろうと思います。

>地道な育成を「突然変異を多く生み出す下地作り」と捉えるのか、「地盤の底上げ」と捉えるのか。

日本の代表のあり方って難しいですね。
オシムのエッセンス、例えばディフェンダーのあり方や、「考えて走る」こと、リスクにチャレンジせねば何も生まれないのだ、という哲学、そうした部分は是非とも継承されて行くべきと思います。
それは思いますがしかし、あの方式は少々、画一主義的なものをもたらしていた。
それがどれほどオシムのせいなのか捉える側の日本サッカーのせいなのかはわかりませんが、オシムの選手構成のせいはあるとぼくは思います。
「よく走らないとサッカーにならない」そのやり方のせいも。
地盤の底上げとその弊害と・・・難しいものですね。

>トルコ戦にほぞを噛んだ人間としては、漸次的であっても全体の右肩上がりを期待したいのです。

それでも日本のサッカーは、右肩上がりに成長しているとぼくは思っています。
例えば個人戦術の面では、あの時(トルコ戦)のような「間違った動き」は少なくなったし、相馬崇人や内田篤人のような選手を見るにつけ、動きの質的上昇を感じます。
レベルの高いサッカーを見る機会が増えたことや、Jクラブが世界とも繋がりつつある現状、アジアや世界との相対的な上がり幅は減じているかもしれませんが、それはそういう時期にさしかかった、ということでもあるでしょう。

海外に出た選手達が日本に戻り、引退し、その経験が草の根レベルにまで還元される時。
あるいは彼らが日本サッカーを牽引するポジションについた時。
そうした時に、本当の意味での進化がまた始まる、とぼくは思っています。
だから、中田英寿とか中村俊輔とか、そうした「ビッグネーム」だけでなく、例えば広山、例えば福田、そうした選手達の経験も大切にしなくてはならない。
耳を傾けるべきことはたくさんあるのではないか。
ってことで「そうだ、福田を呼ぼう」に繋がります(笑)
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 glider  - 08/4/6(日) 10:28 -

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   ▼ロバさん:

>それでもあまりに世の中がオシムを評価する風潮には???を感じずにはいられませんでした。

先生、師、父、そういった「信頼でき、尊敬できる偉い人」を求めているのでしょう。
クラマーしかり、オシムしかりで、そういうのに近い存在の人が現れると全面的に信頼しようとし、全面的に頼ろうとするような風潮は感じますね。
依頼心、でしょうか。

>これでいつか日本人の求めるサッカー、日本のサッカーなんて漠然とでも統一されるのだろうか(統一はされないか・・・笑)

統一されすぎてもつまりませんが(笑)
それでも、今のJリーグを見ていても、「良いサッカーしている」と評価される複数のチームに、あるひとつの方向性は感じます。
今でも、漠然とでも、潜在的にでも、それはある、と感じています。
そしてそれは、これまでの日本サッカーの歴史と決して無縁でなく、オフトも加茂もトルシエもジーコもオシムも、読売クラブも日産も鹿島もジュビロもガンバも、帝京も清水東も鹿実も野洲もすべて、その中にきっと息づいているはず。

それと、「スター」ってやっぱり大事なんですよね。
必要以上にもてはやし、トルシエが言ってたような「スターシステム」を作り上げて祭り上げ、実力以上にスター扱いしてはしょうがないんですが、それでもやはり、スター選手って大事なんだとぼくは思ってます。
ブラジルにペレやジーコやロナウジーニョがいなかったら、どうでしょう?
フランスにプラティニやジダンがいなかったら?
そういう選手達が、それぞれの国のスタイルをも確固たるものにしてきたのではないか?
例えば現レアルマドリーのアルゼンチン人MFフェルナンド・ガゴは、子供の頃からずっとレドンドに憧れ、プレイしてきたそうです。
カンビアッソもそう。
そうして「アルゼンチンの5番」は継承されて行く。
そうして「アルゼンチンのスタイル」も継承されて行く。

スタイルっていうのは根本的に、だから選手達が創るもの、とぼくは考えています。
だから良い選手はみんな使えば良い。
良い選手から使えば良い(良い、の見極めを隔たりなくすることが難しいんでしょうけどね)。
そこには技術のある選手、スピードのある選手、頭の良い選手、強い選手、いろいろいるでしょう。
それを適材適所に配し、それぞれが生きるようにすることが「代表」監督の仕事だとぼくは思う。
どんなサッカーになるかなんて、だから結局は選手次第だと思うのです。
それが結局は、「日本らしいサッカー」になるってもんだと思うのです。
「こんなサッカーが日本らしい」と定め、それを実現するために適した選手を呼ぶ、というようなやり方は、だからぼくは反対です。
それは、能力制限にも繋がってしまう(だからみんな、オシムのサッカーを支持する人でも、その選考には物足りなさを覚えたのです)。
ありったけの全部を出し、主張し合い、ぶつかりあい、考え、振り絞って、作り上げて行く。
どんなサッカーになるかなんてその結果で良い。
そういうものだけが普遍性も得る。
そうして個々も、スタンダード足り得るものになって行く。
コンセプト・プロダクツというのは、スマートにやりたいことを実現する手段だけれど、流行にはなっても普遍的なものにはなりにくいのです。
(まさしくロバさんが書いたように「オシムのサッカーは一つのムーブメントとして広がることはあっても、日本代表のサッカーとして普遍のものになるなんていうのは幻想だと思ってます」ということですね)

よく走る選手もいて、歩いてサッカーする選手もいて、うまい奴も強い奴もいて、それぞれのキャラがよく立っていて、「チーム」になっている。
そんな豊かなサッカーになることを願っています。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ehuaiby  - 08/4/5(土) 9:30 -

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   ▼ロバさん:
▼MODELさん:

面白そうなお話をされてるので穴から這い出てきました。
ロバさんへの返信は何度目になるでしょうか。
MODELさんへは初めての返信になりますね。
ehutaibyと申します。ROMが基本ですがこちらにお邪魔している者です。
よろしくお願いします。

>>僕はオシムに対して、あの2002年のトルコ戦で日本選手が足りなかったものを具体的に
>>与えるメソッドを持っていると直観的に期待していたんです。
私も期待していました。

>>オシムの志向する「日本のサッカー」は全貌が明らかにならないまま幕を閉じましたが、
>>「リスクチャレンジ」「状況の観察・把握」「速い判断」そして状況を打開するために
>>「走れ」ということは、彼が代表を通して伝えたかったエッセンスだと思います。
これまで代表で明らかになっていたものを眺めるとそのように見えます。
ただ、本当にこれがエッセンスだったのかという疑問を私は抱いています。
というのも、オシムが「効率的に」という言葉を使ってコメントした記事を読んだことがあり、
(ジェフを率いて何年目か忘れましたが)彼が「賢く走れ」という言葉を口にしたことがあると
記憶しているからです。

「効率的に」。
「賢く走れ」。

相手が必死に対応した結果無力化されたものであれば話は別ですが、いわゆる無駄走りや
汗かきプレー、コース・タイミングが得点につながらない、デコイを目的としたものでしかない
動き、デコイとしての価値しかない動きを彼は嫌っていると思います。
なぜなら効率的なサッカーを目指しているから。

その上で走れという。しかも賢く。

ですので、オシムの伝えたかったこととはサッカーをする眼を持て、ということなのでは
ないか、と思っています。
ボールの位置と自チームの配置、そして相手の配置と動きから、得点をするためには何が
効果的なのか、それをいつするのが効果的なのか。その眼を持て、と。
そして眼が培われずに何をすべきか解らない選手に対しては「解らねーなら解るまで走ってろ!」
と言っているのだと思っています(笑)
個人的な願望が多分に含まれているのでかかなり怪しい推測ですけれど(笑)
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ロバ  - 08/4/2(水) 9:26 -

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   ▼MODELさん:
>僕はオシムに対して、あの2002年のトルコ戦で日本選手が足りなかったものを具体的に与えるメソッドを持っていると直観的に期待していたんです。

それは技術で分類すると「サードマンランニング」に代表されるようなプレイヤーの選択肢を相互の相乗効果で増やす方向に持っていけるように指導するメソッドをオシムはもっているという期待であったのではないですかね。
トルコ戦での手詰まりを打開するにはここの部分と「個の能力の向上」だとみなが感じ、ジーコは「個の能力」にフォーカスして「自由」というキーワードを用い(これも「考えて・・・」まではオシムと同じですよね)オシムは「考えて走れ!」と言ったということであり、ジーコは実際に選手がピッチでそれらを実現するための方法論が無く、オシムにはあったということではないかと思っています。

>やっぱり代表というのはピラミッドの頂点であって、代表が「フラット3」を掲げればその下の下、草サッカーに至るまで「フラット3」に影響されるものじゃないでしょうか。年代によって方針も違うでしょうし、全部が全部とは言いませんが。

間違いなく影響されています(笑)
ラインを高く保つことで楽に優位に立てることを少年サッカーの指導者も体感しました。フラットであることも長所もあるでしょう。しかし最近では「人」を押さえるDFを採用するチームも少しずつ増えてきています。影響はされますが何を採用するのかは指導者が考えることで良いと思います。
ちなみにジーコのキーワードであった「自由」「個の能力」も随分と重要視されるようになったのですよ。少年サッカーの段階では「長所を伸ばす」という部分の選手の最良に任せてくれる割合の変化でしかないので目立ちませんけど、僕は3人の監督(トルシエ、ジーコ、オシム)の中では実際には最もおきな変化を与えたと思っています。

これらのメッセージが最もピラミッドの下に伝わるのは、ゲーム内容ではなく誰が選ばれたかなのだということには案外気づきにくいものです。
少年たちは自分が常に選択される立場だし、日頃からJを見ていますので監督が誰を選ぶかによってその選ばれた選手と自分との差異に目が行くのです。
例えば久保が選ばれればチームでプレイを直されて苦労していた子には「今のままでいいんだ!」というメッセージになるかもしれない。
羽生が選ばれれば、遠藤が選ばれれば・・・
逆に小野が落とされれば、トゥーリオが落とされれば・・・
監督の思考するサッカーの内容以上に子供たちにはインパクトがあるのです。

>オシムの志向する「日本のサッカー」は全貌が明らかにならないまま幕を閉じましたが、「リスクチャレンジ」「状況の観察・把握」「速い判断」そして状況を打開するために「走れ」ということは、彼が代表を通して伝えたかったエッセンスだと思います。

そうだと思います。
ちょっと極論しますが・・・
僕はこのMODELさんが書かれたオシムのサッカーを日本人の個としてもっとも過去具現化していた選手は中田英寿だと思っています。しかし実際オシムは中田がいたら代表の中心にすえたのでしょうか?
僕はオシムの伝えたかった一番のポイントは「状況の観察・把握」だったのではないかと思います。
ですので僕は中田がいたら間違いなく代表の中心にすえたと思いますが、思い切りいじり倒してくれたのではないかと思います。
野菜食ってから走れ!と(笑)
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 MODEL  - 08/4/1(火) 23:58 -

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   ▼gliderさん:
▼ロバさん:


ジーコはシステムの拘束を取り払い、能力の高いメンツを揃えることで、「代表は」もっと強くなるというやり方でした。夢がありましたし、個人能力にもっとジーコが何かを付与してくれるんではないかという期待もあった。
でもそこは期待外れに終わった。
選手の抽出も最終的には中途半端に終わり、結果は見ての通りです。

僕はオシムに対して、あの2002年のトルコ戦で日本選手が足りなかったものを具体的に与えるメソッドを持っていると直観的に期待していたんです。そこが一番のポイントでした。

正直代表戦について目に見えた向上はDFラインからのビルドアップくらいでしたが、代表に呼ばれた選手はJでの結果が向上していたように思えます。
まあそれは僕の見た範囲でしかありませんし、「代表」って育成する機会じゃないだろうと言われると「はい」と答えるしかありませんが(笑)、学ぶことは多かったんじゃないかと思います。

やっぱり代表というのはピラミッドの頂点であって、代表が「フラット3」を掲げればその下の下、草サッカーに至るまで「フラット3」に影響されるものじゃないでしょうか。年代によって方針も違うでしょうし、全部が全部とは言いませんが。
オシムの志向する「日本のサッカー」は全貌が明らかにならないまま幕を閉じましたが、「リスクチャレンジ」「状況の観察・把握」「速い判断」そして状況を打開するために「走れ」ということは、彼が代表を通して伝えたかったエッセンスだと思います。

そして継続すること。

地道な育成を「突然変異を多く生み出す下地作り」と捉えるのか、「地盤の底上げ」と捉えるのか。

トルコ戦にほぞを噛んだ人間としては、漸次的であっても全体の右肩上がりを期待したいのです。
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Re:そうだ、福田を呼ぼう。
 ロバ  - 08/4/1(火) 23:14 -

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   ▼gliderさん:
>おひさしぶりです。

本当にご無沙汰してました。
ジーコジャパン→オシムの流れでなんだか脱力してしまってたようです。

>でもその総体としてのオシムのサッカーには、ぼくはどうも賛成できなかった。
>画一的で窮屈で過度に現実的で夢がないと感じた。

そうでしょうね(笑)
僕の方がずっとオシム的なものを好んでいたと感じています。
それでもあまりに世の中がオシムを評価する風潮には???を感じずにはいられませんでした。

代表クラスの選手にとっての代表監督なんて所詮一期一会でしかなく、
だから軽んじるわけではないですが、一人の監督のサッカーをあまりにリスペクトしてしまう選手ではサッカープレイヤーとして器が浅すぎると感じます。オシムも通り過ぎた監督の一人として取り込むことができる器の深い選手がここの所の代表選手にどれだけいるのか?
今のグランパスのサッカーにはベンゲルとオシムのエッセンスを感じますけど、ピクシーは自分のオリジナルだと当たり前にいいはっています(笑)

>たぶん日本人が求める日本代表のサッカーは別にある。

僕の求めるもの、グラさんの求めるもの・・・
昨今は少年サッカーにどっぷりですが子供のクラブも多種多様です。同じコーチが教えていてもU−12とU−11ではサッカーが違います。もちろん他のクラブと比べたら似ていますけど。
その多様のクラブから選抜された子供たちで構成された中学のチームになると、それぞれの親御さんが前のクラブのやり方を支持しているから、どんなサッカーを好むかなんてまとまりようがない(そりゃ〜前のクラブでは自分の子がエースクラスですから継続して欲しいですよね)
Jのチームだって各クラブ全然違う。似たサッカーを例えるのに外国のクラブを持ち出すのはいたって普通。だって目指しているんだもん・・・みたいな。
これでいつか日本人の求めるサッカー、日本のサッカーなんて漠然とでも統一されるのだろうか(統一はされないか・・・笑)

今のメキシコあたりがもっとも「コンセプト・プロダクツ」的なのではないかと思うのですが、伝統強国のサッカーはもっと違った部分にその国らしさを感じます。オランダしかり、アルゼンチンしかり、うまく説明できませんがあそこのサッカーってオランダっぽいよねって言った方が辺に分析された説明よりわかりやすかったりして・・・。
本当に日本っぽいってどんななんでしょうね?
僕にとっては最近は僕の三兄弟のサッカー(弱く遅いから変化で補うような)が生きるスタイルが好みになってきたんですけどね(笑)
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