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ワーキング・クラスとセレブのフットボール glider 04/3/26(金) 18:01

ワーキング・クラスとセレブのフットボール
 glider  - 04/3/26(金) 18:01 -

引用なし
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   この頃、何故かあのフランス人が懐かしくなることがある。
あの毒舌、あの活力、顔を真っ赤にして口角泡を飛ばすあの元代表監督が。

現代表監督には、様々な批判がある。
明確なチーム戦術がない、チームオーガナイズに問題がある、選手のモチベーションを引き出せていない、コンディション管理に無頓着だ、いろいろな批判があり、そのどれもが間違っているとも言いがたいと思う。

しかしそれとは別に、前監督の問題児ぶりを、あの数々の舌禍騒動を懐かしく思い出す。
あの論理へのこだわりと徹底、それがもたらしたモダンフットボールへ最も接近した瞬間や、その溝を認識した瞬間を、懐かしく思い出す。
意図的な選手との衝突、スター選手への仕打ち、協会やマスコミとの対立、そのすべてを自らのエネルギーにしたワーキング・クラスの男、フィリップ・トルシエ。
最近では、カタール代表への外国人選手買い取り問題でFIFAさえ怒らせた男。
その是非はともかく(良いわけないだろうけど)、中東の地でも相変わらずの問題児ぶりが笑える。

今の日本代表チームは、「セレブなチーム」だ。
監督もサッカー界きってのセレブなら、キャプテンも日本サッカーのセレブ。
欧州に散っている日本のタレントを集め、「オールスターチーム」をもくろむ。
ジーコの意図はあきらかだ。
これまでの日本のサッカーには、インスピレーションやクリエティヴィティが欠けていた。
それは以前にJリーグで監督をしたアーセン・ベンゲルも指摘し、2002年大会ではプラティニも指摘し、アテネ五輪の予選ではUAEのジョダール監督にも指摘された通り。
ジーコは、そこを改善しようとし、そういったタレントを持っている(とジーコは見る)選手を主軸として固定し、いくぶん無理矢理に起用し続け、必要以上に自由を与え、そうしたものの萌芽を「待って」いる。
しかし今だそのサッカーは指針が定まらず、キャプテンは空転気味。
それはそうだろう、と思う。
もちろん組み合わせ的人選的なジーコの不手際の要素もなきにしもあらずだが、肝心の「欧州組」のタレント達がろくすっぽ集まって練習できない中、そうそう簡単に問屋が卸すはずはない。
だから、今の日本代表はつまらない。

ん?つまらない?


サッカーの面白さにはいろいろある。
トルシエは「私のチームには、8人の明神が欲しい」と言った。
当時、ぼくは「また大げさなこと言って(笑)」とその発言をたいして気にしなかったが、今、よくよく考えてみれば、それは案外本心だったかのようにも思える。
トルシエは労働者階級の出だ。
そして、階級社会の歴史を持つヨーロッパにあって、「フットボール」は労働者階級のスポーツという面も強い。
アラン・シリトーの小説やケン・ローチの映画でのフットボールの捉えられ方(双方とも英国だけど)を見る限り、彼ら労働者が願う「我がクラブ」の選手は、「チームのために一丸となって必死に戦う選手達」だ。
チームのために身を削り、血と汗を流し、懸命に戦う姿勢にこそ彼等は共感する。
だから、英国の監督は試合前のミーティングでホワイトボードでこと細かに指示を出すのではなく、ロッカールームで円陣を組み、「チームメイトとクラブのため、命がけで戦え!」と激を飛ばす。
フランス人のトルシエは、そこまでではないにしろ、やはりそうした「ワーキング・クラスのフットボール精神」が色濃く根付いていたのではないか?
だからこそ、8人の明神が欲しかったのではないか?
不器用でも、「チームのために」懸命に走り、相手を削り、戦う選手が。
華麗な技も、イマジネーション溢れるプレイも、「その上にあれば良いもの」だったのではないか。

そのへんは、ぼくら日本人には、頭で理解はしても実感はできない部分だろう。
しかし、現フル代表がつまらないのは、そうした部分があまりに欠けているから、という要素も大きいようにぼくには思える。

U23のアテネ予選、ぼくは感動しましたよ。
いくら敵将に「インスピレーションやクリエイティヴィティが欠けている」(*)と言われようとも、どこかではそれを理解し感じていようとも、彼等の必死な戦いぶりに感動し、今野の、啓太の、那須の猛烈な運動量にグっと来て、達也の小さな身体をフル回転させた鉄砲玉のような動きに喝采し、フル代表からもUAEラウンドからも外されていた大久保の反骨心あらわなプレイぶりにアドレナリンを出した。
内容が良かろうが悪かろうが、質が高かろうが低かろうが、とにかくこうした魂の入った試合は心に響く。
世の中にはこうしたスポーツの真実を感じないらしい人もいて、どんなに入魂の試合であろうがサッカーとしての質が低いとボロクソに言うような評論家やライターもいるが、そうしたやつは地獄に落ちろとぼくは思う。
スポーツを見る資格も、ましてや語る資格なんかあるわけない、なんて思ったりもする。

しかして、現A代表は「魂の入った試合」ができるだろうか?

これは難しい問題だと思う。
そりゃそうでしょう。
主軸として考えられている欧州組の数人は、共に練習する時間もままならない中で、「クリエイティブな」コンビネーションを作り上げ、これまでの日本サッカーを補完し、これからの指針を作って行かねばならない。
それ以外の選手達は、その自覚もないままに、それに協力せねばならない。
そして、プロの選手として、そんなことが受け入れられるわけはない。
ならば、中田を、中村を、小野を、稲本を上回るクリエイティヴィティをアピールせねばならないが、それは容易なことではない。
だってそんなことがヒョイとできるなら、もうヨーロッパ行ってたって良いわけですからね。
そうしてチームはまとまりを欠いて行く。
そうして「戦え」なくなって行く。
「つまらない試合」を重ねて行く。

やり方が急激すぎたのか、とも思う。
今を「雌伏の時」と題したサッカー雑誌があった。
ちょっと違う、とぼくは思う。
今ははっきり「試練の時」だ。
しかし、日本サッカーの道を決するためにも、日本サッカーがもう一皮剥けるためにも、通らねばならない過程だとぼくは考える。
だから、もう少し我慢して見ていようとぼくは思う。
そして、少しでも萌芽が起こることを心から願っている。
(別にあの4人じゃなくてもいいんですけどね。個人的に小野は外せないけど:笑)
そしていつの日か、インスピレーションやクリエイティヴィティに溢れ、しかし戦う姿勢をも全面に出ている「真に強い日本代表」が実現すれば良いと思う。

(*)UAEのジャン・フランソワ・ジョダール監督のインタヴュー。
「日本の選手のプレイからは、ある傾向がはっきりと見受けられる。プレイがあまりにも画一化されているんだ。監督が要求するプレーを忠実に心掛けているだけで、インスピレーションやクリエイティヴィティーといったサッカーにおいて重要な要素が欠けている。実際に対戦してみると、以前にアーセン・ベンゲルから指摘されたことが正論だとわかったよ」
「相手ゴールから20mのエリアでは、各自が持ち味を出して、相手DFを驚かすようなプレイを見せるべきなんだ。しかし、教科書そのもののプレイをしてしまうのは、日本の文化なのであろう。ジダンやマラドーナと同じクオリティの選手など存在するわけはないが、少なくとも似たタイプがいないとゴールは遠いままだ」

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