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素のサッカー、日本のサッカー(ジーコジャパンに)
 glider  - 03/6/10(火) 3:24 -

引用なし
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   ジーコ・ジャパンに期待する最大のものは

自分達の足元を見直し、これからの指針をもう一度深く考察する

ようになることです。

「トルシエ時代に足りなかったもの」は確実にありました。
ワールドカップの日本代表を見ていて、感じたのは基本的な「少数のグループ戦術」や「個人戦術」の不足。
日本代表チームは、洗練され、優れた全体組織の戦術を持っていました。
でも、結局は戦術が戦うわけではなく、それは「補助」するものであり、結局の所、最後はもちろん「頭脳」を含めたひとりひとりの「能力」とその結びつきの強さが「チーム力」になる、ということで、そういう面で「日本はトルコに負けるべくして負けた」とぼくは思ってるんですね。
だって、ひとりひとりが日本よりもトルコの方が全然上だったから。
ぼくは、全体的に見て日本の選手達はまだまだ欧州や南米の多くの選手達に「技能的に」劣る、と思う。
いくらボール扱いがうまくても試合の中で生かせないのなら、それは「上手い」ことになんかならないし、試合状況を見てプレイできないのでは「上手い」ことになんかならない。
「戦術」なんてもんは所詮「プラスアルファ」にしかすぎないわけです。
根幹になるのは「戦術」ではなくて「選手」です。

サッカーにおいて、既に「みんなが知ってる」ような動きの約束事ってけっこうありますよね。
こういう時はこういう角度でフォローするのが良いとか、こうやって行く手を阻まれたならそうして入ったフォローの味方に一度預けてこう動いてもらい直すと良いとか、すでに「形式知化」されている約束事ってけっこうありますよね。
「少数のグループ戦術」とか「個人戦術」とかの面で。
全体戦術の面でだってそれはありますし。
仮にそれを「サッカー原語」と呼ぶことにしますが、監督が持ってくる「戦術」は、そのサッカー原語にプラスされるもの。
やりやすくし、強化するもの。
そういう意味で「根幹になるのは選手」「戦術なんてもんは所詮プラスアルファにしかすぎない」と言っても良いと思ってます。
優れたプラスアルファを持ってきたって、根幹が優れてなきゃどっかで馬脚は出ちまう。
ぼくは優れた根幹に優れたプラスアルファがもたらされることを望みます。

ジーコ・ジャパン。
ぼくはこう考えます。
ジーコの言っていることは、基本の基本にすぎない。
昔からある「サッカー原語」を繋ぎ、役割分担し、ゾーンを埋め、マークし、カバーし、入れ代わり、受け渡し、そうやって「ごく普通」にやる。
それを下地にして、「チームとして」やってるうちに他の要素やいくぶん自然発生的な監督の修正や注文、メンバー間での独自的約束事も生まれ、そのチームのサッカーになって行く。
トルシエのような監督は、その先にもっと11人を連動させるための運動律を持ち込み、ひとりひとりの選手の動きをチームとしてはっきりと形式知化することで論理的に「はやさ」を実現しようというものでしょう。
ボールの動きを起点にした全体の動きの約束、ボールを中心点としたゾーンの収縮の約束、オートマティスムと名づけられたスペースへの即時的侵入の約束、そうした特別な訓練を要する、監督による特別な戦術的プラスアルファを与えたわけですね。
ジーコにはそれはない。
特別な訓練を要する、監督による特別な戦術的プラスアルファなんて別にない。
ひとり一人の選手が、自分でバランスを考え、ゾーンを埋め、マークし、カバーし、監督に「そうじゃない、もっとこうしろ」とかいわれながら、味方同志で「こうしてくれ、ああしてくれ」と言い合いながら、やるわけです。

その上で、ジーコは「基本の基本」しか言ってないことで生じている問題点についても、自らは修正しようとしていない。(試合を見る限りは、です)
「敵のボールになったら、いったん下がってマークを掴め」とジーコは言います。
だから、バックスはスペースへ向かって走る相手FWの動きによって、ダーっと下がります。
だから、「コンパクトにやろう」と言うわりには、ちっともコンパクトにはなりません。
そうして守備時にコンパクトにならないものだから、中盤の選手間の距離も空いてしまい、プレッシャーがかかるスピードが遅くなり、そのプレッシャーも多くは単独になってしまっています。
だから、ジーコが監督になってからの試合では、日本の守備時には前の代表と比較したら比べ物にならないくらい1対1が多くなっている。
さらには、最終ラインが守備時に引き過ぎるからバイタルエリアが空くのを怖れた中盤も、攻められ出すと引きっぱなしになってしまう。
そうして一度攻められ出すとセカンドボールも拾えず、とめどなく攻められることになっています。
それでもジーコは何も修正しない。
指示しているのは、バランスが失われないように、スペースを開けてしまわないようにという点についてのみ。(注:これは国立の韓国戦前に書いています)
ただし、「ボールを失ったら一度自陣へ引いてマーク」のような指示にしても、それが絶対かと言えばそうではなく、ソウルの韓国戦での小笠原に見られたようなその場で即座にもアリなわけですね。
つまりは「一度引いてマーク」の意味、人をしっかり掴むこと、人とボールの関係を見失わないことができていて、それでバランスが崩れなければ別に良いということでしょう。
バックスについてもそれはたぶん変わらない。
しっかり人を掴めていて、状況を見てすぐにカバーリングに行ける位置にひとり残っているのならば基本的には別に何でも良いのだと思います。
要するに、ああやって脱兎のごとく引かねばならないのは、そうしないとそれができない選手のせいだ、とぼくは言っているのです。
「オフサイド・トラップは使うな」「フラットになるな」と言われたからと言って、オフサイドラインを利用するなとまでは言われていないはずです。
そこの所の駆け引きを相手FWとしないなんて、相手を楽にするだけです。
常にフラットに並んでいなくたって、相手にオフサイドラインを意識させることはできるのですから。

前監督トルシエは、優れた全体組織戦術を持ち込みました。
「プラスアルファ」という意味では、それは「秘伝のスープ」のようでした。
そうして「たいしたことない麺」に「秘伝のスープ」を絡ませ、それなりにおいしい「うどん」を作りました。
ジーコには「秘伝のスープ」はありません。
昔ながらの代わり映えしない、ちょっと古臭いブラジル風味の別に深さもない単純なスープです。
麺の質が明確に出てしまう「素うどん」です。
すべては麺次第。つまり選手次第、選手達次第。
それは、これまでより麺の質が明確になる状況だと思う。
もう、実は麺はたいしたことないのを覆い隠してくれる「秘伝のスープ」はないのですから。
だから、情けない内容になっているのをジーコの責任にし、ジーコを凡庸、勉強不足とするよりもぼくは選手を凡庸、勉強不足とすることにしました。
「ピッチの上でサッカーをするのは選手」というのは絶対ですから。
「うどんくれ」と頼んだら「素うどん」を出したオヤジに「うどんしか入ってないじゃねーか」と文句言うよりも「なんだこのうどん、コシがなくてうまくねーぞ」」とぼくは言うことにしました。
「もうちょっと薬味や具が欲しい」というのはうどんがもうちょっとまともになってからにします。
ワールドカップで見えた日本の限界は、個人戦術や少数のグループ戦術の不足によるもの。
ジーコのサッカーは、そこの充実なくしてはどうにもならないもの。
トレーニングコーチとしてのジーコ、及び選手達自身のその部分の啓発を切に願います。

ジーコの考えるサッカーでは、実際のピッチの上で選手が持つ権限がこれまでとは大きく違うのだ、と思います。
いや、本当はそんなもんいつも変わらないんだけど、立ち入る領域が違うとでもいうか、関わろうとする範囲が違うとでも言うか。
だってジーコはそうやってサッカーしてきたはずだから。
そういう意味でも、選手達の「素」のチカラは剥き出しになる。
そうした「足元」をもう一度見据え、どういうサッカーがしたいのか、日本代表のサッカーとはどうあるべきなのか、もう一度考える良いきっかけにもなるのではないかと思います。
ジーコの「素うどん」なサッカーは。

日本代表のサッカーとはどうあるべきなのか、それはひとりの監督によってもたらされるものではない。
トルシエだろうとジーコだろうと。
ベンゲルだろうとサッキだろうとです。
それは、日本のサッカー全部で求めるもの。
歴史、現実、国民性、趣向、質、理想、そうしたもののトータルで意識的、無意識的にも求めるもの。
作り上げるもの。
トルシエは、彼なりに日本代表のサッカーを見、Jリーグを見、ユースを見、高校サッカーを見、彼なりの理想を築き、非妥協的にそこへ向かいました。
それはそれで一時代でありました。
今の代表からはまだ見えてきませんね。
何故でしょう?
ジーコにもジーコなりのサッカーに対する考え方があり、それは見えた。
日本人プレイヤーに対する見方も少しは。
でも、日本代表はこういうサッカーでなくっちゃ!というのではない。
なんとなく選手次第であり(それはそうだというのはあるけど)、もっと言っちゃえば相手次第でもある。
ワールドカップを自国開催して、まがりなりにも決勝トーナメント出て。
まともな戦術教えてもらって。
でもあんまりまともな人でもなかったし、それで議論が噴出して。
そのうちにサッカー先進国にも選手が進出して。
今。
ちょうど良い時期なんじゃないですかね?
いったんゼロに戻して。
白紙から。
基本の基本しかジーコは言ってない。
それで「頭が下手クソ」なサッカーしてる。
たいしたことない麺の、深みのないスープの、「素うどん」になってる。
でも「素」だからこそ、いかようにも。
どういうのがいいの?
どうあって欲しいの?
これからが大事。

すべての可能性を鑑み、理想を求め、現状を正確に把握し、「決めつける」のではなく、誰からも押し付けられるのではなく、常に考えて行く。
そうした認識をもっとはっきりと持つべき段階に来たのではないか、ということです。
どっちかって言えば「パスを繋ぐサッカー」志向があって、なんとなく「よく走るサッカー」で、どっちかっていや「勤勉」で、そんな特徴を繋いで「どことなくこういうサッカー」になってきた。
組織的にやることが上手で、順応性が高くて、技術もまあまああって。
オフトやトルシエみたいなのが来て、「日本人にはこういうのがあってる」と言って「組織サッカー」教わって。
でも、ほんとうに?
で「組織組織じゃ嫌だ」って意見も出て。
じゃあどういうのが?
完璧な一発解答なんて出やしないでしょう、もちろん。
でもねえ・・・「こうなった。でもちょっと違った、じゃあそうじゃないのを」じゃなしに、いつまでもそんなハナたれ坊主みたいなことやってるんじゃなくて、もうちょっとは前もって考えて、もうちょっとはマシな大人として、それは変わって行くにせよちゃんと「ぼくはこうありたいんだ、こう生きて行きたいんだ」ってはっきり意識しなきゃならん段階に来たんじゃないんでしょうか。
もう「世界」という「大人の集まり」に参加したんですから。
こういうインターネットでも、連日連夜、ぼくら素人(大半はそうですよね?)がそういう議論をしてる。
「どうサッカーして欲しいのか」を、「何を求めるか」を。
考え、試行錯誤し、議論してる。
本来ならリードすべき「協会」は?
どうやってジーコ監督に決まったんでしたっけ?
マスコミは?
物事には「分相応」ってものがあります。
そろそろ・・・ねえ。
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素のサッカー、日本のサッカー(ジーコジャパンに) glider 03/6/10(火) 3:24

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