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▼TENさん:
>ここへ投稿されている方はどう感じているんでしょう。
>皆さんの本音を聞いてみたいです。
どうも、TENさん。日記好きです。
ぼくは、大学でサッカーをやっていたのでリーグの審判をやらされましたし、中高のとき、なぜか顧問の先生からよく後輩の試合の審判をやらされました。そのときの経験から言わせていただきます。はっきり言えば、審判はきつい。かわいそうな職業です。ぼくとしては、韓国で審判なんてやりたくありません。むちゃくちゃ怖い。とくにアシスタントレフェリーは、観客席と近いから死ぬ思いでやっていると思う。ぼくは、審判をそれほど非難したくありません。
いままで、ワールドカップが始まって軌道に乗り始めて以来、世界的に弱小国でのワールドカップというのはアメリカも含めれば二度目ですね。今までのワールドカップの例に漏れず、開催国というのはかなり有利です。つまり、弱小国が、上位に進出しやすい大会であるということです。その場合、サッカーの内容と、結果が、著しく乖離する可能性が生まれます。サッカーに関して、ホームが有利、というのは、とくに審判のジャッジメントに対して言われる場合がありますね。審判は、弱小国=すなわち内容のよくないサッカーと、好結果の乖離の責任を一身に背負うことになっているということです。
あと、なぜ韓国なのか、ということのぼくなりの考えを述べます。
アメリカの場合、とくに「国民全体」としては比較的サッカーに関心が薄いため、「ナショナリズム」の高揚は、それほどなかったと言ってもいいかもしれません。日本もそうですね。歴史的に言って、ナショナリズムが妙な高揚を見せるということは少ないし、歴史的に抑制せざるをえない状況にある。そもそも日本の歴史と国境は、ほとんど一致していて、とくに何かを持ち出さねばナショナルな統一が実現されない、というようなことは相対的に少ないと言っていい(もちろん、マイノリティを軽視してよいと言っているのではありません、むしろそれゆえに重視すべきでしょう)。首相だって、一度しか見にきてないし。
しかし、韓国の場合はそうではない。とくに今回の場合、日本と共催であったために、この「ナショナリズム」が高揚しやすい状況ができてしまっていた。間違えてアメリカ=ドイツ戦で韓国コールをやってしまう始末(たぶん笑)。この得体の知れぬナショナリズムのなかでサッカーの審判などやりたくない、というのが率直な感想です。韓国民は、単にサッカーを楽しんでいるのではありませんよね。アメリカ=ドイツ戦で「韓国コール」をやった観衆は、単に韓国というネーションを応援しているだけです。彼らにはホスト国である、という自覚は微塵もない。
つまり、サッカーのホームの有利さが、とくに弱小国に対して機能してしまうこと、そして、このホームの有利さが、主にナショナリズムによってもたらされていること、このことが、審判のジャッジメントをおかしくしているし、とくに過分に責任を負う羽目になっているのだと思うのです。だって、韓国のナショナリズムの責任なんて、言いにくいでしょ。もちろん、質が低い、というのもあるでしょうが、審判の問題は、とくに今回に限った話ではありませんよね。
ワールドカップの場合、やっぱり、理念として、世界中から審判を集めたい、というのは理解できる話です。だって、それを言うなら、なんで、日本や韓国なんぞでワールドカップをやるんだ?という話にだってなるでしょ(笑)。
ま・日本代表が負けたので、こんなことを言うと、巧妙に負け惜しみを隠している、なんていわれそうだけど(汗)、やっぱり事実としてそう思うなぁ。
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