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▼anybodydoさん:
御無沙汰です。
元気?またサルしましょう。
>「素」って、どんな感じでしょう?
「ワールドカップの自国開催」や「ワールドクラスの監督」によって急激にドーピングされたような状態から、この国全体のサッカーの歴史、Jリーグを頂点とするクラブチームの総体系、日常的な中でのサッカーの位置、その理解、そのあり方、そういったものをすべて含めた「日本サッカーの真の実力」の上での「日本代表」に、一度もどる。
そういう感じです。
ぼくは、ワールドカップでベスト16という結果は、「できすぎ」と思う。
それはむろん若年層からの強化の努力や「自国開催」という大イベントへ向けての徹底的な強化策やトルシエ前監督の驚異的な情熱や選手達の頑張りのたまものとしての「必然的な結果」でもあったわけですが、フランス大会からの4年間はこれまでの日本サッカー史の中では、少し特殊な4年だったように思います。
もちろんおわかりでしょうが、トルシエ以前の日本代表は、戦術的には世界からかなり遅れていました。
いえ、戦術のみならずサッカーにおいて「戦う」ということ、その具体的な方策において。
トルシエは、その部分でギャップを埋めました。
しかし、それはこの国のサッカー界全体としては理解されていなかった。
「戦術」とは、「個人」をより良く生かすためにあるもので、「個人」を束縛しその力を制限するようなものではない、というような「原則」すら理解されていない。
4年間もトルシエのチーム作りを見、その戦いぶりを見てきたのに、です。
戦術的に高度に完成され熟成されたチームにおいて、いかに個人が自由になれるか、海外の一流クラブの試合が連日のように放送されているのに、です。
そうしたことを理解した上で、トルシエ前監督がもたらしたものを正当に評価し、不足していたもの(それも確実にあります)を上積みすべくこれからの代表チーム強化をして行くべきなのでしょうが、ぼくにはここまでの動きはそう見えません。
トルシエが好きだろうと嫌いだろうと構いませんが、妙な反発心から4年間をきちんと再評価できず、海外のクラブで活躍する選手も増えてきたのだし日本は強くなったのだ、ワールドカップだってトルシエでなければもっと上まで(韓国と同等まで)行けたんだ、とばかりに増長し「トルシエ的ではないもの」を求めているようにさえ見えます。
だから、ならば一度「素」に戻って冷静に「世界の中での日本サッカーの位置」を把握し、ワールドクラスになるために真に求められるものを理解する必要があるだろうと思うのです。
それは数人の選手が理解しただけで日本が強豪の仲間入りできるようなものではないと思います。
ダイちゃんのサイトで、永井良和の講座での発言を読みました。
彼は、「日本はフランス大会の前は世界から100年遅れていた。フランス大会では50年遅れていた。今は40年に縮まった」と言っています。
さすがにマンガの主人公のモデルにまでなった元ストライカーはわかっていますね。
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