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でも、ヒデの実力は認めているし、やっぱり、ヒデの存在は、日本に欠かせないともトルシエは思っていた。
単純にプレーの不満からヒデを外したいと思い、ヒデを外しても問題ないんだよ、イタリア戦の前半のようにしっかりできるチームにしてあるよということもあったのかもしれない。ただ、単に1人の選手として。
つまり、特別な存在としている、日本人の方が悪いのかもしれない。
でも、そういう日本人の考えに賛同することは良くないと考えたトルシエが悪いのかもしれない。
確かに、ヒデを、スーパーサブとして投入するという選択肢はあったと思う。それはローマでのプレーでも証明されているし。ならば、そういう風に言えばよかった。ヒデを切り札として使いたいと。でも、ローマには、トッティがいるからそうなっただけという見方もできる。
それに、切り札ということであれば、アレックスがいた。だから、わざわざ、ヒデを、後半から投入しなくても、それと同じ効果をあげられるカードは持っていた。
森島を先発でだして、後半からヒデより、ヒデを先発で出して、後半からヒデと森島の併用って選択肢もあった。
正直、ヒデを先発から外す理由に、あまりポジティブなものがない。冷静に考えると、トルシエもそれは分かっていたはず。
もしかしたら、トルシエがヒデを外したいというのは、ヒデに頼るチームになったらそれで終わりになってしまうという不安と、でも、日本には、ヒデ以上の存在はいないという思い。その中での葛藤。
ヒデを外したいというよりも、このままでは負けてしまう、何かしなければならないという方が強かったのかなと。
ヒデを外して、もっと調子の良い選手を使った方が、チームは良くなるのではないか。いや、それは無理だろう。そんなことが頭の中をグルグルしたのかもしれない。
それとも、本当に、「自分の力で勝ちたい」という思いが働いたのかもしれない。このチームは、ヒデの力で勝っているのではなく、トルシエの力で勝っているのだと。実際に、そういう発言もあったわけだし。
面白いと思うのは、岡田監督にしても、チームを変えたいと思った時に、ヒデをスタメンから外したこと。そして、それは上手くいかなかったこと。結果、岡田監督は、ヒデ中心のチームにする。しかし、それも、上手くはいかなかった。
西野監督にしてもヒデを外したし、セリエでも、ヒデを外す監督は結構いた。
監督からすると、一度は、外したくなる存在なんだなって。でも、やっぱり必要になってしまうと。そして、依存度が強すぎると、上手くいかなくなると。
ヒデってのは、偉大ではあるが、難しい選手なのかもしれない。慣れれば平気なんだろうけど。
そして、トルシエは、同じように難しい。慣れれば平気なんだろうけど。
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