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▼gliderさん:
これには、私もかなり驚きました。
その上で、明日のユーゴ戦、ピクシー対策として出すのでなければ出番はないだろうし、トルシエがそういう用兵をするとも思えません。結局、今回ピッチで秋田を見る可能性は低いと思っています。
じゃあ何で呼んだのか?
私が最近『Blues Number』で展開したように、ピッチに出なくても必要な選手というのはあり得ます。秋田について、その点の検証をしたかったという可能性もありますが、それも低いでしょうね。それでは、井原やカズではなかった理由が立たない。
>中山でベテランの力を再確認したので、そういう効果も含み、チームへの影響力という「実験」なんでしょうか?
前述の私の文脈は、gliderさんのこういった展開と似ています。しかしおそらく違うでしょう。
>「個人的に」というのはどういうことか?
>「日本代表監督として」は、「個人的に」というのとは少し違うような気がしています。
>でも、「個人的に見てみたかった」とは?
それは『トルシエ革命』に、おそらく書いてあったように思いますね。トルシエが、自分の現役時代のプレースタイルを評して「鹿島の秋田のような頑強なストッパータイプだった」、云々と。
つまり私は、いっそ徹頭徹尾「個人的な話」なんじゃないかとも思っています。たかが2試合のための招集ですから、2、3人なら、確かに完全に「個人的な話」で呼ぶ余地もあるとは思いますが、結局はエピソードに終わる可能性が高い。
コンフェ杯も終わりました。トルシエはここで、それを否定するにせよ肯定するにせよ、いわば自分の原点と改めて向き合ってみる必要を感じたのかも知れません。
秋田が実際にピッチの上で何が出来るかという問題だけをみていては、おそらく彼の招集を理解は出来ないんじゃないかという気がします。おそらくトルシエは、本番に先立って、どうしても秋田を自分の合宿、自分の練習のなかでもう一度みたかった。少し余裕ができた段階で、それをした。私はそれを無駄だとは思いません、指揮官のなかに当然あるだろう数々の迷いやら懸案やらをクリアするための手続きとして必要なのだろうと思います。というか、トルシエが必要に思ったのなら、トルシエが指揮を執る限りにおいては必要に違いない(笑)
戦術論でも、戦略論でもない。純心理学的な「個人性」の匂いがぷんぷんします。だからこそそういう言葉を使った可能性が高い。
その上で、これは確かにトルシエの人間的な弱さみたいな部分を示しているかも知れないとは思いますがね(笑) しかし、とがめだてするほどのことでもないでしょう。多分、ピッチ上のフォーメーションで秋田がどこになるのかを考える以前の話だと思います。無論、出す展開になればF3の右端以外にはないでしょうが、ないんじゃないかなあ。
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