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▼gliderさん:
>秋田は、戦力として考えられている部分もないとは言えないとぼくは思います。
>それはkindさんへの長文レスで書いたのでくり返しませんけど。
>
>トルシエが、昔、秋田のような選手だったから時期的に少し余裕のある今、秋田を呼んでみた
>というのは、ロマンのある話しだけど、う〜ん、どうでしょうね・・・
>ぼくはやはり、秋田の経験がもたらすものをも期待したのではないかと思えます。
>それと、ある種のベテラン選手がその経験から得る柔軟性や知性、といったものにも。
もちろん、Kindさんやgliderさんのおっしゃることがまず第一でしょう。9割方はそういう理由で呼んでいるはずですし、私自身、『Blues Number』の『トルシエ雑感』の末尾ではそうした視点で書いています。私は秋田が全く戦力として考えられていないとは主張しません。
ただ、ピッチ上の戦術論やチームバランスにおける経験の意味についての議論を90分間積み重ねたとしても、絶対に「個人的に」という言葉は出てきませんよね(笑) それはあくまで代表監督としての判断であって、「個人的」ではない。そこが問題です。
私の主張、つまりトルシエが秋田に過去の自分をみているから、というのは、「トルシエが秋田を呼んだ理由」というよりも、正確には「トルシエが秋田を呼んだ理由を聞かれて『個人的』という言葉を使った理由」というべきなんでしょう。
personnel、individuel、prive、「個人的」と訳されそうな日常的なフランス語の単語といえばこのぐらいと思いますが、この場合はまず間違いなくpersonnelだったと思います。individuelを使うのはちょっと意味不明だし、「prive(プライベート!)で呼んだ」はずはないし(笑)
しかしpersonnelにしても、priveほどではなくとも「私的」とも訳され得る、少なくとも「公的」ではない言葉です。だからこそ、突出した印象をgliderさんにも与えたわけですしね。
監督が選手をパーソナルな理由で呼ぶ、これはよく考えると結構「失言」に近いものがありますし、あるいはトルシエの自分に対する苦笑のようなものも感じられる表現です。
だから、私は私なりに割と自信はあります。秋田の招集は、90%あるいは99%までは戦術やチームバランスを考慮した結果だが、同時に10ないし1%の「ロマン」が混入していて、トルシエはそのことに自覚的である、ということに。トルシエにはロマンチストの側面もありますからね(笑)
>「中沢、上村・・・まだまだ経験が足りねーなー、どうも肝心なトコでヒヤっとさせやがる・・・
>誰かいないかなー、そうだ、じゃこの際秋田でも呼んでみっか。うん、チームに良い刺激になるかもしれないな」
>なんてことじゃないかと。
私もそんなことじゃないかと思います。ただ一言つけ加えて、
「中沢、上村・・・まだまだ経験が足りねーなー、どうも肝心なトコでヒヤっとさせやがる・・・誰かいないかなー、そうだ、じゃこの際秋田でも呼んでみっか。うん、チームに良い刺激になるかもしれないな。それにあいつのプレースタイル、昔の俺に似てるんで気になるんだよな」
「それに…」以下は、もちろん主要な理由ではありません。しかし付け足しとしてでも要素としてあり、それをトルシエが自覚していなければ、「個人的」という表現は出てこないでしょう。
もちろんこの部分は、十分に「個人的」であればなんでもいいので、
「それにあいつの顔みると妙にほっとするんだよな」(監督個人の精神安定剤)
「それにうちの娘があいつのファンなんだよな」(こないだ『天国と地獄』で出た冗談)
「それにあいつ俺の息子なんだよな」(おいおいノムさん…)
等々、可能性としては何でもあります(笑) ただ「証拠」(?)として現在使えるのは、トルシエが自分の現役時代についての言及で秋田を引き合いに出した、ということだけですから。
>でも、前も秋田の名前は出してたし、何かひっかかる所がなかったとも言い切れませんね。
そして、そのひっかかり方に少々「個人的」な部分があるのでしょう。
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