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glider さん、
あれからわたしなりに、「トルシエ革命」を消化しつつ、考えれば考えるほど、glider さんのご意見があまりにまっとうで。
このお題は、あまり意味がなかったなー、などと反省してしまいました。
トルシエが代表・ユース代表監督に就任した時、この監督は日本人に足りないものを触発してくれる人物ではないか、というのを凄く感じました。
日本人はごく一部のスポーツを除いて、高度な技術を持っているにも拘わらず、国際舞台においてその力を発揮し得ていない、サッカーもそのひとつだ、と思っていたからです。
たまたま、ユース代表が小野・市川などスターぞろいだったこともあり、就任当初から興味を持って見てました。
トルシエは戦術面・精神面で短期間の間に、代表チームを大人のチームに変えたと思います。
そして、ファンが一段とサッカーを楽しめるようになったのは、トルシエの功績が大きいでしょう。
サッカーは、プレーヤーの個性や資質などを色濃く反映するスポーツのひとつでしょう。
技術だけが勝っていても、それを扱うプレーヤーが成熟していなければ、技術は意味をなさなくなる可能性がある。
著書のなかで、トルシエがもっとも強調したかったのは、ここかもしれません。
サッカーは、例えるとタペストリーのようです。
育った環境も違えば個性も違う選手たちが、それだけでも美しい一本の糸で、それが監督の意図によって、価値のある図柄に織り上げられていく。
それは、サッカーの土壌によって、選手一人一人の個性によって、大きさもまちまちでしょう。
それを、より美しい図柄に仕上げるのが監督の仕事ということになります。
トルシエのなかで、タペストリーは完成に近づいているのでしょうか・・・。
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