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▼seriさん:
書き込みありがとうございます。
>トップ下の不在
どうもすべてをここに集約されているようですが、「トップ下」「ボランチ」と選手を画一的に分け過ぎているように思います。
伊東、稲本、といった選手は世間で言われる「ボランチ」などではなく、「ミッドフィールダー」として捉えないと見誤ることになりますね。
藤本の仕事が機能しなかったのは、藤本の仕事を飛び込み中心としたからではなく、あくまでも相手との相関関係と味方同士のコンビネーションの問題。
単純に言って、セネガル戦の布陣は「一見」トップ下不在で稲本・戸田の「ボランチ」陣と藤本らの前線との距離があき、ボールが回らなさそうに見える。
しかし、それはあくまでも「図面」の問題であって、現実にはそういうふうに固定された「形」でサッカーが行われるわけはありません。
藤本を森島に、稲本を名波に、戸田を稲本に置き換えれば、そこの所はアジアカップの時と変わる所はなく、セネガル戦前半、稲本が前でプレイできていないのは試合のモメンタムと中盤の奪い合いに完全に敗北していたから。
後半、稲本が前目に上がってプレイできていたのは、柳沢が入ったことで前線にきちんとした起点ができたこと、互いのコンディション、メンタル、疲れ、モメンタム、日本側につまらないパスミスが減ったこと、伊東を入れて中盤を厚くしたこと、などの要因によってボールキープができはじめたこと、中盤で奪えるようになったことが大きい。
それも「ミッドフィールダー」であるなら構成的に必然的に求められる行動であり、決して「ミラクル」などではありません。
(失礼ながら、こういう発言を見るにつけて「ボランチ」という言葉の誤った理解の問題性は大きいと嘆息します。「トリプル・ボランチ」などと言う言葉は言葉の意味においても現実的にも現代のサッカーにおいてはまったく無意味です)
藤本の役割と中盤のプレッシングの関係について、人数不足気味になってしまったのは確かですが、それもメリットデメリットのトレード関係であり、相手の中盤人数や戦略との関連で考えるべきことであり、第一には試合に与えられたテーマの問題でもあります。
「テスト・マッチ」とは実戦テストの場であり、テーマなくしてはやる意味合いは薄れて行くでしょう。
具体的な目標がある以上、勝敗は置いてチームの問題点や求められる前進点といった「テーマ」なくしては、テスト・マッチたる意味などはありません。
(そのテーマに関してはマスコミを通じてトルシエの言葉が報道されているので、ここでくり返す必要はないでしょう)
現実的に、少々「森島依存症」気味である現代表は、森島、中田不在時に「代わりの選手」を見つけるのか、「別の形」を持って乗り越えるのかは、解決せねばならない第一の問題のようにも思います。
前線での起点、ボールキープ、攻撃の構築、といった面での選手構成の問題として、2トップ+森島+中田、といった贅沢な構成ができる相手がどれほどいるのか、という問題、それでも森島がいないと得点力が著しく下がる現状、森島の運動量でワールドカップのような厳しい連戦をどこまで乗り切れるのかという問題、中田がいまだにフィットしていない現状、それでもなお中田英寿が日本人では最高レベルの選手であること、入れれば必ず何がしかの仕事はしてのけること、そういった面で中田・森島が不在、名波もプレイできず、小野もケガ明けであり、CLも控えていたために使用を見送らずを得なかったあの試合では藤本の試用と稲本・戸田・伊東という中盤の構成を慣らすこと、といったことになったことは責められるようなことではないと思います。
敗因をフォーメーションに求め、あの起用を見て「自爆」とおっしゃる気持ちはわからないではないですが、一体何をテーマにし、どこに収穫を求めるか、といった視点がないとただの不満な試合ということになり、批判すべき本当のポイントも認められるポイントもすべて見失いかねません。
福西の起用についてもしかり。
第二に、セネガルですが、あのチームはきちんと組織だったプレッシングをかけています。
「個々人の早い寄せ」が可能になっていたのは、組織だったゾーンの構築とプレス&フォローがきちっと行われたことによります。
特に前半においてはフィールド全域に渡ってはやい寄せと的確なフォローのタイミングをもってボールを奪い、パスコースを潰し、と良い組織的サッカーを展開しました。
決して個人能力に頼った「たいしたことはないアフリカのチーム」ではありません。
完敗したのはトップ下がいなかったことが原因などではないのです。
コンディションのことは置いておくにしろ、プレッシングスピードの違い、人とボールを動かす個々の判断のスピードの違い、プレッシャー自体のかけかたの差、そういったことを決して見のがしてはならないでしょう。
代表チームの監督は「サッカー教室の先生」ではないですし、選手自身が身を持って理解し、進歩に向けて努力していると信じていますが。
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