|
▼Daiさん:
始めまして、宜しくお願いします。
>しかし、ボールの位置でポジショニングのデフォルトを作るというのが今のサッカーなので、
納得です。今まで自分の中で考えたこと、また今回の議論に参加して考えさせられた事々を整理する上で、自分の中で収まる所に収まった感じのするお言葉です。
>もうフォーメーションは1種類しか存在しないといっても過言ではないと思います。
これは・・・・一種類と言うか無数と言うか・・・・形而上の問題ですか。
>ここにボールがあったら、こういう風になって、ここにボールがあったら、こういう風になって、ここにボールがあったら、こういう風になってってのを、3−5−2になったら、4−4−2になったり、3−6−1になったり、3−3−3−1になったり、3−7になったり、5−4−1になったりしながら、試合中その姿をがんがん変えていってしまうわけです。さらに、同じ3−5−2でも、何種類もの3−5−2を使うことになります。
>ですから、デフォルトフォーメーションについて語る意味はないわけです。
しかし、何の前置もなく単純にこう言いきられてしまうと、何か究極のオートマティズムが有って、それにしたがってゲームを進めるだけであると、読めてしまいます。
さらに、ボールへの対応・カバーリングの連鎖のみでサッカーを説明した場合、行着く所は選手の均質化だと思われます。さもなければその時々で構成されるフォーメーション(この言葉を使って良いか分りませんが)に弱点が生じます。それを避ける為には、高次元でバランスした総合力を持つ選手を、均等に配置するしかありません。選手も人間である以上そのような事は不可能ですし、サッカーの面白さも半減すると思います。
やはり、デフォルトフォーメーションによる制約の基に、何らかのベクトルを持った、ボールへの対応・カバーリングの連鎖なのであろうと思います。
これは何もネガティブな対応と言うことでなく、監督のチーム造りやゲームプランの基にポジティブなベクトルを持つと言う事だと思うのです。
そういう意味で、デフォルトフォーメーションは無意味ではないと思いますし、無視も出来ない、やはり重要な要素ではないでしょうか。
そして、Daiさんがそのような事を無視しているとは到底思えません。
従来のフォーメーション論に嫌気し、その無意味さを強調されるあまり、少し説明不足に成っているのでは有りませんか?
それとも、私の想像の範疇を越えた別次元のお話なのだろうか?
|
|