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>korgさんへ
レスありがとうございます。遅れてしまいましたがお返事を書いてみました。
コルグさんのご意見
>一昨年のオリンピック以来、思ってますけど、個人的には宮本だったらいまのところま>だ森岡だと思いますね。最近の議論の傾向をみていて思いますけど、ラインコントロー>ルやバランスですべてを守ろうとするのは、それこそトルシエ的ではないと思っていま>す。ラインコントロールはできるにこしたことはないし、宮本のそれは見ていて感動的>ですけど、その意味では、トルシエの戦術を理解しているとは言いがたいと思います>ね。ぼくは、バランスもそうですけど、ラインディフェンスというのは、本当にあくまで>統制的な理念だと思ってます。問題は、ラインというものが単に理念としてのみあって>(理念だから軽視していいわけではない)、ボールに対して主体的にディフェンスする>ことが大事なんだ、というこのことを理解しているか否かにあると思います。そういう>考え方は、ハーフやフォワードにもあてはまると思いますけど。トルシエの戦術という>のは、そこまで含まれていてはじめて優れたものになると思います。フラット3とか、>バランスの維持とか、そういう部分だけが戦術ではなく、主体的になれ、コミュニケー>ションしろ、激しく当たれ、そういうある意味では精神的な部分も戦術として理論的に>組み込まれている。まぁ、戦略という言葉で区別してもいいですけど、あえて区別しな>い方がいいでしょう。そこまでいかないと、リゾームにならない。そもそも、トルシエ>の場合、使うか使わないかは、ほとんどその部分において決定されているのはみなさん>ご承知のとおりです(もちろん、選手の身体的技術的能力と、相手関係を把握したその>うえで、ですが)。そしてそこにおいて優れているか否かが、トルシエの言うところの>個人の能力だと思います。「綜合的」という言葉で区別してもよいでしょうか。
レス1
まず、宮本議論を巡る争いの中で、次の論点があると思っています。つまり、「コンパクトフィールド」です。宮本「ファンタジスタDF」論者からすると、コンパクトフィールドを作ることが「目的」であって、その部分に最大の主眼を置いており、これができれば、相手は抑えられる、有利にゲームを進めることができると主張しています。さらに、「どんな状況でも最終ラインを一糸乱れず揃えて上げ下げすることが最も大事であり、ラインに凸凹を作らない選手こそ最強である」と結論づけているように見えます。ディフェンダーの基本的スキルといわれるものを地道に行っており、ボールを直接奪う以外の方法論で勝負するDFに好印象を持っているようです。ですから、組織が60%で、個人が30%ではなく、組織が90%といっても過言ではないのですね。もしくは、ラインコントロールというものが個人の30%の部分にも含まれると言いたいのでしょう。(もしそうだとすれば、これは、トルシエの意図とは違うということになりますね。トルシエが求めている個人の30%というのは、戦術的な能力ではないわけです。もっと本能的な力強さですから。)
一方、宮本「ノーマルDF」論者からすると、コンパクトフィールドを作るのはあくまで「手段」であって、そのような動きは明確なチームとしてのルールに基づいているのだから「今代表に残っているDFなら誰にでもできる」としており、そこから先のプレーの、読みと判断と反応で、直接ボールを奪える、最悪、相手を潰せる選手こそがさらなるトルシエ日本のレベルアップのために必要だと主張されています。よりハイブリッドな、速くて強くて賢い選手ですね。個人の30%の部分を求めているわけです。(これはトルシエの意図に合致してそうです。)
さらに、宮本ファンタジスタ論者は、森岡、松田を「スイーパー」という言葉で簡単に扱うようです。中田浩二への評価は、「宮本と比べたフラット3の理解度」という点から評価がかなり低いのが特徴です。しかし、宮本普通論者からすれば、森岡、松田は、宮本よりも、フラット3システムという60%の部分を利用し、かつ30%の個人の力でも勝負していて、ボールを奪うという最大の目標のために、リアリティーを持ってプレーしているとしています。中田浩二に関しては、「フラット3はほとんど理解しているが、そこから先の個人の部分でまだまだだ」という評価で、やはりそれほど高くないようです。(ちなみに、私はかなり中田浩二を評価しています。)
私はどちらの意見も言いたいことはわかりますが、宮本ファンタジスタ論者のほうが分が悪い印象です。というのも、こちら側の主張では、明らかに目的が「ボールを奪う」ことになく、「ライン」というものに徹底的にこだわりをみせており、あまりにも「空想」的な面がみえるからです。極端すぎます。それでいて、「サッカーファンは、わかってないなあ」、「森岡はスイーパーシステムで、フラット3はやってないんだよ」といわれても不快感に近いものを感じてしまうわけです。客観的な事実とは違う、事実を作っているような印象です。特に、森岡の動きを「フラット3がばれる相手に対しての駆け引き」として捕らえる、宮本普通論者に比べて説得力に差を感じます。
一方、宮本普通論者の主張は、「ごもっとも」だと思いますし、それができれば「トルシエのプレッシングサッカー」が完成するなとも思えるわけです。が、しかし、そのようなセンターバックの人材は日本にはいまだいないとも思ってしまうわけです。
コルグさんのご意見2
>しかし、森岡や宮本は、究極的に満足できるとまではいかないけども、見ていておもし>ろいですよね。よくやってるなぁと思います。とくに、去年あたりからの宮本のチャレ>ンジ精神は、ぼくは買いますね。自分に足りないものに気づいているのではないか。そ>して、この「気づく」というそのことが、トルシエに、起用を決断させる材料になるわ>けです。この部分において、森岡とはまだまだ差はあるように思えますし、ぼくは、森>岡は宮本と変わりないかそれ以上に、いろいろな方が考えているよりも頭がいいと思い>ますけどね。
レス2
私もこちらに期待しますね。宮本が、宮本ファンタジスタ論者の方法論を実践し、彼らを満足させながらも、かつ宮本普通論者の主張に気がつき、それにチャレンジしているのであれば、「トルシエのプレッシングサッカー」を完成させることも可能だと思いますし。そうすれば、お互いにとって良いと思うのですよね。
私は、宮本ファンタジスタ論には、異議がありますし、森岡は全然悪い選手ではないと思っています。しかし、一方で、森岡のラインコントロールよりも、宮本のラインコントロールの方が、何だかんだいって安心して勇気も持って見ていられるわけです。
意味のあるプレー、意味のないプレーの定義の差も両者ではかなりありそうですね。
なかなかこの議論は終わりそうにありませんね(笑)
まあ私がいえるのは、どちらの陣営も、サッカーのことはよく理解しているってことですね。宮本を評価しない人は駄目だとか、宮本を評価する人は駄目だとか、そういうことではないですからね。まあ、宮本がここまで誉められてるのなら、バランス的に、森岡も誉めてあげてもいいと思いますし、松田なんかかなり賛辞を受けていいと思いますし、浩二も誉めてあげたいですけどね。でも、日本のディフェンダー陣が、世界トップレベルとがっぷり四つでできるかどうかっていうと「う〜ん」って考え込んでしまうわけですから、誉められたものではないっていうのが感覚的には正当なのかなあとも思ってしまいますね。
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