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第3回の投稿に対する反論
>監督が教える「攻撃の形」というものはあるし、必要だと思います。
に対してのレス 2002/ 5/29
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もちろん、ぼくにしてもそれはあると思ってます。
トルシエ・ジャパンの場合でも、チームのベースとなる戦術と合わせて、それをさらに補完する形での「攻撃の形」を持ってますよね。
ただし、それが実際の試合の中で機能するかどうかは、ぼくはやはり選手のコンディションやモティベーション等によっても大きく左右されると考えます。
なぜなら、攻撃のスイッチとしてのひとつの縦パスにしても、相手のポジショニング、スピード、スキル等によってタイミングも位置も変わってくるものだし、出す選手、受ける選手双方にその場その場での工夫とそれを込みの共通理解が必要だし、チョイスのひとつひとつに判断の速度が伴わなければ、それは有効になり得ないからです。
だから、やはりコンディションやモティベーションには左右される。
大きなイメージは共有できていても、実際にその通りに事を運ぶためには、そのディテイルにおいてその場その場での個人の工夫がなければ成功確率は高いものにはならないし、実戦の中で「いつ」「どこで」を的確に判断するのは、監督が教えるようなことではないのです。
攻撃の組織化というのは、この国の世論的には安易に監督の仕事にする風潮がありますが、監督の仕事としてその基本線、戦術総論の中でのアウトラインを決めて行くことは当然必要なれど、実戦の中でそれを成功させるためには選手個人のボールのある所ない所での工夫や相手との駆け引き、判断や選択の良さがあってはじめて上手く行くもの。
それがなければ、ただの「単調な読みやすい攻撃」になり、90分を通しては「潰される」確率の方が高くなってしまう。
組織的な攻撃の形、とはいずれにせよどのチームを見ても「典型的なもの」「普通のもの」でしかない。
トルシエ・ジャパンにせよ、マルディーニ・パラグアイにせよ、トラップ・イタリアにせよ。
それをすばらしいものにするのは、「いつ」「どこで」「どのように」するかであり、それを決めるのはピッチの中の選手だ、ということです。
ぼくが不満を感じるのは、攻撃に入る時の手始めとしての楔のパスの受け方、楔に入るまでの動きの工夫のなさ、周囲の動きだしの遅さなどです。
また、そうした「決まり事」に少々こだわり過ぎている点です。
最もよく思うのは、実戦の中での相手との駆け引きによる戦略的判断の稚拙さです。
外国人によく言われる、「経験不足」ってそういうことなんじゃないですかね。
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