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▼司馬さん:
はじめまして、いらっしゃいませ。
>言うまでもなく世界のサッカーはヨーロッパを中心に回っていますが、ラインディフェンス・コンパクトネス・ショートカウンターあたりはヨーロッパでは非常にスタンダードな戦略です。言うまでもなく世界のサッカーはヨーロッパを中心に回っていますが、ラインディフェンス・コンパクトネス・ショートカウンターあたりはヨーロッパでは非常にスタンダードな戦略です。
その通りだと思います。
ヨーロッパのクラブチーム等においてはトルシエ前監督の方法論は、考え方としてはもうスタンダードなものでしょう。
ただし、「考え方としてはもうスタンダードなもののひとつ」とは言えると思いますが、各国リーグを見ても実際としてそれはまだスタンダードというところまでではないと思います。
どちらかと言えばそうでないチームのほうが絶対的に多い。
そして、最終ラインをボールの動きによって極めて厳密に上下動させること、それを完全にチームの約束としたこと、縦横にかなり緻密にコンパクトにしたこと、攻撃でも「コンパクトな攻撃」を標榜したこと、それらのことをあそこまで徹底してやっているチーム、となると、それはやはりスタンダードとは言いがたいと思います。
さらにそれを「代表チーム」ということで見ると、2002年ワールドカップにおいてでいえば日本代表は特殊なチームだった、と言っても過言ではないとぼくは思っています。
それが可能であったのは、「自国開催」のために特別に与えられた4年間という長い強化期間と、集中して取られた強化時間、4年の間に相応の選手が海外クラブへと旅だって行ったとはいえ、ある程度は選手を好きなように召集できたこと(まあJリーグとはモメもしましたが)、ひとりの代表監督が世代間に渡って指導できたこと等。
やはりぼくはあれを「通常時の通常の代表チーム」として考えるのは無理があるように思います。
>トルシエ方法をアウトボクサー、ジーコ方法をインファイターだとします。
>前任者は「日本人にインファイトは無理だ。徹底して足を使え」といいました。今度のコーチは「足を止めて打ち続けろ」と言います。
というのは言い得て妙ですね。
議論点としては
>あくまでそれは戦いの方法論の違いであって、パンチを強くしたり、スピードを速くしたりと言った基礎強化にはつながらないと思います。サンドバッグに打ち込んだり、走りこんだりするのはもっと日常的なことであって、年に数回しか集まらない代表ではすることではないし、できないでしょう。
という部分になるでしょうか。
ぼくはこう考えています。
ジーコの方法論は、代表チームとしてはいまだとてもオーソドックスなものである、と。
ブラジル式4ー4ー2ということはあるにせよ、欧州の先端では「コンパクトネス」「フラットライン」「組織的プレッシング」が当たり前になってきていようと、彼が言っていることは「サッカーの基本」であり、代表チームのサッカーということで言えば、召集時間の問題やら試合数の問題やらそのプライオリティの問題やらで、それを大きなチームの根幹としてやらざるを得ないのは「普通のこと」です。
そういう意味では、ジーコの方法論は別に「インファイト」に特化しているわけではありません。
だから、選手達の実力の総和としてのものが相応に出るだけです。
ぼくが言いたいことのひとつは、そうしたことで得られること、つまり奇しくもアルゼンチン戦後の中田浩二が言ったように「裸でやったら、ほんとに通用しないんだな、って実感した」ということを、もう一度ここで噛み締める必要がある、ということです。
選手達だけでなく「日本サッカー全体」として。
こうした実感は、海外リーグでやっている連中は別としても、多くの日本人選手(それも代表レベルの選手でも)は国際試合でしか得られない。
他の多くの代表チームが、仮にやろうと思ってもなかなかできないくらいの組織的サッカーとその完成度を武器にして、それで戦えてしまえばやはり見誤りがちになってしまう。
その中で各々に課題は見つけられても、本当の危機意識を持つまでにはなかなか至らない。
勘違いしてた、とまでは言いませんが。
もうひとつは、ジーコのやり方では攻守両面で「個人戦術」と「少数のグループ戦術」が大事になってきます。
「オートマティスム」によって、つまり「スペースへの即時的侵入とそれに伴う半自動的カバーリングの約束」や「細かな全体の動きの約束」によって、ある程度まで守れ、攻撃できてしまうことはもうなくなり、個人の技術(フィジカルの技術、コンタクトの技術も含め)と戦術眼、個々の個々による結びつきと局面でのグループ戦術、判断力、そうしたことを中心に打開しなくてはならなくなっています。
国際試合のレベルでのそうした経験、その積み重ねは、自ずから個々とグループの主体的努力を要請する。
ワールドカップにおいて、そうした点の欠如が露になった限りにおいて、今の段階が無意味であるとはとうてい思えません。
それはジーコがどう考えていようと。
>そもそも世界40位が世界ベスト10に普遍的に勝つようなスペシャルステップが存在するのでしょうか?そんなものがあれば、世界ベスト10はみんなそれを身につけるでしょう。
強豪のクラブチームであっても、なかなか到達し得ない組織的完成度を持つに至れば当然可能なことでしょう。
世界ベスト10は、みんなそれを身に付けようとは考えません。
それはそれが「代表チーム」であることを考えれば、当然の帰結でしょう。
どこの国の監督でもうらやましがるような強化時間と費用をかけ、かつエゴを出さずに一生懸命に取り組む何十人もの選手に恵まれる、というような状況は、それほど得られるものではないからです。
だから日本は決勝トーナメントに進んだのでしょう。
それでも日本が世界のベスト20(10ではなく)に「普遍的に勝つ」までには至らなかった。
あきらかに足りない部分があった。
そのために今の状態は必要な段階だろう、と思うのです。
もちろん、ジーコがそう考えてやっているとは思っていません。
でも結果的に、で全然かまいません。
そして本番が近くなれば、また総力をあげて臨まねばならないのも当然でしょう。
「裸でやったら、ほんとに通用しないんだな、って実感した」
そういう選手を率いてワールドカップで決勝トーナメントに進むのは、並大抵ではできません。
それはやっぱり「スペシャルなこと」だったと思います。
本当に「世界の強豪と肩を並べるようになる」ためには、個々で通用するようになるしかありません。
そのために今はもう一度、足下をしっかり確認するべき時期だと思うのです。
普通であれば、ある程度成果を残した方法論を引き継ぎ、そこからの上積みとしての強化を考えるのが当然でしょう。
しかし、日本の場合「ワールドカップ・ベスト16」はやはり少々の背伸びなしでは得られない結果だった。
背伸びしたままさらに背伸びを計るのが健全なことだとは思えません。
多少の犠牲を払ってでも、ここらでもう一度地に足をつけて立脚点を確認し、これからの指針を考えるのは、ぜひとも必要なことであると思います。
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