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▼gliderさん:
>集団というのは、ぶつかり合いや混乱を経てまとまったものは自ずから強度が出ます。
>なんだか安手のハリウッド製スポコン映画みたいな話だけど、でもそれは真実。
>勢いも出るし限界も上がるし耐性も粘性も付く。
>なんでなんだかはよくわかりませんが、ぼくの経験上でも、集団競技でも仕事でもなんでもそういうことになってたのは事実なんですよね。
オシム監督の指導を受けてその教えを「素直に理解した人」は生業やビジネスに例えるなら、大変に優秀な経営者を作り出すだろうと思います。出世して社長になって会社を発展させる。
でもその人が他の会社も経営できるか?あるいは自分で起業して自分のコンセプトを持つことができるのか?
僕にはオシムの指導方法がサラリーマン時代に受けさせられたエリート養成講座みたいに感じてしまうのです(会社に忠誠心の無かった僕は寝てましたけど・・・)
>今思い出すと、トルシエってそういうことやってましたよね、あの時。
>自分が選手達の敵になったりして、ひっかき回したり追い込んだり追いつめたりして、「鍛造品」なチーム作ろうとしてた。
>規律やオートマティスムを旨としながらも、「追い込まれた時の人間の出すパワーというものに私の主眼はある」とか言ってましたね。
>いろんな方法があるものです。
「6月の勝利の歌を忘れない」を見るとトルシエが選手にとっていかにストレスだったかが今ならさらに良く判ります。あれは彼の「方法」だったのか「天然」だったのか・・。いずれにしてもチームを高めていくヒントが宝石のように散りばめられた監督でしたね。でもああいうストレスになるような役割はできれば僕はいやだなぁ(笑)
ここでグラさんと話すとなんだかオシムを全否定しているように書いてしまいますが、オシムのお陰でイロイロ判ってきたこともあります。チームに一本芯を通すのに戦術や動きを徹底しなくても「リスクへのチームとしての方針」を提示して(オシムはリスクを恐れるなという位置に線を引きましたね)その線引きに皆の意識をあわせることでそれがチームの共通認識になるという手法。
おそらく岡田監督がするだろう手法である約束事を設けてその線をチームの共通認識とする方法よりは僕は好みです。
僕がチームの一員ならどちらかと言えばそうして欲しいので・・・。
でも好みで言えばジーコの方がいいかな。
皆が困るだろうけどだからこそ面白みがある。
これらは好みの問題だろうし過去体験の有無もあるでしょう。
でも所詮日本代表は外部からしかみられないチームなので、ピッチでどんなプレイが展開されるかでしか最後は評価できない。
育成過程を含めて思い入れを注入するチームとしては日本代表は実は日本で一番不向きなチームなのかもしれません(笑)
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