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▼gliderさん:
>「共産主義的」とぼくが言ったのは、まずもってその「サッカースタイル」の話です。
また微妙に読み違えてましたかね(笑)
ただオシムに抱いた感想は非常に近いと言うことを以下の文章で確認できました。
>マンマークから取って返し、ワイドオープンに素早く攻める。
>攻撃の選手にも等しく守備を要求するわけですから、攻撃するためにはおのずから走らなければならない。
>その上、ロバさんが書いているように、サードマンランニングを重視し、スペースへの多くの選手の侵入を要求し、しかもそれは基本的に「速い攻撃」が前提としてあるわけですから(素早く攻めなければマンマークから取ってかえす意味はない)、とにもかくにも「よく走らねばサッカーにならない」やり方、と言えるでしょう。
>走れ走れ。等しく働け。
>ということで、選ばれる選手は基本的に「よく走る」選手となり、「走らねばサッカーにならない」「ライオンに追われたウサギが足をつることがあるだろうか」等の語録とともに、Jリーグじゅうで「よく走らねばならない」ということにもなった。
>ぼくはそれを「画一化」と思う。
>それは受け取る側の問題もあると思いますが。
>ぼくは「よく走る」ことが「良い選手」たる必要不可欠な最低条件であるとはまったく思わないのです。
>
>真実は、あのサッカーだから、そういう選手がより必要だった、ということ。
>しかし、名将オシムの口から「もっと走らねばならない」と告げられた日本のサッカーは、それをあたかも普遍的真実と捉え、皆が揃って走り出した。
>それはぼくには、なかなかにゾっとする現象でもあったのです。
長く引用しましたが同意します。
ただ僕がこのように感じ始めたのは中2の長男のクラブのサッカーがオシム以降変わって来たからと白状しておきましょう。
ここでは何度も話した中田と小野を対比してのボランチとしての資質の話し。あの時(ジーコジャパン)のチームなら中田のボランチを総合的に小野より良いと思っていましたし、あの時感じた感想は今も変わりはありません(笑)
ただ自分の長男がどちらかと言えば中田より小野のようなタイプに育ち、中盤の底で変化をつける事やボールの流れを良くすることに喜びを感じるプレイヤーに育ってしまいました。
この辺は実はグライダーさんの(グライダーさんの語る小野の・・・)影響かもしれません。彼の特性がスピードサッカーには向いていなかったので変化をつける事を子供の頃の遊びの時からいい続けてきたので・・・
オシム代表就任以降そういうタイプのプレイヤーにも走ることを要求し、今より「速く早く」走れればもっとプレイが良くなるだろうというのが事実のように言われ始めた。事実それで結果も出るようになった(愛知県2位)
でも本当なのか?
少なくとも僕の長男は「走る」ことに意識が行くことで「プレイの精度」が落ち、アイデアを出す回数も減ってしまった。
それが彼のストロングポイントだったのに・・・。
走るサッカーに適応しきれない姿を見ながら、オシムスタイルが「至上のもの」のように言われ始めたことには大いに疑問を感じはじめたのです。
「速く早く」走れればもっとプレイが良くなる
これはあながち誤りでもない部分もあります。僕の長男も試合に使って欲しくて随分努力し走るスタイルを自分の物にしつつあります。出来なかったパスのリターンをもらう動きや意思を出せるようになってきました。例えるなら真似する相手が小野から長谷部へかわったってところでしょうか。
でもグラさん
サイドバック後方に戻させて目の覚めるようなサイドチェンジとか、右から来たボールをその場で左に流すと見せて右奥スペースに出すとかってプレイは無くなっちゃったんですよね。
昔は彼のプレイ(フェイク)でピッチ上の選手がゆれたんですけど、最近は敵も見方も流れるようです。
それって本当に進歩だったんですかね?
僕はオシムがそういうプレイをダメだと言わないだろうと思っています。例えばスピードのある小野紳二なら歓迎するだろうということです。
でもオシムの言うサッカー、オシムのメッセージを素直に聞いた選手がピッチに多くいた場合そういうプレイは間違いなく減少します。無くならなくても減少するんです。それが本当に日本サッカーの末端に良い影響「のみ」を与えるのでしょうか?
そんな事を考えながら子供たちのサッカーを見続けました。なんせ3人いますから仕事さえなければ練習で週に5日、試合で平均3試合は見に行ける環境です(笑)代表のサッカーを見なくてもお腹一杯になっていた。ジーコで負けてからそんな2年間でした。
それで思い至ったのがオシムはただ一人の監督に過ぎないという当たり前の事実だったのです。
>ぼくは、「良いサッカー」よりも「良いチーム」が好きです。
>個性豊かな選手が揃い、それぞれに特徴豊かで、それぞれにキャラが立っていて、それがうまいこと組み合わさって良いチームになっている、というようなチームが特に好きです。
>すさまじくよく走る選手がいる。歩いてサッカーする飛び抜けて頭脳的な上手い選手がいる。
>うまくはないけど激しい当たりで根性みせる選手がいる。ボール持つとすぐドリブル突破する奴がいる。ものすごい質と精度のロングキックする奴がいる。
>そんな奴らがそれぞれに特徴を出しながらサッカーしてる。
>そんなチームが好きだし、そんな連中が繰り広げるサッカーは必ず面白いものです。
子供たちを小学時代に教えてくれているコーチがグラさんとサッカー感が近いのでは無いかと思います。飲むと良く言うのが「Jリーガーよりサッカーがうまいヤツなんて日本にもいくらでもいるんですよ。お父さん」というセリフです。彼の考える「サッカーのうまい」は「自分がやりたいことをどれだけやれているか、やろうと出来ているか」です。上の子2人は中学生になり日本サッカーの流れに飲み込まれてしまいそうです。
でも三男(小4)のチームはみんな本当にサッカーがうまい!
「自分がやりたいことをどれだけやれているか、やろうと出来ているか」という視点で小2から2年間育ててもらうとこんなにサッカーがうまくなるんだと驚いています(長男、次男はチームが出来たのが5年生からだったので・・・)
そして自分のやりたいことをやろうとする子供たちで出来上がろうとしているチームを見ていることは本当に楽しいのです。
オシムのサッカーも普遍的だととらえるてしまえば「毒」になってしまうと僕は今では思うようになりました。ただしワールドカップで4年単位で結果を残すための監督としては悪くなかったどころかとてもよかったかもしれないとは評価しています。
代表監督との出会いを単に一期一会と捉えられるような選手は「自分がやりたいことをどれだけやれているか、やろうと出来ているか」という視点で育てられてはじめて生まれるのだろうなと今は思っています。
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