|
>gliderさん
これから議論を進めていく上で
まずフォーメーションは重要化という認識の問題があると思います。
それで、それについての自分の考えを書きたいと思います。
(確か前には日本人の身体能力という観点からでしたが、今度はもう少し普遍的なことです)
お話を聞いていると
「現代サッカーには、それを実行するために必要な包括的能力(オートマティズム)があって、それがあればフォーメーションなど全く関係ない、全ての実力差はこの包括的能力を身につけている割合で決まる」
というように聞こえてしまいます。
(もし私が読み取り違いをしていたら大変すみません)
私のサッカー観では、このフォーメーション(初期フォーメーション)が全く関係ないという部分は賛成しかねるんです。
確かにサッカーに限らず、チームスポーツの究極の理想は究極のオートマティズムを持った選手で形を固定しないでプレーすることかもしれません。
しかし、いまだかつてどの競技でもそんなチームは生まれていません。
この理想状態を100とすると
100は実現不可能です
攻撃に人数をかければ,守備にリスクを負う
「あちらを立てれば、こちらが立たず」
と言うことがサッカーに限らず必ずありますし、100を目指そうとすれば必ず破綻します。
なので、大体どの監督も実現しようと目指すものは理想の80くらいでしょう。
この80を監督の概念とすると
さらにその概念を選手に分かってもらうために
「妥協」して具体的に形に表されたものが
「初期フォーメーション」だと思うんです。
この「妥協」と言う部分がポイントで
概念を実際形に表した「初期フォーメーション」には
概念から足りない部分もあれば、余計な部分もあります。
私は教えられたことはあっても、教えたことはない立場ですが、
監督が自分の考えを選手に一番「効率良く」理解させるためには
「初期フォーメーション」(基準)を設定する以外ないでしょう。
(何か基準がないと動き1つとっても教えようがない)
で、この監督の「概念」と「初期フォーメーション」を合わせたものが「戦術」ではないかと思います。
結論ですが
「形だけ見ていても何も論じることはできませんが、形を無視していてもまた何も論じることができません」
図形化して説明すると
この理想状態を大きな円(100)とすると
この大きな円(100)の中に
監督の概念がそれよりも小さい円(80)としてあります。
この監督の概念は、当然監督によって違いますからそれぞれ何通りもあります、
お互い重なり合っているところもありますし
理想からはみ出しているところもありますが(笑)
全く同じと言うことはありえません。
そしてフォーメーションはその色々な概念を
さらに妥協して形に表したものなので
同じ概念ですら違う形を取ることもあります。
(逆もまたそうです)
よって様々な概念やフォーメーションごとに同じロジックもあれば、全く違うこともあります。
この戦術では働くけど、別の戦術では全く働かないと言う選手も当然出てきますし、
当然シンプルなフォーメーションもあれば機能させにくい複雑なものもあります。
そして、トルシエの戦術は間違いなく後者だとも思います。
|
|