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▼zukunasi_7さん:
あけましておめでとうございます。
とりあえず仕事をしなければメシが食えませんから、どんなにサッカーが生活の中でウェイトを占めているにせよ、仕方がないですね。
ただ、個人的には年々正月の気分が薄れて行くのが寂しい限りです。
「元旦から営業!」などと宣伝されると、何かハラがたってしまいます。
「たのむから三が日くらいはどこの店も休みの正月風情を味あわせてくれ」なんて思ってしまいます。
不況のおり、それもいたしかたないことなのでしょうが。
まあ業種にもよりますしね。
>私の棲む世界では30前などヒヨッコです。その人の個性など全く無視、こちらの要求を100%押付けます。多少極端な言方ですが、それで良いと思っています。
>本当に強い個性はその中からも滲み出てきます。いや、そうした中から磨かれて出てくる個性こそが本物です。こちらも無視できない存在感を主張してきます。そしてそれは、年齢などに関係なく、認めざるを得ないのです。
>そうした物でなければプロとして役に立ちません。簡単に押しつぶされる個性など、押しつぶしてしまったほうがその人の為です。
身につまされる話です。
企業側の思惑、イメージ、巨大な費用を無駄にできない事情、組織の仕組みとしがらみ、そんなものを踏まえて行くにしたがって、「俺はこうなんだよ」とは言いづらくなって行きます。
どうやってどこまで我を主張するのかが難しい所ですね、プロは。
しかし、そうした「リスクを負わないシステム」が面白いものを出にくくしているのも事実。
むろんそうでない所もありますが、この国は大部分で「安全なもの=リスクの少ないもの」を無意識的にも求めて行くシステムが強固に確立されていると感じます。
強い個性も出られるまでに時間が掛かり過ぎる、というのが表現のすみっこで仕事をするぼくの実感です。
ソリッドなものもその過程でソフィスティケートされ、個性は残るものの、「食べやすいもの」になって行く。
そして本当に危険な(故に意味のある)批評的個性は、ありのままの姿ではオーバーグラウンドには絶対に出てきません。絶対に。
ぼくは今の貨幣経済システムに限界を感じます。
そしてそれを打破するのは、まさにこのインターネットではないでしょうか。
ものを作る人、それを欲する人、欲する人も作る人、作る人も欲する人、すべての人間がそうあるべきだと思います。
流通の過程で中間搾取する組織、才能を「発掘」(なんて傲慢な!)し、「金」をかけ、それを世に出し「商売」する、そういったシステムはもう限界がきていると思います。
問屋、農協、レコード会社、出版社、代理店、そんなものもういらない。
人の作ったもの、人が汗を流して得たものを横流しして大金を得る、どこかおかしいと思いませんか?
話が大分それてしまいました。
ここはぼくの理想的社会論の発表の場じゃなくてサッカーの掲示板でしたね。
すみません(汗)
>すると、宮本はセナ?・・・・いや中島ですな。
宮本はまだテスト走行中ですね。
クレバーな新人ではあるが、まだ「車に乗せてもらってる段階」ではないでしょうか。
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