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▼gliderさん:
>ムキダシの危険な個性にこそ、文化的普遍性がある。
>本当にどこまでもそれを望まないと言うのであれば、文化を捨て去り安楽的金拝主義に身をやつす、ということです。
多分“どこまでもそれを望まない”と言う事はないと思う。人は安逸だけでは生きられないし、刺激的冒険だけでも生きられない。
>「食べやすいもの」を否定する気は毛頭ありません。
>それも研ぎすまし高めて行く過程には「真実」の力を内包して行く。
自分の存在意義はこの辺かなと・・・・
>しかし、いかなる表現もその本質は「死のヒモ」です。
ちょっと何をおっしゃりたいのか解らない「死のヒモ」とは?
>そこに「命あるもの」として「魂」が動くのです。
この辺は理解できる気がする。
>ぼくもいまいち乗れてません(笑)
>チャチな創造力を技術に換えてくるんで切り売りし、日々の食い扶持に変換するのみです。
>しかし、まあ楽しんでます。そして時に腹を立てたりしてます。
自嘲とあきらめ、そして抵抗と挑戦、その中を行ったり来たり。
自分を売る事に嫌けし、乗ろうとする卑しさを恥、
表現の場の有る事を感謝し、それを失う事を恐れてる。
>「人間」のあり方、「幸福」とは何か、何を為すべきなのか、為さぬべきなのか。
>少なくとも「貨幣」との間には主客転倒現象が起きている気がしてなりません。
>最低でも「金利という概念の廃止」はすぐに行うことができると思う。
>「地域通貨」も「デーマーク」も「人類の進化」なしには普及し得ないと思いますが・・・
ご紹介のサイト、読みました。しかし、所詮「貨幣」の代替品でしかないような。
全てシステムですよね。結局人間の善意に基づかない限り、何をやっても同じような気がします。(サッカーと同じ?)人間次第、そういう意味での「人類の進化」なのかな?
但し、偽善的善意では何の解決にもならない。悪を包含する善て有るのだろうか。
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