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どうも、daiさん、zukunasi_7さん、反応が遅れてすいません、コルグです。
ポーランド戦の議論は終息したのかなぁ、と勝手に思ってました。
さて、ぼくが、前回のポーランド戦に関して述べたことは、あまりあてになりません。スポーツバーで知人が大騒ぎしている横でみていたので。まぁ、そういうことは関係なくあてにならないという説もあります。ぼくの書いていることは、観戦したサッカーというよりは文法に左右されています(笑)。
daiさんが明快にまとめてられますが、宮本に関して、「ノーマルDF論」者と「ファンタジスタ論」者がいるということでした。ぼく自身は、前者に近い意見だと思います。後者は、実現すればかなりおもしろいと思いますけど、少々、ロマンティック(?)だと思います・・・。
そもそも、フラット3という名前のせいもあるのかと思いますが、ラインコントロールに注目する議論と、ぼくがトルシエのサッカーにみている点とは、少し、違うように思います。
日本代表の練習でも散々行なわれている(らしい)ように、相手ボールホルダーの身体の向きなど、さまざまな情報に即して、ラインを上下させるわけですが、これは基本的にはデータをいかに駆使するか、という部分であって、トルシエその他コーチによる科学的な解釈をプレイヤーに練習で刷り込み、実行させているにすぎないと思います。トルシエのデータの活用はそれまでの日本のディフェンスと比較してかなり精密だろうとは思いますが、べつにそれは新しくない。ディフェンスラインを高く保てているのは、もちろん、実行者の遂行能力もありますが、それよりもデータの活用によるところが大きいと思います。もちろん、その目的は、フィールドをコンパクトにしてプレスをかけやすくする(ひいてはボール奪取する)ことですから、ラインのコントロールは、日本代表のディフェンダーに選ばれた以上、誰もができなくてはならない。また、そのコントロールは、とくにセンターの人間(森岡や宮本)がすると、厳密に決まっているわけでもないと思います。たとえば、ウクライナ戦やポーランド戦の宮本の果敢なチェックと松田らの素早いフォローなどから勘案するに、特定の誰かがコントロールの指示を出しているわけではないし、スピードが増す強豪相手にそれでは間に合わないと思います。もちろん、結果的に、指示を出すのは真ん中になることが多くなるでしょうし、その方がベターですが、それらは、あくまで、動きのそれほどない時のものか、あるいは補正的なものにすぎないと思います。
つまり、ラインコントロールは、そもそも、明確にシステムの部分であるということです。もし、宮本のいるフラット3の方に、森岡のいるそれに比してラインコントロールに、より精密さを感じるとすれば、それは、システムのほころびに対する補正の部分に違いがあるということです(もっとはっきりした言い方をすれば、その程度でしかない、ということ)。もちろん、精密にラインコントロールできるにこしたことはないですから、精度の高さだけを考慮するなら宮本を選択する、という可能性は当然ながらあるでしょう。しかし、ラインコントロールだけで≪すべて≫守ることができたとしても、それは、フラット3の任務遂行能力をもちろん評価するとしても、トルシエの集めた科学的データとその解釈の正当性でしかありませんし、本当にトルシエがそんなことを考えているとしたら、自信過剰の傲岸不遜です。トルシエは、データの解釈に関して、かなりの自信をもっているでしょうが、しかし一方で、それが科学的なデータに過ぎないことも、よく承知しているはずです。
この問題は、結局、トルシエとまったく同じように、プレイヤーにもあてはまります。ラインコントロールというのは、あくまで科学的データに基づく確率の問題であって、最後は、そのデータと、現実のサッカーとのあいだでプレイヤー自身が(主体的に)判断して、どう動くかを決めねばならない。
ポーランド戦に関して、宮本がよくなったなぁ、と感じたのは、やっぱり、ぼくから見ると、かなり素早いチェックに対してです。そして、彼自身がそのように動いていることが、「ファンタジスタ論」の本人による否定ではないかと思いますけど、どうでしょうか。
蛇足ですが、トルシエのシステムにおいて、ディフェンダーと、ミッドフィルダーをわかつ点というのは、ひとつしかありませんし、それもあまり明確なものではありません。オフサイドラインにいることが多いか否か、それくらいです(しかし、これは決定的な違いであるとも言えます)。
トルシエは、フォワードとキーパーのコーチをフランスから呼ぼうとしていました(パパン(だっけ)は実現せず)。その意味では、この二種類のポジションにトルシエのシステムの基本から逸脱する部分――すなわちゴール――があることを見てとってよいわけですが、その他の部分に関して言えば、基本的にはチーム一体(アマルガム状態)でディフェンスし、またオフェンスすることが主眼となっています。
日本代表の攻守の切り替えの速さは、この点に存していると思いますが、トルシエの窮極の理想をいえば、おそらく、ディフェンダーは少なければ少ないほどいいはずです。いなくたってかまわないと思っているに違いない。4ではなく、3というのは、その理想(と現実)の現れだと思います(アジア相手には、一度、2を試しましたね)。フラットラインというのは、あくまで所与の条件(オフサイド・ルール)に対するものであって、チーム全体での主体的なディフェンスにこそ、≪個≫であり、かつ≪全体≫であるという、彼の哲学が明確に現れていると思います。トルシエが苦労しているのは、まさにこの部分だと思うのです。つまり、チーム全体のことを考えさせながら、なおかつ、チームに埋もれず、主体性を失わないプレイをさせるか、という点です。そして、実際にプレイヤーやゲームを見ていて思うわけですが、その実現の度合いにおいて、トルシエというのは、本当にすぐれたコーチだと思うわけです。
では、長文失礼しました。
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