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▼ロバさん:
おかえりなさい。
横レスになるので、ズクナシさんからのレスの後にしようと思っていました。
>ディレイはF3のにおいては基本に組み込まれた技術だと思います。
>「ボールにプレスがかからなかったらラインを下げる」はディレイそのものです
基本的には、ゾーンバランスの維持のために、「ボールにプレスがかからなかったらラインを下げる」のではなく、ボールが(相手にとっての)前方向に移動したらラインを下げる、というが本来です。
そして、もちろん相手のボールホルダーにフリーでライン前で前を向かれたら、距離を取ってディレイし、味方の援護を待つという方法を取らざるを得ませんが、それはやはり「緊急対処」でしかありえないでしょう。
なおかつ、一流レベルの選手相手では日本のDF陣の距離の開け方は「開け過ぎ」であり、「どフリー」にしているのと同じことになっています。
彼等は何もプレッシャーなど感じていないだろうし、そこでラインを揃えている意味など何もない、ということ。
なんとすれば、いままでのそういった場合の多くはラインの中に相手FWに入り込まれ、日本のラインコントロールの原則はすでにバレていて、オフサイドポジションにおきざりにもできず、そこへ持ってきてパサーが「どフリー」の状態ではラインの裏を取られることは必定のようなもの。
だから、「そんなところでいつまでも3人仲良く並んでないで、余っているならさっさと行け、残りは次への予測をして自分の判断で動け」と言うのです。
そして、どうせ行くなら意味のあるものにするために少しでも早く、できたらレシーバーにパスを受けさせない、でなくても前を向かせない、できなければ何としても潰せ、と言うことです。
そして、実際にそういうふうにやろうと進化してきています。
トルシエが教えたことは、魔法のラインコントロールでも何でもなくて、ただの基礎です。
ボールの動きに合わせラインを上下するのは、コンパクトフィールドのためとDFへの意識の集中密度を高めるふたつの効果。
それを徹底してやったからこそ、日本はアジアレベルにおいてその本来的な目的たる「ボールオリエンテッドに守る主体的なディフェンス」を実現しました。
それが可能であった原因は、日本の方が速度的に勝っていたから。
日本の組織の反応速度についてこれず、それを破る方法を持たず、ただ日本がつくり出すコンパクトな組織の中、オートマティズムとそれによる素早い攻守の切り替えに圧倒された。
でも、今度の相手はワールドカップ常連の世界の強豪達。
いくら真新しい戦術を徹底してもその基礎だけで守れるはずがないのです。
「ボールにプレスがかかっていなければラインを下げる」
それだけではもうディレイにならないのです。
>その「ラインを下げる」こと自体をも嫌って、下げるくらいならDFラインから
>誰かが飛び出してプレスをかけることにより、中盤のプレスがかからず下がって
>しまうことをも予防しようというものすごく攻撃的なDFです。
そうではありません。
攻撃的なのではなく、効率の話です。速度の話です。必然の話です。
中盤でボールにプレスがかかっていない。ボールは進んでくる。
で、ラインを下げる。
MFは必死に戻り、後追いで相手にプレッシャーをかけようとする。
なんて無駄な!
いずれにせよ、ライン前で相手をノープレッシャーにし続けることなんかできるわけないのだから局地的な瞬時の状況の中でバックが余っているのなら行けばいい。
そこでラインのカバー(あるいはあたりに行ったDFのフォロー)をMFがやった方が、時間的速度的エネルギー的守備状況的メンタル的にはるかに高効率。
どちらが「ディレイ」になるのか。
どちらがプレイエリア的に有利なのか。
考えるまでもないことです。
できなければ相手の速度にいつまでも追いつけない。
よって、支配され続ける。
仮にそこでラインを揃えてオフサイドを取れたとしましょう。
でもボールは最終ラインの上です。
そしてそのFKもたいていはロングキックして競り合いに負け、相手ボールになるのがオチです。
ならば、どうせ動きはバレて不利な駆け引きの中、取れもしないオフサイドなんかいつまでも狙ってライン揃えてなんかいないでさっさとボールを奪いに行きましょう。
そこでうまいこと奪えればカウンターのチャンス、得点のチャンスになるのですから。
ラインがフラットだけで相手の思考がディレイできる、なんて低いレベルの選手だけです。
フランス、スペイン、いやセネガルやウクライナさえ、「チャンス!」と思ったでしょう。
FWとのコンビで裏を取る、自分の動きで相手を釣りFWを抜け出させる、自分の動きでコースを作ってミドル、ドリブルで抜け出してシュート、いろんなことをさせる時間を与える。
高いレベルの選手相手でも本当にディレイするためには何が必要か、を考えなければなりません。
>でも潰せないようなフォアチェックを、あるいは相手の攻撃を遅らせることの無
>いようなファアチェックをしてもらっては困ります。
ぼくは困りません。それでも行かないよりはマシだからです。
何故なら、行かないで無意味なとこでウロウロ余っていたって仕方ないからです。
そして行かなければ誰かが(たいていは戸田が)犠牲にならざるを得ないからです。
いままで、中盤へバックがプレスに行ってカラ振りし、それで決定的なピンチになったことがあったでしょうか?
それ「だけ」ではさして困らないのですよ、実は。
オートマティズム、ゾーンバランス、ということが守られていれば。
そういう「ミス」がふたつ以上重なった時には必ず大ピンチになるだけです。
あまりに失敗ばかりだと「ならもう行かなくていいよ、ボケ!」と言いたくなりますが(笑)。
システムの基本から言っても、ゾーンバランスの中での収縮、という面からなぜバックスだけがそれを守らないで良しとするのかがわかりません。
それは「オートマティスム」。フォアチェックもへったくれもありません。
適切なゾーンバランスとその素早い収縮、ボールオリエンテッドに主体的に、ボールに対してのプレスをできるだけ絶やさず、コンパクトにサッカーする。
全員の意識、距離を緊密に保ち、すばやく反応し動き、カバーしあいフォローしあう。
それが皆で守るということ。
それがこのやり方の良さ。
それが「サッカーはコミュニケーション」と言ったトルシエのもたらした考え方の良さ。
ライン前の守備を戸田ひとりに押し付けて、自分は安穏と後方で余っている。
そんなのどこも「安全」でもないし「ディレイ」にもなってないし、「皆で守っている」ことになんかなるわけがありません。
ぼくは、専門用語はできるだけその言葉本来の意味から離れないようにしないと意味の拡大化はしょせんさけられないし、しまいには人によって解釈が違うワケがわからないものになる、と思ってます。
そういう意味では「フォアチェック」なんて古臭い言葉だと思います。
ぼくはバックスの中盤でのプレス参加に対し、「フォアチェック」などと思ったことはありません。
コンパクトフィールド、プレッシング・サッカーがもう当たり前のように、バックスに機動性が必要なのだって、もう当たり前の時代です。
そうした中でもバランスを失わないために、トルシエは「オートマティスム」を叩き込んできたのです。
それは全部、個人の判断力やスピードを生かすためにやっているべきことです。
個人が自分の判断で積極的に動けるようにするためにやっていることです。
だから今のようにこうなっているのは、当初からの予定、最初から求められていたこと。
むしろここまで来るのが遅すぎた、とせっかちなぼくなどは思ってます。
で、宮本はもう間に合わない、と思っているのです。
かろうじて松田、せめて3人ともあのくらいにはできないと、まともに決勝トーナメントなど戦えない。
そう思っているのです。
やるからには優勝を目指す。
全部勝つ。
勝てるだけのポテンシャルを備えねばならない。
百歩譲っても、そうした所まで行こう、行きたい、そういう意志で戦えねばならない。
勝負はより勝つという意志が強い方が勝つ。
「まあ、力はあっちのが上だけど」では偶然のような勝ち方しかできない。
勝負はそれでも水もの。
結果自体よりも、そういうチームであったかどうか、が今後のためにも重要だと考えてます。
戯言と言われても仕方ないけど、それくらいのつもりでないなら参加するな、と思います。
予選リーグ突破、なんて情けない目標なんか聞きたくない。
目指すは優勝。それのみです。
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