|
▼amoさん:
>おひさしぶり、ですがずっと読ませてもらってます。
おひさしぶりです。
最近、書き込むのもたまになっているので、そろそろ皆さんに忘れられた頃かと思ってました(笑)
どうもありがとうございます。
>地力に劣る日本があまりに「人間的に」チームを作っていて間に合うのでしょうか・・・。
そこがまさに監督の腕の見せ所、と思うのです。
「好き」「合う」同士を集めて仲良しこよしとやるのではなく、特に「代表」というのは、技能、頭脳、成熟度、精神力、そうした本当の意味での「能力」の高い人間を集められるのですから、そうした選手を集め、それで「強固な集団」を作って行く。
中心になりうる選手もいれば、名脇役となる選手もいるでしょうし、中には化学反応を起こす組み合わせもあるでしょうし、うまく行くと思ったのにそうでもない組み合わせもあったりするでしょうし、そうしたまさに様々な要素を含み、それぞれの役割を見極め、うまく能力を発揮させ、チームを機能させて行く。
皆プロだし、それが代表ともなればそれなりにはやるでしょうが、本当の意味で「チーム」にできるかどうかが、監督の手腕というものではないかと思っています。
仲が良い、うまく行っている、雰囲気が良い、そういうレベルではなく、本当の意味での「チーム」、個々のキャラがきちんと立った上でしっかりとひとつにまとまり、集団として唯一無二の個性をも得ている、そんな本当の意味での「チーム」にできているのか否か。
それが強いチームとそうでもないチームの分岐点。
アップセットを起こしうるチームであるか否かの分岐点。
それは戦術を刷り込むとか戦略を構築するなんてことよりも遥かに難しい作業と思いますが、ゆえにそれが「監督」たる者の最大の仕事、それさえうまく行けば、後は自然に転がって行く(そこを間違えて壊してしまう場合もありますが。アトランタの西野のように。)ものだとすら、ぼくは思うのです。
>サッカーのストラテジー以前に、チーム作りのストラテジーがない。
>チームスポーツにあってはそれこそが両輪なのでしょうね。
もうひとつ、これは「チーム作り」にも含まれるかと思うのですが、監督というのは「優れたモティベーターであること」が大事だと思っています。
勝負ごとというのは、勝利に対する意欲と確信が強い方が勝つ、という要素がそうとうに強いと思うので、まずは個々を含めチームをモティベートできること、自信を植え付けること、トレーニングも状態管理も戦術も戦略もすべてはそのための要素にすぎない、ということであって、監督としてやらねばならないことというのは、チームをモティベーションの高い状態に保つこと、パワーの高い状態に置くことが肝心だと思うのです。
例えばディフェンス陣と攻撃陣で意見が分かれ、反目しあっている状態なんていうのは、大きくパワーロスしている状態で、個々のモティベーション・メーターも上がらないだろうし、勝利に対しての自信、なんていう状態ではないわけですよね。
だから逆に、トルシエのように監督自らが嫌われ者になることによって、選手達が「今に見てろよあの野郎、コケにしやがって。俺たちは強いってことを見せてギャフンと言わせてやる」みたいな怒りのパワーで選手達を一体化し、エネルギーとモティベーションを充満させる、なんていう少々ネガティブなやり方だってひとつの有効な手段になる。
それにしても、やはり「中心になる選手(達)」というのはやはり重要な要素で、刻一刻と変化する試合の流れの中でも揺るがぬ自信の源になれる存在、あるいはピッチ内外を問わず精神的支柱になれる存在、皆の気持ちをまとめられる存在、そういう存在の有る無しでは大きく違うものだ、ということをこの五輪の男女の日本代表チームの差は教えてくれたと思います。
澤がいた女子。いなかった男子。
イチローがいたWBCでの王ジャパン、いなかった北京の星野ジャパンも同じことでしょう。
>サッカーにもしょんぼり、でしたが・・・
まあ、サッカーは男子は最初から期待してなかったし、なでしこが期待以上だったし・・・
ぼくはオグシオの敗退が一番残念だったというか(笑)
|
|