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▼KINDさん:
>「長期のトレーニング期間を経ればよくなる」そりゃ当たり前です。そのあたりも同意。下地を積んでいただろうのというのも同意。
「当たり前」なわけない。
22、3の若手のチームで、「当たり前」のわけがない。
トルシエのシドニーのチームはトルシエ本人も認める通り失敗だった。
この年代は難しいよ。
>でも、これってやっぱりおかしいでしょう。イラク侵攻によって最終予選が延びたことはどうしようもないこと。しかし、本来この五輪代表は昨年の3月までに出来上がってなければいけなかったチームであるわけです。
それはちょっとおかしいんじゃないの?
本来、最終予選は2003年8〜10月に行われる予定。
2次予選の相手はミャンマーで、できあがってようとなかろうと負ける相手でもない。
さらに、最終予選の延期と同じく、ワールドユースもイラク情勢によって延期されていて、山本監督の頭の中には当然ユース組の合流は最終的なチーム作りの中で予定されていただろうから、「昨年3月までにできあがってなければいけなかった」というのは事実無根というか、そんな予定はどこにもなかったろうね。
イラク情勢やSARSの影響がなければ、ワールドユースが3月末に開催され、8月〜10月開催の最終予選までに山本監督はユース組を合流させたチームを作り上げる、という手はずだったと思う。
それがワールドユースが延期され、最終予選も2004年3月集中開催と決まったわけだから、その時点でスケジュールを訂正、12月のワールドユースの後、Jリーグ開幕前の期間を使ってまとまった時間の強化キャンプをし、3月の最終予選に備える、というスケジューリングはしごく妥当であると思う。
というわけで、
「締め切りが伸びたから助かった」というのは勘違い。
もしももろもろの延期がなかったら、Jリーグ・ファーストステージの合間と8月の中断期間を使うしかなかったろうから、苦労はそれなりにしただろうとは思うが、それでも最終予選には間に合わず、突破五分五分の確率で突入していた、なんてことにはなってなかったと思う。
それよりも、ワールドユースの延期が先に決定していたわけで、そのまま五輪最終予選が延期されなかったら、ユース組の合流なしでのチーム作りを進めなければならなかったわけだから、その方が困っただろうね。
しかし、実際にはワールドユース延期決定後ほどなくして最終予選も延期になった。
予定がすべて先にズレこんだ、というだけ。
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