|
ちょっと思い出したことがあって、自己レスします。
>みんな監督のいいつけを盲目的によく守る良い子ばかり、って感じなのがどうも気に入りません。
>いろんな個性のいろんな選手がそれぞれにフルに能力と個性を発揮し、それが上手に融合したチームをこそ、求めている。
>そしてそのそれぞれの個性は、強ければ強いほど、面白い。
>ぼくは、もっとひとりひとり個性を出して欲しいと思うし(発掘する時期というならなおさらですね)、そうでなくては本当に強いチームになれないとも思う。
こういう点、どこか覚えがあって。
ハタ、と考えてみたらアテネ五輪の予選の時でした。
そして言うまでもなく今の代表チームの中心はこのアテネ五輪世代。
五輪予選の時と同じ問題点を抱えている、ってことでもあるようですね。
そのことについて、当時ぼくが引用した、アテネ五輪アジア予選U-23日本代表と対戦したUAEのジャン・フランソワ・ジョダール監督のインタヴューです。
「日本の選手のプレイからは、ある傾向がはっきりと見受けられる。プレイがあまりにも画一化されているんだ。監督が要求するプレーを忠実に心掛けているだけで、インスピレーションやクリエイティヴィティーといったサッカーにおいて重要な要素が欠けている。実際に対戦してみると、以前にアーセン・ベンゲルから指摘されたことが正論だとわかったよ」
「相手ゴールから20mのエリアでは、各自が持ち味を出して、相手DFを驚かすようなプレイを見せるべきなんだ。しかし、教科書そのもののプレイをしてしまうのは、日本の文化なのであろう。ジダンやマラドーナと同じクオリティの選手など存在するわけはないが、少なくとも似たタイプがいないとゴールは遠いままだ」
ぼくもまたジョダールと同じように、インスピレーションやクリエイティヴィティーを「サッカーにおいて重要な要素」と考える。
「各自が持ち味を出して、相手DFを驚かせるようなプレイをすべき」とも思っている。
「各自」ってからには、ひとりやふたりじゃないとも思っている。
そして今の代表からは「画一化」の匂いを少々感じてもいる。
知将オシムから発せられた「考えて走る」というキーワードに「画一化」され気味な日本のサッカー・・・オシム監督が要求するプレーを忠実に心掛けている代表達・・・
かつてぼくは、こんなことも書いています(FJ C&R)。
「日本代表のサッカーとはどうあるべきなのか、それはひとりの監督によってもたらされるものではない。
トルシエだろうとジーコだろうと。
ベンゲルだろうとサッキだろうとです。
それは、日本のサッカー全部で求めるもの。
歴史、現実、国民性、趣向、質、理想、そうしたもののトータルで意識的、無意識的にも求めるもの。
作り上げるもの。」
願わくば、個々がもっともっと主張を。
強いプライドを持った代表戦士達であることを。
もっと個性的な集まりであることを。
|
|