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▼mitsuさん:
ぽれー(学校のPCには辞書登録されてない、くそう)
>あいかわらず会社がヒマです・・・。
なぜか学校が忙しいです(5年目)
>今となってはトルシエは過去の人でトルシエがやったこと、残したものはともかく
>人となりなどはどーでもいいことなんですがちょうど備忘録を読んでる途中だって
>こともあって(笑
なぜか卒論のテーマです(取るし絵
>さりげに意外であり、少し「まぁそうだろう」とも思うし「あぁそうなのか」
>という感想もありつつ(笑
>トルシエはいい意味でサッカーバカだという印象を持っていたのだけれど
>必ずしもそうじゃないんだな、と。
>
>あの土壇場でダバディから
>
>>「あなたはきっとスケープゴートにされる。
>>だから、稲本を外すのはまだしも両方外すのはぜったいによくない」
>
>というアドバイスが出るということに意外さを感じました。
>ダバディのW杯後の言動を見るとこのぐらいいかにも言いそうなわけですが
>そのアドバイスがトルシエにとって有用だとダバディが考えていたということ、
>が少々意外だったなと。
これなんですが、駄馬ディは一般に言われている「通訳」という仕事は一日のうち2時間しかしていなくて、それ以外でトルシエと仕事をするときは「パーソナルアシスタント」として、フィリップ・トルシエ個人のプロデュースを担当していたようです。つまり、フィリップ・トルシエという人間をどう売り込むかというだけでなく「どのような人物のように見せるか」という部分で。
たとえば、トルシエは特に階級社会が厳しいフランスにあって下層階級出身(本人も肉屋の息子、と言ってたとおり)の人間で、下層階級しか使わない特有の訛りとかがインタビューで出るので、そういった部分を駄馬ディがきれいな言葉に直したりすることに気を使っていたようです。基本的にトルシエはサッカー馬鹿すぎるサッカー馬鹿なんですが、それゆえ直情径行になりすぎ、またFJでもたびたび議論されていたように「敵を作らないとやっていけない」人物なので、そこらへんのバランス取りもかなり駄馬ディががんばっていたようです。
このアドバイスについては、どういう意図でやったのかという部分はよく覚えてません。自分の意見としては、やっぱり今までのマスコミ不信であったり、ファンに対する疑念みたいなものもあったのかな?と思いますけどね。ネットではボリビア戦におけるトルシエ・コールが「マスコミの情報操作から解放されたファンが、自立した意思でトルシエの有能さを見抜いた」という解釈が一般的のようですが、あれは単純に「マスコミが変だぞ」→「マスコミにあんだけ言われてるトルシエかわいそう」→「トルシエ・日本」になっただけのようにも見えますしね。つまりマスコミのトルシエバッシングの裏返しなだけ、と。
>ま、いずれにせよ私の「妄想」ですが(笑
自分も途中から妄想です(汗)
>機会があったらダバディの本も読んでみようかな
自分が、24だからということもありますけど、すごく面白かったです。駄馬ディはトルシエの「通訳」として雇われたのは24のときで、すでにそのとき俳優・映画ライター・モデルとして年収が1000万近くあったそうで。で、協会からは最初月給24万円しかもらえなくて、アジアカップ優勝を機に「通訳という仕事はわたしの仕事の10%の部分しか表していず、適当ではない。仕事に見合った待遇・役名を与えられないならここでやめる」というふうな圧力をかけて、晴れて肩書きを「パーソナル・アシスタント」にし、月給もかなりあげてもらったようです。同年代として、すさまじい劣等感を感じます。うわあん
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