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「批判はしても、建設的な批判でなければならない時期」2002/5/27
好みの選手が入ってないから選手選考が気に食わないなんてのは話しになりませんね。「中村が入ってない」とか「鈴木秀人が入ってない」とか、それは単なる個人の好みの問題でしかなく、ずっとトレーニングをしてきて、試合をしてきて、その中での選手の能力、態度、チームバランス、そういったもろもろの面から最良の「チーム」を選択したのであって、そういったもろもろの面を一番よく知っているのはトルシエをはじめ代表チームのスタッフであり、マスコミでもファンでもない。
采配。
ひとつひとつのテストマッチの捉え方が未熟なこの国では、近視眼的な見方になるのはやむを得ないのかもしれないが、こと「チーム作り」や「その試合の意味」という点においてトルシエのこれまでの試合での采配には何らの疑問の余地はありません。
親善試合にはいつも何らかのテーマが設定されていたし、采配もそれに適応したもので、その「テーマ」を理解していればどこも「理解不能」などではありませんでした。
戦術。
相手が研究してくるのは当然で、それで即崩壊するのを「監督のせい」などにするのが「子供社会」たる悪い癖。
ピッチの中は選手のものです。
風間氏が言っていました。
「バクスターの時、バクスターがぼくに言ったのは『お前、ここやれるか?』ってだけ。で、ぼくは『ああ、やれるよ』と。それだけ。外人監督はいちいちこうやれああやれとは言いませんから。他の日本人選手達は『で、どうやればいいの?』ってぼくに聞くんですよ(笑)。『どうするかを考えるのは俺達なの!』って。」
戦術なんてものは信号機みたいなもんで、「やりやすく」するためのものでしかなく、「絶対にその通りにやらなくてはならない」ものなんかじゃない。
与えられた武器をどう使うか、どう工夫して行くかを考えるのは監督ではなく選手です。
森岡にしろ松田にしろ中田浩二にしろ戸田にしろ、ひとつ課題がでればその次にはよくやっていると思う。
何か問題が出るたびに「どうすんだ?トルシエ!」とオタオタしてるのはマスコミや一部のファンだけですね。
本番が近付いている今、ことここに至って代表に必要なのは最高のコンディションに持って行くことであり、余計な雑音等は邪魔にしかなりません。
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