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▼ロバさん:
>中盤の底で変化をつける事やボールの流れを良くすることに喜びを感じるプレイヤーに育ってしまいました。
良いですね〜
レッズのユースに入れませんか?(笑)
>それって本当に進歩だったんですかね?
速いプレイができるようになった。
それは進歩だと思います。
でも、右から来たボールをその場で左へ流すと見せて右奥スペースに出す、というようなプレイを忘れさせてはいけないと思います。
相手の意表を突く、裏をかく、というのは「サッカーの基本」だとぼくは思っています。
サッカーとはそういう競技だと信じています。
あの時、一緒に見たパラグアイのミニサッカーには、そんな要素がぎっしり詰まってたじゃないですか。
その読みあい、その駆け引き、ぼくは「これこそがサッカーだ」とあの時感じたのです。
日本はまだまだ全然だ、と感じたのです。
でもぼくはいつの日か、日本のサッカーも「適正化」すると思っています。
その日のために、そういうプレイを忘れさせてはいけない。絶対に、です。
走って走って、早く速く、そんなのただの流行です。
流行だから、「そればっかり」になるんです。
それは日本のサッカーがまだ幼いから。
そういうプレイ「も」やると効果がある、ということにすぎない、とぼくは思います。
>それで思い至ったのがオシムはただ一人の監督に過ぎないという当たり前の事実だったのです。
そうです。
旧ユーゴから来た、一人の良いコーチってだけです。
ぼくは彼が千葉でやっていたサッカーに最初から懐疑的だったので、ハナから「ただの監督」としか見ていませんでした。
だから必要以上に客観的だったかもしれないけれど。
>飲むと良く言うのが「Jリーガーよりサッカーがうまいヤツなんて日本にもいくらでもいるんですよ。お父さん」というセリフです。彼の考える「サッカーのうまい」は「自分がやりたいことをどれだけやれているか、やろうと出来ているか」です。
良い指導者ですね。
そんな人と酒を酌み交わし、サッカーを語れる幸せ。
しかも自分の子供という直接のかかわり合い。
うらやましいですね。
>ただしワールドカップで4年単位で結果を残すための監督としては悪くなかったどころかとてもよかったかもしれないとは評価しています。
ぼくもそう思います。
あの監督は、こと「結果」に関してだけは心配がなかった。
でもプロスポーツというものは、「結果」だけではどうにもならんものですから。
ぼくは今でも、監督なんていうものは、「選手をうまくモチベートし、チームをひとつにまとめる」ことさえできればそれで良いと思っています。
どういうサッカーになるか、なんて選手次第で良いと思っています。
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