|
▼gliderさん:
>棍棒がチタンになろうと、役に立たない時は役に立たない。
>木製でもチタン製でも使えない時には同じです。
成る程、確かにおっしゃる通りです。
>でもそれは木製では10回だったものがチタン製だと11、2回になる程度の話でしょう。
>もちろん1、2回でも増えるのならば増やす努力はせねばなりませんが、現実としては残りの20回の方が優先課題になるでしょう。
>そしてぼくは前々からその20回のシチュエーションで早く捨てるべきだと言い続けてきたつもりです。
興味深いのは、道具の対応範囲を10回程度とし、対応できない物を20回とたとえている。さらにバージョンアップによる上積を1・2回としているあたりです。
サッカーと言う競技の性質を、グライダーさんがどのように捕えているかをあらわしている様にも思えます。それとも私の深読みのし過ぎでしょうか。
私はたとえサッカーと言えども、1試合の中で全く予測不能の事態と言うのは、それほど頻繁には起らないと思っています。
敵の攻撃に関して言えば、4・5人の動きであり、たとえそれが10人になろうとも、局面で見れば2・3人の動きのパターンでしかありません。ボールは一つしかないのですから。
ですからモデルケースを想定し、パターンを分類し、それらを選手に事前にインプットし、自軍の基本守備戦術に対応力・応用力を付加する事は可能と思います。
(この辺は罵倒されそうな気もする、お手柔らかに)
問題点は2つ。
一つ目は、実際におこる事象は、モデルケースその物ではなく多くの大小の違いが有る事だと思うのです。(パターンの中の変種)
選手はそれらに対応する為の応用力・判断力を養い高める必要が有ります。
二つ目は、数少ないであろう(私の見解では)不測の事態が、致命的な一点になる可能性が非常に大きい事だと思います。(だからこそファンタジー)
これに付いては、選手の機動力・決断力・戦術眼に頼るしかないのでしょうか。
>まだ遅い。もっと早く。もっと「個」としての機動力を。
何れにせよ、この事に異存はないです。考えてみれば、当り前の事なので。
>本質的なことを言えば、誰がどうスライドしようとどう上がろうとどうポジションしようとそれは相手と試合状況によるわけだし、ぼくは関係ありません。
この辺の事は、最近やっと、グライダーさんのおっしゃりたい事を理解できるようになったつもりです。
>そうではなく「何をなし得るのか」がぼくには大事なのです。
>それは結果のことではなく。
>そういう意味で、今の代表のグループの現在は、「何ができるのかが見える」のです。
>その「何が」がつまらんのですよ。
この辺になると、グライダーさんに見える物が、残念ながら私には見えない。
サッカー歴の問題なのか、センスの問題なのか、サッカーへの取組みの差なのか。
余談ですが、あるSF小説で、言葉の代りに、相手の見ている物・考えている物を直接視覚的テレパシーを使ってコミュニケーションすると言うくだりが有りました。ようは相手の見ている物、考えている物が直接見えるのです。私にもそれが欲しい。
今私に見えているもの、感じている事。
以前より組織が硬直しているように感じる。
とくに右サイド。何だか右だけを切離してしまい、波戸に右のスペースを潰させて、その他の部分だけでサッカーをしているようにすら感じる。
もっとDFラインと中盤の底とが、流動的と言うか、緊密にと言うか、何と言うのか語彙の不足を感じますが・・・・・
左サイド、小野を高く維持する為か、全体に無理をして難しくしているように見える。別に小野が守備の為に下がったって、かまわないと思うのだけど。それによって小野の個性が潰されているとは思わないし。
稲本選手はいいですね。3ボランチ(用語の問題は置いといて)には可能性を感じます。
>だから声を大にして今だから言いたいのです、もっと「個」としての機動性と判断力をスープアップし、柔軟な組織になってくれ、と。
>1.5倍のスピードと立体的な創造性を、と。
>それを可能にするのはグループとしての強固なつながりと個人の意識ですから。
>まだ間に合う、これからだ、とぼくは思っています。
>去年が本当の意味でのそのスタートだったのですから。
グライダーさんの言われるDFの早いフォアチェックには大賛成です。ただそれが恒常化するのは少し怖い。なぜなら、それを狙われそうで、つり出されてはたかれたら。
その為にもDFどうしの、そして中盤との連携を高めないと。
以上取り止めも無く、長々と失礼しました。
|
|