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▼Daiさん:
>「ヨーロッパの国々にはそれぞれに古い伝統があり、先祖代々伝えられてきた独自の文化というものがあり、そういったものが他国の文化が入ってくることで文化の多様化を引き起こし、またその国の文化が他国に流失してしまうことで独自性は失われてしまう」
この話、なんだかぼくは「自動車」のことを考えてしまいます(笑)
昔の英国車とかイタリア車とか、ほんとうに個性的です。
英国車はどこまでも「よく曲がる」ことを基本にしていて、イタリア車はどこまでも「気持ちよく回る(エンジンが)」ことを基本にしていて・・・
で、イギリス車で言えば、よく曲がるための基本設計やシャシデザインにはそりゃあとことん徹底的にこだわるけど、電気系なんかの精度や作りなんかは、どうでもいいと思ってるんじゃねーのか、ってくらいいーかげん。
イタリア車で言えば、雨なんかふらねえって思ってねーか、ってくらいサビとか気にしてないし、どっちもボディの細かいチリなんか、素人の手作りかよ(笑)って思うくらいに不正確。
そういう総体が「らしさ」となって表れています。
でもそれって、いつまでも続くことでもないですよね。
やっぱり国際化して行く中でメーカーとして生き残ろうと思えば、部品の精度もちゃんとしなきゃならないだろうし、安全にも気を使わなきゃならないし、全体の品質を上げて行かなきゃならない。
でも、その奥底にある「スピリット」のような部分は確実に受け継がれて行くもの。
それがないメーカーは、長いスパンで考えるとやはり淘汰されてしまう。
それがあるメーカーは、例え一度は潰れたって復活しようとする者が必ず現れる。
そういうものです。
だから、ぼくは今のサッカーが昔に比べてお国柄が薄れたっていうのはある意味で正しいけれど一面的な見方だと思う。
昔には昔の、今には今のあらわれ方があるってだけじゃないのかな。
>ネット界のクライフですね。
勘弁して下さい(笑)
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