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▼gliderさん:
おひさしぶりでございます。
だいぶ、にぎわってますね。
>だから、そんな姿が見られたらどんな結果でも良いし、どんなサッカーでも良いんですよぼくは。
おろ仲間が増えた(笑)。
豪州戦を見てるうち、隆行が恋しくなりました。
僕はアジア杯の日本代表が見たかった。代表でしか感じられないものを感じさせてくれた、あの代表を。
あのチームだったら同じ1−3で敗れても、僕は「誇り」を感じられたと思います。
豪州戦で感じたのは、まったく逆の「屈辱」でした。
悔しさは微塵もありません。これが自分達の代表なのだという、辱め。
そういう意味では代表でしか感じられないものが感じられました。
僕にとって、あれはトルコ戦の延長に近いものがありました。
また誰かのせい?監督の采配、戦術のせい?
トルシエもジーコも関係あるかい。
自分の力を出し切れなかったのは、自分のせいなんだよ。
「どうでもいい」代表のことで少し熱くなっておりますが(笑)。
とは言いつつ、最近自分達にそういうことを言う資格があるのか、とも考えます。
国のために戦う、ということを彼らに強いることが出来る立場なのか。
とまれ、彼らのためにも、まさかこのまま帰る気じゃないだろうねぇ、くらいのことは言ってもいいのかな。
最後に、こういうときに慰めになるニック・ホーンビィの名著、「ぼくのプレミア・ライフ」(FEVER PITCH)からの一節を。
“ぼくが何より感心したのは、まわりにいた人たちの多くが、そこ(ハイベリー)にいることをほんとうに、心の底から憎んでいたということだ。(中略)楽しんでいた人などいなかった。キックオフから数分しかたっていないのに、あたりにはもう怒りが満ちていた。
「おまえは恥だぞ、グールド。恥だ!」
「週に百ポンド?週に百ポンド!おまえを見に来た俺のほうがもらうべきだぜ」
ゲームが進むと、怒りは激怒の渦に変わり、そして、むっつりと押し黙ることで表現される不満へと屈折していった。(中略)でもぼくはチェルシーにもトテナムにも行ったし、レンジャーズの試合にも行った。どこでも同じだった。フットボール・ファンにとって自然なのは、得点がどうあれ、苦々しく落胆している状態だ。“
マジかよオヤジ、って感じですが、ある意味癒されます。
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