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>要するに、あの結果で「織り込んだのか」どうか?
>ハッサンの時にもトルシエは「3:7で支配されるだろう」と言っています。
>アジア杯優勝のチームからもう一度、世界へ向けたチームへの再編としてこれは織り込み済みではなかったか?
>サンドニは良い口実にされただけでは?
トルシエがどう考えていたのかを、ぼくがどう想像したかをちょっと補足しておきます。
あくまでぼくの想像にすぎないので、念のため。
まずは、アジア杯の延長で、そういうモティベーション、方法論でやる。
あくまでもその中からの最善でやる。3:7で支配されようが、あの延長線上、その方法論の中での最善策をつくして。
それでもし善戦、あるいは互角以上にやれるなら言うことはない。
あの時点ですでに日本代表は世界一流の強豪だと言えた。
多少置いてある守備の課題など気にせず、そのまま攻撃サッカーに邁進すればいい。
しかし、トルシエにはわかっていたのではないか?
それは希望的にすぎることが。
アジアから世界へのステップ、と位置付られた2001年、強豪との差を確実に身体で掴み、もう一度隙間なく一歩目からこれまでよりもさらに綿密に作り上げ直す必要がある時期に来ていたことが。
F3の成熟度、中盤との緊密性、全体の攻守のコンビネーションとそのスピード、そういったことが世界チャンピオンと比べたらまだまだつたないものであることは当然わかっていたのではないか?
そう考えるほうが自然だと思える。
そして、サンドニでは予想以上に木っ端微塵にされた。
何よりもショックだったのは、戦う姿勢を失ってしまったこと。
開始してさほど経たない時間で、完全に自信を失い、自分達を失い、相手に完全に飲み込まれてしまったこと。
そこでトルシエは、予定にはなかった「チームの自信を取り戻す」ための選手起用、戦う姿勢を取り戻すための選手起用をコルドバに向けてやった。
大きなショックを受けて崩壊せんばかりのチームをまずは立て直すために、新しいモティベーションを持って入ってくるファイトできる選手達を呼び、ムードメーカーの中山を呼び、戦う姿勢を見せろ!とどやしつけて。
そして、予定よりも少々極端な形にはなってしまったが、逆にやりやすくはなった予定通りの行動、「もう一度、さらに強度を上げた形へ向けた、土台からの見直し」をやった。
そんな2001年の再出発ではなかったか?
ぼくはそんなふうにも思うんですね。
>個人の判断として、組織の動くスピードとして、もっともっとスピードアップしないと無理でしょう。
これも少し追加しておきたい。
書いたように、もちろん個人のスキルアップ、そういったレベルでの慣れ、ということは大きな要素です。
ただ、もうひとつ、チームとしての(その中での個人も)そういったスピード、速さの理由には、チームとしての完成度もありますよね。
フランス代表が現在飛び抜けて強いのは、そこにも理由があります。
構成する選手達が超一流なのはもちろんですが、他の強豪国と比べた時に、構成する選手達ひとりひとりの差よりもチームとしての差が大きくなるのはそういうこと。
チームとしてのコンビネーション、共通理解が熟成されているから、個人のレベルでも判断や動きだしが早くなります。
ぼくはそこにも日本の可能性を見い出したいんですね。
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