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『「個人的な」興味の部分という要素の強い「実験」なんでしょうか?』とgliderさんは問題提起されましたが、秋田がラインの右で使えるかという実験であれ、秋田の経験がチームに何をもたらすかという実験であれ、いずれも「個人的」ではありません。代表監督として、やってみようと思えばやってみるべき、立派に「職務上」の実験です。
『「個人的な」興味』としての実験があるとすれば、それはやはり、次のようなものでしょう。
「俺が作り上げたこのチームに、昔の俺の居場所があるのかどうかの実験」
こうした実験なら、それは十分に「個人的」です。しかも、非常に抗しがたい魅力をもった実験でもあります。そして、試合でピッチに出さなくても練習だけで判断できる。
>どちらかというと秋田をもう一度見たかったんですね。彼は相当変わったとも言えないし、これから変わるとも思えないですけれども、秋田のプラスとマイナスがあって、それはしっかり意識していますが、もう1回グループの中、 今のチームの中で見たかったんです。その後、使えるかどうか、そういうことを考えて、自分の中で決断を取りたいと思います。
kindさんが引用した日本語訳では、「個人的」という語は落とされていますね。「どちらかというと」のすぐ後に入っていたのだと思います。
「変わった部分、変わる可能性を見たくて」とも「やっぱり経験があるから」とも言えず、しかもぽろっと「個人的」などと言ってしまい、その後を適当に言い繕ったという印象です。
私の仮説に従って「料理」すると、彼のホンネに近いのはこっちでしょう(笑)
>どちらかというと個人的に秋田をもう一度見たかったんですね。相変わらず昔の私みたいなスタイルでやっていて、これからも変わらないと思いますけれども、そうしたスタイルには限界があって、それはわかってはいるつもりなんですが、もう1回今のチームの中で見たかったんです、個人的に。やっぱり使えないということを確認できれば、自分の中で、個人的に一つふんぎりがつくと思います。
実に感傷的で、秋田にしてみればたまったものじゃない話ですが、私が結構この仮説を気に入っているのは、トルシエは結構感傷的な人物だとも思っているからです。少なくとも感情的ではあるし(笑)
まあ、この話の真偽はおそらく永遠に判らないでしょう。やはりというべきか、結局キリン杯で秋田はピッチには出ませんでした。もう一度招集される可能性は、残念ながら低いと思います。
ところで招集や用兵には、ピッチ上の戦術、刺激を与える等のチーム・マネージメントとしての戦略のほかに、もう一段大きな視野での戦略もあると思います。頻繁に選手を入れ替えて競争心を刺激することは、単に「代表チームを強くする」だけでなく、それを支える日本サッカー全体に対する刺激にもなります。
実際、私は刺激されました。つまり驚いたわけです、秋田の招集に。
トルシエがどの程度本気で秋田に期待していたかどうかとは別に、この招集によって、日本のほかのDF達は間違いなく刺激を受けたでしょう。コパ・アメリカでいわば「引導を渡された」かのように思われていた選手の再招集は、ほかのたくさんの選手の希望に再点火することにもなる。仮に実は純粋なデモンストレーションであり、薄々それが気付かれてはいても、自分の可能性が0だと断言することは出来ない。「枠の10%を最後まで開けておく」という宣言だけではなく、実際に新しい選手を呼ぶことも、トルシエは多分最後の最後までやめないでしょう。ある意味非常に残酷な話でもあります。
結局使いませんでしたが、広山の招集は、少なくとも波戸に対する刺激要因にはなったはずです。それにひきかえ、秋田を呼んだことで森岡や松田や中田浩二がさほどの危機感を覚えるとは、私には思えない。gliderさんやkindさんの議論での「秋田招集の戦術的正当性」については、もちろん最大公約数的な部分では存在しているのでしょうが、やはり「なぜ今秋田なのか?」という疑問があるからこその議論に思えます。つまり基本線としては、やっぱり判りにくいってことですよね。
彼の経験がチーム全体に与えるプラスアルファ、というgliderさんの着目点が、やはり「普通の議論」としては説得力があるように思います。「普通じゃない議論」としては、私自身の先述のトルシエ郷愁編(笑)
で、もう一本「普通の議論」の方で立てておきたいのが、日本サッカー界への刺激と危機感を継続する、という視点です。「可能性はもちろん0ではないけれど、普通に考えて多分使えない可能性の方が高いけど、でも呼ぶだけ呼んでみよう、今回呼ぶことすら出来ない選手達に対する意味もあるのだ」というレベルの議論も存在し得る、ということですね。
それにトルシエは、一度でもどこかのカテゴリーで呼んだことのある選手は、その時は結局使わなくても後で再招集して使うという例が多い。我々ファンは、合宿だけで結局ピッチに出なかった選手が誰と誰かなんてことはすぐ忘れてしまいますが、選手自身は忘れないはずです。WY準優勝のメンバー達は、小野を横目でみながらせめて2006年と思う部分もあるでしょうし、五輪世代にとってはそれこそ戸田や、あるいは藤本の招集でさえ強烈なモチベーションになったはずです。
私が仮に名良橋の立場で、しかも『トルシエ革命』の記述とコメントを突き合わせてシニカルな仮説を立てるような性格でなければ(笑)、秋田の招集は強力なモチベーションになるでしょう。もし波戸が調子を落とし、広山がそれほどは信頼できないのなら、まあ明神や望月もいるとはいえ、経験が尊重されるのであれば、右アウトサイドに俺がサブ程度でも呼ばれる可能性は完全に0ではない、と考えますね。
もちろん、本来の私の視点からすると、名良橋が招集される可能性はそれでも低い。しかし第三者の私にとっては「可能性」であることも、本人にとってはすなわち「希望」です。他人の可能性を見積もることにくらべ、自分自身の可能性を冷静に見積もりきることは難しい。
広い意味での「人事」に関わるあらゆる立場の人間が直面する問題ですが、とりわけメトード・フランセーズでサッカー監督をやるということは、いわば「極限的な冷徹さ」をも持っていないといけないようです。『公式ガイドブックプレビュー号』のジャッケのインタビューは、色々な面で示唆的だと思います。
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