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▼hjro//さん:
カペッロ監督は、中田にローマでの往年のファルカンのようなプレイをも期待したのかもしれません。
でも、それはうまく行かなかった。
理由は、ひとつにはそれまでからのチームのスタイルもあったでしょうし、中田の立場もあったでしょうし、中田の特性もあったのでしょう。
でも、やっぱり中田は、攻撃の選手でしたね。
先のことはわかりません。でも今は、中田は、中田の個性は、メンタリティは、攻撃にこそより生きる。
そう思い直しています。
セリエAでのいつの試合だったか、相手がどこであったかは忘れましたが、試合を観戦していたベンゲル氏が、
「22人の中で、一番良いプレイをしていたのはベネチアの名波だ」と言いました。
今日「トルシエ革命」を買ってきて今読み終わりました。
「6番」についてトルシエは「明神と稲本の他に、名波も6番でプレーができる。小野も6番ができる」と書いています。
さらに名波について、「彼は中盤の底に位置しながら、守備的な仕事も攻撃的な仕事もできる。彼がボールを奪い攻撃を組み立てることで
攻守の切り替えが非常にスムースになる。名波の存在がチーム全体を前がかりにすることを可能にした」とアジアカップのチームについて語っています。
「フィジカル」についても語られています。
中村について「独特なリズムと間合い、そして多彩なテクニックから繰り出す豊富な種類のパスが、ノスタルジックな香りをかがせてくれる選手だ。
こういう言い方をしたからといってけっして誤解して欲しくはないのだが、中村には古き良き時代のサッカーのロマンが色濃く漂っている。
ジダンやラウルがそうであるように。」と言い、「間合いを必要とする彼のプレースタイルでは、中田のようなフィジカルの強さがトップ下で
プレーする際には不可欠だ。今日のサッカーでは、トップ下のゲームメイカーであるためには、ゲームメイクの能力に加えてプラスアルファが求められる。
それは第一にディフェンスに当たり負けしない強さであり、彼らをかわせる技術なりスピードなりである。
またペナルティーエリアに侵入しての得点能力であり、相手ボールになった際にはプレスをかけ、ボールを奪える能力である」
「相手の圧力が強い時には、前でプレーするためには彼のフィジカルはまだ不十分であった」と言っています。
しかし、面白いのは一方で「サッカーはラグビーでも柔道でもない。本山にいきなり30kg太れとは言えないが、
彼にはフィジカルの劣性を補える知性とテクニックがある」とも言っている所です。
これをぼくは矛盾とは思いません。両方ともサッカーの真実だと思うからです。
トップ下には真に「ワールドクラス」の中田英寿がいます。
川口はずっと今の調子を持続するならば、「ワールドクラス」かもしれません。
それ以外は、どこのポジションも同じような差が世界レベルとの間にはあるようにぼくには思えます。
高原とシェフチェンコの間にある差は、森岡とデサイーの間にある差は、グアルディオラと名波の間にある差よりももしかすると大きいかもしれない。
通して読んでみると、小野について語っていることが多いように見受けられます。
チェンマイのアジアユースでの小野を初めてみた時のことを「全能のリーダーとして君臨していた。・・・一種の天才と言っていい」、
フィリピン戦での小野のケガに対しては、「こんなことなら当初の方針通りコパに連れてくればよかった」と悔やみ、
シドニーに着陸した際の唯一最大の不安として「小野をメンバーから外したことだった」と述懐します。
理由は「懸念は小野の欠場がチームに与える雰囲気だった。その部分で小野は誰よりも存在感が大きかった。例えばワールドユースでの小野は、
まさに触媒ともいえる働きをした。あのチームのスピリットを彼がつくり出したと言っても過言ではなかった」ことだそうです。
トルシエもやはり「チームリーダー」を求めてはいるようです。ただしそれは、「選手の中から生まれてこなければ、真のダイナミズムとは言えない」
のだそうですが。やっとA代表に小野が定着しはじめているようです。今日の試合でも、左サイドの小野を経由して数多くの攻撃が作られていました。
解説のセルジオさんは、小野のトップ下を見たい、本当のポジションで見たい、と繰り返していましたが、ぼくはもう少し左でやっていても良いと思います。
そこにももう少し慣れておけば、中田との共存という形も確かなものとして持つことができる。
中田と小野、そして名波。ぼくはワクワクしています。
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