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▼ロバさん:
>ちゃんとしたコーチのもとでは子供のうちはたまにそういうチームができることがあるんですけどね。
南米のクラブチームなんかでは、けっこうありますよね。
よくもまあこんなに個性派揃いでうまくチームになってるもんだ、みたいなチームが。
攻守の重要な場面に必ず顔を出す、「歩いてサッカーする奴」の戦術眼や予測力に感心したり、ものすっごい運動量でスピーディなプレイを繰り返す奴の体力にあきれたり。
>そこにはぶつかり合いがない。
集団というのは、ぶつかり合いや混乱を経てまとまったものは自ずから強度が出ます。
なんだか安手のハリウッド製スポコン映画みたいな話だけど、でもそれは真実。
勢いも出るし限界も上がるし耐性も粘性も付く。
なんでなんだかはよくわかりませんが、ぼくの経験上でも、集団競技でも仕事でもなんでもそういうことになってたのは事実なんですよね。
鉄が熱して叩くと別物のようにしなやかで強くなるのと同じでしょうかね。
すぎればボロボロになっちゃうでしょうが。
今思い出すと、トルシエってそういうことやってましたよね、あの時。
自分が選手達の敵になったりして、ひっかき回したり追い込んだり追いつめたりして、「鍛造品」なチーム作ろうとしてた。
規律やオートマティスムを旨としながらも、「追い込まれた時の人間の出すパワーというものに私の主眼はある」とか言ってましたね。
いろんな方法があるものです。
>ジーコ時代のコンフェデ(だったとおもうけど)で加地がオフサイドをとられたゴール。
日本代表のサッカーを見ていて、ジョホールバルとかそういう試合自体が特別なのは別として、「ああ、日本代表がこんな試合してる」ってうれしくなったの、いくつかあります。
加茂時代のユーゴ戦なんかも良かったですし、それからたびたび出て来ますがナイジェリアユースの時のウルグアイ戦、ハッサン二世杯のフランス戦、ジーコ時代の英国遠征イングランド戦、それからそのコンフェデのブラジル戦。
ユーゴ戦は相手が不調だったのはあるんだけど、山口、名波、森島となかなかテクニカルに機能して、当時としては「おお!」って感じだったんですよね。
ユース・ウルグアイ戦でのあの3人の目まぐるしく大きなポジションチェンジ、ハッサンの時の津波のように繰り返されたボール奪取や、西沢と森島のコンビネーションプレイ、緊張感漂うイングランド戦でのガチンコ勝負とその中での小野、稲本の巧みなコンダクトぶりや、中村や三都主を交えたグループでの崩し、ブラジル戦での想像力を刺激するネオクラシックな「引いて構える攻撃サッカー」・・・
ジーコの時代は、ドイツ本番でのチーム作りの失敗とそこでのああいう結果があって、ネガティヴに評価されるしそれもわかりますが、ぼくはなかなかに実りのある4年だったと思っています。
4年間選手主体でやって、その間には上記2戦のような試合もして、それぞれ親善試合だったり親善大会だったりでイマイチ隠れがちだけど、ビッグネーム相手になかなか興味深いサッカーを見せてもくれた。
選手達がケンケンガクガク考えてああいうサッカーをやったっていうのは、やっぱりたいしたもんだと思うし、そういう意味ではなんだかんだ言って個々の進歩を実感もできました。
だから、オシムのチームではもう物足りなかった。
ぼくだって、10年前だったらオシムのサッカーを諸手を挙げて歓迎していたかもしれない(ヒネクレてるからわかりませんが:笑)けど、時計の針は進んだ、ってことですよね。
これからどんなチームになって行くのか、今はちょっと見えづらくなったけれど、ぼくは「良いサッカー」よりも「面白いチーム」が見たいです。
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