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▼gliderさん:
いろいろ書きたいのですがどうも僕の思っていることもグラさんのこの文章に集約されるようです(笑)
>よく走る選手もいて、歩いてサッカーする選手もいて、うまい奴も強い奴もいて、それぞれのキャラがよく立っていて、「チーム」になっている。
>そんな豊かなサッカーになることを願っています。
ちゃんとしたコーチのもとでは子供のうちはたまにそういうチームができることがあるんですけどね。ヘタな大人のサッカーより見ていてずっと楽しいです。大人と何が違うのだろうと思うと正しく育てれば子供たちは自分の主張をピッチでぶつけて曲げてチームを作り上げてるんですね。自分の個性を限界まで直線的に主張して、どうにも進めない所だけを曲げている。だからキャラが立つのですよね。
それが年を重ねるごとにだんだん出来なくなる。自分の意志でぶつけて曲げなくても監督コーチが納まり良く曲げてくれるから。
オシムの作業には・・・自分が考えて曲げてあげた先に理想の自由が待っているから今は我慢しろと言っている様に見えた。
そこにはぶつかり合いがない。本当にそこで曲がって良かったの?曲がる必要があったの?
実際のピッチで見せてくれるものがどんなに良くても僕はなんだか物足りなかった。ジーコ時代のコンフェデ(だったとおもうけど)で加地がオフサイドをとられたゴール。野洲高校が選手権で優勝したときの決勝ゴール。オシムが喜びそうなゴールは別の指導の中からも生まれます。特に野洲のゴールには「超ロングサイドチェンジ」「ヒールパス」など別のフォーカスすべきキーワードがあった。
あのプレイがどんなふうに生まれたのかを想像思考することに今はとても楽しみを感じます。
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