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▼ロバさん:
>「トルシエ(監督)式」だった2002年が
>「ジーコ(選手)式」になったことを僕はすごい進歩ではあると思っていますので最終的にこのままでも僕はジーコを評価します。
>宮本という選手も「トルシエ式」から「選手式」に変わることこそ進歩のジーコのサッカーにおいては必要不可欠な選手だったと思います。
そうですね。
ぼくもそう思います。
そしてまあ、「宮本、福西、遠藤式」と言っても、中田を取り込んで最終的にどこまでのものになるのかは見てみないとわからないので、期待もしているのですが。
>ジーコは時間が足らなかったのか?
ジーコは、もっと時間があっても変わらないような気がします。
彼は選手にやらせる。
守備は、リスクを排除し、失点しなければ良い。
DF出身のトルシエなどとは違い、守備方法においての哲学やら美学やらはないし、効率もあまり考えてはいない。
どこでボールを奪うか、ということもジーコの中ではあまり関係なかったんじゃないかな。
リスクを犯さずにきちっと守ればボールは「いつか」奪える。
ボールを奪ったら、しっかりとパスを繋いできっちりキープして運んで行けばボールは奪われない。
奪われなければ、奪うことに一所懸命になる必要はない。
守備から入ってはいないんですね、考え方の基本として。
だけど、なんせシュートが入らない。
ろくすっぽゴールの枠に飛ばせない。
いっくらチャンス作っても、なかなか得点できない。
そうなると、考えなきゃいけないわけですね。
なんで入らない?
プレッシャー、焦り、落ち着き・・・
となると「速攻」の必要も出てくる。
中田ボランチも、案外と論理的決断なのかもしれないですね。
本当は、中盤を4人にして能力の高い選手で構成し、「そこ」で奪い、「そこ」で作り、「そこ」を支配して、創造性なんかでチャンスを次々に作り、とサッカーできれば、一番ジーコのチームらしかったと思う。
でも、それにしたってシュートが入らない。
・・・となると「相手が揃う前に」シュート打たせてやることも考えなきゃいけない。
となると相手に支配される中でやることも考えなきゃいけない。
そんな感じでアジアチャンピオンにもなったんだし・・・
ジーコが「少ない手数で」なんてことも言い出したのは、そんなに前でもないことのような気がしますが、そのへんでいろいろ考えなきゃならなかったんでしょう。
もどかしいことだったとも思いますが。
やっぱり、アジアカップがこのチームの大きなひとつの分岐点だったかと思います。
そんなこんなで、こういうスタメンになった。
>それともこれがまだ日本のサッカーの今の限界なのか?
そういう意味で、まさにそうなのでしょうね。
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