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▼gliderさん:
▼ロバさん:
ジーコはシステムの拘束を取り払い、能力の高いメンツを揃えることで、「代表は」もっと強くなるというやり方でした。夢がありましたし、個人能力にもっとジーコが何かを付与してくれるんではないかという期待もあった。
でもそこは期待外れに終わった。
選手の抽出も最終的には中途半端に終わり、結果は見ての通りです。
僕はオシムに対して、あの2002年のトルコ戦で日本選手が足りなかったものを具体的に与えるメソッドを持っていると直観的に期待していたんです。そこが一番のポイントでした。
正直代表戦について目に見えた向上はDFラインからのビルドアップくらいでしたが、代表に呼ばれた選手はJでの結果が向上していたように思えます。
まあそれは僕の見た範囲でしかありませんし、「代表」って育成する機会じゃないだろうと言われると「はい」と答えるしかありませんが(笑)、学ぶことは多かったんじゃないかと思います。
やっぱり代表というのはピラミッドの頂点であって、代表が「フラット3」を掲げればその下の下、草サッカーに至るまで「フラット3」に影響されるものじゃないでしょうか。年代によって方針も違うでしょうし、全部が全部とは言いませんが。
オシムの志向する「日本のサッカー」は全貌が明らかにならないまま幕を閉じましたが、「リスクチャレンジ」「状況の観察・把握」「速い判断」そして状況を打開するために「走れ」ということは、彼が代表を通して伝えたかったエッセンスだと思います。
そして継続すること。
地道な育成を「突然変異を多く生み出す下地作り」と捉えるのか、「地盤の底上げ」と捉えるのか。
トルコ戦にほぞを噛んだ人間としては、漸次的であっても全体の右肩上がりを期待したいのです。
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