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フランス戦&コロンビア戦 anybodydo 03/6/22(日) 11:46

   Re:一喜三憂 glider 03/6/24(火) 4:38
   Re:一喜三憂 glider 03/6/24(火) 5:55
   Re:一喜三憂 KIND 03/6/24(火) 15:22
   Re:一喜三憂 glider 03/6/25(水) 1:15
    Re:一喜三憂 KIND 03/6/25(水) 15:06
    ところで、「自由」ってなんなんでしょう KIND 03/6/25(水) 15:44
    Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/6/26(木) 2:16
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KIND 03/6/26(木) 19:59
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/6/27(金) 7:46
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう amo 03/6/28(土) 3:03
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/6/28(土) 8:29
     ポゼッション(支配)とダイレクト(ゴールに対して直接的) Dai 03/6/28(土) 16:28
      Re:ポゼッション(支配)とダイレクト(ゴールに対して直接的) glider 03/6/28(土) 23:00
     トルシエ・コールについて KIND 03/6/28(土) 14:58
      Re:トルシエ・コールについて amo 03/6/28(土) 22:26
      Re:トルシエ・コールについて glider 03/6/28(土) 23:07
      Re:トルシエ・コールについて TEN 03/7/3(木) 23:45
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう TEN 03/7/3(木) 23:42
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/4(金) 13:13
      Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう TEN 03/7/4(金) 16:16
      Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/4(金) 22:03
      Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう TEN 03/7/5(土) 0:21
      Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/6(日) 0:06
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/7/29(火) 12:27
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/30(水) 18:33
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/7/31(木) 11:09
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/1(金) 9:43
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/5(火) 9:42
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/5(火) 13:28
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/8(金) 10:12
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/8(金) 18:24
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう lucy 03/8/8(金) 20:11
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/9(土) 2:52
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/12(火) 10:16
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/13(水) 0:20
     Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう [名前なし] 03/8/13(水) 10:25
    Re:一喜三憂 glider 03/6/25(水) 20:20
    Re:一喜三憂 KIND 03/6/26(木) 20:18
    Re:一喜三憂 glider 03/6/27(金) 5:57
   Re:一喜三憂 zukunasi 03/6/25(水) 1:21
   Re:一喜三憂 anybodydo 03/6/25(水) 2:53
   Re:一喜三憂 zukunasi 03/6/25(水) 21:17
    Re:一喜三憂 anybodydo 03/6/29(日) 23:08
    Re:一喜三憂 glider 03/6/30(月) 12:41
    Re:一喜三憂 raam 03/7/2(水) 13:19
    Re:一喜三憂 glider 03/7/4(金) 6:42
   Re:一喜三憂 glider 03/6/25(水) 5:06
   Re:一喜三憂 zukunasi 03/6/25(水) 21:50
   Re:一喜三憂 glider 03/6/26(木) 2:40
   Re:一喜三憂 zukunasi 03/6/28(土) 0:24
   Re:一喜三憂 glider 03/6/28(土) 9:18

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/24(火) 4:38 -

引用なし
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   ▼zukunasiさん:

横レスします。

>でも、ジーコじゃなければ出来ないサッカーとは思えない。

そうでもないと思いますよ。
ジーコの「スロー・サッカー」、あれはあれでひとつのあり方だとぼくは思いました。
ボールを大切に、キープ。急いで縦に入れず、ゆっくり回して狙う。
もちろん、ケース・バイ・ケースでやらなきゃいかんですが、基本線として。
すると、相手もあまり出てこれなくなる。
中盤のつつきあいも多くなりますが、激しいプレス合戦、という感じには「なりにくい」。
4バックのやり方だけじゃなくて、ブラジル式というか南米式というか、そんな感じがします。
コロンビア52:日本48というポゼッション、0ー1というスコア、コロンビアにあって日本になかったもの、ちょっと似た感じの両チームの差が出たという感じも受けます。

問題はやはり人選だと思います。
小野が帰ってきて、遠藤と代わればまたちょっと違うチームになるでしょう。
CBのコンビが代わっても、ちょっとは違う感じになるでしょう。
基本的に「インプロヴィゼイション・バンド」ですから。
そうしたやり方自体、ぼくは反対しません。
当然、時間も多少かかるでしょう。
大事な選手を多数召集できなかったり、ケガで欠いたりすれば、「別のチーム」を用意するしかないでしょう。
大筋においてのやり方は決まっていても、「誰が欠けてもチーム力はさほど落ちない」というトルシエ時代と同じようなわけにはいかない。
でも、選手ひとりひとりの力は際立ちますね。
それはそれで、ぼくは面白いです。
ただ、問題は人選。
たぶんジーコは「うまい選手同士なら、わりとすぐに合うものさ」という多くの「うまい選手」の言葉通りを信じているのでしょう。
その部分の「目」が駄目ならジーコでは駄目ってことです。

トルシエともっとも違うのは、「危険」ということの考え方ではないか。
トルシエは、「攻撃的守備、攻撃サッカー」を標榜し、「多少の危険は犯さねばならない」とした。
ジーコは、危険を嫌います。
キープ力に優れる選手を好み、リスクを犯さずミスの少ないDFを好み、ファウルの少ない選手を好む。
攻撃を急ぐあまりボールを失うくらいなら、ゆっくりビルドアップしろという。
だから中田、中村、稲本、小野というキープ力のある選手を好む反面、ファウルが多い戸田のような選手は呼ばない。
それはそれですが、度が過ぎると特に守備においては「欠けているもの」も問題化するでしょう。

いずれにしろ、こういうサッカーになりました。
コンパクトで、プレスが速く、攻守の切り替えが速く、というサッカーではなくなりました。
日本のサッカーはどうであるべきなのか、どうでありたいのか。
良い機会だと思います。


さて、ブラジルートルコに集中します。
トルコ頑張れ!

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/24(火) 5:55 -

引用なし
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   うし!
トルコーフランスが見れるぞ〜

かろうじてコンフェデに興味をつなげた・・・

Re:一喜三憂
 KIND  - 03/6/24(火) 15:22 -

引用なし
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   ▼gliderさん:

こんにちは。ひさびさに、こちらでマトモな投稿をさせて頂きます。

>問題はやはり人選だと思います。
>小野が帰ってきて、遠藤と代わればまたちょっと違うチームになるでしょう。
>CBのコンビが代わっても、ちょっとは違う感じになるでしょう。
>基本的に「インプロヴィゼイション・バンド」ですから。
>そうしたやり方自体、ぼくは反対しません。
>当然、時間も多少かかるでしょう。
>大事な選手を多数召集できなかったり、ケガで欠いたりすれば、「別のチーム」を用意するしかないでしょう。
>大筋においてのやり方は決まっていても、「誰が欠けてもチーム力はさほど落ちない」というトルシエ時代と同じようなわけにはいかない。
>でも、選手ひとりひとりの力は際立ちますね。
>それはそれで、ぼくは面白いです。
>ただ、問題は人選。
>たぶんジーコは「うまい選手同士なら、わりとすぐに合うものさ」という多くの「うまい選手」の言葉通りを信じているのでしょう。
>その部分の「目」が駄目ならジーコでは駄目ってことです。


個人的には、グラさんの「素の状態論」(これ命名したの僕ですか、ひょっとして(笑))がかなり腑に落ちてきたな、と思えるコンフェデ三試合でした。ジーコの評価とは完全に切り離しますけど、「素の状態」から立て直してきたというのはひとつの事実ですから。


コロンビア戦、個人的には「ジーコサッカー史上最高の出来」だったと思います。まあジーコサッカー史上だからたいしたこたねーといえばそのとおりなんですが(笑)。

ホルダーに対するアタックとレシーバーに対するチェックがきちんと連動していたり、ライン完全にフラットだったり(笑)、中盤でボールを持ったときのサイドバックの上がりがだいぶタイミングを心得てきてるな、という感じだったり。あれを「選手が話し合ってやったこと」自体は、ジーコの評価と切り離して考えていいと思います。

つまり、「ああなったこと」の原因はほとんど評価しないしジーコの責任を追及する手は緩めないけども、「ああなったこと」自体はそれなりに意味はあったという立場ですね。


特に僕はアレックスの出来がすばらしかったと思います。ずいぶんグラさんには不評のようですが、僕は好きですよ、アレックス。ファーにあんだけ鋭く曲がり落ちるクロス出せるなら、上がるタイミング、中との呼吸さえあえば一点確実。ふせごうったって、来るって分かってたってそうそう防げるもんじゃない。「こねる」癖、つまりボールを保持したときの判断、および守備時の絞り方、体の向き、つまり単純な注意力(笑)に問題はあれど、「サイド攻撃を仕掛ける駒」としてアレックスのサイドバックはアリだと思います。プラマイ換算したら圧倒的にプラスだと。

むろん今後スタメンで固定しろという話ではなし。強豪相手に使える守備じゃない。それでも一点がほしいときに使えるオプションにはなったと思います。


で、選手選考ですが、自分は最初から秋田と宮本を同時に選考するジーコの考えが理解不能でした。あんだけ考えの違う選手を同時にチームに召集しておいて「自由にしろ」もなんもねーだろと。グラさんの「素の状態論」に全面同意できなかったのは、結局秋田の召集があるからです。コロンビア戦のようなサッカーは、秋田が入るだけで簡単に瓦解するもの。選手もみな分かっているようですが監督だけが分かってない。考えてみれば、相手は宮本の代わりに小村を招集したつわものですからね。


今後、素の状態を維持していくためには、ジーコが「仏像」になることに尽きると思います。むろん更迭なら更迭でオッケーですが、川渕が守るだろうから。

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/25(水) 1:15 -

引用なし
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   ▼KINDさん:

>個人的には、グラさんの「素の状態論」(これ命名したの僕ですか、ひょっとして(笑))がかなり腑に落ちてきたな、と思えるコンフェデ三試合でした。ジーコの評価とは完全に切り離しますけど、「素の状態」から立て直してきたというのはひとつの事実ですから。

そうです、命名者はあなたです(笑)
「状態論」とかそんなたいそうなものでもないんだけど。
立て直し自体は、NZ戦あたりから見られましたね。

>ホルダーに対するアタックとレシーバーに対するチェックがきちんと連動していたり、ライン完全にフラットだったり(笑)、中盤でボールを持ったときのサイドバックの上がりがだいぶタイミングを心得てきてるな、という感じだったり。あれを「選手が話し合ってやったこと」自体は、ジーコの評価と切り離して考えていいと思います。

韓国戦、アルゼンチン戦の敗北から、この程度の選手達自身とジーコによる修正は行われるだろう、と思ってました。
秋田を外し宮本を固定した時に、どこまでやるかなと興味を持ってましたが、宮本の主張、アピール、頑張り、かなり感心しましたよ。
サイドバックと中盤の守備の連携、ポジショニング、プレッシャーのタイミング(まだ遅いとは思うけど)の統一性など、だいぶチームらしくなったと思います。

>つまり、「ああなったこと」の原因はほとんど評価しないしジーコの責任を追及する手は緩めないけども、「ああなったこと」自体はそれなりに意味はあったという立場ですね。

チームとしては、後はいかにスピードを上げて行けるかでしょう。
「どこで」ということも含め、ゲーム運びの面も含め。
それと、ゾーンバランスが整うとそれで守れている気になっているケースはまだ多い。
プレッシャーのタイミングと距離の取り方、「もっと行っていい」場面は多いと思います。
中村の守備はその面で格段に進歩したと思う。もっともっと行っていいと思いますけど。
中田浩二にはその面でイライラします。


>特に僕はアレックスの出来がすばらしかったと思います

ぼくはどこが良いのかちっともわかりません。
あの球際に弱い守備、中の駆け引きや動きを考慮しないクロスのタイミングとそこに至るまでの動き、ボールの精度、「代表スタメン選手の頭脳」ではないと思う。

>むろん今後スタメンで固定しろという話ではなし。強豪相手に使える守備じゃない。それでも一点がほしいときに使えるオプションにはなったと思います。

オプションということでなら、今回だって別に石川呼んで左に服部、右に石川だって良かった。
服部が不調からどこまで戻っているかわからないから、何とも言えないけど石川は呼んで欲しかったと思います。
今、旬の選手だからね。
あとどうせ守備は考えないなら、新井場だって村井だって良いかもしれない。
試した方が良いと思う。

>で、選手選考ですが、自分は最初から秋田と宮本を同時に選考するジーコの考えが理解不能でした。あんだけ考えの違う選手を同時にチームに召集しておいて「自由にしろ」もなんもねーだろと。

考えの違うメンバーを集めるからこそ、セッションバンドは面白いのです(笑)
同じ趣味の連中だけでは「見えちゃう」からね。

>今後、素の状態を維持していくためには、ジーコが「仏像」になることに尽きると思います。むろん更迭なら更迭でオッケーですが、川渕が守るだろうから。

ジーコにはどうしてもやって欲しいことがあります。
それは「久保」をなんとかすること。
やっぱもったいないと思うんで。
更迭論は、もっと盛り上がることを期待。
下心ありますんで(笑)

Re:一喜三憂
 zukunasi  - 03/6/25(水) 1:21 -

引用なし
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   ▼gliderさん:

>>でも、ジーコじゃなければ出来ないサッカーとは思えない。
>そうでもないと思いますよ。

そうかしら、グライダーさんに言われると、そうなのかなーと思ってしまうけど、今フリーになったレアルの監督さんなんかどうなんだろう。
サッカー自体は面白そうで見てみたい気きもするんですが、どうもマネジメントの部分で不安があるものですから。

>ジーコの「スロー・サッカー」、あれはあれでひとつのあり方だとぼくは思いました。

言いえて妙、上手いですね。なんだかジーコのサッカーをズバッと一言で体現してるように思えます。今までもやもやしていた物が、腑に落ちた気がします。

>ボールを大切に、キープ。急いで縦に入れず、ゆっくり回して狙う。
>もちろん、ケース・バイ・ケースでやらなきゃいかんですが、基本線として。
>すると、相手もあまり出てこれなくなる。
>中盤のつつきあいも多くなりますが、激しいプレス合戦、という感じには「なりにくい」。

去年の春先でしたか、どこだったか南米のチームとやったとき、日本のプレスをかわされて、軽々とパスを廻された事が有りましたが、あんな感じでしょうか。
だとすれば魅力的で面白そうですが。
でも、たとえばベルギーやデンマーク辺りとやっていい勝負になるのだろうか、アルゼンチンやイングランドとやってゲームになるんだろうか、あるいはトルシエカタールの鬼プレスを上手く交わせるのだろうか、などという心配が頭を擡げるのです、正直なところ。
トルコ×ブラジルなどを見ても、若いとは言え本家のブラジルがあれだけ苦しむ、分家のその新宅の日本は本当に大丈夫なのだろうか、とつい思ってしまいます。
そう言う意味でコンフェデの+2試合は、実にもったいなかった。

>問題はやはり人選だと思います。
>小野が帰ってきて、遠藤と代わればまたちょっと違うチームになるでしょう。
>CBのコンビが代わっても、ちょっとは違う感じになるでしょう。
>基本的に「インプロヴィゼイション・バンド」ですから。
>そうしたやり方自体、ぼくは反対しません。

この辺りは理解できていると思います。

>当然、時間も多少かかるでしょう。

これは心配です。欧州組みの召集や機会を考えると、アジアカップはもとより下手をすればWC予選にも間に合わないんじゃないかと。

>大事な選手を多数召集できなかったり、ケガで欠いたりすれば、「別のチーム」を用意するしかないでしょう。
>大筋においてのやり方は決まっていても、「誰が欠けてもチーム力はさほど落ちない」というトルシエ時代と同じようなわけにはいかない。

僕は結局のところ、アジアカップもWC予選もその「別のチーム」で戦わざるを得ないように思っています。

>でも、選手ひとりひとりの力は際立ちますね。
>それはそれで、ぼくは面白いです。

そのことが、チームのポテンシャルの上限を決めてしまいかねないとも思うのです。まあそれが「素」と言うことかも知れませんが、その辺りどうお考えですか?

>ただ、問題は人選。
>たぶんジーコは「うまい選手同士なら、わりとすぐに合うものさ」という多くの「うまい選手」の言葉通りを信じているのでしょう。
>その部分の「目」が駄目ならジーコでは駄目ってことです。

当初、この辺りについては結構信頼していたのですが、最近だんだん怪しくなってきました。秋田・永井辺りは僕の目から見てもどうも・・・・・

>トルシエともっとも違うのは、「危険」ということの考え方ではないか。
>トルシエは、「攻撃的守備、攻撃サッカー」を標榜し、「多少の危険は犯さねばならない」とした。
>ジーコは、危険を嫌います。
>キープ力に優れる選手を好み、リスクを犯さずミスの少ないDFを好み、ファウルの少ない選手を好む。
>攻撃を急ぐあまりボールを失うくらいなら、ゆっくりビルドアップしろという。
>だから中田、中村、稲本、小野というキープ力のある選手を好む反面、ファウルが多い戸田のような選手は呼ばない。

これは全く同じように感じていました。以前このHPでも書いたかも知れませんが、ジーコの「危機管理サッカー」と思っています。

>いずれにしろ、こういうサッカーになりました。
>コンパクトで、プレスが速く、攻守の切り替えが速く、というサッカーではなくなりました。
>日本のサッカーはどうであるべきなのか、どうでありたいのか。
>良い機会だと思います。

いずれにせよ解任や辞任は当面ありそうもなく、どういうものかじっくり見てみたいと思っています。
とはいっても、本来の姿を見れる機会ってあまりないような気がするんですよね。

Re:一喜三憂
 anybodydo  - 03/6/25(水) 2:53 -

引用なし
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   ▼zukunasiさん:

キリン杯0勝1敗1分、コンフェデ杯1勝2敗。
「論理的な結果」でしょうね。
トルシエの薫陶を最も受けた宮本が入ったことで1本筋が通ったのも、
皮肉といえば皮肉です。

>僕は、森岡をわりと買っているので、秋田と森岡がちゃんと意志の疎通が出来ていけば、と言うか、秋田が森岡に従えば何とかなったのではないかと思うんですが。
>でももう、確認する機会は無いかもしれませんね。でも、森岡は残しておいて欲しいな。
残る、と思いますよ。
ただDFリーダーとしての資質は、ちょっと疑問ですね。
「秋田が悪いのは解るけど、お前もさぁー」なんて思ったりします。

>カウンター攻撃を今のチームは忘れてしまった。皆無とはいえませんが、有効なカウンターはほとんど無かった。
歌を忘れたカナリア・・・
結局ジーコはそこに主眼を置いていないし、実はトルシエ以前の日本にも無かった。
「お稽古」的な攻撃に終始していた日本にカウンターの意識を徹底させたのはトルシエで、
そのおかげで戦略眼に長けた、頭の早い選手が輩出されたのは事実。
でもこれって他の国では普通にやってることですよね。
ただジーコもお稽古で早い攻撃、なんてオバカなことは考えていないので、
トルシエ以前よりはマシでしょう。でも、もったいないですね。

結局は方法論の違い、で見方が異なるんでしょう。
WCからどうするか、で、これからは個人の力、って声が出てきた。
その言い草が無茶苦茶な人がいるのと、感じ方の違いから、
別の方法を選択するべきだった、と僕は思っていますけど。未だに。

トルコに負けて思ったこと。日本の選手には、経験が無さ過ぎる。
ここで負けたら契約切られる、怖くて街を歩けなくなる。
そういった、極限での経験が、無い。
代表に選ばれるくらいの選手なら、食えない恐怖なんて微塵も無い。
耐えられないくらいのプレッシャーの下でやらされる経験が、足りない。

今のやり方はかえってマイナスですね。
自分を追い詰めてるのは中田ヒデくらいで、相対的にリラックスモード。
負けてもマスコミは歓迎ムード。
トルシエがなんであそこまでやったか。マイナスですね、今の状態は。
結局どれだけ「飢え」を覚えるかで選手の伸びは決まる気がします。

個人の力。確かに必要でしょう。
でも、いつまで「代表、代表」なんでしょうか。
国見の小峰監督の言。
「最近の若い監督は理論ばっかで頭でっかちになって、大事なことが解ってない」
小中学生のうちから、張ってろとかゴール前にいろとか、それが問題じゃないんでしょうか。
それをすっ飛ばして、大人になってから自由に、なんてそれが「代表」のやることでしょうか。
「育成」の問題が転嫁されてないだろうか。

>僕は結局のところ、アジアカップもWC予選もその「別のチーム」で戦わざるを得ないように思っています。
WC予選もトルシエの遺産と、4.5枠と言う破格の厚遇でなんとかなるんじゃないですかね。
アジア杯は厳しいっすね。また苛められるだろうし。
しかし、4.5って無茶苦茶ですよね。
またぞろ低レベルなチームがごっそりとWC本選で戦う訳です。
この辺り、優雅になっちゃうトコロがあるんでしょうね。
枠が2、ならこんな悠長なこと、とてもじゃないけどやってらんない。

>当初、この辺りについては結構信頼していたのですが、最近だんだん怪しくなってきました。秋田・永井辺りは僕の目から見てもどうも・・・・・
後の方は怪しいっすよ、ジーコは。
もしかして本田探してんじゃねーか、って思ったりします。

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/25(水) 5:06 -

引用なし
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   ▼zukunasiさん:

>今フリーになったレアルの監督さんなんかどうなんだろう。

デルボスケですか?たぶんジーコとあまり変わらないでしょうね。
戦術的には別に10年前と変わりばえしない特に見るべきところのない監督だと思います。

>サッカー自体は面白そうで見てみたい気きもするんですが、どうもマネジメントの部分で不安があるものですから。

そうですね、マネージメントの部分は、監督としての経験の少なさの影響があるかもしれませんね。

>これは心配です。欧州組みの召集や機会を考えると、アジアカップはもとより下手をすればWC予選にも間に合わないんじゃないかと。

アジアカップは、ぼくはそこをひとつの目処にすれば良いと考えてます。
そこで駄目なら、このプロジェクトは終わり。
ひとつの区切りをつけて「ネクスト・モード」に入るべきでしょう。
で、ついでに協会首脳部も「ネクスト・ジェネレーション」へ。

>そのことが、チームのポテンシャルの上限を決めてしまいかねないとも思うのです。まあそれが「素」と言うことかも知れませんが、その辺りどうお考えですか?

それが「素」ということです。
ただし、「インプロヴィゼイション・バンド」では往々にして「素」が相乗効果によって「素」以上になって発揮されるのであって、その経験がまた「素」をステップアップしますよね。
今はただ選手の力の総和がそのまま出ているような状態、と感じています。
コンフェデのグループ星取り表を見ると、何はともあれ順等な結果と言わざるを得ない、という感じです。
コロンビアと引き分けて次へ進むことは可能だったかな、というところでは悔しいですが。

>当初、この辺りについては結構信頼していたのですが、最近だんだん怪しくなってきました。秋田・永井辺りは僕の目から見てもどうも・・・・・

秋田や名良橋を呼ぶまではまだ↓のことからも一応理解はします。
どうせいずれは消えるのはトルシエの時の望月とか三浦アツとかと同様だと思ってますし。
ただ、アレックスをなぜあそこまで引っ張るのか、ちょっと理解しがたい。それに、永井はねえ・・
まあ、いろいろ流れもあったのでもうちょっと見てみたい感じではあります。

>とはいっても、本来の姿を見れる機会ってあまりないような気がするんですよね。

世界的に、代表チームって難しくなってますね。
シーズン中は召集したところで拘束日数は短く、シーズンオフは休ませないと壊れてしまう。
欧州の各クラブにしたら、代表戦なんかなければ助かるのに、って感じでしょうか。
日本もその流れの中に入ってきつつあるってことですね。
良いのやら悪いのやら・・・
日本は、日本のサッカーの強化はまだ、代表チームに大きく依存しているし、代表チームのプライオリティがものすごく高い。
Jリーグを世界のカレンダーに合わせること、Jクラブが世界との接点をもっと持つこと、少なくともアジアのクラブカップ等の価値を高めて行くことも含め、考えて行かねばならないと思います。

Re:一喜三憂
 KIND  - 03/6/25(水) 15:06 -

引用なし
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   ▼gliderさん:

まあアレックスの話はおいといて(長くなるし(笑))、じつは僕けっこう「素の状態論より」になりつつあります。

コンフェデ始まるまで、もう一日でも早くジーコを解任してほしかった。しかし、コンフェデ3試合で「真剣勝負」(当社比)をこなす中で、選手たち一人一人が「自分がやらなきゃだめだ」という強い思いが芽生えてきたように思います。

それは、ジーコの評価と切り離して、喜ぶべきことだと思う。僕はかつてここまで「自分の意思でサッカーをする」日本代表を見たことがない。


>韓国戦、アルゼンチン戦の敗北から、この程度の選手達自身とジーコによる修正は行われるだろう、と思ってました。
>秋田を外し宮本を固定した時に、どこまでやるかなと興味を持ってましたが、宮本の主張、アピール、頑張り、かなり感心しましたよ。
>サイドバックと中盤の守備の連携、ポジショニング、プレッシャーのタイミング(まだ遅いとは思うけど)の統一性など、だいぶチームらしくなったと思います。

宮本、最後にミソが付いちゃいましたけど、ほんとよかったです。素人一名に初代表2枚を従えてよくもまあ立て直せたものだなあと。

>チームとしては、後はいかにスピードを上げて行けるかでしょう。
>「どこで」ということも含め、ゲーム運びの面も含め。
>それと、ゾーンバランスが整うとそれで守れている気になっているケースはまだ多い。
>プレッシャーのタイミングと距離の取り方、「もっと行っていい」場面は多いと思います。

それらについては、今後の試合で立て直せるかどうかは割かし微妙ではないかなと思ってます。まずもって宮本が今後起用されるのかどうかわからない、なんせ相手は宮本の代わりに小村を選んだ監督ですから(笑)。だから、今回果たしてジーコが「宮本が(自分の哲学を完全に無視して)チームを立て直した」という認識を持っているかどうか。


1)認識を持っていない→宮本が外される可能性がある→振り出しに戻る
2)認識を持っている→自分の哲学を放棄してチームをまとめた選手を
           評価する→3)へ
           評価しない→宮本外される→振り出しに戻る

3)自分の哲学を放棄してチームをまとめた選手を評価する
  →宮本中心で行く
  

となるわけで(わかり肉っ)、けっこう薄い可能性かもなと思ってます。ジーコが「試合内容を最低限把握できている」という前提に立ってさえ、「自分の哲学が間違っていた」という意味での自省が不可欠になるわけです。これは、ジーコにとって屈辱的なことです。それよりは、「自分の哲学を無視した結果(激しく略)敗戦した」という責任転嫁をするほうが簡単のようにも思います。つまり、それは秋田復帰による「振り出しにもどる」を意味するわけですが。

ところでTBSでは「ああ〜、いまベンチにいる名良橋から宮本に指示が飛んでいますね」という笑えるアナウンスがあったのですが(笑)、これはどう解釈したらいいんでしょうか。まさか「おい、フラットになってるぞ!余れ!」なんでしょうか(笑)。

>>むろん今後スタメンで固定しろという話ではなし。強豪相手に使える守備じゃない。それでも一点がほしいときに使えるオプションにはなったと思います。
>
>オプションということでなら、今回だって別に石川呼んで左に服部、右に石川だって良かった。
>服部が不調からどこまで戻っているかわからないから、何とも言えないけど石川は呼んで欲しかったと思います。

石川は、アレックスと守備はどっこいどっこいだし、クロスの精度もそんな良くないですよ(笑)。タテへのスピード、突破力、強引にゴールを目指す意識という点ではアレックスより良いですけど。ぼくも入れてほしかったな、「五輪代表はA代表では使えない」という自分の評価はすでに間違っていたと証明されてるわけだし。

まあアレックスが遅いというのはわかるけど、僕はもう少し見てもいいかな、という気分です。判断というものは伸ばせますからね。まあ今年いっぱいくらいは見たい。それでも「遅いな」と感じたら別にいいや、と思いますが。


>>で、選手選考ですが、自分は最初から秋田と宮本を同時に選考するジーコの考えが理解不能でした。あんだけ考えの違う選手を同時にチームに召集しておいて「自由にしろ」もなんもねーだろと。
>
>考えの違うメンバーを集めるからこそ、セッションバンドは面白いのです(笑)
>同じ趣味の連中だけでは「見えちゃう」からね。


うーん、ただ、秋田の場合は「演奏力」そのものが最早コンペティションに出せるレベルではないような気がするんですよ。タイプとか考え方とかではなく。別に秋田のヘッドって「相手と競ってるときだけ強い」、つうだけの話で、ボールの軌道に入るのが早いとかポジショニングが抜群に良いとかそういう意味での強さじゃないと思うんで。アルゼンチンクラスまで行かなくても、今回のコロンビアあたりでも秋田はボロボロにされたんじゃないかなと思ったり。

>ジーコにはどうしてもやって欲しいことがあります。
>それは「久保」をなんとかすること。
>やっぱもったいないと思うんで。

サンフレサポとしては、久保はむしろ秋田ー森岡(森岡には迷惑な話だ・・・)ラインと合うような気もします。体張れないし、スペースがないと生きないし、ポストできないし。ただそれはカウンターサッカーには抜群の相性を示しているということでもありますね。


>更迭論は、もっと盛り上がることを期待。
>下心ありますんで(笑)


すでに、フランスでは「独裁者!代表はお前のものじゃないぞ!」という罵声が浴びせられたようです(笑)。「なにを!!」と返していたようですが。

ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KIND  - 03/6/25(水) 15:44 -

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   いまブルナンでも書いていて、自分のコラムでも書き始めていることなんですけど、
「サッカーにおける自由」ってなんでしょうね?


広辞苑によると、「自由」の定義はこういうものだそうです。
--------------------------------------------------------------------------------

自由【じゆう】:freedom, liberty

他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと・(さま)。自らを統御する自律性、内なる必然から行為する自発性などがその内容で、これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。

1・哲学的な意味

自らを自律的に統御し、内なる必然から自発的に行為すること。外的自然からの自由、内的必然からの自由、他人による強制からの自由に分かれる。意志の自由とほぼ同義。

2・社会学的な意味

社会集団が個人の自立的判断・決定能力を発展させる構造的条件を備えていること。基本的人権のほか価値・規範体系の整備も含む。

3・政治的・歴史的な意味

時代によって異なる。古代ギリシャでは奴隷などと区別されたポリス市民の属性、すなわち優れたものへの洞察力を意味したが、中世ヨーロッパでは身分的特権の別名だった。近代のリベラルな自由概念は17世紀の宗教戦争以来成立し、市民革命を経て強化・確立され、宗教的自由から思想・信条の自由が、さらにそこから言論・出版の自由が要請された。この過程で、権力と対立しこれを制約する自由という視点もでてくる。マルクス主義的には、社会全体が解放され、人格の自律が真に達成されることが重要視される。


--------------------------------------------------------------------------------


で、いま思ってるのは、ジーコのいう「自由」は「1」だけの意味合いであり、
トルシエが考えていた自由はまさに「2」であると思います。
そして、11人の社会集団であるサッカーチームにおいては「自由」は「2」以外ありえないのではないかと思います。


突っ込んでいけば、トルシエは「管理」などしていないのだと思うのです。
トルシエが管理サッカー、という言い回しに違和感を感じていた僕としては、
この定義を読み返しながら「トルシエは自由なサッカーをしていた」と思わざるを得ません。


おそらく、グライダーさんはコパアメリカあたりから似たようなことを思われていたのではないかと思います。違いますでしょうか?

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/25(水) 20:20 -

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   ▼KINDさん:

>それは、ジーコの評価と切り離して、喜ぶべきことだと思う。僕はかつてここまで「自分の意思でサッカーをする」日本代表を見たことがない。

昔、70年代の日本代表は「自分の意志」と「ポジション」しかなかったような気もするが(笑)
ほんとにちゃんと「組織的」になってきたのなんてオフトからだしね。

>それらについては、今後の試合で立て直せるかどうかは割かし微妙ではないかなと思ってます。まずもって宮本が今後起用されるのかどうかわからない、なんせ相手は宮本の代わりに小村を選んだ監督ですから(笑)。だから、今回果たしてジーコが「宮本が(自分の哲学を完全に無視して)チームを立て直した」という認識を持っているかどうか。

そりゃジーコなめすぎでしょ。
そこまで見れない人があんなプレイ(現役時代ね)できるわけないし。
選手を見る基準の違いだね。
それに、チームが立て直ってきたのは宮本だけのせいじゃないでしょう。
「もっと押し上げて欲しい」っていうのは前々からの中盤の要望だし。
ジーコ的には(たぶん)余計なリスク背負うようなやり方さえしなければ良いってことだろうと思う。
ぼくは、そのへんは最初からいってたように「絶対に余れ」とか「絶対に一度引け」とかじゃなくて、基本をいってるだけだと思ってるので。
小笠原なんか、いったん引いてからマーク、なんてほとんどやってない。
即ボール取りに行ちゃってる。
それでもジーコが小笠原に出した指示はたぶんゾーンバランスに関してだけでしょう。
だから宮本のかわりに小村なんて選択もアリなわけですよ。
リスキーなことやらなければDFも自分の個性出して良い、ファウルが多いとかプレイがラフなこと以外はどんな個性でもOK、きちんと守ってくれればどんどん自由にやりなさい、ってことで。
で、ジーコが何をやるかって言えば実戦練習や試合で出た連携面の問題の修正や「間違った動き」の是正、バランスの修正をやって行くわけで、そのへんの手法はファンマルバイクあたりとたいした違いはないと思います。
いちいち動きに関して注文つけるかそうでないか、口うるさいかそうでないかの違いくらいなもんで。
まあそのマルバイクはオランダリーグじゃ「紅白戦しかやらないんだろ」とか陰口たたかれてるわけでもあるけど(笑)。
というわけで、ジーコが「自由」を標榜するったって、別にこういう監督だって実際にはけっこういるわけで。
「いないのと同じ」なんて、何言ってんだと思うのです。
現役時代がああだから、「いちいち言わんでもわかるだろ、そんなもん自分で判断せーよ」は多いと思いますが。

というわけで

>「自分の哲学が間違っていた」という意味での自省が不可欠になるわけです。

なんて話にはならない。
「リスクを犯してまでラインをあげようとするな」「なるべく一人余ってカバーリングできる体勢を取っておく方がリスクは少ないんだ、無理してオフサイド取らなくて良いから必要ないところでフラットになるな」「オフサイド・トラップは使うな」ってだけのことだろうし。
それって現代的ではないし、現代の普通とは少し違うかもしれんけど、いってることは別に普通。
だからジーコ的にもコンフェデでの宮本なら全然アリでしょう。
範疇に入っちゃう。

>「五輪代表はA代表では使えない」という自分の評価はすでに間違っていたと証明されてるわけだし。

それはわかりませんけどね。
大久保のフィジカルは五輪代表レベルを抜けて立派にA代表レベルなのは見ればわかるし。
田中達也も強いと思うけど。
石川はでも、旬だから見てみたかった。
どっちみちアレックスの球際の弱さじゃ守備は無視ってことなんだし、なら石川だって良いんじゃねーか?ってことで。

>まあアレックスが遅いというのはわかるけど、僕はもう少し見てもいいかな、という気分です。判断というものは伸ばせますからね。まあ今年いっぱいくらいは見たい。それでも「遅いな」と感じたら別にいいや、と思いますが。

判断というか脳みそと視野の問題のような気がします。
味方に苦労を強いる無駄なプレイが多くてうんざりです。
一番問題なのは、競れる体勢なのにもうひとつ競らないで体を引いちゃうあの守備。
ゴール前であれをやられた日には他のDFやキーパーはたまらんですよ。
あれはあんまりです。

>うーん、ただ、秋田の場合は「演奏力」そのものが最早コンペティションに出せるレベルではないような気がするんですよ。

まあ、経験値と自分のやりたいことやって欲しいことを知ってるだろうってことで選んだのは理解できなくもないです。
チーム作りの初期段階でそういう選手を呼ぶのは常套手段だし。
・・・って秋田を擁護したくないんですけど(笑)

>体張れないし、スペースがないと生きないし、ポストできないし

久保は、ちょっと動き方の修正っていうかもっとまともなFWの動き方っていうか、そのへんをちゃんとすれば点とれるんじゃないかって思うんですよ。
いまのところ、城と同じ問題っていうか、間違った動き方してると思うから。
岡田じゃ無理かもしれないけどジーコなら直せるんじゃないかと思うんだけど。

>すでに、フランスでは「独裁者!代表はお前のものじゃないぞ!」という罵声が浴びせられたようです(笑)。「なにを!!」と返していたようですが。

卵投げよう(笑)

Re:一喜三憂
 zukunasi  - 03/6/25(水) 21:17 -

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   ▼anybodydoさん:

>キリン杯0勝1敗1分、コンフェデ杯1勝2敗。
>「論理的な結果」でしょうね。

どこまでを論理とするか、事前の準備不足を考えれば論理的といえましょうが、その準備不足が何に起因するかを考えれば、非論理的とも言えそうです。

>トルシエの薫陶を最も受けた宮本が入ったことで1本筋が通ったのも、
>皮肉といえば皮肉です。

上のことも含め、過去に基づいてなるべくしてなっていく筋道の過程と捉えれば、それを見守っていくこと、その同じ時間を共有していることの面白さを感じます。

>残る、と思いますよ。
>ただDFリーダーとしての資質は、ちょっと疑問ですね。
>「秋田が悪いのは解るけど、お前もさぁー」なんて思ったりします。

オイオイ、しっかりしろよーってね。

>>カウンター攻撃を今のチームは忘れてしまった。皆無とはいえませんが、有効なカウンターはほとんど無かった。
>歌を忘れたカナリア・・・
>結局ジーコはそこに主眼を置いていないし、実はトルシエ以前の日本にも無かった。
>「お稽古」的な攻撃に終始していた日本にカウンターの意識を徹底させたのはトルシエで、
>そのおかげで戦略眼に長けた、頭の早い選手が輩出されたのは事実。
>でもこれって他の国では普通にやってることですよね。
>ただジーコもお稽古で早い攻撃、なんてオバカなことは考えていないので、
>トルシエ以前よりはマシでしょう。でも、もったいないですね。

確かにもったいないと思いますが、しかし宮本の例を引くまでもなく、過去4年間体に染み付けてきたものが、そう簡単に抜け落ちてしまうはずも無く、選ばれる選手たちが全く違ってしまうならいざ知らず、選手の主体性を重んじる監督の下であれば、いずれ形を変えながらも現れてくるのではないでしょうか。
僕はそう思うことにしました。

>結局は方法論の違い、で見方が異なるんでしょう。
>WCからどうするか、で、これからは個人の力、って声が出てきた。
>その言い草が無茶苦茶な人がいるのと、感じ方の違いから、
>別の方法を選択するべきだった、と僕は思っていますけど。未だに。

この気持ちは非常に良く判ります。あの路線の上ででも個の力を高められないわけで無し、行く所まで行って見たら?と思っていました。
でも、今の道を選んだわけで、であるならそれを楽しもうと言うところです。

>トルコに負けて思ったこと。日本の選手には、経験が無さ過ぎる。
>ここで負けたら契約切られる、怖くて街を歩けなくなる。
>そういった、極限での経験が、無い。
>代表に選ばれるくらいの選手なら、食えない恐怖なんて微塵も無い。
>耐えられないくらいのプレッシャーの下でやらされる経験が、足りない。
>今のやり方はかえってマイナスですね。
>自分を追い詰めてるのは中田ヒデくらいで、相対的にリラックスモード。
>負けてもマスコミは歓迎ムード。
>トルシエがなんであそこまでやったか。マイナスですね、今の状態は。
>結局どれだけ「飢え」を覚えるかで選手の伸びは決まる気がします。

仰ることは判りますが、これは求めても絶対得られないもの、少なくとも今の日本では。監督がいくら締めてみても、多分疑似体験にもならないと思います。
代表クラスの立場であれば、海外へ出ても「飢え」を経験することは難しいと思います。
有るとすれば己への要求基準を猛烈に高めることで、それこそ各自の自覚しだい、言葉を変えればプライドと言うことでしょうか、本当の意味での。
「お前ら、プライドが無いのかー」と言う言葉が、死んでも良いと思えるほどの屈辱感と、殺してやりたいほどの怒りを伴う言葉にする。そう言う意識付け、子供のころからの教育、それしかないように思います。

Re:一喜三憂
 zukunasi  - 03/6/25(水) 21:50 -

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   ▼gliderさん:

>アジアカップは、ぼくはそこをひとつの目処にすれば良いと考えてます。
>そこで駄目なら、このプロジェクトは終わり。
>ひとつの区切りをつけて「ネクスト・モード」に入るべきでしょう。
>で、ついでに協会首脳部も「ネクスト・ジェネレーション」へ。

エー、僕にとって、グライダーさんの「素」が、もうひとつ説得力を持たないのは、実はこの部分で「ネクスト・ジェネレーション」への下心が、「素」を機会主義的動機に基づくものとして感じさせる、そう言う臭いがすると言うことですね。(笑)
僕が怖いのはキャプテソが本当に「おばか」だったらどうしようと・・・

>それが「素」ということです。
>ただし、「インプロヴィゼイション・バンド」では往々にして「素」が相乗効果によって「素」以上になって発揮されるのであって、その経験がまた「素」をステップアップしますよね。

こうなった以上は、その相乗効果によるステップアップを是非とも実現していただきたい。
僕は、試合の再見やここでの話などを通して、このサッカー結構面白いんではないかなと思い始めています。この先どうなって行くのか、楽しみになって来ました。
選手の自主性を重んじる限りにおいて、過去の体験はそれなりに反映されていくでしょうし、それを含めた巾の広いサッカーに育っていく可能性も有るわけで、その行く末を見てみたいという気になっています。
相手のプレスやスピードに対する対応など不安な部分もありますが、それらをどう克服するのか、対処できないのか、それらを含め見てみたい、そう思うようになりました。
ジーコについては、もしその方向性が一致し、且つマネジメントについて信頼できる監督がいるのであれば、即交代して欲しいと思います。
しかし、それが無理なら、やはりアジアカップで答えを出して欲しいですね。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/6/26(木) 2:16 -

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   ▼KINDさん:

>おそらく、グライダーさんはコパアメリカあたりから似たようなことを思われていたのではないかと思います。違いますでしょうか?

コパアメリカは、あまり真剣に見てませんでした。
どっちみち五輪組を中心とした若手主体に切り替えるつもりなのはわかりきってたし、ということはつまりコパアメリカは「ふるい落とし」の意味が大きいのが明白で、誰が残るのかもだいたい想像ついたし。
トルシエのサッカーについてまず思ったのは、切り替えが速い現代的なサッカーをやろうとしていること。
それからコパアメリカの2ケ月前のワールドユースで見せた「自由な」サッカーがあった。
だから、「オートマティスム」とか「組織6割」とか聞こえてきてはいたけど、「管理サッカー」なんて印象はまったくなかったですね。
ユースの連中は、ほんとに伸び伸びとサッカーしてたし。
主体性ってことでは、オートマティスム、スペースへどんどん出て、それも即座にカヴァーされてて、っていうのに「黄金の中盤」の夢を見てたのが今思えば皮肉です。

ジーコがやろうとしてるのはだから、テレ・サンターナのサッカーまんまだと思うんですよ。
82年大会のあのチーム、カレッカがケガで駄目でポストプレイヤーなセルジーニョが中央のFWに入り、左足のキックが得意なエデルが左めに位置するFWであったために、右のスペースを意図的に開けておき、そこをジーコやソクラテスが次々に使った。
両SBのレアンドロとジュニオールもSBというよりほとんどMF。
高い位置で好きなように中へ入ってきてプレイしてた。
ただし、レアンドロが上がればジュニオールは残り、という釣り鐘式は比較的守られたし、SBが中へ入ればセレーゾかファルカンが外を見てた。
基本的には「中へ中へ」という感じでポジションをクルクル変えながら、それで出来るスペースへ細かいダイレクトパスを使って崩して行こうとするサッカー。
エデルとジーコ、ソクラテスはしょっちゅう入れ替わっているし、ソクラテスとファルカン、セレーゾも同じ。
基本的にはジーコは1.5列目、セレーゾが下がり目、というのはあるけど、スペースへ走り込む選手に次々にスルーパスが出て、そこからさらにワンツーなどで崩して行くという感じ。
ジーコは鋭いラストパスを連発し、ソクラテスはバシバシとシュートを放った。

約束ごとははっきりしてたと思います。
ポジションチェンジをしてスペースを作ること。
そのスペースに素早く入ること。
その穴は必ず誰かがカバーしてバランスを保つこと。

実は、「オートマティスム」が目指すものとそう変わらない。
違いは、過程。
スペースメイクとスペース侵入を習慣的、同時多発的、連続的な約束にし、ホルダーの「自由」をより確保するか、スペースメイクとスペース侵入を各々の「自由」な判断にまかせ、その先は個人と個人の連携力、イメージの共有によるか。
攻守にコンパクトであるか否か、スピードはどうか、という違いはあるにせよ。

ということで、ぼくとしては「後はスピード(を上げられるか、どこで上げるか。緩急の差も含め)」「人選が問題」なんですよね。

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/26(木) 2:40 -

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   ▼zukunasiさん:

>エー、僕にとって、グライダーさんの「素」が、もうひとつ説得力を持たないのは、実はこの部分で「ネクスト・ジェネレーション」への下心が、「素」を機会主義的動機に基づくものとして感じさせる、そう言う臭いがすると言うことですね。(笑)

エー、ぼくとしてはトルシエ的「一石二鳥」狙ってるつもりなんですけど(笑)

>僕が怖いのはキャプテソが本当に「おばか」だったらどうしようと・・・

え?おばかじゃないんですか?

>こうなった以上は、その相乗効果によるステップアップを是非とも実現していただきたい。
>僕は、試合の再見やここでの話などを通して、このサッカー結構面白いんではないかなと思い始めています。この先どうなって行くのか、楽しみになって来ました。

実はぼくもそうなんです。
繰り返すけど、本当に人選次第だと思いますが。
というか、人選次第ではおもしろくなる可能性も見えてきたというか。

>相手のプレスやスピードに対する対応など不安な部分もありますが

これで、速く行くべきところで速くなれたら。
そうして「時間」を操れるようになったら。
行くべき所でガンガン行けたら。
DFがもう少しダイナミックになったら。
そうしたら「結果的にジーコにして正解だったね」って言えるのに、と思います。

>ジーコについては、もしその方向性が一致し、且つマネジメントについて信頼できる監督がいるのであれば、即交代して欲しいと思います。
>しかし、それが無理なら、やはりアジアカップで答えを出して欲しいですね。

ジーコですね・・・うーん・・・むー・・・
「ほんとはどんなだったっけか」と思って、さっきヴィデオで82年のブラジル見ちゃったんですよ。
ジーコやっぱり好きです。すげーカッコいいです。
あの「宇宙人」ジーコが日本の監督やってるだなんて・・・
当時の気持ちに戻っちゃってます。ヤバイです(笑)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KIND  - 03/6/26(木) 19:59 -

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   ▼gliderさん:

こんにちは、レスありがとうございます。

>>おそらく、グライダーさんはコパアメリカあたりから似たようなことを思われていたのではないかと思います。違いますでしょうか?
>
>コパアメリカは、あまり真剣に見てませんでした。
>どっちみち五輪組を中心とした若手主体に切り替えるつもりなのはわかりきってたし、ということはつまりコパアメリカは「ふるい落とし」の意味が大きいのが明白で、誰が残るのかもだいたい想像ついたし。
>トルシエのサッカーについてまず思ったのは、切り替えが速い現代的なサッカーをやろうとしていること。
>それからコパアメリカの2ケ月前のワールドユースで見せた「自由な」サッカーがあった。

あっ、そういえばワールドユースのほうが先でしたね(恥)、失礼しました。

>だから、「オートマティスム」とか「組織6割」とか聞こえてきてはいたけど、「管理サッカー」なんて印象はまったくなかったですね。
>ユースの連中は、ほんとに伸び伸びとサッカーしてたし。
>主体性ってことでは、オートマティスム、スペースへどんどん出て、それも即座にカヴァーされてて、っていうのに「黄金の中盤」の夢を見てたのが今思えば皮肉です。

やっぱり、そう(トルシエは管理サッカーなどしていない、という風に)思われていたということですね。あの時期からそういう考えを持っていたというところが、単純にすごいと思います。


>ジーコがやろうとしてるのはだから、テレ・サンターナのサッカーまんまだと思うんですよ。
(中略)
>ジーコは鋭いラストパスを連発し、ソクラテスはバシバシとシュートを放った。

なるほどー。。。この時代のサッカーは、BSのサッカー番組でやるのを見たことがあるくらいなのですが、そうでしたか。

>約束ごとははっきりしてたと思います。
>ポジションチェンジをしてスペースを作ること。
>そのスペースに素早く入ること。
>その穴は必ず誰かがカバーしてバランスを保つこと。
>
>実は、「オートマティスム」が目指すものとそう変わらない。
>違いは、過程。
(中略)
>ということで、ぼくとしては「後はスピード(を上げられるか、どこで上げるか。緩急の差も含め)」「人選が問題」なんですよね。


うーん、ただ、そういったサッカーをやるためには秋田や小村という選手選考がぜんぜん意味がわからないんですよね。そこらへんが、いまいちジーコの目を信用できないところというか。

Re:一喜三憂
 KIND  - 03/6/26(木) 20:18 -

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   ▼gliderさん:
>▼KINDさん:
>
>>それは、ジーコの評価と切り離して、喜ぶべきことだと思う。僕はかつてここまで「自分の意思でサッカーをする」日本代表を見たことがない。
>
>昔、70年代の日本代表は「自分の意志」と「ポジション」しかなかったような気もするが(笑)
>ほんとにちゃんと「組織的」になってきたのなんてオフトからだしね。

そういえば、70年代・60年代の元・日本代表選手はひじょうに個性が強いですね。釜本にせよ、川淵にせよ、今西さんにせよ。いまの世代とは比較にならない我執の塊というか。方向性はともかく、パワーはすごいと思います。川淵に関して言えば、全国に芝のグラウンドを作ろう構想などはすごく支持できますし。


>>それらについては、今後の試合で立て直せるかどうかは割かし微妙ではないかなと思ってます。まずもって宮本が今後起用されるのかどうかわからない、なんせ相手は宮本の代わりに小村を選んだ監督ですから(笑)。だから、今回果たしてジーコが「宮本が(自分の哲学を完全に無視して)チームを立て直した」という認識を持っているかどうか。
>
>そりゃジーコなめすぎでしょ。
>そこまで見れない人があんなプレイ(現役時代ね)できるわけないし。
>選手を見る基準の違いだね。

そうなのかなー。

>それに、チームが立て直ってきたのは宮本だけのせいじゃないでしょう。
>「もっと押し上げて欲しい」っていうのは前々からの中盤の要望だし。
>ジーコ的には(たぶん)余計なリスク背負うようなやり方さえしなければ良いってことだろうと思う。
>ぼくは、そのへんは最初からいってたように「絶対に余れ」とか「絶対に一度引け」とかじゃなくて、基本をいってるだけだと思ってるので。
>小笠原なんか、いったん引いてからマーク、なんてほとんどやってない。
>即ボール取りに行ちゃってる。
>それでもジーコが小笠原に出した指示はたぶんゾーンバランスに関してだけでしょう。


中盤に関してはそうなんでしょうけど、DFラインに関していえば、秋田はずっとそれをやっていましたよね。いったん引くし、意味のないところであまってるし(笑)。だから秋田の行動が「忠実すぎる」(もっとフレキシブルにやるべき)のか、それともジーコの望むようにやっているだけなのか。秋田を宮本に交代したことでジーコが「何を捨てたのか」が気になるところです。何も捨てていないならそれでもいいんですが、ともあれ8月20日までそれは分からないところかな、と。

小笠原は、いったん引くなんてかったるいことしないで前からプレスを掛けに行かなきゃ駄目、ということが分かってる選手。秋田は分かってない選手。それだけの差なのかな。それだけの差ならいいんですが、そこらへんでジーコが不明瞭なのが。


>だから宮本のかわりに小村なんて選択もアリなわけですよ。
>リスキーなことやらなければDFも自分の個性出して良い、ファウルが多いとかプレイがラフなこと以外はどんな個性でもOK、きちんと守ってくれればどんどん自由にやりなさい、ってことで。
>で、ジーコが何をやるかって言えば実戦練習や試合で出た連携面の問題の修正や「間違った動き」の是正、バランスの修正をやって行くわけで、そのへんの手法はファンマルバイクあたりとたいした違いはないと思います。
>いちいち動きに関して注文つけるかそうでないか、口うるさいかそうでないかの違いくらいなもんで。
>まあそのマルバイクはオランダリーグじゃ「紅白戦しかやらないんだろ」とか陰口たたかれてるわけでもあるけど(笑)。
>というわけで、ジーコが「自由」を標榜するったって、別にこういう監督だって実際にはけっこういるわけで。
>「いないのと同じ」なんて、何言ってんだと思うのです。
>現役時代がああだから、「いちいち言わんでもわかるだろ、そんなもん自分で判断せーよ」は多いと思いますが。


論理的には分かる話なんですけど、実際にそうなのかどうかいまいち確証を持てないんですよね。

ジーコの過去の話を聞いていると、やっぱりそこかしこに「監督」に対する敬意が欠けている部分があると思う。「管理サッカー」「つまらないサッカー」「選手の個性を生かして自由に」という言葉は、監督経験のない人間がある監督を評するときに使う言葉としては非常に不遜であると。

それが別にファンだったりつまらないライターだったりマスコミだったりするのはまだ良いんですが、「神様」と祭り上げられてるジーコだからまずい。自分のやり方を実践して、その中でどこにひずみが出てくるのか、そのときにどう直していけば良いのか、選手と格闘したことがない人間なわけですから、ジーコは。

そのあたりが、まあよく知らないけどファンマルバイクあたりとは違うんじゃないかなと思ったり。彼は別にフェイエノールトで監督生活をスタートさせた監督じゃないだろうし、過去にいろいろな格闘をしてきた中で自分のフォームを見つけた人だろうし、それが結果的にジーコに似ているということはあっても、まったく同じとは思えないかも。


>というわけで
>
>>「自分の哲学が間違っていた」という意味での自省が不可欠になるわけです。
>
>なんて話にはならない。
>「リスクを犯してまでラインをあげようとするな」「なるべく一人余ってカバーリングできる体勢を取っておく方がリスクは少ないんだ、無理してオフサイド取らなくて良いから必要ないところでフラットになるな」「オフサイド・トラップは使うな」ってだけのことだろうし。
>それって現代的ではないし、現代の普通とは少し違うかもしれんけど、いってることは別に普通。
>だからジーコ的にもコンフェデでの宮本なら全然アリでしょう。
>範疇に入っちゃう。


まあ、それだったらぜんぜんそれで良いです。結果的に宮本を「アリ」とするならば。いま選手たちのメンタリティは確実に変わっていってると思うし。


>>「五輪代表はA代表では使えない」という自分の評価はすでに間違っていたと証明されてるわけだし。
>
>それはわかりませんけどね。
>大久保のフィジカルは五輪代表レベルを抜けて立派にA代表レベルなのは見ればわかるし。
>田中達也も強いと思うけど。
>石川はでも、旬だから見てみたかった。
>どっちみちアレックスの球際の弱さじゃ守備は無視ってことなんだし、なら石川だって良いんじゃねーか?ってことで。


いや石川は良いし、田中達也もいいんですが、ジーコは昨年末まで大久保を知らなかった(らしい)人間ですからね。

>>体張れないし、スペースがないと生きないし、ポストできないし
>
>久保は、ちょっと動き方の修正っていうかもっとまともなFWの動き方っていうか、そのへんをちゃんとすれば点とれるんじゃないかって思うんですよ。
>いまのところ、城と同じ問題っていうか、間違った動き方してると思うから。
>岡田じゃ無理かもしれないけどジーコなら直せるんじゃないかと思うんだけど。


その場合、まず合宿期間を2週間は取らないと駄目かも。1週目は久保はジーコに対して「顔見知り」しちゃってるかもしれない(笑)。


>>すでに、フランスでは「独裁者!代表はお前のものじゃないぞ!」という罵声が浴びせられたようです(笑)。「なにを!!」と返していたようですが。
>
>卵投げよう(笑)


とりあえず、8月20日は、チケットが手に入りさえすればトルシエ・コールしてきますよ。さすがに川淵を面罵するまでは行かないかもしれないですが。いや、したいけど。

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/27(金) 5:57 -

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   ▼KINDさん:

>中盤に関してはそうなんでしょうけど、DFラインに関していえば、秋田はずっとそれをやっていましたよね。いったん引くし、意味のないところであまってるし(笑)。だから秋田の行動が「忠実すぎる」(もっとフレキシブルにやるべき)のか、それともジーコの望むようにやっているだけなのか。秋田を宮本に交代したことでジーコが「何を捨てたのか」が気になるところです。何も捨てていないならそれでもいいんですが、ともあれ8月20日までそれは分からないところかな、と。

これは問題なのかもしれないけど、単純にぼくの想像なんだけど、ジーコ的には「攻守一体」とか「良い攻撃は良い守備から」とかそういう現代的DFの哲学のようなものはなくて、「ボールを持っていれば相手は攻撃できない」ということが一番なんじゃないだろうか。
ボールポゼッションはすごく重視するが、エリアポゼッションはだから重視しない。
カウンター型ではなく構築型の攻撃を指向しているし、ゆったりとしたリズムの「スローフットボール」でもある。
カウンターならワールドカップでのデータにもある通りほとんどはミドル〜自陣からの方が得点率は高い。
だから、秋田であろうと宮本であろうとDFとしてのタイプが全然違おうと本当のところはジーコ的にはたいした問題じゃない。
余計なリスクを背負わずにしっかりと守ってくれれば良い、ってことで。
ジーコは、「CBはしっかり守れる」ことが何より一番、秋田は人に強く空中戦に強く、経験があり、自分が言ってきたことを理解している選手、ということでまずは据えられた。
しかし、韓国戦、アルゼンチン戦の連敗でチームのムードが悪くなり、その中で秋田を中心としたDFとヒデを中心としたMFの意見の違いも出た。
DFとMFの間が開くのはまずいし、そこにMFが引っ張られてしまうのはまずい。
遠藤や稲本にも前へ飛び出して行っても欲しい。それは得点になる形だから。
で、宮本の登用を決めた。
秋田と宮本だけを取り替えるのでは、秋田に全責任を被せるようなことになってしまうのでDFを全部入れ替えた。
それくらいした方が、停滞ムードを変えるきっかけにもなる。
自分としては「攻撃第一」でもある。
で、あまり機能してなかったアレックスの厚生のためにもSB起用の実験もしてみた。
手応えがあった。
そういう感じじゃないかと思います。

トルシエとジーコ、何が違うってやっぱりトルシエはDF出身の監督、ジーコはオフェンシヴ・ハーフ、しかもかなりFWに近い1.5列目のファンタジスタ出身の監督、という点。
結果的にどちらが攻撃的になり得るか、ということはまた別として、ジーコの思考は「攻撃から」入っている。
理想としているのは、ほとんどボールを相手に渡さず、相手のプレッシャーを技術とダイレクトなパスワークでかわし、GKと「CBの二人」の3人以外は高い技術を見せつけて攻撃し続け、芸術と讃えられた自分のいたテレ・サンターナのセレソン。
そのことは念頭に置いといた方が理解しやすくなります。

ぼくは、「ジーコのサッカー」がよくわかりませんでした。
開きがちなDFとMF、中盤での遠い選手間の距離、旧態依然なSBの動き、遅いサッカー。
なんだかちっとも面白くない。夢が持てない。でもまあ選手に責任を持たせるのは悪いことじゃない。
選手主体のチームを作るなら、それは不足を補える。
トルシエが求め、得られそうで得られなかったものを得るためのきっかけになるかもしれないし、それへの訓練にはなる。
こうした段階は、この先海外移籍が増えて行くだろうことを考えても必要なことだろう。
成熟した代表になるためには、経なくてはいけない段階でもあるかもしれない。
いつまでも戦術頼み監督頼りの「親掛かり」サッカーじゃしょうがないし。こういう状況は後々生きてくるだろうから、まあ2年くらいは我慢するか。
ジーコには悪いけど、本番が近くなったらどっちみちこれじゃ無理だろうから、交代だな。だったらついでに「協会の解任も要求する」ってか。そりゃいいな。もう「世界のサッカー知ってる」世代に交代しないと世界には通用しないからね。
トルシエの時はトルシエががんがん要求して言ってくれたし、あっちこっちとちゃんと交渉してくれたから助かったけど、いつまでもそんなわからんちん協会じゃ情けないし。
そんな感じでした。それにしてもつまんない。見なくてもいいか、とすら思ってました。
でもフランス戦、コロンビア戦と見てきてハタと思いあたりました。
これは何かに似ている、と。
で、確認してみると驚くほどに類似点がある。
スローなテンポ。ボール・ポゼッションの重視。後方からのしつこいパス回し。
ファンタジスタ、ジーコと中村。随一のアタッカーで個性派をまとめた知性的なキャプテン、ソクラテスと中田。
素早いカバーと華麗なテクニック、機転の効いたパスで組み立てるファルカンは、まあ遠藤(たぶん本来は小野)。
これまた素早いカバーリングと読みの良い守備でボールを拾いまくりつつ見事なテクニックで攻撃参加もするセレーゾと稲本(もしかしたら遠藤)。
ほとんどMF、たまにウィンガーなFWのようにさえ見えるジュニオルとアレックス。
強烈なシュートとドリブル、中盤の深くまで下がってボールを取ろうとするエデルと大久保。(ちょっと違うタイプだけど)。
そう考えるとしつこく鈴木を使ってたのもわかってくる。
ポストプレイヤーで潰れ役のセルジーニョは、得点力がないところまで鈴木みたい(笑)。
まあ鈴木と大久保っていうコンビはなかったけど。(ちょっとはあったっけ?)
でもあのチームのほんとのFWはカレッカだけどね。
後は・・・レアンドロがいないな。
誰かいないか。テクニックがあって、突破力があって、MFもこなし、MFのカバーリングもできて、相手のボックスの中でも冷静にプレイできるSB・・・
稲本?

なんだかね、ちょっと希望が出てきたって感じなんですよ、ぼくとしては。

>そのあたりが、まあよく知らないけどファンマルバイクあたりとは違うんじゃないかなと思ったり。彼は別にフェイエノールトで監督生活をスタートさせた監督じゃないだろうし、過去にいろいろな格闘をしてきた中で自分のフォームを見つけた人だろうし、それが結果的にジーコに似ているということはあっても、まったく同じとは思えないかも。

いや、指導方法っていうかやり方のタイプとして似てるってだけですよ。
監督初心者と比べちゃマルバイクも怒るでしょ。
まあ比べる相手がジーコだから許してくれるかもしれないけど(笑)
でもアヤックスとフェイノールトの違いはトルシエジャパンとジーコジャパンの違いと似てます。
だからジーコ後はクーマンがいいなあ、なんて思ったりもしたんで。

>まあ、それだったらぜんぜんそれで良いです。結果的に宮本を「アリ」とするならば。いま選手たちのメンタリティは確実に変わっていってると思うし。

アリでしょうけどね。
でもぼくは本当を言えばナシだな。
宮本がって言うんじゃなくて、宮本と坪井というコンビは。
フランス戦でも、ハイボールを入れられてた時はやっぱり厳しい状況になった。空中戦はほとんど全敗だったからね。
宮本も坪井もちゃんと体を合わせるまではきちんとやってたし、だからそれで失点にはならなかったし相手は腐ってもフランスだからそれを繰り返しはしなかったけど、アレックス、宮本、坪井、山田っていうラインではハイボールでよしと割り切られて徹底されたらほんとに地獄。
秋田、森岡で徹底的にスピードで裏を狙われたら地獄なのと同様に。(二人のコンビが深くなるのは、ジーコがどうの指示がどうのっていうより二人の鈍足さによるものが大きかったと思う。みんなすぐ監督のせいにしたがるけど、もっとちゃんとディテイルで見た方が良いって本当に思います。相手の立場に立ってみれば、秋田森岡でこっちのボールの時もライン高くしてたら余ってようとフラットだろうとどんどん裏へボール出して足で勝負すりゃ点とれるって思うよ、単純に。)
だから、宮本となら例えば松田とか、坪井なら森岡とか、そういう組み合わせにしといた方が良いと思う。
何にせよ宮本、坪井、山田っていうラインじゃハイボールに対してあまりに不安。
もちろん宮本はミス以外は素晴らしい主張、DFとしてのあり方を見せてくれたし、坪井のスピード、守備技術、ボールを取りに行く動きには惚れ惚れするし、使って行って欲しいと思うけど。

>その場合、まず合宿期間を2週間は取らないと駄目かも。1週目は久保はジーコに対して「顔見知り」しちゃってるかもしれない(笑)。

久保ね・・・なんか日本人としてはあり得ないようなプレイとかがあるんですよね、たまに。
腰高で足が揃っちゃうドリブルとか、まるで城なアホなポジション取りとか、文句はいっぱいあるけど、すべてを帳消しにするようなアフリカンのようなプレイがある。
ほんとにね、ボールがワイドに出た時とかにもっと絡めるポジショニング、パサーから見えないフリースペースにすぐに入っちゃってマークつかれちゃってボケっとしてるんじゃなくて、もっとそのままボールと味方の動きに積極的に絡んで行って、もっと狙えるポジショニングして、「俺がシュートを打つんだ」って意識を強くするっていう、それだけで化けるんじゃないの?と思うんですよ。
誰に教えられたのか知らんけど(いや日本のFWにはほんとに多いんだけど)、すぐにファーのスペースへ逃げてボーッと待ってるんじゃなくてね。

>とりあえず、8月20日は、チケットが手に入りさえすればトルシエ・コールしてきますよ。さすがに川淵を面罵するまでは行かないかもしれないですが。いや、したいけど。

「代表は個人能力と日本協会の方針で8割決まります。その環境が整えばトルシエ監督でもジーコ監督でも、また無名な監督でも大差はありません。今のジーコ監督批判は「代表チームの8割が監督で決まる」という誤った考えによるものです。監督や戦術に責任を押し付けるのはサッカー文化の成熟していない国の常とう手段です。今の状況で監督を代えても何も変わらないのです。」
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/p-sc-tp3-030626-0009.html

ダバディに賛成。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/6/27(金) 7:46 -

引用なし
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   ▼KINDさん:

>あっ、そういえばワールドユースのほうが先でしたね(恥)、失礼しました。

うん。
でもあのユースのチームがなかったら、どうだったのか。五輪予選を見るまで理解は遅れたかもしれません。

>やっぱり、そう(トルシエは管理サッカーなどしていない、という風に)思われていたということですね。

だってあのユースのチーム見て「管理サッカー」なんて誰も思わないでしょ。
アフリカ人だって喜んでたくらいだし(笑)
約束ごとはすべてスピーディでフリーロールな攻撃サッカーのため、「自分達に主体があるスマートで攻撃的な守備」をするため、って理解できたし、その挑戦的哲学に「イケてるなあ」って思いました。
で、みんななんで批判的なのか全然わかんなかったですね。
コパ?年寄りをみんなに納得させつつふるい落とすための方便でしょ。監督って大変だなあ。
選手批判?思ったことそのまんまストレートに言っちゃうのね、この人。おもしれー。
日本サッカーの伝統の批判?まったく言ってる通りでしょ。頭悪すぎたし。
あー気持ちいーなーこの人。本物のサッカー気違いだ。やれやれもっとやれ、硬直した旧態依然の古くさい間違ったもんなんかぶっ壊せ。言え言えもっと言え。これで変わるぞきっと。こいつは間違いなく日本のサッカーにとってのトリックスターだ。
そんな感じでしたね。
そして、まあそれは半ばは達成されたと思う。
解任騒動の時のあのトルシエ・コールには、何かの象徴を見てしまいました。
だから、今さら永井なにがしなんて旧石器時代の生き残りのヴォケが何を言っても気にならない。
連中がジーコに何を託そうと、関係ない。

そうしてジーコになった。
なかなか結果が出ない。
でも基本的にダバディが言ってる通りだとぼくは思います。
ちょっと言わせてね。
みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。

でも、それも「過程」かな。

>なるほどー。。。この時代のサッカーは、BSのサッカー番組でやるのを見たことがあるくらいなのですが、そうでしたか。

テレ・サンターナに「戦術がない」なんて誰も言いませんでしたね。
あれはれっきとした「ローテーション・フットボール」っていう戦術。
そこはジーコも変わらない。
それもこれも含めて、南米式ではある。
日本は、どう進む?
そこは考えて行った方が良いと思います。
ジーコで行けるところまで行ってみるのも面白いかも、とぼくは思いはじめてます。
それを完全消化してみるのもいいかもしれない。
その後にどうするかは、でも、考え続けて行った方がいいと思う。
時間まかせにしないで、ね。

>うーん、ただ、そういったサッカーをやるためには秋田や小村という選手選考がぜんぜん意味がわからないんですよね。そこらへんが、いまいちジーコの目を信用できないところというか。

だからジーコは、「CBはしっかり守ればいい」人なんですよ、基本が。
そこにあまり比重がないっていうか、ね。
それはそれで困った人でもあるけど、「ボールをキープしてればたいして関係ないだろ」な匂いもするし、ほんとにそうなったらそれはそれで楽しい。
中盤王国なんだから、SBもMFでもいい。それくらいやるかもしれん。
中盤が中田ヒデ、中村、小野、遠藤で両SBがアレックスと稲本、なんてことになったら、それはそれで楽しい。(アレックスには成長してもらうとして。また、アレックスのそういう起用が口実になって新井場とかでもいいし)
現代の「ファスト・フットボール」に対するアンチテーゼとしての「スロー・フットボール」、「良い攻撃は良い守備から」に対するアンチテーゼとしての「ボールポゼッション・フットボール」、日本がどこまでできるか見てみたい気もします。

ちなみにアーセン・ベンゲルは「それじゃあまるでレアルマドリーみたいだって?日本人には無理?そうかな?人生で大事なのは信じることだよ」とおっしゃってます(笑)

そうそう、関係ないけどフォエのこと、びっくりした。
フランスートルコは良いゲームでしたが・・・

Re:一喜三憂
 zukunasi  - 03/6/28(土) 0:24 -

引用なし
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   ▼gliderさん:

レス遅れて済みません。
昨晩は工事停電してまして、残念ながらコンフェデも見てません。
早寝して、今日は裏山に登ってきました。

>エー、ぼくとしてはトルシエ的「一石二鳥」狙ってるつもりなんですけど(笑)

ナハハ、今現在正確には『「一石二鳥」狙ってた』になってません?
まあそこがなんとも割り切れない部分になってしまって・・・・

>え?おばかじゃないんですか?

失言でした、お詫びして訂正いたします。おばかです。

>これで、速く行くべきところで速くなれたら。
>そうして「時間」を操れるようになったら。
>行くべき所でガンガン行けたら。
>DFがもう少しダイナミックになったら。

ジーコは時間を操ることなどはお手の物でしょうから、やはりちゃんと指導して欲しいですね。それも選手の主体性なのかしら。
プレスはどうなるんだろう。ショートカウンターなんかもちゃんと織り込まれるのだろうか、できれば選手の主体性ってやつで織り込んで行って欲しい、時に応じて使えるようにしておいて欲しいです。
DFについてはジーコには一切期待できないように思うので、宮本に期待するのか。それとも、DFコーチ・・・・・なんてうまく行くのだろうか。

>そうしたら「結果的にジーコにして正解だったね」って言えるのに、と思います。

で、これが痛し痒し・・・・・
やはり、二兎を追うものは一兎をも得ず、なんてことにならないように・・・・

>ジーコですね・・・うーん・・・むー・・・
>「ほんとはどんなだったっけか」と思って、さっきヴィデオで82年のブラジル見ちゃったんですよ。
>ジーコやっぱり好きです。すげーカッコいいです。
>あの「宇宙人」ジーコが日本の監督やってるだなんて・・・
>当時の気持ちに戻っちゃってます。ヤバイです(笑)

って、他の書き込みなども見ると、結局「曲がっちゃった」んですね・・・(笑)
まあ、人のことは言えないんですが・・・・・・

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 amo  - 03/6/28(土) 3:03 -

引用なし
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   こんばんは。
日本にいるのに時差ボケみたいな生活になってきました。

>みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
>監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
>戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。

PTA…言いえて妙です(笑)
でも、サポは「親」のように、代表に直接働きかけることは
できないですから。だからワーワー言うのは、まあよし、として。

>日本は、どう進む?
>そこは考えて行った方が良いと思います。
>ジーコで行けるところまで行ってみるのも面白いかも、とぼくは思いはじめてます。
>それを完全消化してみるのもいいかもしれない。
>その後にどうするかは、でも、考え続けて行った方がいいと思う。
>時間まかせにしないで、ね。

この後に。協会に何もプランがなさそうなのが…。
でもま、2006ってことに関しては、なぜか楽観的ですが。

思うに、ジーコの現役を知っているか、いないかによって
彼の意図することに対する理解度が違ってくる面があるんじゃないでしょうか。
および、支持・不支持に至るまで。

私、といえばサッカーを見始めたのが「ドーハ後」の
94、5年くらいなので、
ジーコといえば「ひとりでできた」の人(笑)
ジュビサポなのでアントのサッカーは好きではないし
なんていうか、国内では強い、ドメスティックな印象があるんですよ。

でもまあ、代表・監督・自分の三位一体(笑)
ってことは、非常に稀で、トルシエ時代はすごいラッキーだったんだ
ということに気づきました。なので、今は素直に代表頑張れ、と。

だから、トルシエコールとかはもういいんじゃないですか?
好きだったけど今はもう別れた男だよ(笑)
で、ベンゲルは気のあるそぶりをする連れない男ね(笑)

ジーコがたとえ自分にぴったりの相手じゃなくても
得るものはあるだろうからしばらくはちゃんと付き合って、
ヤバくなった時には、自分でしっかりやっていけるから大丈夫。

…な代表であって欲しいものです、ほんと。

>そうそう、関係ないけどフォエのこと、びっくりした。
>フランスートルコは良いゲームでしたが・・・

本当にショッキングでした。
神に召される、ってああいうのを言うんじゃないかしら…。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/6/28(土) 8:29 -

引用なし
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   ▼amoさん:

おはようございます。

>日本にいるのに時差ボケみたいな生活になってきました。

同じくです。
ぼくに関して言えば仕事がないのと、雨と、コンフェデのせいです(笑)

>でも、サポは「親」のように、代表に直接働きかけることは
>できないですから。

そうですね。
でも、もっと選手がやってることをちゃんと見よう、監督がどうのって言う前に、やってるのは選手だってことをもっと理解して、プレイの細かなディテイルからも「なんでそうなったか」を考えよう、ってことなんですよ。
ラインが深くなってると「ジーコのせい」ラインが少し高くなると「宮本がジーコの指示を無視したから」ってそういうの、ちょっと安直だと思います。
秋田、森岡で深くなってたのは、二人の足が遅いっていうのは大きいと思うし、宮本になって良くなったのは、もちろん選手達の話合いで変えて行った部分も宮本の主義で良くなった部分もあるのは間違いないけど、宮本、坪井っていう二人がポジショニングと判断、宮本のコントロールテクニック、物理的なスピードで後方へのカバーをきっちりやってるから成立してるって部分はあんまり話題にならない。
なんでそうすぐになんでもかんでも監督のせいにしたがるのかな、過保護じゃないのって感じます。
自戒も込めて。

>この後に。協会に何もプランがなさそうなのが…。

うーん、ないんでしょうね・・・
でもプロの人気商売、世論の影響も大きいですから、頑張りましょう。

>私、といえばサッカーを見始めたのが「ドーハ後」の
>94、5年くらいなので、
>ジーコといえば「ひとりでできた」の人(笑)

それは大きいですよね。
ぼくなんかは82ブラジル、特にその中でもジーコは特別な憧れがありましたから。
当時のジーコは、そりゃカッコ良かったです。
日本代表で言えば、NZ戦とかフランス戦の中村に5、6本の見事なスルーパス足したのを毎試合のようにやってた、と言えば想像できるでしょうか。
予測不能なことばかりする、っていうんで「宇宙人」って呼ばれてました。
当時のぼくらにはすごくインパクトが大きかったですよ。
そういう人だから、「ボールを持っていれば攻撃はされない」っていうのを基本方針にするってのはいかにもです。
で、そういうドリームチームにいた人だから、その時の監督を尊敬してて、その手法を踏襲したいっていうのもよくわかります。
「ジャパン・ドリームチーム」作っちゃおうとするのも。
だったら中盤だけじゃなくてバックスもFWも「黄金」にしてよ、って思いますが(笑)
で、「MF7人計画」とか・・・

>だから、トルシエコールとかはもういいんじゃないですか?
>好きだったけど今はもう別れた男だよ(笑)
>で、ベンゲルは気のあるそぶりをする連れない男ね(笑)

言えてます。
トルシエはオフト以上に日本のサッカーにとって大きな存在だったと思うし、だからいなくなって寂しいし、残して行ったものへの愛着とか、よくわかる。
30年サッカー見てきて、次から次へといろんな代表監督見てきたぼくらの世代でもそうですから。
あんなおもろいオッサン、いなかったですからね(笑)
でも、次の段階へ進まなきゃね。
それは一見、「三歩進んで二歩下がる」ことになっても、その次の三歩のために必要なこと、と割り切って。
ベンゲルはほんとタヌキじじいだと思います。
的確なこと言って、それにちょっとその気にさせるようなことや、こっちの気を良くすることを混ぜる。
このタヌキめ!って感じです(笑)

>ジーコがたとえ自分にぴったりの相手じゃなくても
>得るものはあるだろうからしばらくはちゃんと付き合って、
>ヤバくなった時には、自分でしっかりやっていけるから大丈夫。
>
>…な代表であって欲しいものです、ほんと。

ほんとですね。

>>そうそう、関係ないけどフォエのこと、びっくりした。
>>フランスートルコは良いゲームでしたが・・・
>
>本当にショッキングでした。
>神に召される、ってああいうのを言うんじゃないかしら…。

なんともいえない決勝戦になりそうです。
フォエのいたあたりにパス出すたびに悲しくならないだろうか、とか考えてしまったりします。

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/28(土) 9:18 -

引用なし
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   ▼zukunasiさん:

おはようございます。

>レス遅れて済みません。
>昨晩は工事停電してまして、残念ながらコンフェデも見てません。
>早寝して、今日は裏山に登ってきました。

すぐに行ける山があって、ほんとうにうらやましいです。
仕事もヒマだし雨続きだし、北八ヶ岳にでも行こうかと思ってますが。

>ナハハ、今現在正確には『「一石二鳥」狙ってた』になってません?
>まあそこがなんとも割り切れない部分になってしまって・・・・

なってます(笑)割り切れませんです。

>ジーコは時間を操ることなどはお手の物でしょうから、やはりちゃんと指導して欲しいですね。それも選手の主体性なのかしら。

意識づけだけはしてくれれば良いと思ってます。

>プレスはどうなるんだろう。ショートカウンターなんかもちゃんと織り込まれるのだろうか、できれば選手の主体性ってやつで織り込んで行って欲しい、時に応じて使えるようにしておいて欲しいです。

ショートカウンターは、あまり見られなくなるでしょうね、チームの特性上。

>DFについてはジーコには一切期待できないように思うので、宮本に期待するのか。それとも、DFコーチ・・・・・なんてうまく行くのだろうか。

DFコーディネーターっていう考えは、どうなんでしょうね。
今の時点では、ぼくは反対です。中途半端なことになりそうだから。
今のままやって行っても、ある程度良くはなると思ってます。
それよりも攻撃。もっと人数かける場面を作って行けないとダメだと思います。

>やはり、二兎を追うものは一兎をも得ず、なんてことにならないように・・・・

上のことも含め、「意識」だと思うんですよね、やっぱり。
意識だけでどうにかなるのか、と問いつめられるとうなってしまいますが、自信と思いきり。
それでプレイが全然見違えるようになることは何の競技でも多いでしょう。
ここのところの試合で、見ていて思うのは「もっと行っていい、もっとやっていい」ってことなんです。

>って、他の書き込みなども見ると、結局「曲がっちゃった」んですね・・・(笑)
>まあ、人のことは言えないんですが・・・・・・

かも・・

トルシエ・コールについて
 KIND  - 03/6/28(土) 14:58 -

引用なし
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   なんか誤解されてるみたいなので、注釈をば。

>だから、トルシエコールとかはもういいんじゃないですか?
>好きだったけど今はもう別れた男だよ(笑)


違いますよ〜、別に「戻ってきてくれ〜」って意味でトルシエ・コールをするんじゃないですよ。

川淵にせよジーコにせよ、トルシエへのアンチテーゼで始まっていることは明らかなんだから、「お前らを拒否する」という明確かつ確実に相手の心に届くメッセージは「トルシエ・ニッポン」でしょう。


わかりやすくていいと思いますよ。今まで一部ライターや一部協会会長(爆)からはさんざトルシエ時代がなにか暗黒時代のように語られているわけですから、もう一度示しておいたほうがいいんじゃないですかね。これで「サポーターはトルシエ時代のほうがよかったと思っている」と思わせれば、メディアもバッシングの手を強めるでしょう。ジーコに対してもそうだけど、「聖域」たる川淵氏にも(ちなみに、僕は彼を「愛称」では呼びません。愛着なんてないから)。


トルシエ・コールの意味はそういうことです。

ポゼッション(支配)とダイレクト(ゴールに対し...
 Dai WEB  - 03/6/28(土) 16:28 -

引用なし
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   黄金のブラジル代表は確かにボールを大切にするポゼッションフットボールで、非常にゆっくりした流れで、急いでミスをせずに、技術をベースに、相手に触らせないドリブルを織り交ぜつつ、ワンタッチ、ツータッチで回して相手にボールを取らせない。そんなサッカーだったと思います。

しかし、肝心なところにくると、やはりあのブラジル代表でも、スピードアップをする。特にゴールエリアに近づくと、突然、怒涛のスピードアップをしてくる。これが優れた個人技術と優れたコンビネーションがないとなかなかできないんですよね。

また、当時のブラジル代表は、ミドルシュートを実に良く決めている。

さらに、ブラジル代表の得点パターンで多いのは、やはり「カウンター」。

ジーコジャパンが、ポゼッションフットボールを志向し、高い技術の集合体としての、ファンタジー溢れるサッカーを目指すのは、とても素晴らしいことではありますが、ゴールという目的を達成するためには、やはりスピードは必要であり、それは常にゴールを狙ってプレーする意識、そういうコンビネーション、そういったものがでてこないといけないんだなと思います。

攻め急ぎすぎて、常にダイレクトに行くような、ハイスピードサッカーだけでは、ちょっと厳しいと思いますが、あまりにもゆっくりとしたスローサッカーだけでも、点は取れないし、攻撃のための守備という視点も欠けてくると思うので、もう少しバランス良く、チームを作ってもらえればなと思います。

でも、結構、夢のある代表というか、ゲームを支配する代表というか、攻撃的なサッカーで、世界にセンセーショナルを巻き起こすような、そういう過程にはきているかなとも思っています。あとは、人選が鍵を握りますよ。このサッカーだと。

とにかく、勝つためには、もう少しスピードアップの方法論を確立するのと、ダイレクト、カウンター、相手陣内でのポゼッション、攻守の切り替えなんかを指導していけば、アジア予選はきっちりと通過して、本選でも戦えるレベルになれるんじゃないかなって思います。

まあでも、ジーコにやって欲しいのは、とにかく個人能力のある奴だけを集めて使って欲しいってことです。変にバランス考えないで良いので。例えば、レアルマドリーだとか、クライフ監督時のバルサとか、今のマンUとか、そういうスター集団志向で、もういいんじゃないかって思いますよ。代表なんだし。

だから、本山も使おうよ。

Re:トルシエ・コールについて
 amo  - 03/6/28(土) 22:26 -

引用なし
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   ▼KINDさん:

うん、誤解していませんよ(笑)
おっしゃること、よくわかります。

でもまあ「反ジーコ」を示すのには、別にトルシエじゃなくても
もういいんじゃないかなー?ってやっぱり思うんですよ。

「××の頃はよかった…」ってなセンチメンタリズムに
陥ってるだけだと、あいつらに思わせちゃ、ダメでしょ??

じゃあ何コールをすればよいでしょうか?については
わかりません(笑)

Re:ポゼッション(支配)とダイレクト(ゴールに対...
 glider  - 03/6/28(土) 23:00 -

引用なし
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   ▼Daiさん:

>黄金のブラジル代表は確かにボールを大切にするポゼッションフットボールで、非常にゆっくりした流れで、急いでミスをせずに、技術をベースに、相手に触らせないドリブルを織り交ぜつつ、ワンタッチ、ツータッチで回して相手にボールを取らせない。そんなサッカーだったと思います。

そうですね。

>しかし、肝心なところにくると、やはりあのブラジル代表でも、スピードアップをする。特にゴールエリアに近づくと、突然、怒涛のスピードアップをしてくる。これが優れた個人技術と優れたコンビネーションがないとなかなかできないんですよね。

それがね・・・
82ブラジルでは「速い攻撃」は滅多に見れないんですよ。
イタリア戦では、点取った後でさえアナウサーに「後は速い攻撃も見たいですね」なんて言われてる始末で。
もちろんないことはないんだけど、非常に稀です。
基本的に「怒濤のごとくスピードアップしてゴールに迫る」という感じではなく、のらくら回してるうちにとんでもない精度のスルーパスが出てスっと抜け出してきたり、ドリブルで2、3人がかわされて開いたスペースにスルーパス出されたり、それで走り込む選手に釣られるとミドル入れられたり、そんな攻撃です。
6割を越える(たぶん)ボールポゼッションの中で、攻撃のアクセントになってるのが以外とセレーゾで、「こいつらどう見てもMF」のジュニオールとレアンドロに代わって頻繁に両サイドに顔出してる。
おとりの動きなんかもうまくて、ボックスの中を横切り、それでシュートコース作ってる。
どっちかと言えば守備的な役割の人と思われてるみたいだけど、実はけっこうそうでもなくて華麗なボールテクニックと精度の高いキックを持ってます。
クラブでは10番のタイプだったんじゃないでしょうかね。
つまり、4人の10番(ジーコは9番に近いけど)とすぐ中へ入ってきちゃうアレックスといった感じの両SB、FWなんだかMFなんだかよくわからないプレイエリアのドリブラー、FWエデル、ポストプレイしかないけどそのポストプレイもほとんど機能してない下手クソなセルジーニョ、ほとんど攻撃に顔は出さないCBの二人(オスカーはCKでは上がってくるけど)、それにGK、という構成の11人。
よって守備はかなり手薄。
だからイタリアにやられちゃった。
セレーゾのミスパスをロッシにかっさらわれて負けるあたりも日本に似てたりして・・・

んで、どうせなら思いっきりそういうチーム作ってみたらどうだ?とも思うんですね。
中田、中村、小野、小笠原、なんて中盤の4人にアレックスと稲本の両SB、本山と大久保の2トップ、とか楽しいじゃないですか。
ムチャかな?
クリエイティヴィティ重視、キープ力重視っていうならアリじゃないの、なんて思うけど。
どうせなら「特別な選手」だけで構成する代表。
バランスなんてクソくらえ、な代表。
「ボールを持っている限り、守備の組織は必要ない」(byベンゲル)な代表。
今の代表は物足りない。
何が足りないって攻撃精神。
バランスが取れてるっていうのは、相手の守備もそうなるってこと。
それじゃ得点できません。

82年のイタリア。
守備的、って言われるけど、そんなことない。
攻撃に来る時はガーッと人数かけてくる。
ロッシ、グラチアニの2トップにアントニオーニ、コンティのテクニックのある2列目、ムチャクチャな運動量のカブリーニ、それにタルデリあたりがガーッと攻めて来る。
得点の匂いがただよってくる。

もういいです、バランス。
チャンス作れて、あるていど守れて、空中戦もそこそこ、創造性もそこそこ、運動量もそこそこ、スピードもそこそこ、組織もちゃんとしてて。
そういうの、つまんない。
いいじゃん、どうせろくに勝てない空中戦なんか捨てちゃえば。
ヘディングなんか強くないけど、何をしでかすかわからない、「全員抜けば関係ないだろ」なFW。
すぐ前がかりになっちゃうけど、予測できない、有り余る創造力の中盤。
調子に乗らせるとどうしようもないSB。
守備は強くないけど、爆発したら何点取るかわからない、そんな代表になったら楽しいのになあ、なんて思います。

あとさ、ジーコの力でエメルソン帰化させられないかね?(笑?

Re:トルシエ・コールについて
 glider  - 03/6/28(土) 23:07 -

引用なし
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   ▼amoさん:
▼KINDさん:

やっぱり

「川淵やめろ!」じゃないの?

Re:一喜三憂
 anybodydo  - 03/6/29(日) 23:08 -

引用なし
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   ▼zukunasiさん:
何やら、もう終ってる感もありますが。

>ちょっと言わせてね。
>みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
このサイトでこの言葉(笑)。いや、解るんですけど。

実は最近「戦術」よりも、「戦略」の方が自分にとって面白くなってきています。
世界の流れの中、進む道を決め、監督、スケジュール、日程、これでいこう、
さあいこうぜ、みたいなヤツ。
そういう意味じゃ「ジーコという選択」の是非は、「ジーコ戦術」の是非とは別問題。
そこがちょっと混同されてしまっている、とは思いますね。
違う道を採ってるのに、別の選択肢との乖離を論ずるのはジーコにとっては理不尽でしょうから。

ジーコになってトルシエ時代より良くなるんじゃないか、と思った点が2つあります。
勝手に思ってただけですが、実は見事に裏切られてる(笑)。
>仰ることは判りますが、これは求めても絶対得られないもの、少なくとも今の日本では。監督がいくら締めてみても、多分疑似体験にもならないと思います。
それをジーコに期待しました。
一試合、一試合にかけるプロフェッショナルの姿勢。
限りなく高いモチベーション。
「代表戦は、全部の試合を勝ちに行く」と彼は言った。
一試合での勝ち負けで一喜一憂するのは、バカらしいっちゃあバカらしいけど、
それならそれで選手を追いこむくらいにやってくれ、と。
代表戦しかそういう場が、今は無いじゃないか。

中田ヒデもそういう不満を漏らしてますよね。向上心が足りない、と。
ヒデの本音は、恐らくこうなんでしょう。
「お前ら、またトルシエみたいなのが来たらどうすんだ!?」
自分達で、思いっきり好きな絵が描ける今、
もっと自分にどんどんプレッシャーかけて、高い処を目指さないと。

地なのか演技なのかは解りませんが、トルシエはそのへん巧妙だったと思います。
実はこれほど日本人を理解し、そこから力を引き出す方法を研究した人は各界にも少ないんじゃないでしょうか。
面子を潰されるのを何より嫌う。実力よりも虚名の方が先走りやすい。
責任感があるようで、実は体裁だけだったりする。
大人しいと言われるけど、中身は感情的でストレスを溜め易い。
そして、自己表現が苦手。

もう一つ、これも中田ヒデが言ってました。
「今の代表、声が出ていない」
またそうなってるのか、と思いました。
トルシエ時代には、代表への選出基準に「自己表現」の項目がはっきりあったように思います。
下向いてるだけだった俊輔が声を出し始めたとき、これで定着するな、と思ったし、
小笠原が鹿島で指示を出してるのをみて、あ、もうすぐ呼ばれるな、とか。
コンフェデでの宮本と遠藤のバカらしいミスも、お互いに自己表現足りないんじゃないの、って。
森岡についても不満なのはそれです。
「あーあ」って上向いて言ってるだけで、なんとかしよう、って姿勢が見えない。
秋田でもナラでもその場で掴まえて、どう動くか確認しろよ、って。

「プレッシャー」と「自己表現」。
監督の問題にするのはどうか、と言われるかもしれません。
でも僕は本気で強豪に立ち向かえるチームを作り、
戦術自体がダメでも何か他に残そうとするのであれば、
「WCでの敗因」をなんとかしてって欲しい、と思うのです。
それが足りねー、ってのは明らかなのだから。

最後に余談です。
今、ジーコ隊長は中田軍曹に全幅の信頼を置いていますが。
彼らのサッカー哲学は微妙に違っており、将来どうなるかな、と思っています。
現場を預かる軍曹が、隊長の方針とぶつかり出したら、どうなるんでしょうね。

Re:一喜三憂
 glider  - 03/6/30(月) 12:41 -

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   ▼anybodydoさん:

>そういう意味じゃ「ジーコという選択」の是非は、「ジーコ戦術」の是非とは別問題。
>そこがちょっと混同されてしまっている、とは思いますね。
>違う道を採ってるのに、別の選択肢との乖離を論ずるのはジーコにとっては理不尽でしょうから。

結局、前とは視点をまったく変えて見ないとダメだと思うんですよね。
そうしないとジーコがどういうチームを作ろうとしているのかも本当にはわからない。
だから「戦術がない」なんて話になっちゃうわけで。
トルコはワールドカップから、着実に積み上げてチームを強化してきている。
ただし、ワールドカップの時点でもトルコにあって日本にはなかったものはあきらかでした。
今、ヒデの発言を見ればそのことが次々にあきらかになっていると思います。
「(自分の判断でやるということが)できないと日本がもっと上を目指すことはできない」「声が出ていない。もっと要求しあわないとダメ」「行くべき時にもっと積極的に行けないと」「個人個人のスキルアップがこのチームには必要だ」etc.
こうしたことがはっきりと見えたこと、こういう声が出てきたこと、そのことを改善して行こうという意志を持てることになったこと、「ジーコ体制」になった意味はそこにある。
「素」だなんだって言ってたのはそういうことなんで、ぼくとしては願った通りになってきている。
こういうことを「前からわかってたことじゃないか」「トルシエ時代からの積み重ねを捨てなきゃできないことか」という意見はある。
でも「わかってなかった」からこういう声が出てきたんだと思うし、これまでのやり方でそうなった(あるいは改善できなかった)以上、一度は捨ててみなきゃならなかったんだとぼくは思います。

「ジーコの戦術がダメ」とはぼくは思わなくなりました。
細かい守備戦術なんかない。でも徹底した「ボールポゼッションのフットボール」という「戦術」はある。
そのための選手構成、意識づけも示している。ポジションチェンジとそのカヴァーリングの意識づけも指導している。
ともあれ、思考が「攻撃から」入っている。
「コレクティヴ」ということと、「監督が」ひとりひとりの動きを細かく約束づけるのは必ずしもイコールでは結ばれないでしょう。

テレ・サンターナが作った82年大会のブラジル代表、あれは4-4-2という選手の登録構成だけれど、プレイエリアで見れば2-7-1みたいなもの。
前後の人数不足を状況によってそれぞれが入れ替わりつつ補う、というチームです。
どこまでそこに近づけるのか、ジーコがどこまでチャレンジできる状況になるか、日本の選手達がどこまで固定観念を破って行けるのか、ひとつの「バランス」を壊し、より高い次の「バランス」を構築できるのか、ぼくはもう少しこのチームが見たくなりました。

Re:一喜三憂
 raam  - 03/7/2(水) 13:19 -

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   こんにちは、raamです。

博識の皆さんの議論についていけなくて、ROMばっかりしてたんですが、
最近gliderさんの意見の中に、82年のブラジル代表の事が出てきていたので、
ジーコの考えるチームを知るためにもと思い、82年スペイン大会のイタリア-ブラジルのDVDを買って見てみました。

まだ1回しか見ていないので何ともいいがたいのですが、とにかくポジションチェンジが激しく、
フォーメーションなんてものがほとんど意味をなさない所に衝撃を感じました。
左SBのジュニオールは時には右サイドでボールを受けていたし、
かなり下がり目の位置にいたソクラテスが、ジーコと長めのスルーパスを繋ぎあって、
まるでワンツーのようにエリア内へ突進していく。
上下左右にフィールドを大きく使っていくのが印象的でした。

これが本当の意味で自由を与えられたサッカーかと、単純に感動してしまいましたが、
その中にもボールを持った選手を追い越すようにフリーの選手が上がっていったり、
バックパスに伴ってすぐに裏に抜けるような動きを見せる選手がいたり、
ミドルを打てる場面のオフザボールの選手の動きとか、
自由の中にある約束事が徹底されているのも感じました。
ただ、守備は恐ろしくて見てられなかったですが・・・。

ジーコが日本代表に本当にこのようなサッカーを見い出しているのか、
日本代表のポテンシャルがそれを実現できるのか私には分からないんですが、
ジーコが選手や我々に対してまだ教えてない事がたくさんあるような気がしました。
それは選手が局面局面の中で培っていくものなのかもしれないですが、やはりどうしても全体のバランスをとろうとするだろうし、そうなればポジションチェンジもある程度の範囲内での話しになってしまう。
間違ってもアレックスが右サイドにまで顔を出す、なんて事にはならないでしょう。
守備の課題が残るにせよ、あれほどの固定概念を打ち破るチャレンジを選手個々に任せても、そういったサッカー文化を経ていない日本人には難しいような気がします。
やはりジーコにそこらへんをきっちり伝授してもらいたいし、そのチャレンジやプランを聞かせて欲しい。

もっとも、ジーコにしてみれば「1年でそんなチャレンジが成功するもんか、ベースはできた。これから徐々に浸透させてやる。」といった構えなのかもしれないですけど。


いずれ日本代表にも基本的に4-4-2だけど、局面によって変化するのでアテにならないとか、
中田、中村は危険だから徹底的にマークしなければならない。ただ、問題はその二人を潰しても日本を破る根本解決にはならない。
なんて日が来るんでしょうかね(笑)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 TEN  - 03/7/3(木) 23:42 -

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   こんばんわ、です。

>みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。

まあ、自由とは何か、から始まってここへ行き着いたみたいなんですけど(笑)
まあ、ボクとしてはトルシエに関しては非常に批判的だったので、多少言い訳をしておきたいのですが。
ボクは「トルシエのサッカー」は嫌いではなかった。
グライダーさんほど早くは無かったでしょうが、ある程度の形と方向性は見て取れた。
トルシエの中にあったのはあくまで約束事であり、生きていく中でのモラルみたいなものに過ぎない。
隣の人とは仲良くしましょう(カバーリング)、とか他人のために道を譲ってあげましょう(パスコースを維持する動き)、みたいな。その上で上手に整頓しましょう(プレスディフェンス)っていう基本を持ち込んだ。
それで窮屈って言うのはちょっと文化が低くないかい、と。
その上で彼はもっと整頓することを考えていた(両サイドもコンパクトに)
で、ボクはそれは「今の日本には無理だから3ボランチに」と思ってたんです。
まあ半分正解で半分はずれた、そんな感じでトルシエの世代は終わりました。

で、ジーコの世代です。
まあ、テーゼに対してアンチテーゼで始まるのは別にサッカーだけでなく歴史などでもそういうことは良くあるので一向に構わない。もっと言えば、グライダーさんの言わんとするところもなんとなくわかる。
ただですね、それって代表でやら無いといけないのかなあ、というのは頭から離れないんですよ。
例えJでのチームに戻ったとしても必要な要素であるし、もっと「柔軟な思考」の部分じゃないかと思うんですよ。
それを年10ちょっとの代表の試合で育つものかなあ、と。
さらにですね、グライダーさんはPTAと言われましたけど、ボクとしては
「教育方針の無い学校に子供を預けたくない」
と言う感じでしょうか。
こんな子供を育てたい、こんな子供になって欲しい、そういう目標の無い学校には子供を預けたくないですよね?
単に自主独立であるならそれは学校ではなく、まず家庭(J)でもできる。
そこから先の人間形成の場としての学校の方向性ってなんだろってのがまったくわからないんですよ。
6年生を卒業間際まで試合に使ったり、いきなり秀才と呼ばれる3年生をいっぱい起用してみたり。
鬼ごっこにしたって、みんなで追っかけまわすのか、それとも個人の足の速さで捕まえていくのか不明だし。

なんか学校批判みたいですけど(笑)

まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。

Re:トルシエ・コールについて
 TEN  - 03/7/3(木) 23:45 -

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   ビバ!犬サッカー

ってのはどうでしょう?

Re:一喜三憂
 glider  - 03/7/4(金) 6:42 -

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   ▼raamさん:

>ジーコの考えるチームを知るためにもと思い、82年スペイン大会のイタリア-ブラジルのDVDを買って見てみました。

DVDがあるんですね。
何にせよ、楽しめたようなので良かったです。

>自由の中にある約束事が徹底されているのも感じました。

サンターナ監督が提示した約束ごとは主に2つだそうです。
ポジションチェンジをしてスペースを作り、そこに必ず走り込むこと。
ポジションチェンジしたら必ず誰かがカバーすること。
後は、一緒にやって行くうちに自然にできて行ったそうです。

>ただ、守備は恐ろしくて見てられなかったですが・・・。

オスカーとルイジーニョは強くて高くて賢いですが、それにしても手薄でしたね(笑)


>間違ってもアレックスが右サイドにまで顔を出す、なんて事にはならないでしょう。
>守備の課題が残るにせよ、あれほどの固定概念を打ち破るチャレンジを選手個々に任せても、そういったサッカー文化を経ていない日本人には難しいような気がします。

ナイジェリア・ワールドユースの時の本山は、逆サイドにもよく顔出してましたよ。
左でドリブルしてたと思ったら、数分後には右にいてスルーパス出してた(笑)
あれ、本山がFWで起用された時に彼と小野ではじめて、トルシエもそれを奨励して、小笠原も加わって、って感じだったようです。
入れ替わった後の心配がなくなると、流れのままどんどんスペースを突いて行けるので、逆サイドでもどこでも自然に行けるんですよね。
そうしてサッカーがダイナミックになる。立体的になる。
そういうサッカーするなら、そういう選手が最低でも3人はいないと、と思います。
つまり、プレイの選択枝が豊富で、視野が広くて、積極的で、工夫のある選手が、です。
セレソン82のように、そんな選手がたくさんの代表になると良いと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/4(金) 13:13 -

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   ▼TENさん:

どうもです。

>ただですね、それって代表でやら無いといけないのかなあ、というのは頭から離れないんですよ。
>例えJでのチームに戻ったとしても必要な要素であるし、もっと「柔軟な思考」の部分じゃないかと思うんですよ。
>それを年10ちょっとの代表の試合で育つものかなあ、と。

こういう意見は多いですね。
ぼくは「代表でやらなければいけない」と思います。
もちろん、代表で不足があきらかになったことをユース年代等でやるのは当然としても、「今、代表に足らないこと」を代表でやるのは当然だと思う。
しかも国際試合のレベルとJリーグではレベル格差がある以上、さらにはJリーグはJリーグで週2日開催されるリーグ戦を勝ち抜いて行くためのチーム作りもしなければならない以上、そこに「ばかり」日本サッカーのレベルアップを望んでも無理がある。
ぼくは、代表チームの活動を、親善試合の勝ち負けよりも「日本サッカーの根本的なレベルアップ」に重きを置くのは当然だとも思います。
前回のチームで足りなかった「個人戦術と少数のグループ戦術」を強化するために、一度そこを強調したサッカーをやってみる、あるいは「自分で考えて決断すること」が不得手なら、それなくしては成立しないサッカーをしてみる、ということがなぜそんなにいけないことなのか、ぼくには理解し難いです。
前者は試合だけでなく実戦的なトレーニングでもそれを意識することによって強化して行くことができるし、若年層でなければ身に付かないという類のものではない。
後者は主に意識の持ち方によっても変わるもので、一概に試合数に左右されない部分もある。

日本のサッカーのひとつの特徴として、個人のボールコントロール等の技術は比較的高くて、戦術実行能力も高いということがある。
でも、それにしてはなぜあれほどにパスの精度が悪いのか。パスミスが多いのか。
局面でのグループ・コンビネーションに工夫が足りないのか。
強化を急いだために、段階をひとつ飛ばしていなかったか。
そこを埋めるのをどうしてクラブだけにまかせなければならないのか。
さらに言えば、日本のサッカーはいまだクラブ主導ではなく代表主導です。
それは集客力を見てもあきらかだし、となればそれも含めて代表チームがクラブに与える影響の強さもあきらかです。
もっと言えば、ではワールドカップで不足があきらかになった部分の改善を、今のJクラブで取り組んでいる所があるんでしょうか?
それは次の世代まで待たなくてはならないようなことでもありません。

明確にこれまでの積み上げの上でそうしたことをやって行く、という方法論もあったでしょう。
しかし、こと「日本A代表」に関して言えばそれは不可能だった。
それはこれまでのジーコジャパンの軌跡、選手の発言等を見てもあきらかなこと。
こうなった過程の不透明さ、確信的でなく無自覚な決定であったこと、それはまた別の問題として問題視せねばならないことと思いますが、結果的にはある種の必然に導かれたような気もします。

>さらにですね、グライダーさんはPTAと言われましたけど、ボクとしては
>「教育方針の無い学校に子供を預けたくない」と
>言う感じでしょうか。

あっちこっちで何度も言ってますけど、ぼくはジーコの方法を「教育方針がない」とか「度を越した放任主義」とはまったく思いません。
指導方法自体は別に珍しくもないでしょうし、こと代表チームという括りにいたっては、そちらの方が多数派であるかもしれない。

>そこから先の人間形成の場としての学校の方向性ってなんだろってのがまったくわからないんですよ。

ぼくには理解できました。
サッカーとしてのディテイルにおいても、「技術と創意工夫を生かす」という方針です。
そのために犠牲にするものもあるが、そこに第一義を置くという方針自体には何ら問題を感じません。
どこまで生かせるかは選手達自身とジーコの環境作りにかかっている。
コンフェデでは、その環境作りにおいて失敗という側面があった。
主力と目される選手のケガやコンディション不良、イラク戦争とSARSの影響によるカレンダーの狂いという要素も大きいので、ぼくはその面はしばし留保という感じです。

>まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。

そりゃお気の毒(笑)
ぼくは本当にテレ・サンターナのセレソンみたいなチーム目指すなら、それはそれでオッケーです。
ひとつの段階として、やって見れば良いと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 TEN  - 03/7/4(金) 16:16 -

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   >しかも国際試合のレベルとJリーグではレベル格差がある以上、さらにはJリーグはJリーグで週2日開催されるリーグ戦を勝ち抜いて行くためのチーム作りもしなければならない以上、そこに「ばかり」日本サッカーのレベルアップを望んでも無理がある。
ぼくは、代表チームの活動を、親善試合の勝ち負けよりも「日本サッカーの根本的なレベルアップ」に重きを置くのは当然だとも思います。

レベルの部分には同意します。
が、レベルアップ以上に勝ち負けに重きを置いているとはジーコが言ってることですよね。
育成の場だとは考えていない、と発言したこともあります。
ボクとしては例えグライダーさんの言うとおりだったとしても、それは偶発的な部分が大きいしその後ある程度結果が出たときに当てになるのかな、というのが一つ。
それから明確な目標に向かっての育成プランはないだろう、と思われるのでコンフェデのように目標をあっさりと落とすんじゃないか、というのが二つ目です。

>前回のチームで足りなかった「個人戦術と少数のグループ戦術」を強化するために、一度そこを強調したサッカーをやってみる、あるいは「自分で考えて決断すること」が不得手なら、それなくしては成立しないサッカーをしてみる、ということがなぜそんなにいけないことなのか、ぼくには理解し難いです。
前者は試合だけでなく実戦的なトレーニングでもそれを意識することによって強化して行くことができるし、若年層でなければ身に付かないという類のものではない。

>そこを埋めるのをどうしてクラブだけにまかせなければならないのか。
さらに言えば、日本のサッカーはいまだクラブ主導ではなく代表主導です。
それは集客力を見てもあきらかだし、となればそれも含めて代表チームがクラブに与える影響の強さもあきらかです。
もっと言えば、ではワールドカップで不足があきらかになった部分の改善を、今のJクラブで取り組んでいる所があるんでしょうか?

クラブだけに任せる問題ではないですが、クラブの段階、もっといえば選出の段階で解決しているのが理想だと思います。逆に言えば、それが出来ない以上日本代表の構成と代表における目標を変えるほうがいいと思います。
また、個人スキルの段階と全体の組織戦術の段階は共に選手のスキルの一部だとは思いますが、それは切り離せない関係です。組織戦術は戦略と言い換えてもいい。
戦略に明確な方向性が示されていない以上、それに必要な技術や創意工夫も決めることは出来ないのではないですか?もっと言えば、「何が出来れば代表に召集されるのか」が明確ではなくなりませんか?
スキル全般のレベルアップが必要であることは当然ですが、技術や創意工夫は明確な目的があってこそその価値を持つと思います。

グライダーさんの意見に反対しているわけじゃないんです。
むしろ言うことには賛成している。
日本代表には明らかに欠けている能力があって、それはグライダーさんの言うとおりだと思います。
ですが、それを伸ばすために全体の方向性を失うのはどうかな、と思うわけです。
多分グライダーさんは全体の方向性は個人個人の連携と創意工夫が作り出す、と考えているんでしょう。
そういう方向もありかなー、とは思うけどそれはジーコを凌駕してませんかね。

>まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。

そりゃお気の毒(笑)
ぼくは本当にテレ・サンターナのセレソンみたいなチーム目指すなら、それはそれでオッケーです。
ひとつの段階として、やって見れば良いと思います。

これにいたっては代表監督に任せるしかないですからねえ。
オランダやデンマークのサッカーを見習ってもらいたい、というのが希望に過ぎないことはよーっくわかってるんですけどね(笑)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/4(金) 22:03 -

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   ▼TENさん:

>が、レベルアップ以上に勝ち負けに重きを置いているとはジーコが言ってることですよね。

勝ち負けにこだわる、というのはジーコはそうでしょうね。
でも、それだからと言って「勝ち負け以外の要素」を無視するということになるわけでもありません。
単にバランスの問題でしょう。

>ボクとしては例えグライダーさんの言うとおりだったとしても、それは偶発的な部分が大きいしその後ある程度結果が出たときに当てになるのかな、というのが一つ。

ジーコを選んだのも別ににそういう意図がはっきりあったわけではないし、ジーコにしろ自分が信じるサッカーを進めているだけで、そういう分析と意図の元にやっているわけじゃない。
すべて、「結果的にそうなっている」ことです。
もちろん明確な意図と意志の元であれば、もっと良かったでしょう。
でも、いずれにしろ「欠けているものを補う」ためにはなっているし、見たところその面での進歩もある。
それはジーコ就任から少しした時点でわかっていたことであり、その意味では順調とも言える。
悪くないとぼくは思います。

>それから明確な目標に向かっての育成プランはないだろう、と思われるのでコンフェデのように目標をあっさりと落とすんじゃないか、というのが二つ目です。

コンフェデは、はっきり失敗したと言えるでしょう。
しかしながら、それはカレンダーの変更という部分の影響が見逃せない。
予定どおりアメリカ遠征が、さらにA3が行われていたら、また結果は違っていたかもしれません。
いや、たぶん違っていたでしょう。
そういう面で、3試合同じメンバーで望んだジーコの意図は理解できないでもない。
ちょっと無理しすぎたな、というのはありますが。

>逆に言えば、それが出来ない以上日本代表の構成と代表における目標を変えるほうがいいと思います。

この部分には、ぼくははっきり反対します。
「足りない部分」を棚上げして、解決のあてのないクラブまかせにしていても、進歩は得られない。
それで日本代表が今より少し強くなったとしても、長期的に見て日本のサッカーのためになるとは思えません。
「世界の強豪に比肩する日本のサッカーの確立」を求めて、Jリーグは設立されました。
「日本のサッカーが世界の強豪と肩を並べている状態」というのは、何も代表チームの話だけではありません。
選手が海外の一流どころで活躍することもそう。
そのためにも、「欠けている部分」に目をつむったまま、代表に対症療法的な治療を施して、「日本も強くなった」なんて言ってても仕方がない。

>ですが、それを伸ばすために全体の方向性を失うのはどうかな、と思うわけです。

全体の方向性は、もともとからきっちりあったと思ってません。
だからこそ、こういうことになったんでしょう。
ナショナル・トレセン等のJFAの指導者層の一部にはあったが、それは「日本サッカー全体の共通意志として統一されたもの」ではなかった。
そして、「コレクティヴなサッカーをする」にしても、段階として間違った部分があった。
それは早いうちに修正されるべき。
あのまま、欧州の先端的な組織サッカー路線を続けていても、その部分の修正はなかなか進まなかっただろうと思います。

>多分グライダーさんは全体の方向性は個人個人の連携と創意工夫が作り出す、と考えているんでしょう。
>そういう方向もありかなー、とは思うけどそれはジーコを凌駕してませんかね。

違います。
ジーコのサッカーは、もっと明確に「技術と創意工夫を生かす」 ことを求めています。
そういう「全体の方向性」は、「明確に存在するもの」です。
ジーコはそういうチームを作ろうとしている、ということです。

>これにいたっては代表監督に任せるしかないですからねえ。
>オランダやデンマークのサッカーを見習ってもらいたい、というのが希望に過ぎないことはよーっくわかってるんですけどね(笑)

ぼくはこれも「ひとつの段階」と捉えます。
いずれはどこの国とも違う、借り物でない、「日本のサッカー」を明確に持つための。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 TEN  - 03/7/5(土) 0:21 -

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   >ジーコを選んだのも別ににそういう意図がはっきりあったわけではないし、ジーコにしろ自分が信じるサッカーを進めているだけで、そういう分析と意図の元にやっているわけじゃない。
すべて、「結果的にそうなっている」ことです。
もちろん明確な意図と意志の元であれば、もっと良かったでしょう。

明確な意図が無いので、意図からずれたときに修正できないのではないか、と思いますが。まあ、グライダーさんの仰るとおり、現実は意図的かどうかはおいておいても「欠けている部分を補っている」方向へ歩いているので見物と言った気持ちでいますが。

>そういう面で、3試合同じメンバーで望んだジーコの意図は理解できないでもない。ちょっと無理しすぎたな、というのはありますが。

ええ、まさにこの部分ですね。
この失敗を見て「修正がきかないのでは」という不安は増幅されました。


>この部分には、ぼくははっきり反対します。
「足りない部分」を棚上げして、解決のあてのないクラブまかせにしていても、進歩は得られない。
それで日本代表が今より少し強くなったとしても、長期的に見て日本のサッカーのためになるとは思えません。

これについては同感なんです。
ただ、違うのは今回ジーコの目標達成の期間は後2年しかないってことです。つまり、予選が始まるまで、サイアクでも予選の半ばには一定の結果が要求される。それに間に合うのか、と言う点です。その点で代表で選手の経験を重ねるメリットはほとんどない、と思います。対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできるのではないか、と言うことです。この場合の対処的治療法は、個人においては「対処的」であっても全体においては「対処的」とは言わないだろうから、なおさらなんですが。


>ジーコのサッカーは、もっと明確に「技術と創意工夫を生かす」 ことを求めています。
そういう「全体の方向性」は、「明確に存在するもの」です。
ジーコはそういうチームを作ろうとしている、ということです。

すいません、この部分に関してはもうちょっと説明をしていただけますか。
ボクの言いたいこととずれがあるようにも感じるし、単にボクが理解できていないようにも感じるので。

>ぼくはこれも「ひとつの段階」と捉えます。
いずれはどこの国とも違う、借り物でない、「日本のサッカー」を明確に持つための。

なるほど、グライダーさんは「行き着くサッカーは無い」って考えているんですね。そこが違うところなんですね、きっと。
ボクは「サッカーは繰り返す」って考えてるかもしれません。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/6(日) 0:06 -

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   ▼TENさん:

>この失敗を見て「修正がきかないのでは」という不安は増幅されました。

「この失敗」は、カレンダーの狂いも大きかったと思うし、「ジーコの考えるチーム」は10試合かそこらではできないだろうと思うので、そのへんの評価は、ぼくはアジアカップまでおあづけです。

>予選が始まるまで、サイアクでも予選の半ばには一定の結果が要求される。それに間に合うのか、と言う点です。

「チーム」というものにはすべて生き物にも似たライフサイクルのようなものがあります。
トルシエのA代表は、2年に及ぶ長い助走期間を経て2000年6月に離陸を始め、2001年11月のイタリア戦でほぼピークに達したとぼくは思います。
つまり、半年早すぎた。より良くなるための修正はもちろんあったし、そこからチーム力が落ちていったとは言えないかもしれないけど、イタリア戦の頃の「勢い」のようなものは若干失われたと感じていました。
98年の代表から、大幅な選手の入れ替えを敢行せざるを得なかった前代表と比べ、今回は2002年代表選手達もそのまま生かせる。
1年半もあれば十分。
仮にアジアカップ失敗、ジーコ解任という事態になっても、4.5枠という優遇された条件の中でなら地力から考えても、あるいは選手達の力の総和だけで考えても、ぼくは心配しません。
緊急対処の事態になったとしてもアジアカップ後からでも十分間に合わせることは可能と思ってます。

>その点で代表で選手の経験を重ねるメリットはほとんどない、と思います。対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできるのではないか、と言うことです。

ぼくはメリットは大きいと思う。
今の代表チームで経験していることが今の代表選手達にもたらしているものは大きいと思いますよ。
そして、繰り返しになってしまいますが対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできなかったと思う。
それは「このチーム」ということなら単純にサッカー的なものだけから考えても無理。
あきらかに足りないものを足りないままにしていては前代表を越えることは難しい。
それでは全体においても「対処的でない」とは言えないでしょう。

>すいません、この部分に関してはもうちょっと説明をしていただけますか。

ジーコのスタイルは、ボールをキープすることが生命線になります。
ベンゲルが言ったように「ボールを持っていないチームは攻撃できない」し、『ボールを持っていれば守備の組織は必要ない」のです。
だから、ジーコのサッカーでは「高い位置でのボール奪取」も考えられていないし、その意味での「エリアポゼッション」も重視されない。
大筋において「コンパクトな攻撃」も「キープ重視」には反することになる。
ジーコの言う「バランス」もそうした意味で捉えるべきでしょう。
さて、ではそれでどう攻めるか、ということですね。

「攻撃に関しては自由。自分達でポジションチェンジを繰り返すことでスペースが空いてくる。バランスは常に保っていられる」
と高原は言っています。
そして、その空いたスペースには必ず誰かが走り込むこと。(でないと意味ないですからね)
その上でカバーリングを含め「バランス」を保つこと。
これは、テレ・サンターナのサッカーそのままです。

問題点。
まず「キープ重視」「ボールポゼッション重視」であるため、必然的に攻撃の速度は落ちる。
「ショートカウンター」を含め、「カウンター型」ではなく、「構築型」の攻撃になります。
それはつまり、相手の守備組織が整っている上で攻撃をせねばならない、ということです。
だから「ポジションチェンジによるスペースメイク」は必然になります。
さらには個人の独力によって相手の組織を崩すことも必要になります。
そして「相手が読めないタイミングとスペースへのパス」も、「創意工夫のある少数のグループでの連携」も、なくてはならないものになってくる。
だから「技術と創意工夫を生かすこと」は「あらかじめ折り込まれている」のです。

確認のため、テレ・サンターナの82セレソンを見てみましょう。
FWとMFの縦のポジションチェンジ、MF間の「ローテーション」のような入れ替わり。
SBがそこに含まれることも多い。
SBが縦のスペースを使うことは稀で、攻撃時にはたいていは中に入ってきてボックス近辺でプレイしている。
その場合にワイドに開くのは、ファルカンだったりセレーゾだったりしています。
SBがワイドな位置でボールを受けても、彼らはそこから中へドリブルを開始することが多く、それによって引き付けられてできたスペースへパスを出す。
中央突破も多く、誰がどこなんて関係がないように次々に入れ替わってできたスペースへスルーパスが通され、そこに走り込んだ選手がまたそれにスルーパスを重ねる。
細かなコンビネーションプレイで破るのも得意だし、絶妙なフリーランもある。
しかし、それにしても「速い攻撃」はほとんど見られない・・・

日本の選手には「細かなボールコントロール・テクニック」はあります。
幾人かの選手には、「創造性」もある。
足りないのは、サンターナのチームあってジーコのチームにないのは、個人個人の強い攻撃意識による積極性、創意工夫のあるグループ戦術と個人戦術、それからシュートの正確性。
シュートの正確性はある程度しょうがないとしても、後は解決できる問題。
そしてそれこそが「日本に欠けていたもの」であり、そこで勝負せざるを得ないチームのあり方こそが、そこを磨く一番の近道です。

フランス戦での日本代表は、サンターナのチームをぼくに思い出させました。
「得点力不足」が解消された時、ジーコのチームは完成と言えるでしょう。

>なるほど、グライダーさんは「行き着くサッカーは無い」って考えているんですね。そこが違うところなんですね、きっと。
>ボクは「サッカーは繰り返す」って考えてるかもしれません。

「行き着くサッカーは無い」というのは、既存のサッカーでこういうの、ってことですか?
ならばそうです。
メキシコにはメキシコの、ベルギーにはベルギーのサッカーの特徴があるように、イングランドのサッカーがいくらモダナイズされ、スウェーデン人が監督になろうと「イングランドはイングランド」であるように、誰が監督になろうと変わらない「日本のスタイル」を持つことが必要だと思ってます。
あるいは、それをもっとはっきりと「日本のサッカー」全体が自覚することを。
そこに借り物なんていりません。
だから、オフトのスタイルも加茂のスタイルもトルシエのスタイルもジーコのスタイルも、それは段階ということに過ぎない。
ステップアップ。
だんだんと機は熟してきているかもしれませんね。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/7/29(火) 12:27 -

引用なし
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   >みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
>監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
>戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。
>
依存しているわけではないと思いますよ。
ただ選手の判断ではフォロ−できないところをちゃんと仕事をしているか?逆に一万を超える状況のすべてすべての対応を一つ一つ丁寧に教える監督なんているわけではない。
いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。最終的に自分たちのサッカ−をしながら「戦い方の幅」が持てるかがポイントだと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/30(水) 18:33 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

集団競技チームにおける監督の仕事のうち、戦術的な部分等はぼくは二義的なものでしかないと考えています。
もっとも大切なことは「チーム・スピリット」をいかに作りあげうるか、という部分でしょう。
それは「コレクティブ」であるか否かということでもなければ、チームへの献身性のようなことでもなく、ピッチ内外において「チームをひとつの『チーム』としうるか」ということであり、その面を無視して監督の能力をうんぬんすること等、意味のないことだと思っています。

>いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。

確かにそれもひとつの指導のあり方でしょうが、「それも一つのあり方」以上のものではないとぼくは思います。
言い換えれば、「必ずしも監督がせねばならないことではない」ということ。
「典型的なもの」として「いくつかの同様な状況」は存在し、それに対するチームとしての対処を明確にしておくことは必要だと思いますが、それも選手間の相互理解の上に成立するものであり、(約束ごととしての『相互理解』だけではなく、互いの長所短所、能力の理解と信頼、といったような部分も含め)それがなければ「同様の状況」とはいえ、それは「形」として同様なだけで実質的にはそれを行う相手も違えば速度も違えば試合の流れの中での意味あいも違い、実は毎度毎度違ってくる「同様の状況」への真に正しい対処はできないでしょう。
ましてや、頻度の高い「同様の状況」であればあるほど(それは効果的でもあるからですが)選手達個人の中では「既知の現象」であるはずで、代表クラスの選手同志であれば選手間の理解が深まってさえいれば応用的にも対処できるはず、という「チーム作り」の面も含めた「チームのあり方」も当然あるでしょう。

そうしたことまでを含めて考えたなら、ひとつひとつの試合においては、今のようにジーコがどうこう言う前にもっと具体的なディテイルにおいての選手の判断やそのミス、ひとつひとつの動き等から語られるべきであり、そこでは監督ではなく選手が主役であるべきだと考えます。
どう考えても監督にばかり注目が集まりすぎている。
「代表監督としてジーコがふさわしいかどうか」を語るなら、同様に「誰それ選手は代表としてふさわしいかどうか」も語られるべきであり、監督も「このチームの一員(または一因)」とした中での「チームとしての評価」という視点が少なすぎるのは、「監督依存」という他ないでしょう。
そしてその監督の評価にしても「ひとつのあり方」に縛られ、もっと重要な視点が欠けているようにも感じています。
監督がもたらす「戦術」面のことなんてオマケみたいなものだ、と言ってしまいます。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/7/31(木) 11:09 -

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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>集団競技チームにおける監督の仕事のうち、戦術的な部分等はぼくは二義的なものでしかないと考えています。
>もっとも大切なことは「チーム・スピリット」をいかに作りあげうるか、という部分でしょう。
>それは「コレクティブ」であるか否かということでもなければ、チームへの献身性のようなことでもなく、ピッチ内外において「チームをひとつの『チーム』としうるか」ということであり、その面を無視して監督の能力をうんぬんすること等、意味のないことだと思っています。
>
「チ−ムを一つのチ−ムにしうるか」ということはどの監督さんも思っていることだと思いますが、それをどういう形で持っていくかという過程はもっと大切なものだと思っています。

>>いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。
>
>確かにそれもひとつの指導のあり方でしょうが、「それも一つのあり方」以上のものではないとぼくは思います。
>言い換えれば、「必ずしも監督がせねばならないことではない」ということ。
>「典型的なもの」として「いくつかの同様な状況」は存在し、それに対するチームとしての対処を明確にしておくことは必要だと思いますが、それも選手間の相互理解の上に成立するものであり、(約束ごととしての『相互理解』だけではなく、互いの長所短所、能力の理解と信頼、といったような部分も含め)それがなければ「同様の状況」とはいえ、それは「形」として同様なだけで実質的にはそれを行う相手も違えば速度も違えば試合の流れの中での意味あいも違い、実は毎度毎度違ってくる「同様の状況」への真に正しい対処はできないでしょう。
>ましてや、頻度の高い「同様の状況」であればあるほど(それは効果的でもあるからですが)選手達個人の中では「既知の現象」であるはずで、代表クラスの選手同志であれば選手間の理解が深まってさえいれば応用的にも対処できるはず、という「チーム作り」の面も含めた「チームのあり方」も当然あるでしょう。
>
>そうしたことまでを含めて考えたなら、ひとつひとつの試合においては、今のようにジーコがどうこう言う前にもっと具体的なディテイルにおいての選手の判断やそのミス、ひとつひとつの動き等から語られるべきであり、そこでは監督ではなく選手が主役であるべきだと考えます。
>どう考えても監督にばかり注目が集まりすぎている。
>「代表監督としてジーコがふさわしいかどうか」を語るなら、同様に「誰それ選手は代表としてふさわしいかどうか」も語られるべきであり、監督も「このチームの一員(または一因)」とした中での「チームとしての評価」という視点が少なすぎるのは、「監督依存」という他ないでしょう。
>そしてその監督の評価にしても「ひとつのあり方」に縛られ、もっと重要な視点が欠けているようにも感じています。
>監督がもたらす「戦術」面のことなんてオマケみたいなものだ、と言ってしまいます。

まず選手が主役であるということは同意ですが、主役として光らせることも大切だと思っています。私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。
選手の技術向上を望んでいるという点では同意ですが、それがどんな背景なのかということが取り方が違うのかぁと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/1(金) 9:43 -

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   ▼KEANEさん:

>それをどういう形で持っていくかという過程はもっと大切なものだと思っています。

どういう形で持って行くかは、まさに監督それぞれになるでしょうね。
そういった「チームマネージメント」の部分は、「コーチング」の部分とは違ってその監督の人柄も大きいでしょう。
指導者養成の過程では、そうした部分の指導も行われているでしょうけど、やはり監督それぞれの個性が出るところだと思います。
いずれにしろチームが力を発揮するためには、そうした部分の比重の方がずっと大きい。
ぼくは前任者トルシエ監督を「すごいなあ」と思っていましたが、それは「フラット3」とかの戦術ではなく、マネージメントやチーム作りの部分の手腕です。
あれだけの期間、チームを良い状態、緊張感を持った中で良いまとまりを保ち、力を発揮できていたことは、ほんとうにたいした手腕だと思います。
翻って日本人指導者を見れば、「良いコーチ」はたくさんいても「良い監督」は少ない。
ぼくは横浜の岡田氏を戦術的、技術的ディテイルにおいてはあまり評価できませんが、日本人では数少ない「監督」足り得る人ではないかと思います。
もう少し見てみないと何とも言えないかもしれませんが。

>私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。

少ないが故に、ぼくは「戦術重視」に疑問を感じます。
これまでの積み重ねとトルシエの4年間で、モダン・フットボールの基本は得ることができた。
しかし、2002年ワールドカップの日本代表に「足りないもの」はそこではなかった。
「オートマティスム」があれば、「頭の許量や経験」を補ってくれるでしょうが、「頭の許量」自体が上がるわけではありません。
いや、上がることは上がって行くでしょうし、日本代表チームとしてはその方がずっと早く力を発揮することになるでしょう。
しかし、ぼくはそれでは「トルシエの作ったチーム」を超えないと思います。
足りないものを補う手っ取り早い方法は、それなくしてはならない環境に身を置くこと。
海外に出た選手が明確に成長するのは、そういったことが大きいと思います。
代表チームは、国内の選手にとっては数少ない世界レベルの経験の場。
そうした実戦の場において得る危機感、不足するものを明確に実感することこそ、「次のステップ」になるでしょう。
コンフェデレーションズ・カップ直前に中田英寿が言った「超えなければならない壁」は、戦術重視の中では見えにくいものです。
基本的には、ぼくもまた日本のサッカーはコレクティヴなものの方が相性が良いと思っていますが、段階をすっ飛ばしたままで良いとは思わない。
それに、「日本のサッカーが世界と肩を並べている状態」というのは何も日本代表だけがそこそこ強ければ良いというものでもないでしょう。
日本人選手が海外のリーグで多数活躍することも必要だろうし、Jリーグのクラブが評価される(たとえ供給源としてでも)ことも必要でしょう。
そのためには、今は日本にとっても「戦術はオマケ」で良いと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/5(火) 9:42 -

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   >>私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。
>
>少ないが故に、ぼくは「戦術重視」に疑問を感じます。
>これまでの積み重ねとトルシエの4年間で、モダン・フットボールの基本は得ることができた。
>しかし、2002年ワールドカップの日本代表に「足りないもの」はそこではなかった。
>「オートマティスム」があれば、「頭の許量や経験」を補ってくれるでしょうが、「頭の許量」自体が上がるわけではありません。
>いや、上がることは上がって行くでしょうし、日本代表チームとしてはその方がずっと早く力を発揮することになるでしょう。
>しかし、ぼくはそれでは「トルシエの作ったチーム」を超えないと思います。
>足りないものを補う手っ取り早い方法は、それなくしてはならない環境に身を置くこと。
>海外に出た選手が明確に成長するのは、そういったことが大きいと思います。
>代表チームは、国内の選手にとっては数少ない世界レベルの経験の場。
>そうした実戦の場において得る危機感、不足するものを明確に実感することこそ、「次のステップ」になるでしょう。
>コンフェデレーションズ・カップ直前に中田英寿が言った「超えなければならない壁」は、戦術重視の中では見えにくいものです。
>基本的には、ぼくもまた日本のサッカーはコレクティヴなものの方が相性が良いと思っていますが、段階をすっ飛ばしたままで良いとは思わない。
>それに、「日本のサッカーが世界と肩を並べている状態」というのは何も日本代表だけがそこそこ強ければ良いというものでもないでしょう。
>日本人選手が海外のリーグで多数活躍することも必要だろうし、Jリーグのクラブが評価される(たとえ供給源としてでも)ことも必要でしょう。
>そのためには、今は日本にとっても「戦術はオマケ」で良いと思います。

私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。
与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/5(火) 13:28 -

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   ▼KEANEさん:

>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。

同意します。
そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
さらには(レスの順序が逆になりますが)

>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。

も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/8(金) 10:12 -

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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。
>
>同意します。
>そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
>さらには(レスの順序が逆になりますが)
>
>>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。
>
>も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
>「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
>まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
>だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。

私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。
与える量がどれくらいなのかということを認識して指導すればいいと思っています。それは状況によってそれがよければ指導者から線がつながっていることをいっぱい提示されても別に選手が自分で考えることが後回しになるとは思いません。というのはそれは指導者側が考えてのことですから。私はその点ではまだ日本選手は「発展途上」だと思いますけどね。また、「与えたもの」が先にあるかというよりもどのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
自分で考えるというのは例えばいろいろな指導者の下でやっていく中で常に頭で考えてやっていった選手もいますが、大部分の選手は受身の状態になっていた。私は逆にその状態を改善することも大切だと思いますが、じゃあ与えないままやっていくということにおいてでは反対ですね。「1与えて10返していく」という1というのは簡単に1ではないと思っています。基本的にどんなレベルの選手の集まりでも1というものはそれが全体に影響する、選手間の判断ではフォロ−できないものもあると思っています。それは大部分は監督が伝えるチ−ム戦術に関連するものだと思います。
私はチ−ム戦術というものだけでチ−ムが機能するとは思っていません。10というものを選手がどうやって判断する能力を上げて返してくれるかだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/8(金) 18:24 -

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   ▼KEANEさん:

>私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。

奇しくもコンフェデ直前に中田英寿が言ったように、「自分で考えることが苦手」だという場合においては、最初にチーム戦術を与えるよりも「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という過程を経るべきだろうと思います。
その意味において、
>どのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
ということだろうと思います。
「チーム戦術」というものは、必ずしも「与えるべきもの」とはぼくはまったく思いません。
選手間の判断ではフォローできない部分は確かにあると思いますが、最初から与えるのではなく、必要に応じて行えば良いものであるとも思います。

議論点として、監督が与えるチーム戦術、全体戦術の類は重要なものであるかオマケで良いか、というところに話を戻せば、「自主的に考えることが不得手」である選手が数多くいる場合、全体戦術を重視し、つまりそれを「チームの戦い方の基本」として最初に植え付けることをすれば、最初の段階としてはやはりその浸透、習熟を重視せざるを得ず、結果的に「自主的に考えてプレイすること」は後回しになるであろうことは自明です。
自分で考えてやることがそもそも苦手なわけですから、より多く「自分で考えなくてはならない必然的な状況」があった方が、そのことのトレーニングになるのは言うまでもないでしょう。
よって、そういう選手が多いことが課題であるチームにおいては、「全体戦術は二の次、オマケで良い」ということです。
個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くことでも「全体戦術」は得られます。
「監督」には、トップダウン式に与える立場に立つ監督もいれば、選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう。
後者の方が、より自主的に考えることをしやすい環境である、ということは言えると思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 lucy  - 03/8/8(金) 20:11 -

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   ▼gliderさん:
▼KEANEさん:
グライダーさん、おひさしぶりです。
キーンさん、始めまして。


今のジーコは代表選手たちが「考える」訓練をするという、「代表選手限定付き強化期間」という見方をしています。(コンフェ前まではジーコに完全否定って感じだったけど)


でも本来ならばそういうことは子供のころから「考える」訓練しなければいけません。で、そうするにはまずは「子供のころからサッカーを楽しむ」習慣が必要だと思います。そこで出てくるのがサッカーグランドを増やそうっていう方針。ちょっと話は逸れますが、川淵氏がその辺にどのくらい影響力があるかが気になります。僕はその点でグライダーさんの川淵更迭論に慎重だったりします。いや、むしろ協会の体質改善の方を重視されてるのでしょうが。


1.サッカーが気軽にできることでオリジナルのある技を磨き、プレーを考える(特に中坊時代に社会人サッカーやってたときは鍛えられました)という習慣が身に付けるための個々人のサッカーレベルの向上


2.サッカーファンの理論偏重型からの脱却(WC前でしかもネットの中でしか判断できていなかったけれど、そこまで的外れではないだろうということで)


3.何より自分が気軽に自宅から近いところでサッカーが楽しめる(爆)


以上の三つの効果が期待できると思ってます。WC以降、サッカーに関心を持つ人がさらに増えた今、絶好の機会だと思います。協会もその辺を狙って「ピッチ君」なんていうマスコットを使ってPRしてると思ってます。かなり前からこの辺は綿密に計画されてたんじゃないかなぁ。


で、戦術的な見方は僕はアホだから解析するのは苦手なので、サッカーを見るときは、今、それから過去に経験したことと照らし合わせて、どういったプレーがやられると嬉しいか、嫌なのか、はたまたある状況にはどう感じているのかというコンセプトで見るようにしてます。で、そういう人がもっと増えたらなと思います。まあ、3についてはどうなるかわかりませんが、とりあえず芝じゃなくてもいいのでサッカーが気軽にできる土壌整備に期待してます。


あ、ちなみに明日朝一で佐賀に行くんで鳥栖スタジアムまた見てこよっかなと思ってます。福岡にもできたら・・・・・・

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/9(土) 2:52 -

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   ▼lucyさん:

>僕はその点でグライダーさんの川淵更迭論に慎重だったりします。いや、むしろ協会の体質改善の方を重視されてるのでしょうが。

わかります。
サッカー場の問題は、草サッカープレイヤーには本当に大きな問題ですよね。
仕事柄、平日に集まれるので時には芝のサッカー場でプレイできることもあるのですが、
12thの仲間達とは土日祭日にしかサッカーできないので、近場で芝のグラウンドをとることは
ほとんど不可能です。
土のグラウンドでも、都内ではかなり前から予約したりしないと土日は取れないし、「野球場はたくさんあるのに・・・」なんてよく思います。
以前参加した日本クラブユース連盟のシンポジウムでも、底辺の拡大、サッカーができる環境の整備は話題になっていましたので、ずいぶん前から取り組んでいることでもあると思いますが・・・

協会の体質改善ということでは、ぼくが不満に感じているのは主に対外政策の面、代表チームの運営におけるスケジューリングや強化方針の定まらなさ、等々。
アジア地区においても本来はもっと積極的主体的に指導的立場になっていても良いはずだし、代表チームが海外遠征等に行った時などでは、練習場や宿泊に問題があることに現地で気付いてみたりそれを解決しきれなかったり、どうにもゴタなことをやっている。
そのへんのことをトルシエの時はトルシエにまかせきりだったりもしていて、「じゃああんたら何しに行ったの!」なんて思うこともしばしばありました。
はっきりいえば交渉下手すぎるし、海外での常識にうとかったりもするのかもしれないし、人選的な問題も多いと感じます。
そしてその人選の理由は、これもはっきりいえばいまだに学閥、企業閥がらみだったりもする。
そうしたアマチュア的体質が残っているのでは、「世界の仲間入り」を果たした、あるいは果たそうとしている今ではもう不足していることが多いと思います。
これまでの実績は実績として評価もせねばならないと思いますが、もうそろそろ世代交代すべきでしょう。
いつまでも「メキシコ世代」なのは、ぼくはもう勘弁して欲しいです。
まあ、そのへんのことはぼくのようなオールドファンは横浜フットボールクラブのことや(フリューゲルス問題も含み)、オフト以前の迷走ぶり、あるいはネルシーニョ問題等の記憶が鮮明だったりもして、協会にたいして必要以上に不信感のようなものがないとは言い切れないのですが。

>あ、ちなみに明日朝一で佐賀に行くんで鳥栖スタジアムまた見てこよっかなと思ってます。福岡にもできたら・・・・・・

台風、大丈夫?

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/12(火) 10:16 -

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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。
>
>奇しくもコンフェデ直前に中田英寿が言ったように、「自分で考えることが苦手」だという場合においては、最初にチーム戦術を与えるよりも「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という過程を経るべきだろうと思います。
>その意味において、
>>どのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
>ということだろうと思います。
>「チーム戦術」というものは、必ずしも「与えるべきもの」とはぼくはまったく思いません。
>選手間の判断ではフォローできない部分は確かにあると思いますが、最初から与えるのではなく、必要に応じて行えば良いものであるとも思います。
>
私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。その与える量という点では必要に応じる点では同じですけどね。
簡単に言うと11人の選手がいつどんな試合のあらゆる状況においてもボ−ルに対して主導権を持ったプレ−やプレスをしていけばいいわけですが、サッカ−というのは選手が考える以上にどういう場合のどういう状況というのは無限に起こるものです。
選手にいいプレ−をさせるための「戦術」を与える、そしてそれを元にいろいろと考えることが選手の自主性だと思っています。


>議論点として、監督が与えるチーム戦術、全体戦術の類は重要なものであるかオマケで良いか、というところに話を戻せば、「自主的に考えることが不得手」である選手が数多くいる場合、全体戦術を重視し、つまりそれを「チームの戦い方の基本」として最初に植え付けることをすれば、最初の段階としてはやはりその浸透、習熟を重視せざるを得ず、結果的に「自主的に考えてプレイすること」は後回しになるであろうことは自明です。
>自分で考えてやることがそもそも苦手なわけですから、より多く「自分で考えなくてはならない必然的な状況」があった方が、そのことのトレーニングになるのは言うまでもないでしょう。
>よって、そういう選手が多いことが課題であるチームにおいては、「全体戦術は二の次、オマケで良い」ということです。
>個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くことでも「全体戦術」は得られます。


>「監督」には、トップダウン式に与える立場に立つ監督もいれば、選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう。
>後者の方が、より自主的に考えることをしやすい環境である、ということは言えると思います。

じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?
私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/13(水) 0:20 -

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   ▼KEANEさん:

>私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。

何がどうあれ、「まず与える」ことが前提だというわけですね。
考えるのは「与えたことを応用」することだ、と。
何度も言いますが、「それもひとつのやり方」以上のものではない、というのがぼくの立場です。
「まず与える」のではなく、繰り返しになりますが「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という方法論は確実に存在し、かつ、「自分で考えることが苦手」であることを克服することが課題であるのならば、そちらの方法を取るほうがずっと問題解決の近道だろう、ということです。
何度も言ってますけど。
一般論として、KEANEさんのおっしゃることは別に間違っていないと思うし、そうした方法論もまた「チーム作りと強化」の手段として正当なものであると思いますが、「チーム作りと強化」の方法論はひとつの解のみが存在するわけではなく、そのチームチームで独自に抱える問題解決のためには、その目的に応じた手段、方法が取られるべきでしょう。

>じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?

先のぼくの意見に対するものとしては、何をおっしゃりたいのかよく理解できませんが。
「そんな頭」がジーコにあろうとなかろうと、現実に「より多く自分で考えなくてはならない状況」になっているし、「個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くこと」が必要とされているのは確かです。
つまり最初からそういう方法論を取っているのであり、「切り替える」必要は端からないでしょう。
要するに哲学、方法論の違いなのであって、「柔軟な包容力」とは問題が全然違うと思います。

>私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。

ぼくは「選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう」と言ったのであって、監督が何もしないという方法もある、と言ったのではないのですが。
失礼ながら、もう少しこちらの書いたことの主旨をご理解されてから反論なりしていただくと助かります。
そうすれば引用ももう少し少なくて済むかと。(すみません、別に長いとダメだということではないのですが、読みづらいという意見もあったので、よろしくお願いします)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 [名前なし]  - 03/8/13(水) 10:25 -

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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。
>
>何がどうあれ、「まず与える」ことが前提だというわけですね。
>考えるのは「与えたことを応用」することだ、と。
>何度も言いますが、「それもひとつのやり方」以上のものではない、というのがぼくの立場です。
>「まず与える」のではなく、繰り返しになりますが「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という方法論は確実に存在し、かつ、「自分で考えることが苦手」であることを克服することが課題であるのならば、そちらの方法を取るほうがずっと問題解決の近道だろう、ということです。
>何度も言ってますけど。
>一般論として、KEANEさんのおっしゃることは別に間違っていないと思うし、そうした方法論もまた「チーム作りと強化」の手段として正当なものであると思いますが、「チーム作りと強化」の方法論はひとつの解のみが存在するわけではなく、そのチームチームで独自に抱える問題解決のためには、その目的に応じた手段、方法が取られるべきでしょう。
>
>>じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?
>
>先のぼくの意見に対するものとしては、何をおっしゃりたいのかよく理解できませんが。
>「そんな頭」がジーコにあろうとなかろうと、現実に「より多く自分で考えなくてはならない状況」になっているし、「個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くこと」が必要とされているのは確かです。
>つまり最初からそういう方法論を取っているのであり、「切り替える」必要は端からないでしょう。
>要するに哲学、方法論の違いなのであって、「柔軟な包容力」とは問題が全然違うと思います。
>
>>私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。
>
>ぼくは「選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう」と言ったのであって、監督が何もしないという方法もある、と言ったのではないのですが。
>失礼ながら、もう少しこちらの書いたことの主旨をご理解されてから反論なりしていただくと助かります。
>そうすれば引用ももう少し少なくて済むかと。(すみません、別に長いとダメだということではないのですが、読みづらいという意見もあったので、よろしくお願いします)

とりあえず、意見が違うんだなと思いますので、これ以上は変な方向にもいきかねないのでストップします。
ありがとうございました。

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