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▼gliderさん:
>>でも、ジーコじゃなければ出来ないサッカーとは思えない。
>そうでもないと思いますよ。
そうかしら、グライダーさんに言われると、そうなのかなーと思ってしまうけど、今フリーになったレアルの監督さんなんかどうなんだろう。
サッカー自体は面白そうで見てみたい気きもするんですが、どうもマネジメントの部分で不安があるものですから。
>ジーコの「スロー・サッカー」、あれはあれでひとつのあり方だとぼくは思いました。
言いえて妙、上手いですね。なんだかジーコのサッカーをズバッと一言で体現してるように思えます。今までもやもやしていた物が、腑に落ちた気がします。
>ボールを大切に、キープ。急いで縦に入れず、ゆっくり回して狙う。
>もちろん、ケース・バイ・ケースでやらなきゃいかんですが、基本線として。
>すると、相手もあまり出てこれなくなる。
>中盤のつつきあいも多くなりますが、激しいプレス合戦、という感じには「なりにくい」。
去年の春先でしたか、どこだったか南米のチームとやったとき、日本のプレスをかわされて、軽々とパスを廻された事が有りましたが、あんな感じでしょうか。
だとすれば魅力的で面白そうですが。
でも、たとえばベルギーやデンマーク辺りとやっていい勝負になるのだろうか、アルゼンチンやイングランドとやってゲームになるんだろうか、あるいはトルシエカタールの鬼プレスを上手く交わせるのだろうか、などという心配が頭を擡げるのです、正直なところ。
トルコ×ブラジルなどを見ても、若いとは言え本家のブラジルがあれだけ苦しむ、分家のその新宅の日本は本当に大丈夫なのだろうか、とつい思ってしまいます。
そう言う意味でコンフェデの+2試合は、実にもったいなかった。
>問題はやはり人選だと思います。
>小野が帰ってきて、遠藤と代わればまたちょっと違うチームになるでしょう。
>CBのコンビが代わっても、ちょっとは違う感じになるでしょう。
>基本的に「インプロヴィゼイション・バンド」ですから。
>そうしたやり方自体、ぼくは反対しません。
この辺りは理解できていると思います。
>当然、時間も多少かかるでしょう。
これは心配です。欧州組みの召集や機会を考えると、アジアカップはもとより下手をすればWC予選にも間に合わないんじゃないかと。
>大事な選手を多数召集できなかったり、ケガで欠いたりすれば、「別のチーム」を用意するしかないでしょう。
>大筋においてのやり方は決まっていても、「誰が欠けてもチーム力はさほど落ちない」というトルシエ時代と同じようなわけにはいかない。
僕は結局のところ、アジアカップもWC予選もその「別のチーム」で戦わざるを得ないように思っています。
>でも、選手ひとりひとりの力は際立ちますね。
>それはそれで、ぼくは面白いです。
そのことが、チームのポテンシャルの上限を決めてしまいかねないとも思うのです。まあそれが「素」と言うことかも知れませんが、その辺りどうお考えですか?
>ただ、問題は人選。
>たぶんジーコは「うまい選手同士なら、わりとすぐに合うものさ」という多くの「うまい選手」の言葉通りを信じているのでしょう。
>その部分の「目」が駄目ならジーコでは駄目ってことです。
当初、この辺りについては結構信頼していたのですが、最近だんだん怪しくなってきました。秋田・永井辺りは僕の目から見てもどうも・・・・・
>トルシエともっとも違うのは、「危険」ということの考え方ではないか。
>トルシエは、「攻撃的守備、攻撃サッカー」を標榜し、「多少の危険は犯さねばならない」とした。
>ジーコは、危険を嫌います。
>キープ力に優れる選手を好み、リスクを犯さずミスの少ないDFを好み、ファウルの少ない選手を好む。
>攻撃を急ぐあまりボールを失うくらいなら、ゆっくりビルドアップしろという。
>だから中田、中村、稲本、小野というキープ力のある選手を好む反面、ファウルが多い戸田のような選手は呼ばない。
これは全く同じように感じていました。以前このHPでも書いたかも知れませんが、ジーコの「危機管理サッカー」と思っています。
>いずれにしろ、こういうサッカーになりました。
>コンパクトで、プレスが速く、攻守の切り替えが速く、というサッカーではなくなりました。
>日本のサッカーはどうであるべきなのか、どうでありたいのか。
>良い機会だと思います。
いずれにせよ解任や辞任は当面ありそうもなく、どういうものかじっくり見てみたいと思っています。
とはいっても、本来の姿を見れる機会ってあまりないような気がするんですよね。
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