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フランス戦&コロンビア戦 anybodydo 03/6/22(日) 11:46

   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/6/27(金) 7:46
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう amo 03/6/28(土) 3:03
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/6/28(土) 8:29
   ポゼッション(支配)とダイレクト(ゴールに対して直接的) Dai 03/6/28(土) 16:28
    Re:ポゼッション(支配)とダイレクト(ゴールに対して直接的) glider 03/6/28(土) 23:00
   トルシエ・コールについて KIND 03/6/28(土) 14:58
    Re:トルシエ・コールについて amo 03/6/28(土) 22:26
    Re:トルシエ・コールについて glider 03/6/28(土) 23:07
    Re:トルシエ・コールについて TEN 03/7/3(木) 23:45
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう TEN 03/7/3(木) 23:42
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/4(金) 13:13
    Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう TEN 03/7/4(金) 16:16
    Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/4(金) 22:03
    Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう TEN 03/7/5(土) 0:21
    Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/6(日) 0:06
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/7/29(火) 12:27
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/30(水) 18:33
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/7/31(木) 11:09
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/1(金) 9:43
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/5(火) 9:42
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/5(火) 13:28
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/8(金) 10:12
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/8(金) 18:24
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう lucy 03/8/8(金) 20:11
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/9(土) 2:52
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/12(火) 10:16
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/13(水) 0:20
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう [名前なし] 03/8/13(水) 10:25

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/6/27(金) 7:46 -

引用なし
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   ▼KINDさん:

>あっ、そういえばワールドユースのほうが先でしたね(恥)、失礼しました。

うん。
でもあのユースのチームがなかったら、どうだったのか。五輪予選を見るまで理解は遅れたかもしれません。

>やっぱり、そう(トルシエは管理サッカーなどしていない、という風に)思われていたということですね。

だってあのユースのチーム見て「管理サッカー」なんて誰も思わないでしょ。
アフリカ人だって喜んでたくらいだし(笑)
約束ごとはすべてスピーディでフリーロールな攻撃サッカーのため、「自分達に主体があるスマートで攻撃的な守備」をするため、って理解できたし、その挑戦的哲学に「イケてるなあ」って思いました。
で、みんななんで批判的なのか全然わかんなかったですね。
コパ?年寄りをみんなに納得させつつふるい落とすための方便でしょ。監督って大変だなあ。
選手批判?思ったことそのまんまストレートに言っちゃうのね、この人。おもしれー。
日本サッカーの伝統の批判?まったく言ってる通りでしょ。頭悪すぎたし。
あー気持ちいーなーこの人。本物のサッカー気違いだ。やれやれもっとやれ、硬直した旧態依然の古くさい間違ったもんなんかぶっ壊せ。言え言えもっと言え。これで変わるぞきっと。こいつは間違いなく日本のサッカーにとってのトリックスターだ。
そんな感じでしたね。
そして、まあそれは半ばは達成されたと思う。
解任騒動の時のあのトルシエ・コールには、何かの象徴を見てしまいました。
だから、今さら永井なにがしなんて旧石器時代の生き残りのヴォケが何を言っても気にならない。
連中がジーコに何を託そうと、関係ない。

そうしてジーコになった。
なかなか結果が出ない。
でも基本的にダバディが言ってる通りだとぼくは思います。
ちょっと言わせてね。
みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。

でも、それも「過程」かな。

>なるほどー。。。この時代のサッカーは、BSのサッカー番組でやるのを見たことがあるくらいなのですが、そうでしたか。

テレ・サンターナに「戦術がない」なんて誰も言いませんでしたね。
あれはれっきとした「ローテーション・フットボール」っていう戦術。
そこはジーコも変わらない。
それもこれも含めて、南米式ではある。
日本は、どう進む?
そこは考えて行った方が良いと思います。
ジーコで行けるところまで行ってみるのも面白いかも、とぼくは思いはじめてます。
それを完全消化してみるのもいいかもしれない。
その後にどうするかは、でも、考え続けて行った方がいいと思う。
時間まかせにしないで、ね。

>うーん、ただ、そういったサッカーをやるためには秋田や小村という選手選考がぜんぜん意味がわからないんですよね。そこらへんが、いまいちジーコの目を信用できないところというか。

だからジーコは、「CBはしっかり守ればいい」人なんですよ、基本が。
そこにあまり比重がないっていうか、ね。
それはそれで困った人でもあるけど、「ボールをキープしてればたいして関係ないだろ」な匂いもするし、ほんとにそうなったらそれはそれで楽しい。
中盤王国なんだから、SBもMFでもいい。それくらいやるかもしれん。
中盤が中田ヒデ、中村、小野、遠藤で両SBがアレックスと稲本、なんてことになったら、それはそれで楽しい。(アレックスには成長してもらうとして。また、アレックスのそういう起用が口実になって新井場とかでもいいし)
現代の「ファスト・フットボール」に対するアンチテーゼとしての「スロー・フットボール」、「良い攻撃は良い守備から」に対するアンチテーゼとしての「ボールポゼッション・フットボール」、日本がどこまでできるか見てみたい気もします。

ちなみにアーセン・ベンゲルは「それじゃあまるでレアルマドリーみたいだって?日本人には無理?そうかな?人生で大事なのは信じることだよ」とおっしゃってます(笑)

そうそう、関係ないけどフォエのこと、びっくりした。
フランスートルコは良いゲームでしたが・・・

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 amo  - 03/6/28(土) 3:03 -

引用なし
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   こんばんは。
日本にいるのに時差ボケみたいな生活になってきました。

>みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
>監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
>戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。

PTA…言いえて妙です(笑)
でも、サポは「親」のように、代表に直接働きかけることは
できないですから。だからワーワー言うのは、まあよし、として。

>日本は、どう進む?
>そこは考えて行った方が良いと思います。
>ジーコで行けるところまで行ってみるのも面白いかも、とぼくは思いはじめてます。
>それを完全消化してみるのもいいかもしれない。
>その後にどうするかは、でも、考え続けて行った方がいいと思う。
>時間まかせにしないで、ね。

この後に。協会に何もプランがなさそうなのが…。
でもま、2006ってことに関しては、なぜか楽観的ですが。

思うに、ジーコの現役を知っているか、いないかによって
彼の意図することに対する理解度が違ってくる面があるんじゃないでしょうか。
および、支持・不支持に至るまで。

私、といえばサッカーを見始めたのが「ドーハ後」の
94、5年くらいなので、
ジーコといえば「ひとりでできた」の人(笑)
ジュビサポなのでアントのサッカーは好きではないし
なんていうか、国内では強い、ドメスティックな印象があるんですよ。

でもまあ、代表・監督・自分の三位一体(笑)
ってことは、非常に稀で、トルシエ時代はすごいラッキーだったんだ
ということに気づきました。なので、今は素直に代表頑張れ、と。

だから、トルシエコールとかはもういいんじゃないですか?
好きだったけど今はもう別れた男だよ(笑)
で、ベンゲルは気のあるそぶりをする連れない男ね(笑)

ジーコがたとえ自分にぴったりの相手じゃなくても
得るものはあるだろうからしばらくはちゃんと付き合って、
ヤバくなった時には、自分でしっかりやっていけるから大丈夫。

…な代表であって欲しいものです、ほんと。

>そうそう、関係ないけどフォエのこと、びっくりした。
>フランスートルコは良いゲームでしたが・・・

本当にショッキングでした。
神に召される、ってああいうのを言うんじゃないかしら…。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/6/28(土) 8:29 -

引用なし
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   ▼amoさん:

おはようございます。

>日本にいるのに時差ボケみたいな生活になってきました。

同じくです。
ぼくに関して言えば仕事がないのと、雨と、コンフェデのせいです(笑)

>でも、サポは「親」のように、代表に直接働きかけることは
>できないですから。

そうですね。
でも、もっと選手がやってることをちゃんと見よう、監督がどうのって言う前に、やってるのは選手だってことをもっと理解して、プレイの細かなディテイルからも「なんでそうなったか」を考えよう、ってことなんですよ。
ラインが深くなってると「ジーコのせい」ラインが少し高くなると「宮本がジーコの指示を無視したから」ってそういうの、ちょっと安直だと思います。
秋田、森岡で深くなってたのは、二人の足が遅いっていうのは大きいと思うし、宮本になって良くなったのは、もちろん選手達の話合いで変えて行った部分も宮本の主義で良くなった部分もあるのは間違いないけど、宮本、坪井っていう二人がポジショニングと判断、宮本のコントロールテクニック、物理的なスピードで後方へのカバーをきっちりやってるから成立してるって部分はあんまり話題にならない。
なんでそうすぐになんでもかんでも監督のせいにしたがるのかな、過保護じゃないのって感じます。
自戒も込めて。

>この後に。協会に何もプランがなさそうなのが…。

うーん、ないんでしょうね・・・
でもプロの人気商売、世論の影響も大きいですから、頑張りましょう。

>私、といえばサッカーを見始めたのが「ドーハ後」の
>94、5年くらいなので、
>ジーコといえば「ひとりでできた」の人(笑)

それは大きいですよね。
ぼくなんかは82ブラジル、特にその中でもジーコは特別な憧れがありましたから。
当時のジーコは、そりゃカッコ良かったです。
日本代表で言えば、NZ戦とかフランス戦の中村に5、6本の見事なスルーパス足したのを毎試合のようにやってた、と言えば想像できるでしょうか。
予測不能なことばかりする、っていうんで「宇宙人」って呼ばれてました。
当時のぼくらにはすごくインパクトが大きかったですよ。
そういう人だから、「ボールを持っていれば攻撃はされない」っていうのを基本方針にするってのはいかにもです。
で、そういうドリームチームにいた人だから、その時の監督を尊敬してて、その手法を踏襲したいっていうのもよくわかります。
「ジャパン・ドリームチーム」作っちゃおうとするのも。
だったら中盤だけじゃなくてバックスもFWも「黄金」にしてよ、って思いますが(笑)
で、「MF7人計画」とか・・・

>だから、トルシエコールとかはもういいんじゃないですか?
>好きだったけど今はもう別れた男だよ(笑)
>で、ベンゲルは気のあるそぶりをする連れない男ね(笑)

言えてます。
トルシエはオフト以上に日本のサッカーにとって大きな存在だったと思うし、だからいなくなって寂しいし、残して行ったものへの愛着とか、よくわかる。
30年サッカー見てきて、次から次へといろんな代表監督見てきたぼくらの世代でもそうですから。
あんなおもろいオッサン、いなかったですからね(笑)
でも、次の段階へ進まなきゃね。
それは一見、「三歩進んで二歩下がる」ことになっても、その次の三歩のために必要なこと、と割り切って。
ベンゲルはほんとタヌキじじいだと思います。
的確なこと言って、それにちょっとその気にさせるようなことや、こっちの気を良くすることを混ぜる。
このタヌキめ!って感じです(笑)

>ジーコがたとえ自分にぴったりの相手じゃなくても
>得るものはあるだろうからしばらくはちゃんと付き合って、
>ヤバくなった時には、自分でしっかりやっていけるから大丈夫。
>
>…な代表であって欲しいものです、ほんと。

ほんとですね。

>>そうそう、関係ないけどフォエのこと、びっくりした。
>>フランスートルコは良いゲームでしたが・・・
>
>本当にショッキングでした。
>神に召される、ってああいうのを言うんじゃないかしら…。

なんともいえない決勝戦になりそうです。
フォエのいたあたりにパス出すたびに悲しくならないだろうか、とか考えてしまったりします。

トルシエ・コールについて
 KIND  - 03/6/28(土) 14:58 -

引用なし
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   なんか誤解されてるみたいなので、注釈をば。

>だから、トルシエコールとかはもういいんじゃないですか?
>好きだったけど今はもう別れた男だよ(笑)


違いますよ〜、別に「戻ってきてくれ〜」って意味でトルシエ・コールをするんじゃないですよ。

川淵にせよジーコにせよ、トルシエへのアンチテーゼで始まっていることは明らかなんだから、「お前らを拒否する」という明確かつ確実に相手の心に届くメッセージは「トルシエ・ニッポン」でしょう。


わかりやすくていいと思いますよ。今まで一部ライターや一部協会会長(爆)からはさんざトルシエ時代がなにか暗黒時代のように語られているわけですから、もう一度示しておいたほうがいいんじゃないですかね。これで「サポーターはトルシエ時代のほうがよかったと思っている」と思わせれば、メディアもバッシングの手を強めるでしょう。ジーコに対してもそうだけど、「聖域」たる川淵氏にも(ちなみに、僕は彼を「愛称」では呼びません。愛着なんてないから)。


トルシエ・コールの意味はそういうことです。

ポゼッション(支配)とダイレクト(ゴールに対し...
 Dai WEB  - 03/6/28(土) 16:28 -

引用なし
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   黄金のブラジル代表は確かにボールを大切にするポゼッションフットボールで、非常にゆっくりした流れで、急いでミスをせずに、技術をベースに、相手に触らせないドリブルを織り交ぜつつ、ワンタッチ、ツータッチで回して相手にボールを取らせない。そんなサッカーだったと思います。

しかし、肝心なところにくると、やはりあのブラジル代表でも、スピードアップをする。特にゴールエリアに近づくと、突然、怒涛のスピードアップをしてくる。これが優れた個人技術と優れたコンビネーションがないとなかなかできないんですよね。

また、当時のブラジル代表は、ミドルシュートを実に良く決めている。

さらに、ブラジル代表の得点パターンで多いのは、やはり「カウンター」。

ジーコジャパンが、ポゼッションフットボールを志向し、高い技術の集合体としての、ファンタジー溢れるサッカーを目指すのは、とても素晴らしいことではありますが、ゴールという目的を達成するためには、やはりスピードは必要であり、それは常にゴールを狙ってプレーする意識、そういうコンビネーション、そういったものがでてこないといけないんだなと思います。

攻め急ぎすぎて、常にダイレクトに行くような、ハイスピードサッカーだけでは、ちょっと厳しいと思いますが、あまりにもゆっくりとしたスローサッカーだけでも、点は取れないし、攻撃のための守備という視点も欠けてくると思うので、もう少しバランス良く、チームを作ってもらえればなと思います。

でも、結構、夢のある代表というか、ゲームを支配する代表というか、攻撃的なサッカーで、世界にセンセーショナルを巻き起こすような、そういう過程にはきているかなとも思っています。あとは、人選が鍵を握りますよ。このサッカーだと。

とにかく、勝つためには、もう少しスピードアップの方法論を確立するのと、ダイレクト、カウンター、相手陣内でのポゼッション、攻守の切り替えなんかを指導していけば、アジア予選はきっちりと通過して、本選でも戦えるレベルになれるんじゃないかなって思います。

まあでも、ジーコにやって欲しいのは、とにかく個人能力のある奴だけを集めて使って欲しいってことです。変にバランス考えないで良いので。例えば、レアルマドリーだとか、クライフ監督時のバルサとか、今のマンUとか、そういうスター集団志向で、もういいんじゃないかって思いますよ。代表なんだし。

だから、本山も使おうよ。

Re:トルシエ・コールについて
 amo  - 03/6/28(土) 22:26 -

引用なし
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   ▼KINDさん:

うん、誤解していませんよ(笑)
おっしゃること、よくわかります。

でもまあ「反ジーコ」を示すのには、別にトルシエじゃなくても
もういいんじゃないかなー?ってやっぱり思うんですよ。

「××の頃はよかった…」ってなセンチメンタリズムに
陥ってるだけだと、あいつらに思わせちゃ、ダメでしょ??

じゃあ何コールをすればよいでしょうか?については
わかりません(笑)

Re:ポゼッション(支配)とダイレクト(ゴールに対...
 glider  - 03/6/28(土) 23:00 -

引用なし
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   ▼Daiさん:

>黄金のブラジル代表は確かにボールを大切にするポゼッションフットボールで、非常にゆっくりした流れで、急いでミスをせずに、技術をベースに、相手に触らせないドリブルを織り交ぜつつ、ワンタッチ、ツータッチで回して相手にボールを取らせない。そんなサッカーだったと思います。

そうですね。

>しかし、肝心なところにくると、やはりあのブラジル代表でも、スピードアップをする。特にゴールエリアに近づくと、突然、怒涛のスピードアップをしてくる。これが優れた個人技術と優れたコンビネーションがないとなかなかできないんですよね。

それがね・・・
82ブラジルでは「速い攻撃」は滅多に見れないんですよ。
イタリア戦では、点取った後でさえアナウサーに「後は速い攻撃も見たいですね」なんて言われてる始末で。
もちろんないことはないんだけど、非常に稀です。
基本的に「怒濤のごとくスピードアップしてゴールに迫る」という感じではなく、のらくら回してるうちにとんでもない精度のスルーパスが出てスっと抜け出してきたり、ドリブルで2、3人がかわされて開いたスペースにスルーパス出されたり、それで走り込む選手に釣られるとミドル入れられたり、そんな攻撃です。
6割を越える(たぶん)ボールポゼッションの中で、攻撃のアクセントになってるのが以外とセレーゾで、「こいつらどう見てもMF」のジュニオールとレアンドロに代わって頻繁に両サイドに顔出してる。
おとりの動きなんかもうまくて、ボックスの中を横切り、それでシュートコース作ってる。
どっちかと言えば守備的な役割の人と思われてるみたいだけど、実はけっこうそうでもなくて華麗なボールテクニックと精度の高いキックを持ってます。
クラブでは10番のタイプだったんじゃないでしょうかね。
つまり、4人の10番(ジーコは9番に近いけど)とすぐ中へ入ってきちゃうアレックスといった感じの両SB、FWなんだかMFなんだかよくわからないプレイエリアのドリブラー、FWエデル、ポストプレイしかないけどそのポストプレイもほとんど機能してない下手クソなセルジーニョ、ほとんど攻撃に顔は出さないCBの二人(オスカーはCKでは上がってくるけど)、それにGK、という構成の11人。
よって守備はかなり手薄。
だからイタリアにやられちゃった。
セレーゾのミスパスをロッシにかっさらわれて負けるあたりも日本に似てたりして・・・

んで、どうせなら思いっきりそういうチーム作ってみたらどうだ?とも思うんですね。
中田、中村、小野、小笠原、なんて中盤の4人にアレックスと稲本の両SB、本山と大久保の2トップ、とか楽しいじゃないですか。
ムチャかな?
クリエイティヴィティ重視、キープ力重視っていうならアリじゃないの、なんて思うけど。
どうせなら「特別な選手」だけで構成する代表。
バランスなんてクソくらえ、な代表。
「ボールを持っている限り、守備の組織は必要ない」(byベンゲル)な代表。
今の代表は物足りない。
何が足りないって攻撃精神。
バランスが取れてるっていうのは、相手の守備もそうなるってこと。
それじゃ得点できません。

82年のイタリア。
守備的、って言われるけど、そんなことない。
攻撃に来る時はガーッと人数かけてくる。
ロッシ、グラチアニの2トップにアントニオーニ、コンティのテクニックのある2列目、ムチャクチャな運動量のカブリーニ、それにタルデリあたりがガーッと攻めて来る。
得点の匂いがただよってくる。

もういいです、バランス。
チャンス作れて、あるていど守れて、空中戦もそこそこ、創造性もそこそこ、運動量もそこそこ、スピードもそこそこ、組織もちゃんとしてて。
そういうの、つまんない。
いいじゃん、どうせろくに勝てない空中戦なんか捨てちゃえば。
ヘディングなんか強くないけど、何をしでかすかわからない、「全員抜けば関係ないだろ」なFW。
すぐ前がかりになっちゃうけど、予測できない、有り余る創造力の中盤。
調子に乗らせるとどうしようもないSB。
守備は強くないけど、爆発したら何点取るかわからない、そんな代表になったら楽しいのになあ、なんて思います。

あとさ、ジーコの力でエメルソン帰化させられないかね?(笑?

Re:トルシエ・コールについて
 glider  - 03/6/28(土) 23:07 -

引用なし
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   ▼amoさん:
▼KINDさん:

やっぱり

「川淵やめろ!」じゃないの?

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 TEN  - 03/7/3(木) 23:42 -

引用なし
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   こんばんわ、です。

>みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。

まあ、自由とは何か、から始まってここへ行き着いたみたいなんですけど(笑)
まあ、ボクとしてはトルシエに関しては非常に批判的だったので、多少言い訳をしておきたいのですが。
ボクは「トルシエのサッカー」は嫌いではなかった。
グライダーさんほど早くは無かったでしょうが、ある程度の形と方向性は見て取れた。
トルシエの中にあったのはあくまで約束事であり、生きていく中でのモラルみたいなものに過ぎない。
隣の人とは仲良くしましょう(カバーリング)、とか他人のために道を譲ってあげましょう(パスコースを維持する動き)、みたいな。その上で上手に整頓しましょう(プレスディフェンス)っていう基本を持ち込んだ。
それで窮屈って言うのはちょっと文化が低くないかい、と。
その上で彼はもっと整頓することを考えていた(両サイドもコンパクトに)
で、ボクはそれは「今の日本には無理だから3ボランチに」と思ってたんです。
まあ半分正解で半分はずれた、そんな感じでトルシエの世代は終わりました。

で、ジーコの世代です。
まあ、テーゼに対してアンチテーゼで始まるのは別にサッカーだけでなく歴史などでもそういうことは良くあるので一向に構わない。もっと言えば、グライダーさんの言わんとするところもなんとなくわかる。
ただですね、それって代表でやら無いといけないのかなあ、というのは頭から離れないんですよ。
例えJでのチームに戻ったとしても必要な要素であるし、もっと「柔軟な思考」の部分じゃないかと思うんですよ。
それを年10ちょっとの代表の試合で育つものかなあ、と。
さらにですね、グライダーさんはPTAと言われましたけど、ボクとしては
「教育方針の無い学校に子供を預けたくない」
と言う感じでしょうか。
こんな子供を育てたい、こんな子供になって欲しい、そういう目標の無い学校には子供を預けたくないですよね?
単に自主独立であるならそれは学校ではなく、まず家庭(J)でもできる。
そこから先の人間形成の場としての学校の方向性ってなんだろってのがまったくわからないんですよ。
6年生を卒業間際まで試合に使ったり、いきなり秀才と呼ばれる3年生をいっぱい起用してみたり。
鬼ごっこにしたって、みんなで追っかけまわすのか、それとも個人の足の速さで捕まえていくのか不明だし。

なんか学校批判みたいですけど(笑)

まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。

Re:トルシエ・コールについて
 TEN  - 03/7/3(木) 23:45 -

引用なし
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   ビバ!犬サッカー

ってのはどうでしょう?

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/4(金) 13:13 -

引用なし
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   ▼TENさん:

どうもです。

>ただですね、それって代表でやら無いといけないのかなあ、というのは頭から離れないんですよ。
>例えJでのチームに戻ったとしても必要な要素であるし、もっと「柔軟な思考」の部分じゃないかと思うんですよ。
>それを年10ちょっとの代表の試合で育つものかなあ、と。

こういう意見は多いですね。
ぼくは「代表でやらなければいけない」と思います。
もちろん、代表で不足があきらかになったことをユース年代等でやるのは当然としても、「今、代表に足らないこと」を代表でやるのは当然だと思う。
しかも国際試合のレベルとJリーグではレベル格差がある以上、さらにはJリーグはJリーグで週2日開催されるリーグ戦を勝ち抜いて行くためのチーム作りもしなければならない以上、そこに「ばかり」日本サッカーのレベルアップを望んでも無理がある。
ぼくは、代表チームの活動を、親善試合の勝ち負けよりも「日本サッカーの根本的なレベルアップ」に重きを置くのは当然だとも思います。
前回のチームで足りなかった「個人戦術と少数のグループ戦術」を強化するために、一度そこを強調したサッカーをやってみる、あるいは「自分で考えて決断すること」が不得手なら、それなくしては成立しないサッカーをしてみる、ということがなぜそんなにいけないことなのか、ぼくには理解し難いです。
前者は試合だけでなく実戦的なトレーニングでもそれを意識することによって強化して行くことができるし、若年層でなければ身に付かないという類のものではない。
後者は主に意識の持ち方によっても変わるもので、一概に試合数に左右されない部分もある。

日本のサッカーのひとつの特徴として、個人のボールコントロール等の技術は比較的高くて、戦術実行能力も高いということがある。
でも、それにしてはなぜあれほどにパスの精度が悪いのか。パスミスが多いのか。
局面でのグループ・コンビネーションに工夫が足りないのか。
強化を急いだために、段階をひとつ飛ばしていなかったか。
そこを埋めるのをどうしてクラブだけにまかせなければならないのか。
さらに言えば、日本のサッカーはいまだクラブ主導ではなく代表主導です。
それは集客力を見てもあきらかだし、となればそれも含めて代表チームがクラブに与える影響の強さもあきらかです。
もっと言えば、ではワールドカップで不足があきらかになった部分の改善を、今のJクラブで取り組んでいる所があるんでしょうか?
それは次の世代まで待たなくてはならないようなことでもありません。

明確にこれまでの積み上げの上でそうしたことをやって行く、という方法論もあったでしょう。
しかし、こと「日本A代表」に関して言えばそれは不可能だった。
それはこれまでのジーコジャパンの軌跡、選手の発言等を見てもあきらかなこと。
こうなった過程の不透明さ、確信的でなく無自覚な決定であったこと、それはまた別の問題として問題視せねばならないことと思いますが、結果的にはある種の必然に導かれたような気もします。

>さらにですね、グライダーさんはPTAと言われましたけど、ボクとしては
>「教育方針の無い学校に子供を預けたくない」と
>言う感じでしょうか。

あっちこっちで何度も言ってますけど、ぼくはジーコの方法を「教育方針がない」とか「度を越した放任主義」とはまったく思いません。
指導方法自体は別に珍しくもないでしょうし、こと代表チームという括りにいたっては、そちらの方が多数派であるかもしれない。

>そこから先の人間形成の場としての学校の方向性ってなんだろってのがまったくわからないんですよ。

ぼくには理解できました。
サッカーとしてのディテイルにおいても、「技術と創意工夫を生かす」という方針です。
そのために犠牲にするものもあるが、そこに第一義を置くという方針自体には何ら問題を感じません。
どこまで生かせるかは選手達自身とジーコの環境作りにかかっている。
コンフェデでは、その環境作りにおいて失敗という側面があった。
主力と目される選手のケガやコンディション不良、イラク戦争とSARSの影響によるカレンダーの狂いという要素も大きいので、ぼくはその面はしばし留保という感じです。

>まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。

そりゃお気の毒(笑)
ぼくは本当にテレ・サンターナのセレソンみたいなチーム目指すなら、それはそれでオッケーです。
ひとつの段階として、やって見れば良いと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 TEN  - 03/7/4(金) 16:16 -

引用なし
パスワード
   >しかも国際試合のレベルとJリーグではレベル格差がある以上、さらにはJリーグはJリーグで週2日開催されるリーグ戦を勝ち抜いて行くためのチーム作りもしなければならない以上、そこに「ばかり」日本サッカーのレベルアップを望んでも無理がある。
ぼくは、代表チームの活動を、親善試合の勝ち負けよりも「日本サッカーの根本的なレベルアップ」に重きを置くのは当然だとも思います。

レベルの部分には同意します。
が、レベルアップ以上に勝ち負けに重きを置いているとはジーコが言ってることですよね。
育成の場だとは考えていない、と発言したこともあります。
ボクとしては例えグライダーさんの言うとおりだったとしても、それは偶発的な部分が大きいしその後ある程度結果が出たときに当てになるのかな、というのが一つ。
それから明確な目標に向かっての育成プランはないだろう、と思われるのでコンフェデのように目標をあっさりと落とすんじゃないか、というのが二つ目です。

>前回のチームで足りなかった「個人戦術と少数のグループ戦術」を強化するために、一度そこを強調したサッカーをやってみる、あるいは「自分で考えて決断すること」が不得手なら、それなくしては成立しないサッカーをしてみる、ということがなぜそんなにいけないことなのか、ぼくには理解し難いです。
前者は試合だけでなく実戦的なトレーニングでもそれを意識することによって強化して行くことができるし、若年層でなければ身に付かないという類のものではない。

>そこを埋めるのをどうしてクラブだけにまかせなければならないのか。
さらに言えば、日本のサッカーはいまだクラブ主導ではなく代表主導です。
それは集客力を見てもあきらかだし、となればそれも含めて代表チームがクラブに与える影響の強さもあきらかです。
もっと言えば、ではワールドカップで不足があきらかになった部分の改善を、今のJクラブで取り組んでいる所があるんでしょうか?

クラブだけに任せる問題ではないですが、クラブの段階、もっといえば選出の段階で解決しているのが理想だと思います。逆に言えば、それが出来ない以上日本代表の構成と代表における目標を変えるほうがいいと思います。
また、個人スキルの段階と全体の組織戦術の段階は共に選手のスキルの一部だとは思いますが、それは切り離せない関係です。組織戦術は戦略と言い換えてもいい。
戦略に明確な方向性が示されていない以上、それに必要な技術や創意工夫も決めることは出来ないのではないですか?もっと言えば、「何が出来れば代表に召集されるのか」が明確ではなくなりませんか?
スキル全般のレベルアップが必要であることは当然ですが、技術や創意工夫は明確な目的があってこそその価値を持つと思います。

グライダーさんの意見に反対しているわけじゃないんです。
むしろ言うことには賛成している。
日本代表には明らかに欠けている能力があって、それはグライダーさんの言うとおりだと思います。
ですが、それを伸ばすために全体の方向性を失うのはどうかな、と思うわけです。
多分グライダーさんは全体の方向性は個人個人の連携と創意工夫が作り出す、と考えているんでしょう。
そういう方向もありかなー、とは思うけどそれはジーコを凌駕してませんかね。

>まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。

そりゃお気の毒(笑)
ぼくは本当にテレ・サンターナのセレソンみたいなチーム目指すなら、それはそれでオッケーです。
ひとつの段階として、やって見れば良いと思います。

これにいたっては代表監督に任せるしかないですからねえ。
オランダやデンマークのサッカーを見習ってもらいたい、というのが希望に過ぎないことはよーっくわかってるんですけどね(笑)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/4(金) 22:03 -

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   ▼TENさん:

>が、レベルアップ以上に勝ち負けに重きを置いているとはジーコが言ってることですよね。

勝ち負けにこだわる、というのはジーコはそうでしょうね。
でも、それだからと言って「勝ち負け以外の要素」を無視するということになるわけでもありません。
単にバランスの問題でしょう。

>ボクとしては例えグライダーさんの言うとおりだったとしても、それは偶発的な部分が大きいしその後ある程度結果が出たときに当てになるのかな、というのが一つ。

ジーコを選んだのも別ににそういう意図がはっきりあったわけではないし、ジーコにしろ自分が信じるサッカーを進めているだけで、そういう分析と意図の元にやっているわけじゃない。
すべて、「結果的にそうなっている」ことです。
もちろん明確な意図と意志の元であれば、もっと良かったでしょう。
でも、いずれにしろ「欠けているものを補う」ためにはなっているし、見たところその面での進歩もある。
それはジーコ就任から少しした時点でわかっていたことであり、その意味では順調とも言える。
悪くないとぼくは思います。

>それから明確な目標に向かっての育成プランはないだろう、と思われるのでコンフェデのように目標をあっさりと落とすんじゃないか、というのが二つ目です。

コンフェデは、はっきり失敗したと言えるでしょう。
しかしながら、それはカレンダーの変更という部分の影響が見逃せない。
予定どおりアメリカ遠征が、さらにA3が行われていたら、また結果は違っていたかもしれません。
いや、たぶん違っていたでしょう。
そういう面で、3試合同じメンバーで望んだジーコの意図は理解できないでもない。
ちょっと無理しすぎたな、というのはありますが。

>逆に言えば、それが出来ない以上日本代表の構成と代表における目標を変えるほうがいいと思います。

この部分には、ぼくははっきり反対します。
「足りない部分」を棚上げして、解決のあてのないクラブまかせにしていても、進歩は得られない。
それで日本代表が今より少し強くなったとしても、長期的に見て日本のサッカーのためになるとは思えません。
「世界の強豪に比肩する日本のサッカーの確立」を求めて、Jリーグは設立されました。
「日本のサッカーが世界の強豪と肩を並べている状態」というのは、何も代表チームの話だけではありません。
選手が海外の一流どころで活躍することもそう。
そのためにも、「欠けている部分」に目をつむったまま、代表に対症療法的な治療を施して、「日本も強くなった」なんて言ってても仕方がない。

>ですが、それを伸ばすために全体の方向性を失うのはどうかな、と思うわけです。

全体の方向性は、もともとからきっちりあったと思ってません。
だからこそ、こういうことになったんでしょう。
ナショナル・トレセン等のJFAの指導者層の一部にはあったが、それは「日本サッカー全体の共通意志として統一されたもの」ではなかった。
そして、「コレクティヴなサッカーをする」にしても、段階として間違った部分があった。
それは早いうちに修正されるべき。
あのまま、欧州の先端的な組織サッカー路線を続けていても、その部分の修正はなかなか進まなかっただろうと思います。

>多分グライダーさんは全体の方向性は個人個人の連携と創意工夫が作り出す、と考えているんでしょう。
>そういう方向もありかなー、とは思うけどそれはジーコを凌駕してませんかね。

違います。
ジーコのサッカーは、もっと明確に「技術と創意工夫を生かす」 ことを求めています。
そういう「全体の方向性」は、「明確に存在するもの」です。
ジーコはそういうチームを作ろうとしている、ということです。

>これにいたっては代表監督に任せるしかないですからねえ。
>オランダやデンマークのサッカーを見習ってもらいたい、というのが希望に過ぎないことはよーっくわかってるんですけどね(笑)

ぼくはこれも「ひとつの段階」と捉えます。
いずれはどこの国とも違う、借り物でない、「日本のサッカー」を明確に持つための。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 TEN  - 03/7/5(土) 0:21 -

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   >ジーコを選んだのも別ににそういう意図がはっきりあったわけではないし、ジーコにしろ自分が信じるサッカーを進めているだけで、そういう分析と意図の元にやっているわけじゃない。
すべて、「結果的にそうなっている」ことです。
もちろん明確な意図と意志の元であれば、もっと良かったでしょう。

明確な意図が無いので、意図からずれたときに修正できないのではないか、と思いますが。まあ、グライダーさんの仰るとおり、現実は意図的かどうかはおいておいても「欠けている部分を補っている」方向へ歩いているので見物と言った気持ちでいますが。

>そういう面で、3試合同じメンバーで望んだジーコの意図は理解できないでもない。ちょっと無理しすぎたな、というのはありますが。

ええ、まさにこの部分ですね。
この失敗を見て「修正がきかないのでは」という不安は増幅されました。


>この部分には、ぼくははっきり反対します。
「足りない部分」を棚上げして、解決のあてのないクラブまかせにしていても、進歩は得られない。
それで日本代表が今より少し強くなったとしても、長期的に見て日本のサッカーのためになるとは思えません。

これについては同感なんです。
ただ、違うのは今回ジーコの目標達成の期間は後2年しかないってことです。つまり、予選が始まるまで、サイアクでも予選の半ばには一定の結果が要求される。それに間に合うのか、と言う点です。その点で代表で選手の経験を重ねるメリットはほとんどない、と思います。対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできるのではないか、と言うことです。この場合の対処的治療法は、個人においては「対処的」であっても全体においては「対処的」とは言わないだろうから、なおさらなんですが。


>ジーコのサッカーは、もっと明確に「技術と創意工夫を生かす」 ことを求めています。
そういう「全体の方向性」は、「明確に存在するもの」です。
ジーコはそういうチームを作ろうとしている、ということです。

すいません、この部分に関してはもうちょっと説明をしていただけますか。
ボクの言いたいこととずれがあるようにも感じるし、単にボクが理解できていないようにも感じるので。

>ぼくはこれも「ひとつの段階」と捉えます。
いずれはどこの国とも違う、借り物でない、「日本のサッカー」を明確に持つための。

なるほど、グライダーさんは「行き着くサッカーは無い」って考えているんですね。そこが違うところなんですね、きっと。
ボクは「サッカーは繰り返す」って考えてるかもしれません。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/6(日) 0:06 -

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   ▼TENさん:

>この失敗を見て「修正がきかないのでは」という不安は増幅されました。

「この失敗」は、カレンダーの狂いも大きかったと思うし、「ジーコの考えるチーム」は10試合かそこらではできないだろうと思うので、そのへんの評価は、ぼくはアジアカップまでおあづけです。

>予選が始まるまで、サイアクでも予選の半ばには一定の結果が要求される。それに間に合うのか、と言う点です。

「チーム」というものにはすべて生き物にも似たライフサイクルのようなものがあります。
トルシエのA代表は、2年に及ぶ長い助走期間を経て2000年6月に離陸を始め、2001年11月のイタリア戦でほぼピークに達したとぼくは思います。
つまり、半年早すぎた。より良くなるための修正はもちろんあったし、そこからチーム力が落ちていったとは言えないかもしれないけど、イタリア戦の頃の「勢い」のようなものは若干失われたと感じていました。
98年の代表から、大幅な選手の入れ替えを敢行せざるを得なかった前代表と比べ、今回は2002年代表選手達もそのまま生かせる。
1年半もあれば十分。
仮にアジアカップ失敗、ジーコ解任という事態になっても、4.5枠という優遇された条件の中でなら地力から考えても、あるいは選手達の力の総和だけで考えても、ぼくは心配しません。
緊急対処の事態になったとしてもアジアカップ後からでも十分間に合わせることは可能と思ってます。

>その点で代表で選手の経験を重ねるメリットはほとんどない、と思います。対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできるのではないか、と言うことです。

ぼくはメリットは大きいと思う。
今の代表チームで経験していることが今の代表選手達にもたらしているものは大きいと思いますよ。
そして、繰り返しになってしまいますが対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできなかったと思う。
それは「このチーム」ということなら単純にサッカー的なものだけから考えても無理。
あきらかに足りないものを足りないままにしていては前代表を越えることは難しい。
それでは全体においても「対処的でない」とは言えないでしょう。

>すいません、この部分に関してはもうちょっと説明をしていただけますか。

ジーコのスタイルは、ボールをキープすることが生命線になります。
ベンゲルが言ったように「ボールを持っていないチームは攻撃できない」し、『ボールを持っていれば守備の組織は必要ない」のです。
だから、ジーコのサッカーでは「高い位置でのボール奪取」も考えられていないし、その意味での「エリアポゼッション」も重視されない。
大筋において「コンパクトな攻撃」も「キープ重視」には反することになる。
ジーコの言う「バランス」もそうした意味で捉えるべきでしょう。
さて、ではそれでどう攻めるか、ということですね。

「攻撃に関しては自由。自分達でポジションチェンジを繰り返すことでスペースが空いてくる。バランスは常に保っていられる」
と高原は言っています。
そして、その空いたスペースには必ず誰かが走り込むこと。(でないと意味ないですからね)
その上でカバーリングを含め「バランス」を保つこと。
これは、テレ・サンターナのサッカーそのままです。

問題点。
まず「キープ重視」「ボールポゼッション重視」であるため、必然的に攻撃の速度は落ちる。
「ショートカウンター」を含め、「カウンター型」ではなく、「構築型」の攻撃になります。
それはつまり、相手の守備組織が整っている上で攻撃をせねばならない、ということです。
だから「ポジションチェンジによるスペースメイク」は必然になります。
さらには個人の独力によって相手の組織を崩すことも必要になります。
そして「相手が読めないタイミングとスペースへのパス」も、「創意工夫のある少数のグループでの連携」も、なくてはならないものになってくる。
だから「技術と創意工夫を生かすこと」は「あらかじめ折り込まれている」のです。

確認のため、テレ・サンターナの82セレソンを見てみましょう。
FWとMFの縦のポジションチェンジ、MF間の「ローテーション」のような入れ替わり。
SBがそこに含まれることも多い。
SBが縦のスペースを使うことは稀で、攻撃時にはたいていは中に入ってきてボックス近辺でプレイしている。
その場合にワイドに開くのは、ファルカンだったりセレーゾだったりしています。
SBがワイドな位置でボールを受けても、彼らはそこから中へドリブルを開始することが多く、それによって引き付けられてできたスペースへパスを出す。
中央突破も多く、誰がどこなんて関係がないように次々に入れ替わってできたスペースへスルーパスが通され、そこに走り込んだ選手がまたそれにスルーパスを重ねる。
細かなコンビネーションプレイで破るのも得意だし、絶妙なフリーランもある。
しかし、それにしても「速い攻撃」はほとんど見られない・・・

日本の選手には「細かなボールコントロール・テクニック」はあります。
幾人かの選手には、「創造性」もある。
足りないのは、サンターナのチームあってジーコのチームにないのは、個人個人の強い攻撃意識による積極性、創意工夫のあるグループ戦術と個人戦術、それからシュートの正確性。
シュートの正確性はある程度しょうがないとしても、後は解決できる問題。
そしてそれこそが「日本に欠けていたもの」であり、そこで勝負せざるを得ないチームのあり方こそが、そこを磨く一番の近道です。

フランス戦での日本代表は、サンターナのチームをぼくに思い出させました。
「得点力不足」が解消された時、ジーコのチームは完成と言えるでしょう。

>なるほど、グライダーさんは「行き着くサッカーは無い」って考えているんですね。そこが違うところなんですね、きっと。
>ボクは「サッカーは繰り返す」って考えてるかもしれません。

「行き着くサッカーは無い」というのは、既存のサッカーでこういうの、ってことですか?
ならばそうです。
メキシコにはメキシコの、ベルギーにはベルギーのサッカーの特徴があるように、イングランドのサッカーがいくらモダナイズされ、スウェーデン人が監督になろうと「イングランドはイングランド」であるように、誰が監督になろうと変わらない「日本のスタイル」を持つことが必要だと思ってます。
あるいは、それをもっとはっきりと「日本のサッカー」全体が自覚することを。
そこに借り物なんていりません。
だから、オフトのスタイルも加茂のスタイルもトルシエのスタイルもジーコのスタイルも、それは段階ということに過ぎない。
ステップアップ。
だんだんと機は熟してきているかもしれませんね。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/7/29(火) 12:27 -

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   >みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
>監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
>戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。
>
依存しているわけではないと思いますよ。
ただ選手の判断ではフォロ−できないところをちゃんと仕事をしているか?逆に一万を超える状況のすべてすべての対応を一つ一つ丁寧に教える監督なんているわけではない。
いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。最終的に自分たちのサッカ−をしながら「戦い方の幅」が持てるかがポイントだと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/30(水) 18:33 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

集団競技チームにおける監督の仕事のうち、戦術的な部分等はぼくは二義的なものでしかないと考えています。
もっとも大切なことは「チーム・スピリット」をいかに作りあげうるか、という部分でしょう。
それは「コレクティブ」であるか否かということでもなければ、チームへの献身性のようなことでもなく、ピッチ内外において「チームをひとつの『チーム』としうるか」ということであり、その面を無視して監督の能力をうんぬんすること等、意味のないことだと思っています。

>いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。

確かにそれもひとつの指導のあり方でしょうが、「それも一つのあり方」以上のものではないとぼくは思います。
言い換えれば、「必ずしも監督がせねばならないことではない」ということ。
「典型的なもの」として「いくつかの同様な状況」は存在し、それに対するチームとしての対処を明確にしておくことは必要だと思いますが、それも選手間の相互理解の上に成立するものであり、(約束ごととしての『相互理解』だけではなく、互いの長所短所、能力の理解と信頼、といったような部分も含め)それがなければ「同様の状況」とはいえ、それは「形」として同様なだけで実質的にはそれを行う相手も違えば速度も違えば試合の流れの中での意味あいも違い、実は毎度毎度違ってくる「同様の状況」への真に正しい対処はできないでしょう。
ましてや、頻度の高い「同様の状況」であればあるほど(それは効果的でもあるからですが)選手達個人の中では「既知の現象」であるはずで、代表クラスの選手同志であれば選手間の理解が深まってさえいれば応用的にも対処できるはず、という「チーム作り」の面も含めた「チームのあり方」も当然あるでしょう。

そうしたことまでを含めて考えたなら、ひとつひとつの試合においては、今のようにジーコがどうこう言う前にもっと具体的なディテイルにおいての選手の判断やそのミス、ひとつひとつの動き等から語られるべきであり、そこでは監督ではなく選手が主役であるべきだと考えます。
どう考えても監督にばかり注目が集まりすぎている。
「代表監督としてジーコがふさわしいかどうか」を語るなら、同様に「誰それ選手は代表としてふさわしいかどうか」も語られるべきであり、監督も「このチームの一員(または一因)」とした中での「チームとしての評価」という視点が少なすぎるのは、「監督依存」という他ないでしょう。
そしてその監督の評価にしても「ひとつのあり方」に縛られ、もっと重要な視点が欠けているようにも感じています。
監督がもたらす「戦術」面のことなんてオマケみたいなものだ、と言ってしまいます。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/7/31(木) 11:09 -

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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>集団競技チームにおける監督の仕事のうち、戦術的な部分等はぼくは二義的なものでしかないと考えています。
>もっとも大切なことは「チーム・スピリット」をいかに作りあげうるか、という部分でしょう。
>それは「コレクティブ」であるか否かということでもなければ、チームへの献身性のようなことでもなく、ピッチ内外において「チームをひとつの『チーム』としうるか」ということであり、その面を無視して監督の能力をうんぬんすること等、意味のないことだと思っています。
>
「チ−ムを一つのチ−ムにしうるか」ということはどの監督さんも思っていることだと思いますが、それをどういう形で持っていくかという過程はもっと大切なものだと思っています。

>>いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。
>
>確かにそれもひとつの指導のあり方でしょうが、「それも一つのあり方」以上のものではないとぼくは思います。
>言い換えれば、「必ずしも監督がせねばならないことではない」ということ。
>「典型的なもの」として「いくつかの同様な状況」は存在し、それに対するチームとしての対処を明確にしておくことは必要だと思いますが、それも選手間の相互理解の上に成立するものであり、(約束ごととしての『相互理解』だけではなく、互いの長所短所、能力の理解と信頼、といったような部分も含め)それがなければ「同様の状況」とはいえ、それは「形」として同様なだけで実質的にはそれを行う相手も違えば速度も違えば試合の流れの中での意味あいも違い、実は毎度毎度違ってくる「同様の状況」への真に正しい対処はできないでしょう。
>ましてや、頻度の高い「同様の状況」であればあるほど(それは効果的でもあるからですが)選手達個人の中では「既知の現象」であるはずで、代表クラスの選手同志であれば選手間の理解が深まってさえいれば応用的にも対処できるはず、という「チーム作り」の面も含めた「チームのあり方」も当然あるでしょう。
>
>そうしたことまでを含めて考えたなら、ひとつひとつの試合においては、今のようにジーコがどうこう言う前にもっと具体的なディテイルにおいての選手の判断やそのミス、ひとつひとつの動き等から語られるべきであり、そこでは監督ではなく選手が主役であるべきだと考えます。
>どう考えても監督にばかり注目が集まりすぎている。
>「代表監督としてジーコがふさわしいかどうか」を語るなら、同様に「誰それ選手は代表としてふさわしいかどうか」も語られるべきであり、監督も「このチームの一員(または一因)」とした中での「チームとしての評価」という視点が少なすぎるのは、「監督依存」という他ないでしょう。
>そしてその監督の評価にしても「ひとつのあり方」に縛られ、もっと重要な視点が欠けているようにも感じています。
>監督がもたらす「戦術」面のことなんてオマケみたいなものだ、と言ってしまいます。

まず選手が主役であるということは同意ですが、主役として光らせることも大切だと思っています。私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。
選手の技術向上を望んでいるという点では同意ですが、それがどんな背景なのかということが取り方が違うのかぁと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/1(金) 9:43 -

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   ▼KEANEさん:

>それをどういう形で持っていくかという過程はもっと大切なものだと思っています。

どういう形で持って行くかは、まさに監督それぞれになるでしょうね。
そういった「チームマネージメント」の部分は、「コーチング」の部分とは違ってその監督の人柄も大きいでしょう。
指導者養成の過程では、そうした部分の指導も行われているでしょうけど、やはり監督それぞれの個性が出るところだと思います。
いずれにしろチームが力を発揮するためには、そうした部分の比重の方がずっと大きい。
ぼくは前任者トルシエ監督を「すごいなあ」と思っていましたが、それは「フラット3」とかの戦術ではなく、マネージメントやチーム作りの部分の手腕です。
あれだけの期間、チームを良い状態、緊張感を持った中で良いまとまりを保ち、力を発揮できていたことは、ほんとうにたいした手腕だと思います。
翻って日本人指導者を見れば、「良いコーチ」はたくさんいても「良い監督」は少ない。
ぼくは横浜の岡田氏を戦術的、技術的ディテイルにおいてはあまり評価できませんが、日本人では数少ない「監督」足り得る人ではないかと思います。
もう少し見てみないと何とも言えないかもしれませんが。

>私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。

少ないが故に、ぼくは「戦術重視」に疑問を感じます。
これまでの積み重ねとトルシエの4年間で、モダン・フットボールの基本は得ることができた。
しかし、2002年ワールドカップの日本代表に「足りないもの」はそこではなかった。
「オートマティスム」があれば、「頭の許量や経験」を補ってくれるでしょうが、「頭の許量」自体が上がるわけではありません。
いや、上がることは上がって行くでしょうし、日本代表チームとしてはその方がずっと早く力を発揮することになるでしょう。
しかし、ぼくはそれでは「トルシエの作ったチーム」を超えないと思います。
足りないものを補う手っ取り早い方法は、それなくしてはならない環境に身を置くこと。
海外に出た選手が明確に成長するのは、そういったことが大きいと思います。
代表チームは、国内の選手にとっては数少ない世界レベルの経験の場。
そうした実戦の場において得る危機感、不足するものを明確に実感することこそ、「次のステップ」になるでしょう。
コンフェデレーションズ・カップ直前に中田英寿が言った「超えなければならない壁」は、戦術重視の中では見えにくいものです。
基本的には、ぼくもまた日本のサッカーはコレクティヴなものの方が相性が良いと思っていますが、段階をすっ飛ばしたままで良いとは思わない。
それに、「日本のサッカーが世界と肩を並べている状態」というのは何も日本代表だけがそこそこ強ければ良いというものでもないでしょう。
日本人選手が海外のリーグで多数活躍することも必要だろうし、Jリーグのクラブが評価される(たとえ供給源としてでも)ことも必要でしょう。
そのためには、今は日本にとっても「戦術はオマケ」で良いと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/5(火) 9:42 -

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   >>私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。
>
>少ないが故に、ぼくは「戦術重視」に疑問を感じます。
>これまでの積み重ねとトルシエの4年間で、モダン・フットボールの基本は得ることができた。
>しかし、2002年ワールドカップの日本代表に「足りないもの」はそこではなかった。
>「オートマティスム」があれば、「頭の許量や経験」を補ってくれるでしょうが、「頭の許量」自体が上がるわけではありません。
>いや、上がることは上がって行くでしょうし、日本代表チームとしてはその方がずっと早く力を発揮することになるでしょう。
>しかし、ぼくはそれでは「トルシエの作ったチーム」を超えないと思います。
>足りないものを補う手っ取り早い方法は、それなくしてはならない環境に身を置くこと。
>海外に出た選手が明確に成長するのは、そういったことが大きいと思います。
>代表チームは、国内の選手にとっては数少ない世界レベルの経験の場。
>そうした実戦の場において得る危機感、不足するものを明確に実感することこそ、「次のステップ」になるでしょう。
>コンフェデレーションズ・カップ直前に中田英寿が言った「超えなければならない壁」は、戦術重視の中では見えにくいものです。
>基本的には、ぼくもまた日本のサッカーはコレクティヴなものの方が相性が良いと思っていますが、段階をすっ飛ばしたままで良いとは思わない。
>それに、「日本のサッカーが世界と肩を並べている状態」というのは何も日本代表だけがそこそこ強ければ良いというものでもないでしょう。
>日本人選手が海外のリーグで多数活躍することも必要だろうし、Jリーグのクラブが評価される(たとえ供給源としてでも)ことも必要でしょう。
>そのためには、今は日本にとっても「戦術はオマケ」で良いと思います。

私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。
与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/5(火) 13:28 -

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   ▼KEANEさん:

>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。

同意します。
そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
さらには(レスの順序が逆になりますが)

>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。

も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/8(金) 10:12 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。
>
>同意します。
>そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
>さらには(レスの順序が逆になりますが)
>
>>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。
>
>も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
>「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
>まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
>だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。

私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。
与える量がどれくらいなのかということを認識して指導すればいいと思っています。それは状況によってそれがよければ指導者から線がつながっていることをいっぱい提示されても別に選手が自分で考えることが後回しになるとは思いません。というのはそれは指導者側が考えてのことですから。私はその点ではまだ日本選手は「発展途上」だと思いますけどね。また、「与えたもの」が先にあるかというよりもどのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
自分で考えるというのは例えばいろいろな指導者の下でやっていく中で常に頭で考えてやっていった選手もいますが、大部分の選手は受身の状態になっていた。私は逆にその状態を改善することも大切だと思いますが、じゃあ与えないままやっていくということにおいてでは反対ですね。「1与えて10返していく」という1というのは簡単に1ではないと思っています。基本的にどんなレベルの選手の集まりでも1というものはそれが全体に影響する、選手間の判断ではフォロ−できないものもあると思っています。それは大部分は監督が伝えるチ−ム戦術に関連するものだと思います。
私はチ−ム戦術というものだけでチ−ムが機能するとは思っていません。10というものを選手がどうやって判断する能力を上げて返してくれるかだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/8(金) 18:24 -

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   ▼KEANEさん:

>私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。

奇しくもコンフェデ直前に中田英寿が言ったように、「自分で考えることが苦手」だという場合においては、最初にチーム戦術を与えるよりも「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という過程を経るべきだろうと思います。
その意味において、
>どのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
ということだろうと思います。
「チーム戦術」というものは、必ずしも「与えるべきもの」とはぼくはまったく思いません。
選手間の判断ではフォローできない部分は確かにあると思いますが、最初から与えるのではなく、必要に応じて行えば良いものであるとも思います。

議論点として、監督が与えるチーム戦術、全体戦術の類は重要なものであるかオマケで良いか、というところに話を戻せば、「自主的に考えることが不得手」である選手が数多くいる場合、全体戦術を重視し、つまりそれを「チームの戦い方の基本」として最初に植え付けることをすれば、最初の段階としてはやはりその浸透、習熟を重視せざるを得ず、結果的に「自主的に考えてプレイすること」は後回しになるであろうことは自明です。
自分で考えてやることがそもそも苦手なわけですから、より多く「自分で考えなくてはならない必然的な状況」があった方が、そのことのトレーニングになるのは言うまでもないでしょう。
よって、そういう選手が多いことが課題であるチームにおいては、「全体戦術は二の次、オマケで良い」ということです。
個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くことでも「全体戦術」は得られます。
「監督」には、トップダウン式に与える立場に立つ監督もいれば、選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう。
後者の方が、より自主的に考えることをしやすい環境である、ということは言えると思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 lucy  - 03/8/8(金) 20:11 -

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   ▼gliderさん:
▼KEANEさん:
グライダーさん、おひさしぶりです。
キーンさん、始めまして。


今のジーコは代表選手たちが「考える」訓練をするという、「代表選手限定付き強化期間」という見方をしています。(コンフェ前まではジーコに完全否定って感じだったけど)


でも本来ならばそういうことは子供のころから「考える」訓練しなければいけません。で、そうするにはまずは「子供のころからサッカーを楽しむ」習慣が必要だと思います。そこで出てくるのがサッカーグランドを増やそうっていう方針。ちょっと話は逸れますが、川淵氏がその辺にどのくらい影響力があるかが気になります。僕はその点でグライダーさんの川淵更迭論に慎重だったりします。いや、むしろ協会の体質改善の方を重視されてるのでしょうが。


1.サッカーが気軽にできることでオリジナルのある技を磨き、プレーを考える(特に中坊時代に社会人サッカーやってたときは鍛えられました)という習慣が身に付けるための個々人のサッカーレベルの向上


2.サッカーファンの理論偏重型からの脱却(WC前でしかもネットの中でしか判断できていなかったけれど、そこまで的外れではないだろうということで)


3.何より自分が気軽に自宅から近いところでサッカーが楽しめる(爆)


以上の三つの効果が期待できると思ってます。WC以降、サッカーに関心を持つ人がさらに増えた今、絶好の機会だと思います。協会もその辺を狙って「ピッチ君」なんていうマスコットを使ってPRしてると思ってます。かなり前からこの辺は綿密に計画されてたんじゃないかなぁ。


で、戦術的な見方は僕はアホだから解析するのは苦手なので、サッカーを見るときは、今、それから過去に経験したことと照らし合わせて、どういったプレーがやられると嬉しいか、嫌なのか、はたまたある状況にはどう感じているのかというコンセプトで見るようにしてます。で、そういう人がもっと増えたらなと思います。まあ、3についてはどうなるかわかりませんが、とりあえず芝じゃなくてもいいのでサッカーが気軽にできる土壌整備に期待してます。


あ、ちなみに明日朝一で佐賀に行くんで鳥栖スタジアムまた見てこよっかなと思ってます。福岡にもできたら・・・・・・

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/9(土) 2:52 -

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   ▼lucyさん:

>僕はその点でグライダーさんの川淵更迭論に慎重だったりします。いや、むしろ協会の体質改善の方を重視されてるのでしょうが。

わかります。
サッカー場の問題は、草サッカープレイヤーには本当に大きな問題ですよね。
仕事柄、平日に集まれるので時には芝のサッカー場でプレイできることもあるのですが、
12thの仲間達とは土日祭日にしかサッカーできないので、近場で芝のグラウンドをとることは
ほとんど不可能です。
土のグラウンドでも、都内ではかなり前から予約したりしないと土日は取れないし、「野球場はたくさんあるのに・・・」なんてよく思います。
以前参加した日本クラブユース連盟のシンポジウムでも、底辺の拡大、サッカーができる環境の整備は話題になっていましたので、ずいぶん前から取り組んでいることでもあると思いますが・・・

協会の体質改善ということでは、ぼくが不満に感じているのは主に対外政策の面、代表チームの運営におけるスケジューリングや強化方針の定まらなさ、等々。
アジア地区においても本来はもっと積極的主体的に指導的立場になっていても良いはずだし、代表チームが海外遠征等に行った時などでは、練習場や宿泊に問題があることに現地で気付いてみたりそれを解決しきれなかったり、どうにもゴタなことをやっている。
そのへんのことをトルシエの時はトルシエにまかせきりだったりもしていて、「じゃああんたら何しに行ったの!」なんて思うこともしばしばありました。
はっきりいえば交渉下手すぎるし、海外での常識にうとかったりもするのかもしれないし、人選的な問題も多いと感じます。
そしてその人選の理由は、これもはっきりいえばいまだに学閥、企業閥がらみだったりもする。
そうしたアマチュア的体質が残っているのでは、「世界の仲間入り」を果たした、あるいは果たそうとしている今ではもう不足していることが多いと思います。
これまでの実績は実績として評価もせねばならないと思いますが、もうそろそろ世代交代すべきでしょう。
いつまでも「メキシコ世代」なのは、ぼくはもう勘弁して欲しいです。
まあ、そのへんのことはぼくのようなオールドファンは横浜フットボールクラブのことや(フリューゲルス問題も含み)、オフト以前の迷走ぶり、あるいはネルシーニョ問題等の記憶が鮮明だったりもして、協会にたいして必要以上に不信感のようなものがないとは言い切れないのですが。

>あ、ちなみに明日朝一で佐賀に行くんで鳥栖スタジアムまた見てこよっかなと思ってます。福岡にもできたら・・・・・・

台風、大丈夫?

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/12(火) 10:16 -

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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。
>
>奇しくもコンフェデ直前に中田英寿が言ったように、「自分で考えることが苦手」だという場合においては、最初にチーム戦術を与えるよりも「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という過程を経るべきだろうと思います。
>その意味において、
>>どのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
>ということだろうと思います。
>「チーム戦術」というものは、必ずしも「与えるべきもの」とはぼくはまったく思いません。
>選手間の判断ではフォローできない部分は確かにあると思いますが、最初から与えるのではなく、必要に応じて行えば良いものであるとも思います。
>
私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。その与える量という点では必要に応じる点では同じですけどね。
簡単に言うと11人の選手がいつどんな試合のあらゆる状況においてもボ−ルに対して主導権を持ったプレ−やプレスをしていけばいいわけですが、サッカ−というのは選手が考える以上にどういう場合のどういう状況というのは無限に起こるものです。
選手にいいプレ−をさせるための「戦術」を与える、そしてそれを元にいろいろと考えることが選手の自主性だと思っています。


>議論点として、監督が与えるチーム戦術、全体戦術の類は重要なものであるかオマケで良いか、というところに話を戻せば、「自主的に考えることが不得手」である選手が数多くいる場合、全体戦術を重視し、つまりそれを「チームの戦い方の基本」として最初に植え付けることをすれば、最初の段階としてはやはりその浸透、習熟を重視せざるを得ず、結果的に「自主的に考えてプレイすること」は後回しになるであろうことは自明です。
>自分で考えてやることがそもそも苦手なわけですから、より多く「自分で考えなくてはならない必然的な状況」があった方が、そのことのトレーニングになるのは言うまでもないでしょう。
>よって、そういう選手が多いことが課題であるチームにおいては、「全体戦術は二の次、オマケで良い」ということです。
>個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くことでも「全体戦術」は得られます。


>「監督」には、トップダウン式に与える立場に立つ監督もいれば、選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう。
>後者の方が、より自主的に考えることをしやすい環境である、ということは言えると思います。

じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?
私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/13(水) 0:20 -

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   ▼KEANEさん:

>私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。

何がどうあれ、「まず与える」ことが前提だというわけですね。
考えるのは「与えたことを応用」することだ、と。
何度も言いますが、「それもひとつのやり方」以上のものではない、というのがぼくの立場です。
「まず与える」のではなく、繰り返しになりますが「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という方法論は確実に存在し、かつ、「自分で考えることが苦手」であることを克服することが課題であるのならば、そちらの方法を取るほうがずっと問題解決の近道だろう、ということです。
何度も言ってますけど。
一般論として、KEANEさんのおっしゃることは別に間違っていないと思うし、そうした方法論もまた「チーム作りと強化」の手段として正当なものであると思いますが、「チーム作りと強化」の方法論はひとつの解のみが存在するわけではなく、そのチームチームで独自に抱える問題解決のためには、その目的に応じた手段、方法が取られるべきでしょう。

>じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?

先のぼくの意見に対するものとしては、何をおっしゃりたいのかよく理解できませんが。
「そんな頭」がジーコにあろうとなかろうと、現実に「より多く自分で考えなくてはならない状況」になっているし、「個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くこと」が必要とされているのは確かです。
つまり最初からそういう方法論を取っているのであり、「切り替える」必要は端からないでしょう。
要するに哲学、方法論の違いなのであって、「柔軟な包容力」とは問題が全然違うと思います。

>私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。

ぼくは「選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう」と言ったのであって、監督が何もしないという方法もある、と言ったのではないのですが。
失礼ながら、もう少しこちらの書いたことの主旨をご理解されてから反論なりしていただくと助かります。
そうすれば引用ももう少し少なくて済むかと。(すみません、別に長いとダメだということではないのですが、読みづらいという意見もあったので、よろしくお願いします)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 [名前なし]  - 03/8/13(水) 10:25 -

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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。
>
>何がどうあれ、「まず与える」ことが前提だというわけですね。
>考えるのは「与えたことを応用」することだ、と。
>何度も言いますが、「それもひとつのやり方」以上のものではない、というのがぼくの立場です。
>「まず与える」のではなく、繰り返しになりますが「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という方法論は確実に存在し、かつ、「自分で考えることが苦手」であることを克服することが課題であるのならば、そちらの方法を取るほうがずっと問題解決の近道だろう、ということです。
>何度も言ってますけど。
>一般論として、KEANEさんのおっしゃることは別に間違っていないと思うし、そうした方法論もまた「チーム作りと強化」の手段として正当なものであると思いますが、「チーム作りと強化」の方法論はひとつの解のみが存在するわけではなく、そのチームチームで独自に抱える問題解決のためには、その目的に応じた手段、方法が取られるべきでしょう。
>
>>じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?
>
>先のぼくの意見に対するものとしては、何をおっしゃりたいのかよく理解できませんが。
>「そんな頭」がジーコにあろうとなかろうと、現実に「より多く自分で考えなくてはならない状況」になっているし、「個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くこと」が必要とされているのは確かです。
>つまり最初からそういう方法論を取っているのであり、「切り替える」必要は端からないでしょう。
>要するに哲学、方法論の違いなのであって、「柔軟な包容力」とは問題が全然違うと思います。
>
>>私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。
>
>ぼくは「選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう」と言ったのであって、監督が何もしないという方法もある、と言ったのではないのですが。
>失礼ながら、もう少しこちらの書いたことの主旨をご理解されてから反論なりしていただくと助かります。
>そうすれば引用ももう少し少なくて済むかと。(すみません、別に長いとダメだということではないのですが、読みづらいという意見もあったので、よろしくお願いします)

とりあえず、意見が違うんだなと思いますので、これ以上は変な方向にもいきかねないのでストップします。
ありがとうございました。

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