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▼anybodydoさん:
>そういう意味じゃ「ジーコという選択」の是非は、「ジーコ戦術」の是非とは別問題。
>そこがちょっと混同されてしまっている、とは思いますね。
>違う道を採ってるのに、別の選択肢との乖離を論ずるのはジーコにとっては理不尽でしょうから。
結局、前とは視点をまったく変えて見ないとダメだと思うんですよね。
そうしないとジーコがどういうチームを作ろうとしているのかも本当にはわからない。
だから「戦術がない」なんて話になっちゃうわけで。
トルコはワールドカップから、着実に積み上げてチームを強化してきている。
ただし、ワールドカップの時点でもトルコにあって日本にはなかったものはあきらかでした。
今、ヒデの発言を見ればそのことが次々にあきらかになっていると思います。
「(自分の判断でやるということが)できないと日本がもっと上を目指すことはできない」「声が出ていない。もっと要求しあわないとダメ」「行くべき時にもっと積極的に行けないと」「個人個人のスキルアップがこのチームには必要だ」etc.
こうしたことがはっきりと見えたこと、こういう声が出てきたこと、そのことを改善して行こうという意志を持てることになったこと、「ジーコ体制」になった意味はそこにある。
「素」だなんだって言ってたのはそういうことなんで、ぼくとしては願った通りになってきている。
こういうことを「前からわかってたことじゃないか」「トルシエ時代からの積み重ねを捨てなきゃできないことか」という意見はある。
でも「わかってなかった」からこういう声が出てきたんだと思うし、これまでのやり方でそうなった(あるいは改善できなかった)以上、一度は捨ててみなきゃならなかったんだとぼくは思います。
「ジーコの戦術がダメ」とはぼくは思わなくなりました。
細かい守備戦術なんかない。でも徹底した「ボールポゼッションのフットボール」という「戦術」はある。
そのための選手構成、意識づけも示している。ポジションチェンジとそのカヴァーリングの意識づけも指導している。
ともあれ、思考が「攻撃から」入っている。
「コレクティヴ」ということと、「監督が」ひとりひとりの動きを細かく約束づけるのは必ずしもイコールでは結ばれないでしょう。
テレ・サンターナが作った82年大会のブラジル代表、あれは4-4-2という選手の登録構成だけれど、プレイエリアで見れば2-7-1みたいなもの。
前後の人数不足を状況によってそれぞれが入れ替わりつつ補う、というチームです。
どこまでそこに近づけるのか、ジーコがどこまでチャレンジできる状況になるか、日本の選手達がどこまで固定観念を破って行けるのか、ひとつの「バランス」を壊し、より高い次の「バランス」を構築できるのか、ぼくはもう少しこのチームが見たくなりました。
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