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こんばんわ、です。
>みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。
まあ、自由とは何か、から始まってここへ行き着いたみたいなんですけど(笑)
まあ、ボクとしてはトルシエに関しては非常に批判的だったので、多少言い訳をしておきたいのですが。
ボクは「トルシエのサッカー」は嫌いではなかった。
グライダーさんほど早くは無かったでしょうが、ある程度の形と方向性は見て取れた。
トルシエの中にあったのはあくまで約束事であり、生きていく中でのモラルみたいなものに過ぎない。
隣の人とは仲良くしましょう(カバーリング)、とか他人のために道を譲ってあげましょう(パスコースを維持する動き)、みたいな。その上で上手に整頓しましょう(プレスディフェンス)っていう基本を持ち込んだ。
それで窮屈って言うのはちょっと文化が低くないかい、と。
その上で彼はもっと整頓することを考えていた(両サイドもコンパクトに)
で、ボクはそれは「今の日本には無理だから3ボランチに」と思ってたんです。
まあ半分正解で半分はずれた、そんな感じでトルシエの世代は終わりました。
で、ジーコの世代です。
まあ、テーゼに対してアンチテーゼで始まるのは別にサッカーだけでなく歴史などでもそういうことは良くあるので一向に構わない。もっと言えば、グライダーさんの言わんとするところもなんとなくわかる。
ただですね、それって代表でやら無いといけないのかなあ、というのは頭から離れないんですよ。
例えJでのチームに戻ったとしても必要な要素であるし、もっと「柔軟な思考」の部分じゃないかと思うんですよ。
それを年10ちょっとの代表の試合で育つものかなあ、と。
さらにですね、グライダーさんはPTAと言われましたけど、ボクとしては
「教育方針の無い学校に子供を預けたくない」
と言う感じでしょうか。
こんな子供を育てたい、こんな子供になって欲しい、そういう目標の無い学校には子供を預けたくないですよね?
単に自主独立であるならそれは学校ではなく、まず家庭(J)でもできる。
そこから先の人間形成の場としての学校の方向性ってなんだろってのがまったくわからないんですよ。
6年生を卒業間際まで試合に使ったり、いきなり秀才と呼ばれる3年生をいっぱい起用してみたり。
鬼ごっこにしたって、みんなで追っかけまわすのか、それとも個人の足の速さで捕まえていくのか不明だし。
なんか学校批判みたいですけど(笑)
まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。
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