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フランス戦&コロンビア戦 anybodydo 03/6/22(日) 11:46

   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう TEN 03/7/4(金) 16:16
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/4(金) 22:03
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう TEN 03/7/5(土) 0:21
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/6(日) 0:06

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 TEN  - 03/7/4(金) 16:16 -

引用なし
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   >しかも国際試合のレベルとJリーグではレベル格差がある以上、さらにはJリーグはJリーグで週2日開催されるリーグ戦を勝ち抜いて行くためのチーム作りもしなければならない以上、そこに「ばかり」日本サッカーのレベルアップを望んでも無理がある。
ぼくは、代表チームの活動を、親善試合の勝ち負けよりも「日本サッカーの根本的なレベルアップ」に重きを置くのは当然だとも思います。

レベルの部分には同意します。
が、レベルアップ以上に勝ち負けに重きを置いているとはジーコが言ってることですよね。
育成の場だとは考えていない、と発言したこともあります。
ボクとしては例えグライダーさんの言うとおりだったとしても、それは偶発的な部分が大きいしその後ある程度結果が出たときに当てになるのかな、というのが一つ。
それから明確な目標に向かっての育成プランはないだろう、と思われるのでコンフェデのように目標をあっさりと落とすんじゃないか、というのが二つ目です。

>前回のチームで足りなかった「個人戦術と少数のグループ戦術」を強化するために、一度そこを強調したサッカーをやってみる、あるいは「自分で考えて決断すること」が不得手なら、それなくしては成立しないサッカーをしてみる、ということがなぜそんなにいけないことなのか、ぼくには理解し難いです。
前者は試合だけでなく実戦的なトレーニングでもそれを意識することによって強化して行くことができるし、若年層でなければ身に付かないという類のものではない。

>そこを埋めるのをどうしてクラブだけにまかせなければならないのか。
さらに言えば、日本のサッカーはいまだクラブ主導ではなく代表主導です。
それは集客力を見てもあきらかだし、となればそれも含めて代表チームがクラブに与える影響の強さもあきらかです。
もっと言えば、ではワールドカップで不足があきらかになった部分の改善を、今のJクラブで取り組んでいる所があるんでしょうか?

クラブだけに任せる問題ではないですが、クラブの段階、もっといえば選出の段階で解決しているのが理想だと思います。逆に言えば、それが出来ない以上日本代表の構成と代表における目標を変えるほうがいいと思います。
また、個人スキルの段階と全体の組織戦術の段階は共に選手のスキルの一部だとは思いますが、それは切り離せない関係です。組織戦術は戦略と言い換えてもいい。
戦略に明確な方向性が示されていない以上、それに必要な技術や創意工夫も決めることは出来ないのではないですか?もっと言えば、「何が出来れば代表に召集されるのか」が明確ではなくなりませんか?
スキル全般のレベルアップが必要であることは当然ですが、技術や創意工夫は明確な目的があってこそその価値を持つと思います。

グライダーさんの意見に反対しているわけじゃないんです。
むしろ言うことには賛成している。
日本代表には明らかに欠けている能力があって、それはグライダーさんの言うとおりだと思います。
ですが、それを伸ばすために全体の方向性を失うのはどうかな、と思うわけです。
多分グライダーさんは全体の方向性は個人個人の連携と創意工夫が作り出す、と考えているんでしょう。
そういう方向もありかなー、とは思うけどそれはジーコを凌駕してませんかね。

>まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。

そりゃお気の毒(笑)
ぼくは本当にテレ・サンターナのセレソンみたいなチーム目指すなら、それはそれでオッケーです。
ひとつの段階として、やって見れば良いと思います。

これにいたっては代表監督に任せるしかないですからねえ。
オランダやデンマークのサッカーを見習ってもらいたい、というのが希望に過ぎないことはよーっくわかってるんですけどね(笑)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/4(金) 22:03 -

引用なし
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   ▼TENさん:

>が、レベルアップ以上に勝ち負けに重きを置いているとはジーコが言ってることですよね。

勝ち負けにこだわる、というのはジーコはそうでしょうね。
でも、それだからと言って「勝ち負け以外の要素」を無視するということになるわけでもありません。
単にバランスの問題でしょう。

>ボクとしては例えグライダーさんの言うとおりだったとしても、それは偶発的な部分が大きいしその後ある程度結果が出たときに当てになるのかな、というのが一つ。

ジーコを選んだのも別ににそういう意図がはっきりあったわけではないし、ジーコにしろ自分が信じるサッカーを進めているだけで、そういう分析と意図の元にやっているわけじゃない。
すべて、「結果的にそうなっている」ことです。
もちろん明確な意図と意志の元であれば、もっと良かったでしょう。
でも、いずれにしろ「欠けているものを補う」ためにはなっているし、見たところその面での進歩もある。
それはジーコ就任から少しした時点でわかっていたことであり、その意味では順調とも言える。
悪くないとぼくは思います。

>それから明確な目標に向かっての育成プランはないだろう、と思われるのでコンフェデのように目標をあっさりと落とすんじゃないか、というのが二つ目です。

コンフェデは、はっきり失敗したと言えるでしょう。
しかしながら、それはカレンダーの変更という部分の影響が見逃せない。
予定どおりアメリカ遠征が、さらにA3が行われていたら、また結果は違っていたかもしれません。
いや、たぶん違っていたでしょう。
そういう面で、3試合同じメンバーで望んだジーコの意図は理解できないでもない。
ちょっと無理しすぎたな、というのはありますが。

>逆に言えば、それが出来ない以上日本代表の構成と代表における目標を変えるほうがいいと思います。

この部分には、ぼくははっきり反対します。
「足りない部分」を棚上げして、解決のあてのないクラブまかせにしていても、進歩は得られない。
それで日本代表が今より少し強くなったとしても、長期的に見て日本のサッカーのためになるとは思えません。
「世界の強豪に比肩する日本のサッカーの確立」を求めて、Jリーグは設立されました。
「日本のサッカーが世界の強豪と肩を並べている状態」というのは、何も代表チームの話だけではありません。
選手が海外の一流どころで活躍することもそう。
そのためにも、「欠けている部分」に目をつむったまま、代表に対症療法的な治療を施して、「日本も強くなった」なんて言ってても仕方がない。

>ですが、それを伸ばすために全体の方向性を失うのはどうかな、と思うわけです。

全体の方向性は、もともとからきっちりあったと思ってません。
だからこそ、こういうことになったんでしょう。
ナショナル・トレセン等のJFAの指導者層の一部にはあったが、それは「日本サッカー全体の共通意志として統一されたもの」ではなかった。
そして、「コレクティヴなサッカーをする」にしても、段階として間違った部分があった。
それは早いうちに修正されるべき。
あのまま、欧州の先端的な組織サッカー路線を続けていても、その部分の修正はなかなか進まなかっただろうと思います。

>多分グライダーさんは全体の方向性は個人個人の連携と創意工夫が作り出す、と考えているんでしょう。
>そういう方向もありかなー、とは思うけどそれはジーコを凌駕してませんかね。

違います。
ジーコのサッカーは、もっと明確に「技術と創意工夫を生かす」 ことを求めています。
そういう「全体の方向性」は、「明確に存在するもの」です。
ジーコはそういうチームを作ろうとしている、ということです。

>これにいたっては代表監督に任せるしかないですからねえ。
>オランダやデンマークのサッカーを見習ってもらいたい、というのが希望に過ぎないことはよーっくわかってるんですけどね(笑)

ぼくはこれも「ひとつの段階」と捉えます。
いずれはどこの国とも違う、借り物でない、「日本のサッカー」を明確に持つための。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 TEN  - 03/7/5(土) 0:21 -

引用なし
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   >ジーコを選んだのも別ににそういう意図がはっきりあったわけではないし、ジーコにしろ自分が信じるサッカーを進めているだけで、そういう分析と意図の元にやっているわけじゃない。
すべて、「結果的にそうなっている」ことです。
もちろん明確な意図と意志の元であれば、もっと良かったでしょう。

明確な意図が無いので、意図からずれたときに修正できないのではないか、と思いますが。まあ、グライダーさんの仰るとおり、現実は意図的かどうかはおいておいても「欠けている部分を補っている」方向へ歩いているので見物と言った気持ちでいますが。

>そういう面で、3試合同じメンバーで望んだジーコの意図は理解できないでもない。ちょっと無理しすぎたな、というのはありますが。

ええ、まさにこの部分ですね。
この失敗を見て「修正がきかないのでは」という不安は増幅されました。


>この部分には、ぼくははっきり反対します。
「足りない部分」を棚上げして、解決のあてのないクラブまかせにしていても、進歩は得られない。
それで日本代表が今より少し強くなったとしても、長期的に見て日本のサッカーのためになるとは思えません。

これについては同感なんです。
ただ、違うのは今回ジーコの目標達成の期間は後2年しかないってことです。つまり、予選が始まるまで、サイアクでも予選の半ばには一定の結果が要求される。それに間に合うのか、と言う点です。その点で代表で選手の経験を重ねるメリットはほとんどない、と思います。対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできるのではないか、と言うことです。この場合の対処的治療法は、個人においては「対処的」であっても全体においては「対処的」とは言わないだろうから、なおさらなんですが。


>ジーコのサッカーは、もっと明確に「技術と創意工夫を生かす」 ことを求めています。
そういう「全体の方向性」は、「明確に存在するもの」です。
ジーコはそういうチームを作ろうとしている、ということです。

すいません、この部分に関してはもうちょっと説明をしていただけますか。
ボクの言いたいこととずれがあるようにも感じるし、単にボクが理解できていないようにも感じるので。

>ぼくはこれも「ひとつの段階」と捉えます。
いずれはどこの国とも違う、借り物でない、「日本のサッカー」を明確に持つための。

なるほど、グライダーさんは「行き着くサッカーは無い」って考えているんですね。そこが違うところなんですね、きっと。
ボクは「サッカーは繰り返す」って考えてるかもしれません。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/6(日) 0:06 -

引用なし
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   ▼TENさん:

>この失敗を見て「修正がきかないのでは」という不安は増幅されました。

「この失敗」は、カレンダーの狂いも大きかったと思うし、「ジーコの考えるチーム」は10試合かそこらではできないだろうと思うので、そのへんの評価は、ぼくはアジアカップまでおあづけです。

>予選が始まるまで、サイアクでも予選の半ばには一定の結果が要求される。それに間に合うのか、と言う点です。

「チーム」というものにはすべて生き物にも似たライフサイクルのようなものがあります。
トルシエのA代表は、2年に及ぶ長い助走期間を経て2000年6月に離陸を始め、2001年11月のイタリア戦でほぼピークに達したとぼくは思います。
つまり、半年早すぎた。より良くなるための修正はもちろんあったし、そこからチーム力が落ちていったとは言えないかもしれないけど、イタリア戦の頃の「勢い」のようなものは若干失われたと感じていました。
98年の代表から、大幅な選手の入れ替えを敢行せざるを得なかった前代表と比べ、今回は2002年代表選手達もそのまま生かせる。
1年半もあれば十分。
仮にアジアカップ失敗、ジーコ解任という事態になっても、4.5枠という優遇された条件の中でなら地力から考えても、あるいは選手達の力の総和だけで考えても、ぼくは心配しません。
緊急対処の事態になったとしてもアジアカップ後からでも十分間に合わせることは可能と思ってます。

>その点で代表で選手の経験を重ねるメリットはほとんどない、と思います。対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできるのではないか、と言うことです。

ぼくはメリットは大きいと思う。
今の代表チームで経験していることが今の代表選手達にもたらしているものは大きいと思いますよ。
そして、繰り返しになってしまいますが対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできなかったと思う。
それは「このチーム」ということなら単純にサッカー的なものだけから考えても無理。
あきらかに足りないものを足りないままにしていては前代表を越えることは難しい。
それでは全体においても「対処的でない」とは言えないでしょう。

>すいません、この部分に関してはもうちょっと説明をしていただけますか。

ジーコのスタイルは、ボールをキープすることが生命線になります。
ベンゲルが言ったように「ボールを持っていないチームは攻撃できない」し、『ボールを持っていれば守備の組織は必要ない」のです。
だから、ジーコのサッカーでは「高い位置でのボール奪取」も考えられていないし、その意味での「エリアポゼッション」も重視されない。
大筋において「コンパクトな攻撃」も「キープ重視」には反することになる。
ジーコの言う「バランス」もそうした意味で捉えるべきでしょう。
さて、ではそれでどう攻めるか、ということですね。

「攻撃に関しては自由。自分達でポジションチェンジを繰り返すことでスペースが空いてくる。バランスは常に保っていられる」
と高原は言っています。
そして、その空いたスペースには必ず誰かが走り込むこと。(でないと意味ないですからね)
その上でカバーリングを含め「バランス」を保つこと。
これは、テレ・サンターナのサッカーそのままです。

問題点。
まず「キープ重視」「ボールポゼッション重視」であるため、必然的に攻撃の速度は落ちる。
「ショートカウンター」を含め、「カウンター型」ではなく、「構築型」の攻撃になります。
それはつまり、相手の守備組織が整っている上で攻撃をせねばならない、ということです。
だから「ポジションチェンジによるスペースメイク」は必然になります。
さらには個人の独力によって相手の組織を崩すことも必要になります。
そして「相手が読めないタイミングとスペースへのパス」も、「創意工夫のある少数のグループでの連携」も、なくてはならないものになってくる。
だから「技術と創意工夫を生かすこと」は「あらかじめ折り込まれている」のです。

確認のため、テレ・サンターナの82セレソンを見てみましょう。
FWとMFの縦のポジションチェンジ、MF間の「ローテーション」のような入れ替わり。
SBがそこに含まれることも多い。
SBが縦のスペースを使うことは稀で、攻撃時にはたいていは中に入ってきてボックス近辺でプレイしている。
その場合にワイドに開くのは、ファルカンだったりセレーゾだったりしています。
SBがワイドな位置でボールを受けても、彼らはそこから中へドリブルを開始することが多く、それによって引き付けられてできたスペースへパスを出す。
中央突破も多く、誰がどこなんて関係がないように次々に入れ替わってできたスペースへスルーパスが通され、そこに走り込んだ選手がまたそれにスルーパスを重ねる。
細かなコンビネーションプレイで破るのも得意だし、絶妙なフリーランもある。
しかし、それにしても「速い攻撃」はほとんど見られない・・・

日本の選手には「細かなボールコントロール・テクニック」はあります。
幾人かの選手には、「創造性」もある。
足りないのは、サンターナのチームあってジーコのチームにないのは、個人個人の強い攻撃意識による積極性、創意工夫のあるグループ戦術と個人戦術、それからシュートの正確性。
シュートの正確性はある程度しょうがないとしても、後は解決できる問題。
そしてそれこそが「日本に欠けていたもの」であり、そこで勝負せざるを得ないチームのあり方こそが、そこを磨く一番の近道です。

フランス戦での日本代表は、サンターナのチームをぼくに思い出させました。
「得点力不足」が解消された時、ジーコのチームは完成と言えるでしょう。

>なるほど、グライダーさんは「行き着くサッカーは無い」って考えているんですね。そこが違うところなんですね、きっと。
>ボクは「サッカーは繰り返す」って考えてるかもしれません。

「行き着くサッカーは無い」というのは、既存のサッカーでこういうの、ってことですか?
ならばそうです。
メキシコにはメキシコの、ベルギーにはベルギーのサッカーの特徴があるように、イングランドのサッカーがいくらモダナイズされ、スウェーデン人が監督になろうと「イングランドはイングランド」であるように、誰が監督になろうと変わらない「日本のスタイル」を持つことが必要だと思ってます。
あるいは、それをもっとはっきりと「日本のサッカー」全体が自覚することを。
そこに借り物なんていりません。
だから、オフトのスタイルも加茂のスタイルもトルシエのスタイルもジーコのスタイルも、それは段階ということに過ぎない。
ステップアップ。
だんだんと機は熟してきているかもしれませんね。

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