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フランス戦&コロンビア戦 anybodydo 03/6/22(日) 11:46

   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/6(日) 0:06

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/6(日) 0:06 -

引用なし
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   ▼TENさん:

>この失敗を見て「修正がきかないのでは」という不安は増幅されました。

「この失敗」は、カレンダーの狂いも大きかったと思うし、「ジーコの考えるチーム」は10試合かそこらではできないだろうと思うので、そのへんの評価は、ぼくはアジアカップまでおあづけです。

>予選が始まるまで、サイアクでも予選の半ばには一定の結果が要求される。それに間に合うのか、と言う点です。

「チーム」というものにはすべて生き物にも似たライフサイクルのようなものがあります。
トルシエのA代表は、2年に及ぶ長い助走期間を経て2000年6月に離陸を始め、2001年11月のイタリア戦でほぼピークに達したとぼくは思います。
つまり、半年早すぎた。より良くなるための修正はもちろんあったし、そこからチーム力が落ちていったとは言えないかもしれないけど、イタリア戦の頃の「勢い」のようなものは若干失われたと感じていました。
98年の代表から、大幅な選手の入れ替えを敢行せざるを得なかった前代表と比べ、今回は2002年代表選手達もそのまま生かせる。
1年半もあれば十分。
仮にアジアカップ失敗、ジーコ解任という事態になっても、4.5枠という優遇された条件の中でなら地力から考えても、あるいは選手達の力の総和だけで考えても、ぼくは心配しません。
緊急対処の事態になったとしてもアジアカップ後からでも十分間に合わせることは可能と思ってます。

>その点で代表で選手の経験を重ねるメリットはほとんどない、と思います。対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできるのではないか、と言うことです。

ぼくはメリットは大きいと思う。
今の代表チームで経験していることが今の代表選手達にもたらしているものは大きいと思いますよ。
そして、繰り返しになってしまいますが対処的治療法を行った上で、根本的治療を進めることはできなかったと思う。
それは「このチーム」ということなら単純にサッカー的なものだけから考えても無理。
あきらかに足りないものを足りないままにしていては前代表を越えることは難しい。
それでは全体においても「対処的でない」とは言えないでしょう。

>すいません、この部分に関してはもうちょっと説明をしていただけますか。

ジーコのスタイルは、ボールをキープすることが生命線になります。
ベンゲルが言ったように「ボールを持っていないチームは攻撃できない」し、『ボールを持っていれば守備の組織は必要ない」のです。
だから、ジーコのサッカーでは「高い位置でのボール奪取」も考えられていないし、その意味での「エリアポゼッション」も重視されない。
大筋において「コンパクトな攻撃」も「キープ重視」には反することになる。
ジーコの言う「バランス」もそうした意味で捉えるべきでしょう。
さて、ではそれでどう攻めるか、ということですね。

「攻撃に関しては自由。自分達でポジションチェンジを繰り返すことでスペースが空いてくる。バランスは常に保っていられる」
と高原は言っています。
そして、その空いたスペースには必ず誰かが走り込むこと。(でないと意味ないですからね)
その上でカバーリングを含め「バランス」を保つこと。
これは、テレ・サンターナのサッカーそのままです。

問題点。
まず「キープ重視」「ボールポゼッション重視」であるため、必然的に攻撃の速度は落ちる。
「ショートカウンター」を含め、「カウンター型」ではなく、「構築型」の攻撃になります。
それはつまり、相手の守備組織が整っている上で攻撃をせねばならない、ということです。
だから「ポジションチェンジによるスペースメイク」は必然になります。
さらには個人の独力によって相手の組織を崩すことも必要になります。
そして「相手が読めないタイミングとスペースへのパス」も、「創意工夫のある少数のグループでの連携」も、なくてはならないものになってくる。
だから「技術と創意工夫を生かすこと」は「あらかじめ折り込まれている」のです。

確認のため、テレ・サンターナの82セレソンを見てみましょう。
FWとMFの縦のポジションチェンジ、MF間の「ローテーション」のような入れ替わり。
SBがそこに含まれることも多い。
SBが縦のスペースを使うことは稀で、攻撃時にはたいていは中に入ってきてボックス近辺でプレイしている。
その場合にワイドに開くのは、ファルカンだったりセレーゾだったりしています。
SBがワイドな位置でボールを受けても、彼らはそこから中へドリブルを開始することが多く、それによって引き付けられてできたスペースへパスを出す。
中央突破も多く、誰がどこなんて関係がないように次々に入れ替わってできたスペースへスルーパスが通され、そこに走り込んだ選手がまたそれにスルーパスを重ねる。
細かなコンビネーションプレイで破るのも得意だし、絶妙なフリーランもある。
しかし、それにしても「速い攻撃」はほとんど見られない・・・

日本の選手には「細かなボールコントロール・テクニック」はあります。
幾人かの選手には、「創造性」もある。
足りないのは、サンターナのチームあってジーコのチームにないのは、個人個人の強い攻撃意識による積極性、創意工夫のあるグループ戦術と個人戦術、それからシュートの正確性。
シュートの正確性はある程度しょうがないとしても、後は解決できる問題。
そしてそれこそが「日本に欠けていたもの」であり、そこで勝負せざるを得ないチームのあり方こそが、そこを磨く一番の近道です。

フランス戦での日本代表は、サンターナのチームをぼくに思い出させました。
「得点力不足」が解消された時、ジーコのチームは完成と言えるでしょう。

>なるほど、グライダーさんは「行き着くサッカーは無い」って考えているんですね。そこが違うところなんですね、きっと。
>ボクは「サッカーは繰り返す」って考えてるかもしれません。

「行き着くサッカーは無い」というのは、既存のサッカーでこういうの、ってことですか?
ならばそうです。
メキシコにはメキシコの、ベルギーにはベルギーのサッカーの特徴があるように、イングランドのサッカーがいくらモダナイズされ、スウェーデン人が監督になろうと「イングランドはイングランド」であるように、誰が監督になろうと変わらない「日本のスタイル」を持つことが必要だと思ってます。
あるいは、それをもっとはっきりと「日本のサッカー」全体が自覚することを。
そこに借り物なんていりません。
だから、オフトのスタイルも加茂のスタイルもトルシエのスタイルもジーコのスタイルも、それは段階ということに過ぎない。
ステップアップ。
だんだんと機は熟してきているかもしれませんね。

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