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フランス戦&コロンビア戦 anybodydo 03/6/22(日) 11:46

   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/7/29(火) 12:27
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/7/30(水) 18:33
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/7/31(木) 11:09
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/1(金) 9:43
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/5(火) 9:42
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/5(火) 13:28
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/8(金) 10:12
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/8(金) 18:24
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう lucy 03/8/8(金) 20:11
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/9(土) 2:52
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/12(火) 10:16
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/13(水) 0:20
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう [名前なし] 03/8/13(水) 10:25

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/7/29(火) 12:27 -

引用なし
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   >みんな監督がどうの戦術がどうのって言い過ぎ。
>監督依存症。子供の失敗の責任を教師のせいにばっかりしてるPTAみたいでうざい。
>戦術戦術って、それは監督が与えるばっかりのもんじゃない。
>
依存しているわけではないと思いますよ。
ただ選手の判断ではフォロ−できないところをちゃんと仕事をしているか?逆に一万を超える状況のすべてすべての対応を一つ一つ丁寧に教える監督なんているわけではない。
いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。最終的に自分たちのサッカ−をしながら「戦い方の幅」が持てるかがポイントだと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/7/30(水) 18:33 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

集団競技チームにおける監督の仕事のうち、戦術的な部分等はぼくは二義的なものでしかないと考えています。
もっとも大切なことは「チーム・スピリット」をいかに作りあげうるか、という部分でしょう。
それは「コレクティブ」であるか否かということでもなければ、チームへの献身性のようなことでもなく、ピッチ内外において「チームをひとつの『チーム』としうるか」ということであり、その面を無視して監督の能力をうんぬんすること等、意味のないことだと思っています。

>いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。

確かにそれもひとつの指導のあり方でしょうが、「それも一つのあり方」以上のものではないとぼくは思います。
言い換えれば、「必ずしも監督がせねばならないことではない」ということ。
「典型的なもの」として「いくつかの同様な状況」は存在し、それに対するチームとしての対処を明確にしておくことは必要だと思いますが、それも選手間の相互理解の上に成立するものであり、(約束ごととしての『相互理解』だけではなく、互いの長所短所、能力の理解と信頼、といったような部分も含め)それがなければ「同様の状況」とはいえ、それは「形」として同様なだけで実質的にはそれを行う相手も違えば速度も違えば試合の流れの中での意味あいも違い、実は毎度毎度違ってくる「同様の状況」への真に正しい対処はできないでしょう。
ましてや、頻度の高い「同様の状況」であればあるほど(それは効果的でもあるからですが)選手達個人の中では「既知の現象」であるはずで、代表クラスの選手同志であれば選手間の理解が深まってさえいれば応用的にも対処できるはず、という「チーム作り」の面も含めた「チームのあり方」も当然あるでしょう。

そうしたことまでを含めて考えたなら、ひとつひとつの試合においては、今のようにジーコがどうこう言う前にもっと具体的なディテイルにおいての選手の判断やそのミス、ひとつひとつの動き等から語られるべきであり、そこでは監督ではなく選手が主役であるべきだと考えます。
どう考えても監督にばかり注目が集まりすぎている。
「代表監督としてジーコがふさわしいかどうか」を語るなら、同様に「誰それ選手は代表としてふさわしいかどうか」も語られるべきであり、監督も「このチームの一員(または一因)」とした中での「チームとしての評価」という視点が少なすぎるのは、「監督依存」という他ないでしょう。
そしてその監督の評価にしても「ひとつのあり方」に縛られ、もっと重要な視点が欠けているようにも感じています。
監督がもたらす「戦術」面のことなんてオマケみたいなものだ、と言ってしまいます。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/7/31(木) 11:09 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>集団競技チームにおける監督の仕事のうち、戦術的な部分等はぼくは二義的なものでしかないと考えています。
>もっとも大切なことは「チーム・スピリット」をいかに作りあげうるか、という部分でしょう。
>それは「コレクティブ」であるか否かということでもなければ、チームへの献身性のようなことでもなく、ピッチ内外において「チームをひとつの『チーム』としうるか」ということであり、その面を無視して監督の能力をうんぬんすること等、意味のないことだと思っています。
>
「チ−ムを一つのチ−ムにしうるか」ということはどの監督さんも思っていることだと思いますが、それをどういう形で持っていくかという過程はもっと大切なものだと思っています。

>>いくつかの同様な状況に対する叩き台を与えながら対応力をつけていくことも一つの指導だと思います。
>
>確かにそれもひとつの指導のあり方でしょうが、「それも一つのあり方」以上のものではないとぼくは思います。
>言い換えれば、「必ずしも監督がせねばならないことではない」ということ。
>「典型的なもの」として「いくつかの同様な状況」は存在し、それに対するチームとしての対処を明確にしておくことは必要だと思いますが、それも選手間の相互理解の上に成立するものであり、(約束ごととしての『相互理解』だけではなく、互いの長所短所、能力の理解と信頼、といったような部分も含め)それがなければ「同様の状況」とはいえ、それは「形」として同様なだけで実質的にはそれを行う相手も違えば速度も違えば試合の流れの中での意味あいも違い、実は毎度毎度違ってくる「同様の状況」への真に正しい対処はできないでしょう。
>ましてや、頻度の高い「同様の状況」であればあるほど(それは効果的でもあるからですが)選手達個人の中では「既知の現象」であるはずで、代表クラスの選手同志であれば選手間の理解が深まってさえいれば応用的にも対処できるはず、という「チーム作り」の面も含めた「チームのあり方」も当然あるでしょう。
>
>そうしたことまでを含めて考えたなら、ひとつひとつの試合においては、今のようにジーコがどうこう言う前にもっと具体的なディテイルにおいての選手の判断やそのミス、ひとつひとつの動き等から語られるべきであり、そこでは監督ではなく選手が主役であるべきだと考えます。
>どう考えても監督にばかり注目が集まりすぎている。
>「代表監督としてジーコがふさわしいかどうか」を語るなら、同様に「誰それ選手は代表としてふさわしいかどうか」も語られるべきであり、監督も「このチームの一員(または一因)」とした中での「チームとしての評価」という視点が少なすぎるのは、「監督依存」という他ないでしょう。
>そしてその監督の評価にしても「ひとつのあり方」に縛られ、もっと重要な視点が欠けているようにも感じています。
>監督がもたらす「戦術」面のことなんてオマケみたいなものだ、と言ってしまいます。

まず選手が主役であるということは同意ですが、主役として光らせることも大切だと思っています。私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。
選手の技術向上を望んでいるという点では同意ですが、それがどんな背景なのかということが取り方が違うのかぁと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/1(金) 9:43 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

>それをどういう形で持っていくかという過程はもっと大切なものだと思っています。

どういう形で持って行くかは、まさに監督それぞれになるでしょうね。
そういった「チームマネージメント」の部分は、「コーチング」の部分とは違ってその監督の人柄も大きいでしょう。
指導者養成の過程では、そうした部分の指導も行われているでしょうけど、やはり監督それぞれの個性が出るところだと思います。
いずれにしろチームが力を発揮するためには、そうした部分の比重の方がずっと大きい。
ぼくは前任者トルシエ監督を「すごいなあ」と思っていましたが、それは「フラット3」とかの戦術ではなく、マネージメントやチーム作りの部分の手腕です。
あれだけの期間、チームを良い状態、緊張感を持った中で良いまとまりを保ち、力を発揮できていたことは、ほんとうにたいした手腕だと思います。
翻って日本人指導者を見れば、「良いコーチ」はたくさんいても「良い監督」は少ない。
ぼくは横浜の岡田氏を戦術的、技術的ディテイルにおいてはあまり評価できませんが、日本人では数少ない「監督」足り得る人ではないかと思います。
もう少し見てみないと何とも言えないかもしれませんが。

>私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。

少ないが故に、ぼくは「戦術重視」に疑問を感じます。
これまでの積み重ねとトルシエの4年間で、モダン・フットボールの基本は得ることができた。
しかし、2002年ワールドカップの日本代表に「足りないもの」はそこではなかった。
「オートマティスム」があれば、「頭の許量や経験」を補ってくれるでしょうが、「頭の許量」自体が上がるわけではありません。
いや、上がることは上がって行くでしょうし、日本代表チームとしてはその方がずっと早く力を発揮することになるでしょう。
しかし、ぼくはそれでは「トルシエの作ったチーム」を超えないと思います。
足りないものを補う手っ取り早い方法は、それなくしてはならない環境に身を置くこと。
海外に出た選手が明確に成長するのは、そういったことが大きいと思います。
代表チームは、国内の選手にとっては数少ない世界レベルの経験の場。
そうした実戦の場において得る危機感、不足するものを明確に実感することこそ、「次のステップ」になるでしょう。
コンフェデレーションズ・カップ直前に中田英寿が言った「超えなければならない壁」は、戦術重視の中では見えにくいものです。
基本的には、ぼくもまた日本のサッカーはコレクティヴなものの方が相性が良いと思っていますが、段階をすっ飛ばしたままで良いとは思わない。
それに、「日本のサッカーが世界と肩を並べている状態」というのは何も日本代表だけがそこそこ強ければ良いというものでもないでしょう。
日本人選手が海外のリーグで多数活躍することも必要だろうし、Jリーグのクラブが評価される(たとえ供給源としてでも)ことも必要でしょう。
そのためには、今は日本にとっても「戦術はオマケ」で良いと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/5(火) 9:42 -

引用なし
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   >>私は今の日本選手にとっては戦術は「オマケ」ではないと思います。考えるだけの頭の許量や経験がトルシエの4年間やJなどの経験だけではまだ少な過ぎる。
>
>少ないが故に、ぼくは「戦術重視」に疑問を感じます。
>これまでの積み重ねとトルシエの4年間で、モダン・フットボールの基本は得ることができた。
>しかし、2002年ワールドカップの日本代表に「足りないもの」はそこではなかった。
>「オートマティスム」があれば、「頭の許量や経験」を補ってくれるでしょうが、「頭の許量」自体が上がるわけではありません。
>いや、上がることは上がって行くでしょうし、日本代表チームとしてはその方がずっと早く力を発揮することになるでしょう。
>しかし、ぼくはそれでは「トルシエの作ったチーム」を超えないと思います。
>足りないものを補う手っ取り早い方法は、それなくしてはならない環境に身を置くこと。
>海外に出た選手が明確に成長するのは、そういったことが大きいと思います。
>代表チームは、国内の選手にとっては数少ない世界レベルの経験の場。
>そうした実戦の場において得る危機感、不足するものを明確に実感することこそ、「次のステップ」になるでしょう。
>コンフェデレーションズ・カップ直前に中田英寿が言った「超えなければならない壁」は、戦術重視の中では見えにくいものです。
>基本的には、ぼくもまた日本のサッカーはコレクティヴなものの方が相性が良いと思っていますが、段階をすっ飛ばしたままで良いとは思わない。
>それに、「日本のサッカーが世界と肩を並べている状態」というのは何も日本代表だけがそこそこ強ければ良いというものでもないでしょう。
>日本人選手が海外のリーグで多数活躍することも必要だろうし、Jリーグのクラブが評価される(たとえ供給源としてでも)ことも必要でしょう。
>そのためには、今は日本にとっても「戦術はオマケ」で良いと思います。

私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。
与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/5(火) 13:28 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。

同意します。
そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
さらには(レスの順序が逆になりますが)

>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。

も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/8(金) 10:12 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。
>
>同意します。
>そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
>さらには(レスの順序が逆になりますが)
>
>>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。
>
>も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
>「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
>まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
>だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。

私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。
与える量がどれくらいなのかということを認識して指導すればいいと思っています。それは状況によってそれがよければ指導者から線がつながっていることをいっぱい提示されても別に選手が自分で考えることが後回しになるとは思いません。というのはそれは指導者側が考えてのことですから。私はその点ではまだ日本選手は「発展途上」だと思いますけどね。また、「与えたもの」が先にあるかというよりもどのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
自分で考えるというのは例えばいろいろな指導者の下でやっていく中で常に頭で考えてやっていった選手もいますが、大部分の選手は受身の状態になっていた。私は逆にその状態を改善することも大切だと思いますが、じゃあ与えないままやっていくということにおいてでは反対ですね。「1与えて10返していく」という1というのは簡単に1ではないと思っています。基本的にどんなレベルの選手の集まりでも1というものはそれが全体に影響する、選手間の判断ではフォロ−できないものもあると思っています。それは大部分は監督が伝えるチ−ム戦術に関連するものだと思います。
私はチ−ム戦術というものだけでチ−ムが機能するとは思っていません。10というものを選手がどうやって判断する能力を上げて返してくれるかだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/8(金) 18:24 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

>私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。

奇しくもコンフェデ直前に中田英寿が言ったように、「自分で考えることが苦手」だという場合においては、最初にチーム戦術を与えるよりも「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という過程を経るべきだろうと思います。
その意味において、
>どのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
ということだろうと思います。
「チーム戦術」というものは、必ずしも「与えるべきもの」とはぼくはまったく思いません。
選手間の判断ではフォローできない部分は確かにあると思いますが、最初から与えるのではなく、必要に応じて行えば良いものであるとも思います。

議論点として、監督が与えるチーム戦術、全体戦術の類は重要なものであるかオマケで良いか、というところに話を戻せば、「自主的に考えることが不得手」である選手が数多くいる場合、全体戦術を重視し、つまりそれを「チームの戦い方の基本」として最初に植え付けることをすれば、最初の段階としてはやはりその浸透、習熟を重視せざるを得ず、結果的に「自主的に考えてプレイすること」は後回しになるであろうことは自明です。
自分で考えてやることがそもそも苦手なわけですから、より多く「自分で考えなくてはならない必然的な状況」があった方が、そのことのトレーニングになるのは言うまでもないでしょう。
よって、そういう選手が多いことが課題であるチームにおいては、「全体戦術は二の次、オマケで良い」ということです。
個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くことでも「全体戦術」は得られます。
「監督」には、トップダウン式に与える立場に立つ監督もいれば、選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう。
後者の方が、より自主的に考えることをしやすい環境である、ということは言えると思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 lucy  - 03/8/8(金) 20:11 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
▼KEANEさん:
グライダーさん、おひさしぶりです。
キーンさん、始めまして。


今のジーコは代表選手たちが「考える」訓練をするという、「代表選手限定付き強化期間」という見方をしています。(コンフェ前まではジーコに完全否定って感じだったけど)


でも本来ならばそういうことは子供のころから「考える」訓練しなければいけません。で、そうするにはまずは「子供のころからサッカーを楽しむ」習慣が必要だと思います。そこで出てくるのがサッカーグランドを増やそうっていう方針。ちょっと話は逸れますが、川淵氏がその辺にどのくらい影響力があるかが気になります。僕はその点でグライダーさんの川淵更迭論に慎重だったりします。いや、むしろ協会の体質改善の方を重視されてるのでしょうが。


1.サッカーが気軽にできることでオリジナルのある技を磨き、プレーを考える(特に中坊時代に社会人サッカーやってたときは鍛えられました)という習慣が身に付けるための個々人のサッカーレベルの向上


2.サッカーファンの理論偏重型からの脱却(WC前でしかもネットの中でしか判断できていなかったけれど、そこまで的外れではないだろうということで)


3.何より自分が気軽に自宅から近いところでサッカーが楽しめる(爆)


以上の三つの効果が期待できると思ってます。WC以降、サッカーに関心を持つ人がさらに増えた今、絶好の機会だと思います。協会もその辺を狙って「ピッチ君」なんていうマスコットを使ってPRしてると思ってます。かなり前からこの辺は綿密に計画されてたんじゃないかなぁ。


で、戦術的な見方は僕はアホだから解析するのは苦手なので、サッカーを見るときは、今、それから過去に経験したことと照らし合わせて、どういったプレーがやられると嬉しいか、嫌なのか、はたまたある状況にはどう感じているのかというコンセプトで見るようにしてます。で、そういう人がもっと増えたらなと思います。まあ、3についてはどうなるかわかりませんが、とりあえず芝じゃなくてもいいのでサッカーが気軽にできる土壌整備に期待してます。


あ、ちなみに明日朝一で佐賀に行くんで鳥栖スタジアムまた見てこよっかなと思ってます。福岡にもできたら・・・・・・

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/9(土) 2:52 -

引用なし
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   ▼lucyさん:

>僕はその点でグライダーさんの川淵更迭論に慎重だったりします。いや、むしろ協会の体質改善の方を重視されてるのでしょうが。

わかります。
サッカー場の問題は、草サッカープレイヤーには本当に大きな問題ですよね。
仕事柄、平日に集まれるので時には芝のサッカー場でプレイできることもあるのですが、
12thの仲間達とは土日祭日にしかサッカーできないので、近場で芝のグラウンドをとることは
ほとんど不可能です。
土のグラウンドでも、都内ではかなり前から予約したりしないと土日は取れないし、「野球場はたくさんあるのに・・・」なんてよく思います。
以前参加した日本クラブユース連盟のシンポジウムでも、底辺の拡大、サッカーができる環境の整備は話題になっていましたので、ずいぶん前から取り組んでいることでもあると思いますが・・・

協会の体質改善ということでは、ぼくが不満に感じているのは主に対外政策の面、代表チームの運営におけるスケジューリングや強化方針の定まらなさ、等々。
アジア地区においても本来はもっと積極的主体的に指導的立場になっていても良いはずだし、代表チームが海外遠征等に行った時などでは、練習場や宿泊に問題があることに現地で気付いてみたりそれを解決しきれなかったり、どうにもゴタなことをやっている。
そのへんのことをトルシエの時はトルシエにまかせきりだったりもしていて、「じゃああんたら何しに行ったの!」なんて思うこともしばしばありました。
はっきりいえば交渉下手すぎるし、海外での常識にうとかったりもするのかもしれないし、人選的な問題も多いと感じます。
そしてその人選の理由は、これもはっきりいえばいまだに学閥、企業閥がらみだったりもする。
そうしたアマチュア的体質が残っているのでは、「世界の仲間入り」を果たした、あるいは果たそうとしている今ではもう不足していることが多いと思います。
これまでの実績は実績として評価もせねばならないと思いますが、もうそろそろ世代交代すべきでしょう。
いつまでも「メキシコ世代」なのは、ぼくはもう勘弁して欲しいです。
まあ、そのへんのことはぼくのようなオールドファンは横浜フットボールクラブのことや(フリューゲルス問題も含み)、オフト以前の迷走ぶり、あるいはネルシーニョ問題等の記憶が鮮明だったりもして、協会にたいして必要以上に不信感のようなものがないとは言い切れないのですが。

>あ、ちなみに明日朝一で佐賀に行くんで鳥栖スタジアムまた見てこよっかなと思ってます。福岡にもできたら・・・・・・

台風、大丈夫?

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/12(火) 10:16 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。
>
>奇しくもコンフェデ直前に中田英寿が言ったように、「自分で考えることが苦手」だという場合においては、最初にチーム戦術を与えるよりも「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という過程を経るべきだろうと思います。
>その意味において、
>>どのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
>ということだろうと思います。
>「チーム戦術」というものは、必ずしも「与えるべきもの」とはぼくはまったく思いません。
>選手間の判断ではフォローできない部分は確かにあると思いますが、最初から与えるのではなく、必要に応じて行えば良いものであるとも思います。
>
私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。その与える量という点では必要に応じる点では同じですけどね。
簡単に言うと11人の選手がいつどんな試合のあらゆる状況においてもボ−ルに対して主導権を持ったプレ−やプレスをしていけばいいわけですが、サッカ−というのは選手が考える以上にどういう場合のどういう状況というのは無限に起こるものです。
選手にいいプレ−をさせるための「戦術」を与える、そしてそれを元にいろいろと考えることが選手の自主性だと思っています。


>議論点として、監督が与えるチーム戦術、全体戦術の類は重要なものであるかオマケで良いか、というところに話を戻せば、「自主的に考えることが不得手」である選手が数多くいる場合、全体戦術を重視し、つまりそれを「チームの戦い方の基本」として最初に植え付けることをすれば、最初の段階としてはやはりその浸透、習熟を重視せざるを得ず、結果的に「自主的に考えてプレイすること」は後回しになるであろうことは自明です。
>自分で考えてやることがそもそも苦手なわけですから、より多く「自分で考えなくてはならない必然的な状況」があった方が、そのことのトレーニングになるのは言うまでもないでしょう。
>よって、そういう選手が多いことが課題であるチームにおいては、「全体戦術は二の次、オマケで良い」ということです。
>個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くことでも「全体戦術」は得られます。


>「監督」には、トップダウン式に与える立場に立つ監督もいれば、選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう。
>後者の方が、より自主的に考えることをしやすい環境である、ということは言えると思います。

じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?
私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/13(水) 0:20 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

>私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。

何がどうあれ、「まず与える」ことが前提だというわけですね。
考えるのは「与えたことを応用」することだ、と。
何度も言いますが、「それもひとつのやり方」以上のものではない、というのがぼくの立場です。
「まず与える」のではなく、繰り返しになりますが「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という方法論は確実に存在し、かつ、「自分で考えることが苦手」であることを克服することが課題であるのならば、そちらの方法を取るほうがずっと問題解決の近道だろう、ということです。
何度も言ってますけど。
一般論として、KEANEさんのおっしゃることは別に間違っていないと思うし、そうした方法論もまた「チーム作りと強化」の手段として正当なものであると思いますが、「チーム作りと強化」の方法論はひとつの解のみが存在するわけではなく、そのチームチームで独自に抱える問題解決のためには、その目的に応じた手段、方法が取られるべきでしょう。

>じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?

先のぼくの意見に対するものとしては、何をおっしゃりたいのかよく理解できませんが。
「そんな頭」がジーコにあろうとなかろうと、現実に「より多く自分で考えなくてはならない状況」になっているし、「個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くこと」が必要とされているのは確かです。
つまり最初からそういう方法論を取っているのであり、「切り替える」必要は端からないでしょう。
要するに哲学、方法論の違いなのであって、「柔軟な包容力」とは問題が全然違うと思います。

>私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。

ぼくは「選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう」と言ったのであって、監督が何もしないという方法もある、と言ったのではないのですが。
失礼ながら、もう少しこちらの書いたことの主旨をご理解されてから反論なりしていただくと助かります。
そうすれば引用ももう少し少なくて済むかと。(すみません、別に長いとダメだということではないのですが、読みづらいという意見もあったので、よろしくお願いします)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 [名前なし]  - 03/8/13(水) 10:25 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。
>
>何がどうあれ、「まず与える」ことが前提だというわけですね。
>考えるのは「与えたことを応用」することだ、と。
>何度も言いますが、「それもひとつのやり方」以上のものではない、というのがぼくの立場です。
>「まず与える」のではなく、繰り返しになりますが「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という方法論は確実に存在し、かつ、「自分で考えることが苦手」であることを克服することが課題であるのならば、そちらの方法を取るほうがずっと問題解決の近道だろう、ということです。
>何度も言ってますけど。
>一般論として、KEANEさんのおっしゃることは別に間違っていないと思うし、そうした方法論もまた「チーム作りと強化」の手段として正当なものであると思いますが、「チーム作りと強化」の方法論はひとつの解のみが存在するわけではなく、そのチームチームで独自に抱える問題解決のためには、その目的に応じた手段、方法が取られるべきでしょう。
>
>>じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?
>
>先のぼくの意見に対するものとしては、何をおっしゃりたいのかよく理解できませんが。
>「そんな頭」がジーコにあろうとなかろうと、現実に「より多く自分で考えなくてはならない状況」になっているし、「個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くこと」が必要とされているのは確かです。
>つまり最初からそういう方法論を取っているのであり、「切り替える」必要は端からないでしょう。
>要するに哲学、方法論の違いなのであって、「柔軟な包容力」とは問題が全然違うと思います。
>
>>私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。
>
>ぼくは「選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう」と言ったのであって、監督が何もしないという方法もある、と言ったのではないのですが。
>失礼ながら、もう少しこちらの書いたことの主旨をご理解されてから反論なりしていただくと助かります。
>そうすれば引用ももう少し少なくて済むかと。(すみません、別に長いとダメだということではないのですが、読みづらいという意見もあったので、よろしくお願いします)

とりあえず、意見が違うんだなと思いますので、これ以上は変な方向にもいきかねないのでストップします。
ありがとうございました。

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