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▼KEANEさん:
>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。
同意します。
そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
さらには(レスの順序が逆になりますが)
>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。
も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。
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