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フランス戦&コロンビア戦 anybodydo 03/6/22(日) 11:46

   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/5(火) 13:28
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/8(金) 10:12
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/8(金) 18:24
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう lucy 03/8/8(金) 20:11
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/9(土) 2:52
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう KEANE 03/8/12(火) 10:16
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう glider 03/8/13(水) 0:20
   Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう [名前なし] 03/8/13(水) 10:25

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/5(火) 13:28 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。

同意します。
そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
さらには(レスの順序が逆になりますが)

>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。

も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/8(金) 10:12 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>与えたことはそれが唯一ではない。そこからどういうことが起こりうるのかという「像」が少ないと思う。「戦術」というのは与えたものだけが戦術ではなく、そこから何が起こりうるかということを考えること、それが近道の一つだと思っています。
>
>同意します。
>そのために、全体戦術は二の次、「オマケ」で良いと思います。
>さらには(レスの順序が逆になりますが)
>
>>私は与えた中でどう個々の選手が頭を使って考えていくかという習慣化をつけていくことが少ないと思っています。
>
>も、KEANEさんのおっしゃる意味での「与えるもの」は、まずは最小限で良いと。
>「システム」というもののあり方として、まず与えて(つまり全体があって)その中で(の個として)考えるというよりも、個と個のつながりとその円滑化のためにシステムがある、とした方が個としては考えることは多くなるし考えやすいでしょう。
>まず「集団の中での個」と捉えるのではなく、「個と個の集合」と捉えられないと「まず言われた通りにやって・・」となりがちだし、「自分で考えること」は後回しになりがちになるでしょう。
>だから「与えられたもの」が先にあるよりも「自分とアイツとアイツとアイツがいる中で、いかにしたらうまく行くか」の必然からの要請として与えられたり生み出したりした方がより頭を使う習慣化が為されるでしょうし、「組織」というもののあり方としてもより本来的本質的だと思います。

私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。
与える量がどれくらいなのかということを認識して指導すればいいと思っています。それは状況によってそれがよければ指導者から線がつながっていることをいっぱい提示されても別に選手が自分で考えることが後回しになるとは思いません。というのはそれは指導者側が考えてのことですから。私はその点ではまだ日本選手は「発展途上」だと思いますけどね。また、「与えたもの」が先にあるかというよりもどのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
自分で考えるというのは例えばいろいろな指導者の下でやっていく中で常に頭で考えてやっていった選手もいますが、大部分の選手は受身の状態になっていた。私は逆にその状態を改善することも大切だと思いますが、じゃあ与えないままやっていくということにおいてでは反対ですね。「1与えて10返していく」という1というのは簡単に1ではないと思っています。基本的にどんなレベルの選手の集まりでも1というものはそれが全体に影響する、選手間の判断ではフォロ−できないものもあると思っています。それは大部分は監督が伝えるチ−ム戦術に関連するものだと思います。
私はチ−ム戦術というものだけでチ−ムが機能するとは思っていません。10というものを選手がどうやって判断する能力を上げて返してくれるかだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/8(金) 18:24 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

>私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。

奇しくもコンフェデ直前に中田英寿が言ったように、「自分で考えることが苦手」だという場合においては、最初にチーム戦術を与えるよりも「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という過程を経るべきだろうと思います。
その意味において、
>どのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
ということだろうと思います。
「チーム戦術」というものは、必ずしも「与えるべきもの」とはぼくはまったく思いません。
選手間の判断ではフォローできない部分は確かにあると思いますが、最初から与えるのではなく、必要に応じて行えば良いものであるとも思います。

議論点として、監督が与えるチーム戦術、全体戦術の類は重要なものであるかオマケで良いか、というところに話を戻せば、「自主的に考えることが不得手」である選手が数多くいる場合、全体戦術を重視し、つまりそれを「チームの戦い方の基本」として最初に植え付けることをすれば、最初の段階としてはやはりその浸透、習熟を重視せざるを得ず、結果的に「自主的に考えてプレイすること」は後回しになるであろうことは自明です。
自分で考えてやることがそもそも苦手なわけですから、より多く「自分で考えなくてはならない必然的な状況」があった方が、そのことのトレーニングになるのは言うまでもないでしょう。
よって、そういう選手が多いことが課題であるチームにおいては、「全体戦術は二の次、オマケで良い」ということです。
個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くことでも「全体戦術」は得られます。
「監督」には、トップダウン式に与える立場に立つ監督もいれば、選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう。
後者の方が、より自主的に考えることをしやすい環境である、ということは言えると思います。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 lucy  - 03/8/8(金) 20:11 -

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   ▼gliderさん:
▼KEANEさん:
グライダーさん、おひさしぶりです。
キーンさん、始めまして。


今のジーコは代表選手たちが「考える」訓練をするという、「代表選手限定付き強化期間」という見方をしています。(コンフェ前まではジーコに完全否定って感じだったけど)


でも本来ならばそういうことは子供のころから「考える」訓練しなければいけません。で、そうするにはまずは「子供のころからサッカーを楽しむ」習慣が必要だと思います。そこで出てくるのがサッカーグランドを増やそうっていう方針。ちょっと話は逸れますが、川淵氏がその辺にどのくらい影響力があるかが気になります。僕はその点でグライダーさんの川淵更迭論に慎重だったりします。いや、むしろ協会の体質改善の方を重視されてるのでしょうが。


1.サッカーが気軽にできることでオリジナルのある技を磨き、プレーを考える(特に中坊時代に社会人サッカーやってたときは鍛えられました)という習慣が身に付けるための個々人のサッカーレベルの向上


2.サッカーファンの理論偏重型からの脱却(WC前でしかもネットの中でしか判断できていなかったけれど、そこまで的外れではないだろうということで)


3.何より自分が気軽に自宅から近いところでサッカーが楽しめる(爆)


以上の三つの効果が期待できると思ってます。WC以降、サッカーに関心を持つ人がさらに増えた今、絶好の機会だと思います。協会もその辺を狙って「ピッチ君」なんていうマスコットを使ってPRしてると思ってます。かなり前からこの辺は綿密に計画されてたんじゃないかなぁ。


で、戦術的な見方は僕はアホだから解析するのは苦手なので、サッカーを見るときは、今、それから過去に経験したことと照らし合わせて、どういったプレーがやられると嬉しいか、嫌なのか、はたまたある状況にはどう感じているのかというコンセプトで見るようにしてます。で、そういう人がもっと増えたらなと思います。まあ、3についてはどうなるかわかりませんが、とりあえず芝じゃなくてもいいのでサッカーが気軽にできる土壌整備に期待してます。


あ、ちなみに明日朝一で佐賀に行くんで鳥栖スタジアムまた見てこよっかなと思ってます。福岡にもできたら・・・・・・

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/9(土) 2:52 -

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   ▼lucyさん:

>僕はその点でグライダーさんの川淵更迭論に慎重だったりします。いや、むしろ協会の体質改善の方を重視されてるのでしょうが。

わかります。
サッカー場の問題は、草サッカープレイヤーには本当に大きな問題ですよね。
仕事柄、平日に集まれるので時には芝のサッカー場でプレイできることもあるのですが、
12thの仲間達とは土日祭日にしかサッカーできないので、近場で芝のグラウンドをとることは
ほとんど不可能です。
土のグラウンドでも、都内ではかなり前から予約したりしないと土日は取れないし、「野球場はたくさんあるのに・・・」なんてよく思います。
以前参加した日本クラブユース連盟のシンポジウムでも、底辺の拡大、サッカーができる環境の整備は話題になっていましたので、ずいぶん前から取り組んでいることでもあると思いますが・・・

協会の体質改善ということでは、ぼくが不満に感じているのは主に対外政策の面、代表チームの運営におけるスケジューリングや強化方針の定まらなさ、等々。
アジア地区においても本来はもっと積極的主体的に指導的立場になっていても良いはずだし、代表チームが海外遠征等に行った時などでは、練習場や宿泊に問題があることに現地で気付いてみたりそれを解決しきれなかったり、どうにもゴタなことをやっている。
そのへんのことをトルシエの時はトルシエにまかせきりだったりもしていて、「じゃああんたら何しに行ったの!」なんて思うこともしばしばありました。
はっきりいえば交渉下手すぎるし、海外での常識にうとかったりもするのかもしれないし、人選的な問題も多いと感じます。
そしてその人選の理由は、これもはっきりいえばいまだに学閥、企業閥がらみだったりもする。
そうしたアマチュア的体質が残っているのでは、「世界の仲間入り」を果たした、あるいは果たそうとしている今ではもう不足していることが多いと思います。
これまでの実績は実績として評価もせねばならないと思いますが、もうそろそろ世代交代すべきでしょう。
いつまでも「メキシコ世代」なのは、ぼくはもう勘弁して欲しいです。
まあ、そのへんのことはぼくのようなオールドファンは横浜フットボールクラブのことや(フリューゲルス問題も含み)、オフト以前の迷走ぶり、あるいはネルシーニョ問題等の記憶が鮮明だったりもして、協会にたいして必要以上に不信感のようなものがないとは言い切れないのですが。

>あ、ちなみに明日朝一で佐賀に行くんで鳥栖スタジアムまた見てこよっかなと思ってます。福岡にもできたら・・・・・・

台風、大丈夫?

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 KEANE  - 03/8/12(火) 10:16 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>私は必ずしも「与えてこれをこなせばいい」という状態になってしまうとは思いません。
>
>奇しくもコンフェデ直前に中田英寿が言ったように、「自分で考えることが苦手」だという場合においては、最初にチーム戦術を与えるよりも「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という過程を経るべきだろうと思います。
>その意味において、
>>どのタイミングで状況を判断して与えていくかということじゃないかと思います。
>ということだろうと思います。
>「チーム戦術」というものは、必ずしも「与えるべきもの」とはぼくはまったく思いません。
>選手間の判断ではフォローできない部分は確かにあると思いますが、最初から与えるのではなく、必要に応じて行えば良いものであるとも思います。
>
私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。その与える量という点では必要に応じる点では同じですけどね。
簡単に言うと11人の選手がいつどんな試合のあらゆる状況においてもボ−ルに対して主導権を持ったプレ−やプレスをしていけばいいわけですが、サッカ−というのは選手が考える以上にどういう場合のどういう状況というのは無限に起こるものです。
選手にいいプレ−をさせるための「戦術」を与える、そしてそれを元にいろいろと考えることが選手の自主性だと思っています。


>議論点として、監督が与えるチーム戦術、全体戦術の類は重要なものであるかオマケで良いか、というところに話を戻せば、「自主的に考えることが不得手」である選手が数多くいる場合、全体戦術を重視し、つまりそれを「チームの戦い方の基本」として最初に植え付けることをすれば、最初の段階としてはやはりその浸透、習熟を重視せざるを得ず、結果的に「自主的に考えてプレイすること」は後回しになるであろうことは自明です。
>自分で考えてやることがそもそも苦手なわけですから、より多く「自分で考えなくてはならない必然的な状況」があった方が、そのことのトレーニングになるのは言うまでもないでしょう。
>よって、そういう選手が多いことが課題であるチームにおいては、「全体戦術は二の次、オマケで良い」ということです。
>個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くことでも「全体戦術」は得られます。


>「監督」には、トップダウン式に与える立場に立つ監督もいれば、選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう。
>後者の方が、より自主的に考えることをしやすい環境である、ということは言えると思います。

じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?
私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 glider  - 03/8/13(水) 0:20 -

引用なし
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   ▼KEANEさん:

>私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。

何がどうあれ、「まず与える」ことが前提だというわけですね。
考えるのは「与えたことを応用」することだ、と。
何度も言いますが、「それもひとつのやり方」以上のものではない、というのがぼくの立場です。
「まず与える」のではなく、繰り返しになりますが「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という方法論は確実に存在し、かつ、「自分で考えることが苦手」であることを克服することが課題であるのならば、そちらの方法を取るほうがずっと問題解決の近道だろう、ということです。
何度も言ってますけど。
一般論として、KEANEさんのおっしゃることは別に間違っていないと思うし、そうした方法論もまた「チーム作りと強化」の手段として正当なものであると思いますが、「チーム作りと強化」の方法論はひとつの解のみが存在するわけではなく、そのチームチームで独自に抱える問題解決のためには、その目的に応じた手段、方法が取られるべきでしょう。

>じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?

先のぼくの意見に対するものとしては、何をおっしゃりたいのかよく理解できませんが。
「そんな頭」がジーコにあろうとなかろうと、現実に「より多く自分で考えなくてはならない状況」になっているし、「個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くこと」が必要とされているのは確かです。
つまり最初からそういう方法論を取っているのであり、「切り替える」必要は端からないでしょう。
要するに哲学、方法論の違いなのであって、「柔軟な包容力」とは問題が全然違うと思います。

>私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。

ぼくは「選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう」と言ったのであって、監督が何もしないという方法もある、と言ったのではないのですが。
失礼ながら、もう少しこちらの書いたことの主旨をご理解されてから反論なりしていただくと助かります。
そうすれば引用ももう少し少なくて済むかと。(すみません、別に長いとダメだということではないのですが、読みづらいという意見もあったので、よろしくお願いします)

Re:ところで、「自由」ってなんなんでしょう
 [名前なし]  - 03/8/13(水) 10:25 -

引用なし
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   ▼gliderさん:
>▼KEANEさん:
>
>>私は与えながらそれをどう応用させて考えていかないといけないのかが大切だと思っています。
>
>何がどうあれ、「まず与える」ことが前提だというわけですね。
>考えるのは「与えたことを応用」することだ、と。
>何度も言いますが、「それもひとつのやり方」以上のものではない、というのがぼくの立場です。
>「まず与える」のではなく、繰り返しになりますが「まず自由にやらせる〜その中で出た課題を考えさせる〜修正のための話し合い、トレーニングを行う」という方法論は確実に存在し、かつ、「自分で考えることが苦手」であることを克服することが課題であるのならば、そちらの方法を取るほうがずっと問題解決の近道だろう、ということです。
>何度も言ってますけど。
>一般論として、KEANEさんのおっしゃることは別に間違っていないと思うし、そうした方法論もまた「チーム作りと強化」の手段として正当なものであると思いますが、「チーム作りと強化」の方法論はひとつの解のみが存在するわけではなく、そのチームチームで独自に抱える問題解決のためには、その目的に応じた手段、方法が取られるべきでしょう。
>
>>じゃあ、そんな頭がジ−コにあるんでしょうかね?そこまで切り替えのできる柔軟な包容力がありますかね?
>
>先のぼくの意見に対するものとしては、何をおっしゃりたいのかよく理解できませんが。
>「そんな頭」がジーコにあろうとなかろうと、現実に「より多く自分で考えなくてはならない状況」になっているし、「個々が自分達で判断し、周囲との繋がりを作り、それを拡大して行くこと」が必要とされているのは確かです。
>つまり最初からそういう方法論を取っているのであり、「切り替える」必要は端からないでしょう。
>要するに哲学、方法論の違いなのであって、「柔軟な包容力」とは問題が全然違うと思います。
>
>>私はトップダウンだろうが、選手の状況を考えようが両者は持ち合わすべきものだと思っています。
>
>ぼくは「選手とともに作って行く立場からチームを作り上げて行く、という方法論の監督も多く存在するでしょう」と言ったのであって、監督が何もしないという方法もある、と言ったのではないのですが。
>失礼ながら、もう少しこちらの書いたことの主旨をご理解されてから反論なりしていただくと助かります。
>そうすれば引用ももう少し少なくて済むかと。(すみません、別に長いとダメだということではないのですが、読みづらいという意見もあったので、よろしくお願いします)

とりあえず、意見が違うんだなと思いますので、これ以上は変な方向にもいきかねないのでストップします。
ありがとうございました。

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