|
▼TENさん:
どうもです。
>ただですね、それって代表でやら無いといけないのかなあ、というのは頭から離れないんですよ。
>例えJでのチームに戻ったとしても必要な要素であるし、もっと「柔軟な思考」の部分じゃないかと思うんですよ。
>それを年10ちょっとの代表の試合で育つものかなあ、と。
こういう意見は多いですね。
ぼくは「代表でやらなければいけない」と思います。
もちろん、代表で不足があきらかになったことをユース年代等でやるのは当然としても、「今、代表に足らないこと」を代表でやるのは当然だと思う。
しかも国際試合のレベルとJリーグではレベル格差がある以上、さらにはJリーグはJリーグで週2日開催されるリーグ戦を勝ち抜いて行くためのチーム作りもしなければならない以上、そこに「ばかり」日本サッカーのレベルアップを望んでも無理がある。
ぼくは、代表チームの活動を、親善試合の勝ち負けよりも「日本サッカーの根本的なレベルアップ」に重きを置くのは当然だとも思います。
前回のチームで足りなかった「個人戦術と少数のグループ戦術」を強化するために、一度そこを強調したサッカーをやってみる、あるいは「自分で考えて決断すること」が不得手なら、それなくしては成立しないサッカーをしてみる、ということがなぜそんなにいけないことなのか、ぼくには理解し難いです。
前者は試合だけでなく実戦的なトレーニングでもそれを意識することによって強化して行くことができるし、若年層でなければ身に付かないという類のものではない。
後者は主に意識の持ち方によっても変わるもので、一概に試合数に左右されない部分もある。
日本のサッカーのひとつの特徴として、個人のボールコントロール等の技術は比較的高くて、戦術実行能力も高いということがある。
でも、それにしてはなぜあれほどにパスの精度が悪いのか。パスミスが多いのか。
局面でのグループ・コンビネーションに工夫が足りないのか。
強化を急いだために、段階をひとつ飛ばしていなかったか。
そこを埋めるのをどうしてクラブだけにまかせなければならないのか。
さらに言えば、日本のサッカーはいまだクラブ主導ではなく代表主導です。
それは集客力を見てもあきらかだし、となればそれも含めて代表チームがクラブに与える影響の強さもあきらかです。
もっと言えば、ではワールドカップで不足があきらかになった部分の改善を、今のJクラブで取り組んでいる所があるんでしょうか?
それは次の世代まで待たなくてはならないようなことでもありません。
明確にこれまでの積み上げの上でそうしたことをやって行く、という方法論もあったでしょう。
しかし、こと「日本A代表」に関して言えばそれは不可能だった。
それはこれまでのジーコジャパンの軌跡、選手の発言等を見てもあきらかなこと。
こうなった過程の不透明さ、確信的でなく無自覚な決定であったこと、それはまた別の問題として問題視せねばならないことと思いますが、結果的にはある種の必然に導かれたような気もします。
>さらにですね、グライダーさんはPTAと言われましたけど、ボクとしては
>「教育方針の無い学校に子供を預けたくない」と
>言う感じでしょうか。
あっちこっちで何度も言ってますけど、ぼくはジーコの方法を「教育方針がない」とか「度を越した放任主義」とはまったく思いません。
指導方法自体は別に珍しくもないでしょうし、こと代表チームという括りにいたっては、そちらの方が多数派であるかもしれない。
>そこから先の人間形成の場としての学校の方向性ってなんだろってのがまったくわからないんですよ。
ぼくには理解できました。
サッカーとしてのディテイルにおいても、「技術と創意工夫を生かす」という方針です。
そのために犠牲にするものもあるが、そこに第一義を置くという方針自体には何ら問題を感じません。
どこまで生かせるかは選手達自身とジーコの環境作りにかかっている。
コンフェデでは、その環境作りにおいて失敗という側面があった。
主力と目される選手のケガやコンディション不良、イラク戦争とSARSの影響によるカレンダーの狂いという要素も大きいので、ぼくはその面はしばし留保という感じです。
>まあ、ついでに言えばボクが理想と描くようなサッカーとも程遠いです。
そりゃお気の毒(笑)
ぼくは本当にテレ・サンターナのセレソンみたいなチーム目指すなら、それはそれでオッケーです。
ひとつの段階として、やって見れば良いと思います。
|
|