|
▼KINDさん:
>おそらく、グライダーさんはコパアメリカあたりから似たようなことを思われていたのではないかと思います。違いますでしょうか?
コパアメリカは、あまり真剣に見てませんでした。
どっちみち五輪組を中心とした若手主体に切り替えるつもりなのはわかりきってたし、ということはつまりコパアメリカは「ふるい落とし」の意味が大きいのが明白で、誰が残るのかもだいたい想像ついたし。
トルシエのサッカーについてまず思ったのは、切り替えが速い現代的なサッカーをやろうとしていること。
それからコパアメリカの2ケ月前のワールドユースで見せた「自由な」サッカーがあった。
だから、「オートマティスム」とか「組織6割」とか聞こえてきてはいたけど、「管理サッカー」なんて印象はまったくなかったですね。
ユースの連中は、ほんとに伸び伸びとサッカーしてたし。
主体性ってことでは、オートマティスム、スペースへどんどん出て、それも即座にカヴァーされてて、っていうのに「黄金の中盤」の夢を見てたのが今思えば皮肉です。
ジーコがやろうとしてるのはだから、テレ・サンターナのサッカーまんまだと思うんですよ。
82年大会のあのチーム、カレッカがケガで駄目でポストプレイヤーなセルジーニョが中央のFWに入り、左足のキックが得意なエデルが左めに位置するFWであったために、右のスペースを意図的に開けておき、そこをジーコやソクラテスが次々に使った。
両SBのレアンドロとジュニオールもSBというよりほとんどMF。
高い位置で好きなように中へ入ってきてプレイしてた。
ただし、レアンドロが上がればジュニオールは残り、という釣り鐘式は比較的守られたし、SBが中へ入ればセレーゾかファルカンが外を見てた。
基本的には「中へ中へ」という感じでポジションをクルクル変えながら、それで出来るスペースへ細かいダイレクトパスを使って崩して行こうとするサッカー。
エデルとジーコ、ソクラテスはしょっちゅう入れ替わっているし、ソクラテスとファルカン、セレーゾも同じ。
基本的にはジーコは1.5列目、セレーゾが下がり目、というのはあるけど、スペースへ走り込む選手に次々にスルーパスが出て、そこからさらにワンツーなどで崩して行くという感じ。
ジーコは鋭いラストパスを連発し、ソクラテスはバシバシとシュートを放った。
約束ごとははっきりしてたと思います。
ポジションチェンジをしてスペースを作ること。
そのスペースに素早く入ること。
その穴は必ず誰かがカバーしてバランスを保つこと。
実は、「オートマティスム」が目指すものとそう変わらない。
違いは、過程。
スペースメイクとスペース侵入を習慣的、同時多発的、連続的な約束にし、ホルダーの「自由」をより確保するか、スペースメイクとスペース侵入を各々の「自由」な判断にまかせ、その先は個人と個人の連携力、イメージの共有によるか。
攻守にコンパクトであるか否か、スピードはどうか、という違いはあるにせよ。
ということで、ぼくとしては「後はスピード(を上げられるか、どこで上げるか。緩急の差も含め)」「人選が問題」なんですよね。
|
|