|
▼anybodydoさん:
>キリン杯0勝1敗1分、コンフェデ杯1勝2敗。
>「論理的な結果」でしょうね。
どこまでを論理とするか、事前の準備不足を考えれば論理的といえましょうが、その準備不足が何に起因するかを考えれば、非論理的とも言えそうです。
>トルシエの薫陶を最も受けた宮本が入ったことで1本筋が通ったのも、
>皮肉といえば皮肉です。
上のことも含め、過去に基づいてなるべくしてなっていく筋道の過程と捉えれば、それを見守っていくこと、その同じ時間を共有していることの面白さを感じます。
>残る、と思いますよ。
>ただDFリーダーとしての資質は、ちょっと疑問ですね。
>「秋田が悪いのは解るけど、お前もさぁー」なんて思ったりします。
オイオイ、しっかりしろよーってね。
>>カウンター攻撃を今のチームは忘れてしまった。皆無とはいえませんが、有効なカウンターはほとんど無かった。
>歌を忘れたカナリア・・・
>結局ジーコはそこに主眼を置いていないし、実はトルシエ以前の日本にも無かった。
>「お稽古」的な攻撃に終始していた日本にカウンターの意識を徹底させたのはトルシエで、
>そのおかげで戦略眼に長けた、頭の早い選手が輩出されたのは事実。
>でもこれって他の国では普通にやってることですよね。
>ただジーコもお稽古で早い攻撃、なんてオバカなことは考えていないので、
>トルシエ以前よりはマシでしょう。でも、もったいないですね。
確かにもったいないと思いますが、しかし宮本の例を引くまでもなく、過去4年間体に染み付けてきたものが、そう簡単に抜け落ちてしまうはずも無く、選ばれる選手たちが全く違ってしまうならいざ知らず、選手の主体性を重んじる監督の下であれば、いずれ形を変えながらも現れてくるのではないでしょうか。
僕はそう思うことにしました。
>結局は方法論の違い、で見方が異なるんでしょう。
>WCからどうするか、で、これからは個人の力、って声が出てきた。
>その言い草が無茶苦茶な人がいるのと、感じ方の違いから、
>別の方法を選択するべきだった、と僕は思っていますけど。未だに。
この気持ちは非常に良く判ります。あの路線の上ででも個の力を高められないわけで無し、行く所まで行って見たら?と思っていました。
でも、今の道を選んだわけで、であるならそれを楽しもうと言うところです。
>トルコに負けて思ったこと。日本の選手には、経験が無さ過ぎる。
>ここで負けたら契約切られる、怖くて街を歩けなくなる。
>そういった、極限での経験が、無い。
>代表に選ばれるくらいの選手なら、食えない恐怖なんて微塵も無い。
>耐えられないくらいのプレッシャーの下でやらされる経験が、足りない。
>今のやり方はかえってマイナスですね。
>自分を追い詰めてるのは中田ヒデくらいで、相対的にリラックスモード。
>負けてもマスコミは歓迎ムード。
>トルシエがなんであそこまでやったか。マイナスですね、今の状態は。
>結局どれだけ「飢え」を覚えるかで選手の伸びは決まる気がします。
仰ることは判りますが、これは求めても絶対得られないもの、少なくとも今の日本では。監督がいくら締めてみても、多分疑似体験にもならないと思います。
代表クラスの立場であれば、海外へ出ても「飢え」を経験することは難しいと思います。
有るとすれば己への要求基準を猛烈に高めることで、それこそ各自の自覚しだい、言葉を変えればプライドと言うことでしょうか、本当の意味での。
「お前ら、プライドが無いのかー」と言う言葉が、死んでも良いと思えるほどの屈辱感と、殺してやりたいほどの怒りを伴う言葉にする。そう言う意識付け、子供のころからの教育、それしかないように思います。
|
|