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▼zukunasiさん:
>そうしたことは一例で、ジーコ就任以来、一貫した筋の通ったことをしてきているようには、僕には見えないのです。
確かにゲームプランに稚拙さは見られると思います。
スカウティングの問題も、あるかもしれませんね。
エドゥーの存在意義はどこにあるのだろう、という感はあります。
>で、こうしたことを一選手の責任にすべきでは無いと思う。モチベーションの管理は最終的にはやはり監督が責任を持つべきことで、当然選手にモチベーションの不足を見たのなら、あるいは入れ込みすぎを感じるのなら、何らかの手を打つべきです。
正論だと思います。
しかしながら、そこらへんのことをいつまでも監督に頼らなければならないような状態ではどうしようもないと思います。
ヒデが言ったように、そのへんのことも含め自分達でできないのならジーコが求めていることはできない、ということもある。
チームの段階、という面もあるでしょう。
監督によって方法論の違い、方針の違い、選手の扱い方、接し方の違いも当然あります。
ジーコは選手を「サッカー選手として完成された大人たち」として扱っている。
それで最終的に(いつ判断するかの問題はありますね)駄目ならジーコでは駄目、つまり選手は大人ではなかった、と判断するしかない。
そうした焦燥感がヒデの発言にはありましたね。
速度の面はあと数時間で結果が出るでしょう。
負けるのは仕方がないとして。
一貫して筋が通ってないか、といえばそうでもないとぼくは思っています。
ゲームの組み立て方に関しても、緻密に相手をスカウティングし、相手と自チームの力を分析し、プランニングをたてるべき段階もあれば、そうではなくひたすら自チームのサッカーの構築をし、それに磨きをかけるべき段階もあるでしょう。
選手達がほんとうに大人であれば、ゲームの状況に応じて出るところ引くところの配分もできるでしょう。
例えばフランスのゲーム運びのうまさは監督の指示なんでしょうか?
ぼくは違うと思います。やっぱり選手の多くにそういう能力があるから、ということが大きいでしょう。
ジーコにとっては、それが当たり前で、日本の選手にはそういう能力はもう十分ある、と思っているフシもある。
ジーコはずっと待っているのだろうと思います。
でも結果はいまだでない。
そのことで発言に迷いが現れたり、方針に揺れが出たりは当然するでしょう。
しかし、ああいう方針で行くと決めたのであれば、ぼくはまだ待てます。
たぶんジーコもまだ待つでしょう。
良い経験にはなっているだろうとも思います。
>と言うことで、求めるべきところ、そうではないところ、そうしたことを整理していかないと、と言うことで最初の発言になりました。
ジーコのやり方では、選手達と監督はイーブンです。
チーム作りにおいてもゲーム作りにおいても。
そういうやり方も特殊なものではありません。
そういうやり方をしている中でということでは、ジーコが特に「戦術がない」とか「一貫性がない」というふうにはぼくは捉えられません。
今の日本(の世論、かな?)は「監督」に重点を置き過ぎていると感じます。
「戦術」がどうのと言い過ぎていると思います。
やっているのは選手です。
駄目なら駄目なのは、まず選手でしょう。
そうした視点が少々足りないと感じます。
ジーコがどうのと言う前に、なぜ山田のパスミスの多さが槍玉に上がらないのでしょう?
アレックスの動きのまずさに非難が集まらないのでしょう?
高原の連続シュートミスを批判しないのでしょう?
ヒデのボールロスト(NZ戦)が批判されないのでしょう?
楢崎のタイミングを考えないフィードは?稲本のカバーミスは?
遠藤のチャレンジのない姿勢は?
ほんとうにジーコが駄目だから弱いんでしょうか?
選手の実力の総和としてはこんなものではないのでしょうか?
と言うことで、ぼくはジーコに関しては批判すべきはその人選、ということになりました。
さらに、今の段階は(ジーコジャパン、ということではなく)少々特殊な段階という認識の仕方もしていますので、この「大人扱い」がどう出るか、どこまでそれに応えられ、それはどう今後に役立って行くか、も含め、今しばらく見守りたいと思っています。
ひとつ気になること。
パレイラのブラジルももがき苦しんでますね。
でも最近のブラジルってずっとそう。
W杯で結果を出し、その後しばらくは結果が出ずに批判の嵐。
監督がクルクルかわり、予選の頃まで混乱は続く。
しかし、そのあたりで持ち直し、W杯ではまた活躍、という「段取り」。
ブラジル人監督になった日本もそうだったりして(笑)
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